煉獄の使者   作:あぷぺあら

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記憶

 夢を見ていた。見ているときには滅多にそう認知できないが、覚醒してみて初めてそれが夢であったと認識できる。ただ、今この場所が夢の景色であるとは、それこそ夢にも思わなかった。

 

 帝都の片隅にある小料理店に、その三人はいた。

 

 一人は少女。見た目の年齢は十五前後程で、蒼の髪と双眸を持ち、美少女と言っても差し支えない程整った顔はしているものの、表情が死滅しており、その心中を推し量る事は困難だ。

 

 もう一人は中年の男。細身で手足が長く、無造作に伸ばされたもじゃもじゃの髪と、無精髭をした男だ。表向きは特に害の無さそうな人相をしているものの、見るものが見れば彼の持つ闇を見てとれるだろう。

 そんな人間は、少なくともここにはいないだろうが。

 

 さらにもう一人。純白の髪と赤の紋章を頬に刻んだ女がいた。町の片隅にある小さな店には似つかわしくない程の美貌を持つその女に、店の中はざわついていた。本人はいたって気にしていない様子ではあったが。

 

 三人とも、ただの一般人のように見えているが、()()()()()()()()()()()()()()

 

 少女は目を輝かせながら運ばれてきた料理に口をつけていた。一度手を止めて横を、パンと共に肉を食する“父”の姿を見た。父――――フリューゲルはよく穀物の類いを食べていた。リィエルにとっては味の欠片もない、つまらない食べ物のように思えるが、彼は炭水化物が無いと落ち着かないという変わった性格をしていた。医者から炭水化物不足を言い渡されることの多いリィエルにとっては特に。

 

 リィエルが、フリューゲルの主菜の肉とパンを交互に食べる姿を見ていると、彼の黒い瞳とかち合った。どこか悲しい色を点したその瞳の真意は、彼女には掴めそうにない。

 

「どうしたの、二人とも? 見つめあっちゃって」

 

 どこか含みを持った笑みで、もう一人の女、セラが茶化すような言葉を投げ掛けた。リィエルは別になんの事は無かったが、フリューゲルは咎めるようにセラを睨み付けた。そして、それを見たセラの笑顔がさらに深くなった。

 

「娘の顔を見つめるなんて、フリューゲルちゃん、相変わらずの親バカだね」

 

 その言葉にフリューゲルは、大きく息を吐いてその黒髪をくしゃりと握ってセラを真っ直ぐに――――見ようとして少し目をそらした。

 

「前々から気になっていたんだが、俺はもう“ちゃん”をつけられるほど若くはないぞ、シルヴァース」

「前々から気になっていたんだけど、どうして私だけ“シルヴァース”って呼ぶの? 他の人みたいに名前で呼んで欲しいな」

 

 フリューゲルは、じっとセラの顔を見た。セラはにっこりと笑ってフリューゲルを見つめ続け、やがて、彼は諦めたように目線を下に向けた。やはりリィエルには、その横顔にどこか彼のもの悲しさが見えた。

 セラは、どこかフリューゲルを弄って楽しんでいる風があった。フリューゲルも不機嫌そうな態度をとるが、それはポーズであって本当に彼女のことを嫌っているわけではないとリィエルは知っている。ただセラと、そしてリィエル自身を見るときの彼の目が、どこか遠くを見つめている理由は、彼女には分からなかった。セラのことを名字で呼ぶ理由も。

 

 フリューゲルは一口だけ水を含んだ。まるで何か心の準備が要るようだった。そこまでの理由があるのか、リィエルは柄にもなく少し気になった。あらゆることをそつなくこなす彼の、数少ない明確な弱点がセラについての事だった。それともうひとつは鼠について。彼の視界に鼠が入り込んだのならば、容赦なく肉片に変えられることは必至だった。彼の目の前で鼠の話題を振ることは絶対的なタブーだということは、流石のリィエルも把握していた。

 

 セラはいまだににこにこと笑いながらフリューゲルを見つめていた。フリューゲルの方は相変わらず目が泳いでいる。だがやがて諦めたように両手を上げた。

 

「参った。何が不満かはわからんが、お前のことをシルヴァースと呼んでいたのは謝る」

「謝るんじゃなくて、セラって呼んでよ」

「……セラ」

「うん、よし!」

 

 セラは満足そうにいっそう笑顔を深めた。フリューゲルはがりがりと頭を掻いたが、やがて頬杖をついて半目でセラを見た。先程までとは違い、その漆黒の目は何処かすっきりしたような色をしていた。

 

「さて、そろそろ行くか」 

「そうだね、フリューゲルちゃん」

「“ちゃん”はつけたままなんだな」

「勿論です。見た目が厳つい分、呼び方くらいは可愛くしないとね」

 

 それもそうだとリィエルは思った。長身と顔、そして近寄りがたい雰囲気を常に醸し出しているせいで、彼は相当怖い印象を他の人間に与えていた。何も知らない人間が彼のことを見たら、恐らく反政府側の人間だと思うだろう。彼が所属している組織は、完全に政府側なのだが。

 

 勘定を済ませて、フリューゲルが出口の扉に手をかけた。二人はまだ何かを言い合っているようだが、内容がまた任務のことになっているので、どことなくつまらなかった。

 

 外の眩しい光がリィエルの目に飛び込んできて、リィエルは思わず目を細めた。そしてその光の中に一歩を踏み出す父の背中を見た。頭に予感が走った。嫌な予感という物だった。

 

 お父さん。と声をあげようとしたが、口がピクリとも動かない。フリューゲルは立ち止まってしまったリィエルに不思議そうな目を向けていたものの、出口の光の中へと一歩づつ踏み出していった。

 彼がその歩を進めるにつれて、光が強く、リィエルの視界を殺していった。目を開けていられなくなり、思わず目をつむった。

 

 とたんに皮膚からすさまじい熱が伝わってきた。反射的に目を開けた。そこには真っ赤に染まる世界があった。炎が辺り一面に燃え広がり、肺を焼くような空気のせいで呼吸すらままならない。

 この光景は見たことがあった。銃弾を急所に撃ち込まれて絶命した魔術師たちの死体がそこらに転がっている。リィエルが座り込んでいる場所の少し先にかなり大きなクレーターが存在している。

 

 そうだ、この光景は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 腕にずっしりとした重みを感じた。ゆっくりと頭を傾け、両腕に抱いたそれを見た。

 

 誰かの右腕だった。ひしゃげた銃を持った誰かの。

 

 絶対に見間違えることはない、彼の腕だった。

 

「あ……」

 

 口から間抜けな声が漏れた。その声が嗚咽とも悲鳴とも分からない、意味を持たない声に変わっていった。いつもと変わらない任務のはずだった。市民に紛れた外道魔術師の殲滅。それが今日の彼女たちの仕事のはずだった。

 心臓を撃ち抜かれて絶命したはずの一人が、爆弾を隠し持っていた。ぎりぎり生を保っていたらしい。

 

 魔術をことごとく無かったことにするフリューゲルでも、物理的な攻撃は普通に受ける。だから魔術師相手にはほとんど無敵のようなものだったものの、その不意打ちは防ぎようがなかった。

 

 彼がリィエルを突き飛ばしていなかったら、彼女もまともにその爆発に巻き込まれていたかもしれない。彼の安否を確認しようとして見た、爆風が晴れた爆心地には、大きなクレーターと、突き飛ばしたときに中心を離れていたであろう吹き飛ばされた右腕だけがあった。

 

「嫌だ……」

 

 止まらない嗚咽の中、一言だけ声をあげることができた。それはまるで小さい子供の駄々のような言葉だった。しかし、リィエルにとってそれはどうでもいいことだった。その言葉で帰ってきてくれるのなら幾らでも叫んでやろうと思った。

 

「置いていかないで……」

 

 不思議な浮遊感があった。まるで今いるこの世界が本当の世界ではないような気がした。泣き声を上げながら残った腕を抱き締めた。彼女にとれる行動が、もうそれしかなくなっていた。

 クレーターに手を伸ばした。まだそこにフリューゲルがいる気がして。息を吸った。彼のことを大声で呼ぶために。

 

 お父さん。と

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「お父さん!」

 

 リィエルの視界に入ってきたのは過剰なまでに清潔にされた白い空間だった。一瞬脳が光景に追い付かなかったが、傍らに座っていた二人の少女を見て今の状況を理解することができた。

 今、自分は病室で寝かされている。そう脳が状況を整理するのと、なぜこのような状況におかれているのか理解するのはほぼ同時の事だった。弾かれるように二人を、システィーナとルミアを見ると、少し怯えたような顔を二人は見せた。その理由は、リィエルには分からなかったが。

 

「おと……フリューゲルは?」

 

 二人はそのリィエルの言葉に互いの顔を見合わせた。やがてシスティーナが大きく息を吐いて話し始めた。「……逃がしたわ。帝国宮廷魔導士団や沢山の先生達がいるにも関わらず、ね」

 

「……そう」

 

 完全に不意打ちを食らったとはいえ、『元』も含めて帝国宮廷魔道士団員とたった一人でやりあえるほどの実力。直接刃を交えて薄々感じていたことだが、やはりかなり強くなっていた。

 

 フリューゲルに何があったのか、リィエルには分からない。そもそもあの時の作戦で右腕だけ残して彼はいなくなったのだ。それなのに、戦ったときには完全に五体満足だった。戦ったときには夢中で気がつかなかったが、彼の体に何があったのかリィエルには理解できなかった。

 

 ゆっくりと体を動かした。身体中に包帯が巻かれていて違和感が相当あったが、全体的に少し痛むくらいで重大な傷は負っていなかった。何でもフリューゲルに窓から投げ捨てられたらしく、システィーナいわく植木が生い茂っている場所に落とされて幸運だということらしかった。何となく、それだけではない気がした。ただ、それは弱さだった。リィエルが抱いた覚悟を鈍らせる、弱さそのもの。

 

「ここはどこ? 学校はどうなった?」

 

 リィエルのその問いに、今度はルミアが答えた。「えっと……ここは帝都だよ。帝都にある一番大きな病院。あと、学校はしばらく休校だって。あんなことがあったから、しばらくはつづくってグレン先生が言ってた」

 

「……ありがとう」

「うんっ」

 

 ルミアがにこやかに笑った。無理をして()り出した笑顔だということは、他人の心情を予測することが苦手なリィエルにも分かった。それでも嬉しかった。二人がその優しさでリィエルを包み込んでくれていることに。

 

 真っ白なシーツから両腕を出した。包帯で全体を巻かれていて、肌を見ることは叶わないが、ちゃんと両方とも収まるべき場所にあった。

 強く両手を握り締める。鋭い痛みが走ったが、我慢して拳を握った。ただ空気の感触を確かめるように。そこにはもう、妙に重さを持つ男の片腕などは無いと確認するために。

 

 目を閉じた。まぶたの裏に浮かぶのは優しく微笑む父の姿だった。その姿は、もう見られそうになかった。今度邂逅したときには、必ず仕留めると心に決めた。

 

「リィエル」システィーナが震える声で言った。リィエルが声の主を見ると、その顔も恐怖に歪んでいる。その顔には見覚えがあった。たまたま魔導士団の仕事場を見てしまった一般人の顔。怯えきった草食動物のような目。

 

「その……凄く怖い顔をしているわよ?」

 

 言われて気がついた。身体中に力が入っており、顔も例外ではなかった。大きく息を吸って、吐いた。身体の力を抜くため、そして夢の景色を忘れて現実を見るために。

 力がすっと抜けて、心にも幾分か余裕が持てた。これは父からの教えだった。心に余裕がないときは、一度呼吸を意識してみると良いらしい。実際にそうだった。呼吸ひとつで、気の持ちようが全く変わってくるのだ。

 

 システィーナとルミアの二人も、ようやく落ち着いたような顔をした。

 

「もう大丈夫、ありがとう」それは心からの感謝だった。怖がらせてしまったにも関わらず、寄り添ってくれた二人への。

 握っていた拳を解いた。痛みはまだ続いていたが、気にはしなかった。ただ守ろうと誓った。例え何が襲ってこようとも、彼女を受け入れてくれたその場所だけは。

 

「待っていて。お父さん」

 

 小さく呟いたその言葉は、誰にも届くことなく消えていった。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 その場所は光が射さなかった。曇っているとはいえ、まだ昼間の時間だ。それにも関わらず、まるで真夜中の時間帯のような純黒の空間がぽっかりと口を開けているその部屋に、彼はいた。

 大きいが、朽ちてボロボロになった机が部屋の中心に置かれていること以外は、何もない殺伐とした部屋だった。

 

 フリューゲルは右腕の付け根に布をきつく巻き、血を必要以上に流さないようにしていた。黙って机同様に粗末な椅子に座り、小さな金属の塊を弄るその背中を見ているのはエレノア=シャーレット。天の智慧研究会、第二団《地位(アデプタス・オーダー)》に身を置く凄腕の魔術師であり、素の戦闘能力も高い女だった。しかし、背を向けて隙をさらす目の前の手負いの男に不意打ちをかけたとして、勝てる予感がしなかった。

 

「依頼は失敗、ですか? フリューゲル様」

 

 フリューゲルはピタリと動きを止め、ゆっくりと振り返った。その顔は、珍しく皮肉げな歪みを浮かべていた。

 

「確かにグレンの殺害には失敗したが、セリカとリィエルをやれただけでもよしとしてはくれないのか?」

「ええ、あくまでも私の依頼は“グレン=レーダスの殺害”ですから」

「手厳しいな」

 

 じっとフリューゲルはエレノアを見つめた。エレノアは、その視線から逃れられなかった。彼の瞳を見ただけで肌が粟立つ思いがした。数日前に会ったときよりも、人間性が薄まっている。さらに無機質さが増している。

 何があったらそこまで人間性を捨てられるのかが分からず、フリューゲルの抱いている感情が何なのか、エレノアには掴むことが出来なかった。

 

 フリューゲルがまた机の方を向いて、作業を始めた。そしてそれと同時にエレノアへ疑問を投げ掛けた。「そういえば訊いていなかったな。なぜグレンの殺害を依頼した? ルミア=ティンジェルの誘拐ではなく」

「最終的な目的である彼女は、我々の管轄です。ただ我々魔術師にとって、グレン様の能力は厄介極まる物でしたので、都市のアンダーグラウンドで話題になっていた死神に協力を要請したのです」

「最終目標は自分達で行い、手間のかかる仕事は他人任せと?」

「穿った見方をすればそうなりますわね。しかし、最も合理的な答えだと今は確信しています。まさか彼の大魔術師、セリカ=アルフォネアを仕留めてしまうとは」

「だが、首を掻き切ったところで死ぬような女ではないだろうな」

「しかし、彼女もまた我々にとって大きな障害に違いありませんので」

 

 フリューゲルの声には、特に感情は乗っていなかった。ただふと気になったから問うたのだろうとエレノアは検討をつけ、会話の本題に入ることにした。

 

「フリューゲル様」

「――――何だ」

「単刀直入に言いますと、我々の一員となっていただきたいのです。貴方の力があれば、我々、天の智慧研究会は更なる躍進によって、世界の真の姿、魔術の神髄へと向かうことが――――」

「折角の勧誘をしてもらって悪いのだが、その話は断らせてもらう。何らかの組織に加わることは、俺にとっては不都合にしかならないからな。それに俺は半端者だ。死ぬに死にきれず、煉獄の焔に焼かれ続けるのが俺だ。そんなものを組織に招き入れたならば、確実に内部から腐っていくだろうさ」

「――――そうですか」

 

 何処と無く予想はできていた。魔術を否定するフリューゲルの存在そのものが、天の智慧研究会には興味深いものだった。固有魔術でも、異能でもない自身でも制御できない力。いままでの世界に類を見ない異常(バグ)。魔術を更に知るためにも、出来れば組織に置きたかったがこれは仕方のないことだった。大導士様に逆らう可能性がある人間を組織に招くわけにはいかなかった。

 

「ところで、隻腕にされたその状態でまだ依頼を遂行しようというわけではありませんよね?」

「腕については心配するな。一週間もあれば生えてくる」

「……は?」

 

 彼の言っていることが理解できなかった。どのような魔術を使おうとも、失った腕は取り戻せるはずがない。それこそ不死者でもなければ。

 

「魔術ではない。それこそ魔法のような技術だ。俺は専門外だからよくわからないが、蜥蜴(とかげ)の尻尾と同じメカニズムらしい。四肢が欠損しようと、臓器を多少失おうと、脳と心臓さえ無事なら生き長らえることができる」

「いったいそれはどういう……」

「あと五百年もすれば、理解できるようになるかもな」

 

 フリューゲルが肩越しにエレノアを見た。彼女は何故か、得体の知れない気味の悪さを感じた。未知の生物に遭遇したときの、形容しがたい感覚が。

 

 それでも一つ、確認しておかなければならなかった。

 

「つまり、まだ依頼は継続するのですね?」

「ああ、()()()()()()()()()

 

 その言葉を真意を、エレノアは計り知る事が出来なかった。

 

 

 

 

 

 

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