『ZOIDS Genesis 風と雲と虹と』第五部「バイオゾイド猛襲」 作:城元太
日振島の館は濃霧に閉ざされていた。
風が唸りを上げ、海原を渡って行く。
白い闇の中、一際大きな影が過った。
「ストームソーダージェットだな。三辰め、デルポイから戻ってきたか」
雲海を抜けた怪鳥は、漆黒と紫紺に彩られた機体を変形させ、日振島への着陸態勢へと移行している。だが今、藤原純友の関心は、全く別の事柄に向けられていた。白濁する大気の彼方に光る軌道エレベーターのケーブルを睨みつつ、人肌に温んだ濁酒を独り仰ぎ呟く。
「将門よ、貴様は何処へ向かおうとしているのだ」
あの日交わしたアクアコングとデッドリーコングとの拳の感覚が未だに脳裏にこびり付く。志を同じくすると信じていた者に裏切られた感情。そしてそれを拭えずにいる己の女々しさが腹立たしかった。
背後に人の気配を感じる。
「入れ」
「藤原
幾分鼻にかかった声で、藤原恒利に次ぐ魁師、藤原三辰が帰投の報告に訪れたのだった。招き入れた純友の前に胡坐座をかくが、三辰は頻りに鼻をひくつかせ、臭いを気にしている。
「やはり外地から戻ると匂うか」
「慣れませんな、特に此の湿気と黴臭さは馴染みませぬ。アーミラリア・ブルボーザの生育の為とはいえ」
藤原三辰は館の外の景色に目を遣る。
「
差し出された盃を丁重に受け取り、舐めるように慎重に酒を嗜む。三辰がストームソーダージェットで高高度を飛翔してきた為、酔いが回り易いのは互いに知っている。純友も緩々と語り出していた。
「詳しくは佐伯是基に聞け。俺もよくわからぬが、アーミラリア・ブルボーザの屋台骨となるべき菌糸木だそうだ。確か、プロトタキシーテスとか申したな」
「プロトタキシーテス、ですか」
忽ちに酔いが回ったのか、三辰は口調が鈍っていた。大陸からの帰還直後では、疲労も蓄積していると判断した純友は、報告を強要しない。
「恒利は如何に」
「相変わらず喰えん奴だ。加えてもう1人厄介な坊主までいる」
純友の言葉の裏側には、所詮海賊衆の魁師の連帯など時宜によって書き換えられる危ういものであるとにおわせていた。
「さすれば頭、都とソラシティーの動きに御座いますが、加えて龍宮のゾイド――」
「バイオゾイドか」
言葉を先取られ、三振は暫し口を噤んだ。
「――何故にそれを」
「厄介な坊主の功徳だ。ただ何を考えているか判らぬが」
館の下を忌々しげに見下ろすと、霧の棚引く崖沿いに張られた幕が残っていた。
「レインボージャーク。ありがとう……ごめんなさい」
全身泥に汚れた菫色の孔雀が、飯沼の縁、葦津の江に横臥していた。フェザーカッターに傷を負い、空へ飛び立つことなど出来ないのは明白である。周囲には頻りに、フライシザースやディプロガンズなどの小型ブロックスゾイドが良子と多岐の所在を求め浮遊している。一刻も早くこの場を離れなければならない。悲しげに見つめるレインボージャークの瞳を見て、良子は頬を摺り寄せた。
「私と、そして平小次郎将門が必ず助け出します。絶対に諦めないでね」
レインボージャークは、僅かに頷くと、そのまま頭部を葦津の江に委ねた。レッゲルが切れる直前なのだ。
後ろ髪を引かれながらも、良子は多岐を抱えて走り出した。
「
そこには小次郎達鎌輪の営所に通う馴染みの
「本当に……本当にありがとう、レインボージャーク……」
それは、良子を逃がす為に自らが囮となり、敵を惹き付ける為に叫んだに違いない。暫くして低い爆発の音が聞こえた。止めを刺されたのかもしれない。耳を塞ぎたいものの、多岐を抱えた両手ではそれも叶わなかった。恐怖に怯え、泣き声さえ上げない娘が、今は有り難かった。
幾つの林を抜けたかは判らない。両足と、右の頬に小枝による引っ掻き傷を受けた良子は、前から近づく人影に気付いた。
(追っ手なの。でも一人しかいないなんて)
不規則に何かを引き摺る音がする。人影から不意に声が発せられた。
「良子様、孝子でございます。御無事でしたか」
「孝子殿!」
大声で叫ぼうとして、慌てて声を呑み込んだ。心細さに潰されそうな中、心強い仲間と再会できた喜びに胸が詰まる。止め処なく涙が溢れ出し、声の方向へと足を速めた。
「孝子殿、その怪我は……」
再び良子は息を呑んだ。そこには、右手と右足が血塗れとなり、有り合せの添え木をして脚を引き摺りながら歩いてきた桔梗の姿があったのだった。
「レインボージャーク、デッドリーコング、共にレッゲルの尽きた状態で発見、ダークホーンによって牽引されており、上総勢が鹵獲したものと。但し、依然周囲には小型ブロックスが遊弋しており、御妻子様及び孝子殿の所在は不明と思われます」
陸閉、仮の営所として設けられた陣幕の中、身体を横たえた小次郎の前に文屋好立が告げる。小次郎の隣には、口髭を蓄えた医師らしき者が小次郎の膝を頻りに押しながら診断をしている。
「して
「
「なんだそれは」
半身を起し、文屋好立の報告と同時に小次郎は耳を傾けた。
「相模の梅太郎という医師が見つけた栄養素にして、玄米等に豊富に含まれるもの。殿は食の偏りと過労による負担にて脚気を患ったのです。薬を処方するので、まずは養生してください」
「好立、良子と孝子の行方は判らぬのか」
「我らの力及ばず。ただ、良兼の軍勢に捕えられたとすれば反って安心かもしれませぬ」
好立の言葉の裏には、仮に敵対する小次郎の妻とは言え、良兼が実の娘を
(孝子はどうなる。そして、烏合の伴類共に捕えられたとしたら)
「小次郎殿、今は動けませぬぞ」
兼寛が制するまでもなく、小次郎の身体は鉛の如く重かった。悔しさに、歯噛みをする思いであったが、顎にさえ力が入らない。陣幕の外には、主を気遣い蹲る村雨ライガーの姿がある。僅かにソードウルフ、サビンガ、グスタフを連れた敗残の鎌輪勢が、散り散りとなった人々を想い、低く唸り声を上げていた。
「骨が折れています。こんな怪我で歩いてきたのですか」
桔梗は穏やかに微笑む。
「御心配頂き、ありがとうございます。それよりも、良子様、そして多岐様こそ、お怪我は御座いませんか」
良子は回した腕の中で、僅かに震えながらも健気に頷く多岐に目を遣る。
「私たちは大丈夫です。レインボージャークが必死で守ってくれました」
桔梗は深い安堵の息をついた。
「良かった」
まるで我が事の如くに。
その時、再び人声が林に響いた。
〝血の跡だ〟
〝こっちに来たに違いない〟
烏合の伴類の粗野な索敵の声が聞こえる。次第に周囲を取り囲まれる様子が判る。
一刻も無駄にできない。
「行きましょう」
先に声を上げたのは桔梗であった。
「行くって、何処へ」
「無論、殿の所在を捜しますが、最悪良兼殿の陣や従類に従うのも方策です。伴類達では何をされるかわかりません」
「それでは孝子殿が」
「私の心配など無用です。あなたには多岐様を守る義務があることと、そして胎内に宿るもう一人の御子の命を守らねばならぬことをお忘れになってはなりません」
良子は思わず自らの腹部を左掌で押さえた。
見透かれていた。桔梗の言葉通り、良子の胎内には、今は未熟ではあるが、新たな生命を宿していることを、同じ女として見抜かれていたのだった。
右足を引き摺り、右手をだらりと下げたまま、桔梗は良子に先だって歩き出した。
下卑た声が追って来る。
月夜の中、二人の女性は森の中を必死に彷徨っていた。