煉獄の使者   作:あぷぺあら

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窮鼠

 暗く粗末な部屋\それに見合う机と椅子\そこに座る細く、背の高い隻腕の男=フリューゲル。

 

 ありあわせの素材で弾丸を作る――――元兵器開発部の腕。片腕でも余裕で弾丸を作り出すことができる。何のためにかを自問自答――――決まっている\殺すため\依頼を達成するため――――安寧を手に入れるため。

 自嘲――――依頼を無かったことにするのか? 答え\否。“彼”にその力がなければ、まだ夢を見続けることになる――――それでもいいという思い\諦めに近い。

 

 机上に転がる命を消し去る金属の塊\十グラムにも満たない“死神の鎌”\見た目以上の威力を持つ――――恐らく鎌よりも。

 

 不意に起きる声――――なぜ撃つことが出来なかった? 回答――――「俺の中にはまだ、人間があったというわけか」口をついて声を出す=完全な無意識。

 自らを全て否定する言葉\次第に薄くなっていく人間性――――残るのは昆虫のような冷徹な残酷さだけ。

 

 消えた左腕の根本をさする――――痛み=無し。少しずつ再生する腕=人間を越えた再生能力――――以前の世界では驚異的だったそれも、この世界では霞んで見える=完全なる不死者の存在。

 恐らくセリカは生きている――――確信に近い予想――――銃弾ではなくナイフで止めを刺そうとしたため\甘さが招いた結果=微かに残っていた躊躇いが、彼の腕を押し止めた。

 

「俺を止めたのは、一体誰だろうな?」

 

 虚空に霧散する問い=答えなど求めていない。

 

 部屋の端の染み\銃創\ヒビ=ネズミを撃ち殺した跡――――消えた死体=大量の小動物に分解されていった後――――食物連鎖の振り出しへと戻る小さな命\命を繋ぐために喰われたわけでもないのに。

 少しだけ残る黒ずんだ体毛――――微かに残る純白\先日の少女を思い出す。

 

 輝くような銀髪\透き通るような白肌――――まるで純銀(ミスリル)のような。

 “彼女”を思い出させる=他人の空似――――この世界に来て二人目――――未だに彼を縛り続ける呪縛=過去の女\割り切ろうとする=出来ず。

 いくら人間性が消え、感情が薄くなったとしても消えることのない記憶\感情。

 

 聖良(セラ)――――生涯でただ一人、心から愛した女\忘れられるはずもなく――――一抹(いちまつ)の恐怖=侵食が続けば、彼女への愛すらをも忘れるのか?

 

 次々と生み出される銃弾――――彼女は望んでいないはず\何を? \意味もなく人命を奪う行為を\嘗ての戦友を手にかけるという行為を。

 気にする必要はない=声――――それは自分自身の物だったのか\それとも別の誰かか――――どの意思が真の心かが、曖昧=混ざり合う心。

 

 左手が震える\意思を越えた体――――どこかにある拒絶=人としてあるまじき行為――――どうでもいい\仕事をこなすことさえできれば――――まだ醒めるわけにはいかない\抜け出すわけにはいかない――――この夢の中から。

 

 意思に従う\本能に従う\この世界にも、安寧を与えると。

 

 左腕の震えはもう、止まっていた。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 レールと車輪が擦れる、耳をつんざくような甲高い音と、石炭を燃やす煤けた臭いがグレンの体を襲う。しばらくフェジテに滞在していたために忘れかけていた、科学技術の進歩した街、帝都オルランド。

 

 その街の中心部にあるひときわ大きな建物。

 王女の住まう城が、帝都全体を見下ろすように鎮座していた。

 

 そのさらに上には、どこか灰色に染まった鉛色の空が広がっていた。青空は広がっているものの、純粋な空色とは言いがたいその色は、フェジテの空には見られない色だ。

 

 肩の傷口は未だにずきずきと痛む。庇うようにさすると、さらに鋭い痛みがグレンの体を走った。

 そのとき、グレンの中にあった感情は、怒りと、少しの悲しみ。

 

 思い切り殺しにかかってきたフリューゲルに対する怒り。そして、豹変してしまった彼への悲しみ。まさか娘を手にかけようとするとは思ってもみなかった。だが、リィエルをわざわざ下に木のクッションがあるところに落としたことや、セリカへの止めを確実性のある銃弾によって行わなかったことに、グレンは少しの希望を見いだしていた。

 

 また、かつてのフリューゲルが帰ってくるかもしれないという希望が。

 

 傷はある程度回復したものの、リィエルの精神状態はかなり不安定になっている。

 今はシスティーナやルミアがそばにいることで精神の安定を図っているが、やはり父として慕ってきたフリューゲルに殺されかけたという事実は、彼女を大きく傷つける結果となっていた。精神だけではなく、身体的にも。

 

 そんな状態のリィエルに、フリューゲルが帰ってくるかもしれないという希望を示唆すれば、彼女はどのような行動をとるかグレンには見当もつかない。

 

 フリューゲルは再び現れる。そういった確信がグレンの中にはあった。理屈では説明することができない、ほとんど勘と呼べるような代物。それでもグレンにはそれだけで十分警戒する意味が出来上がった。

 そうだ。フリューゲルは任務を途中で投げ出すような男ではないはずなのだから。

 

 そして、そのときになってリィエルに迷いが生じれば、最悪マインドコントロールによって、グレンたちに彼女の剣の切っ先が向けられる可能性だってある。

 そうなった場合に、グレンが勝てる確率はほぼ無くなる。だからこそ、グレンはリィエルに、フリューゲルへの希望を見いださせる訳にはいかなかった。いずれは人間ではなくなった彼を、悪夢から醒めさせる為に。

 

 その足は自然に、ある場所へと向かっていた。

 

 かなり街の外れまで来たものの、相変わらず監視するように城は視界に存在し、街のどこにも逃げ場はないように感じられる街だった。グレンはこの街が若干苦手だった。

 心の底から嫌うようなものでもないが。

 

 二年前からなにも変わらない、少し寂れた小料理屋があった。

 待ち合わせたわけでもないのに、見知った顔もいくつかそこにあった。

 

 任務の後、彼が必ずと言っていいほど立ち寄る店。街の中心部にあるような大きな店では決してないが、味はかなりいいという隠れ家的な店だ。どうやって彼が見つけたのかは分からないが、裏の話をしても誰にも聞かれることがないということでいつの間にか宮廷魔導士団の集合場所のようになっていた。

 

 その扉の前には、不機嫌そうに腕を組んで立つ赤毛の女がいた。グレンがかなり嫌っている女が。

 

 その女は、グレンを視界に収めるなり、にこやかに微笑んだ。グレンにもよくわかる、薄っぺらな笑顔だった。

 

「遅かったわね、グレン」

「誰もここで待ち合わせるとは言ってないだろうが。大体イヴ、お前がいるなんて予想してなかったっつの」

「暗黙の了解と言うものよ。貴方も十分わかっているはず。一応アルベルトからそれとなく伝言も伝わっているはずでしょうし。でも、リィエルは来ていないのね。父親に襲われて傷心かしら? 人形が感情を持つなんて、あるはずがないのに」

 

 グレンは黙って咎めるようにイヴを睨みつけながら、店内に足を踏み入れた。

 全体的に小さく、木材は若干朽ち始めているものの、清潔な店内だった。客の心を落ち着けるような静かな音楽が店内全体を流れ、アンティークな雰囲気のあるそれは、以前に訪れたときと何ら変わらない、何処と無く時間の流れから取り残されたような感覚を起こさせる風景だった。

 

 昼食時だというのに、客もほとんどいない。高齢の男女が数人、まばらに机に座っているような状況だった。

 お世辞にも繁盛しているとは言いがたいが、ずっと店を続けられるのならそれなりに客足はあるのだろう。

 

 そんなことを思いながら店内を見回していると、店主の男から一つの個室へ案内された。

 狭い店内の隅に一つだけある、小さな個室。余程大声を出さない限り外の人間に声が聞こえることはなく、それなりの年である店主も、軽々しく口を割るような人格をしていないため、軽い作戦会議を行うのに絶好の場所だった。

 

「おお来たか、グレ坊!」

「うげっ……」

 

 個室にはそうそうたるメンバーが顔を揃えていた。

 特務分室の面々。魔術大国であるこの国でも、屈指の実力をもつ顔ぶれだった。

 

 《法皇》、クリストフ=フラウル。《隠者》、バーナード=ジェスタ。《星》、アルベルト=フレイザー。そしてグレンの隣に立つのは《魔術師》、イヴ=イグナイト。裏の世界に生きるものがその席を覗きでもしようものなら、尻尾を巻いて逃げ出すことは間違いなかった。

 

 グレンはどかりと音をたてて椅子に座った。木製の椅子は、それだけで軋んだ音をたてたが、グレンは気にせず机に肘をついてそのメンバーを睨み付けた。折角ごろごろして怠惰な休日を過ごそうと思っていたところにとんだ邪魔が入ったのだ。上機嫌でいられるわけが無かった。

 

「まあ、俺をわざわざ呼び出したくらいだ。半端な用事じゃないことは承知してるが、その前に聞きたいことがある」

 

 グレンは薄い笑いを浮かべて全員を見回した。

 

「ここで食える飯、誰のおごりだ?」

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 リィエルは病室から抜け出していた。もうとっくに動けるくらいには回復していたし、病院食が味気なさすぎてうんざりしたというのもある。とにかくこの監獄のような場所から逃げ出したかった。

 妙に清潔感のある真っ白な部屋や、消毒液の臭いも嫌だった。そして、それで上塗りしたつもりであるだろう死の臭いも。

 

 医者に捕まったら一巻の終わりだ。また病室に逆戻りだ。それだけはなんとしても避けなければならない。

 気配を消してそっと廊下の曲がり角を覗く。看護士数人が少し先で談笑しているが、それ以外には誰もいない。これはチャンスだった。リィエルをすぐに病室へ連れ戻したがる忌々しい医師も、システィーナもいない。とっとと外に出て、解放感を味わいたかった。

 

「《我・秘めたる力を・解放せん》」

 

 【フィジカル・ブースト】によって身体能力を飛躍的に向上させ、真っ直ぐな廊下を一気に駆け抜けて外に出る事にした。看護士たちが風を感じたときにはもう、リィエルは外へと出ていっているだろう。

 脚に力を集中させる。スタートダッシュで廊下の三分の二は移動する腹積もりだ。

 

 力を解放した。空気が震え、爆発のような風圧が廊下を駆け抜けた。

 そして、それを追い抜くように疾走する青い影。二歩目を踏み出したときには、看護士たちの横をとうに過ぎていた。

 風のような速度で、ドアの取っ手を掴んで引くと、そのままの速さで外に飛び出す。

 

 青い空が視界に入ってきた。眩しいくらいの太陽が彼女の体を照らした。取り敢えず遠くに逃げて、日がくれる前には帰ってこようと思った。グレンを心配させたくはなかったからだ。

 

 綺麗な緑色に染められた病院の庭を駆け抜け、その先にある大きな門を目指す。ここまで来れば彼女を止められる存在など、いるはずもなかった。

 

「リィエル?」

 

 その声が届くまでは。

 

 綺麗な声だった。澄んだ水のように、リィエルの耳に馴染む心地よい声だった。

 

 こんな状況でなければ。

 

 リィエルは動きを止めてゆっくりとその声の主を見た。その銀髪は太陽に照らされて美しく輝き、見るもの全てを魅了するような微笑みを称えた少女、システィーナ=フィーベル。

 ただ、目が全く笑っていなかった。寧ろ怒りに満ちていた。

 

 確かに綺麗な瞳の色をしていると思う。だがリィエルの体は、虎に睨まれた獲物のように微動だにしなかった。

 

 システィーナは真っ直ぐにリィエルを見た。その表情と違い、全く人を安心させるような色をしていなかった。「まだ、お医者様には絶対安静って言われたんじゃ無かったかしら? どうしてこんなところにいるの? リィエル」

 

「さ、散歩……」リィエルはシスティーナから目をそらしながら、それだけは言えた。システィーナの殺気に気がつかなかったが、彼女の隣にはルミアがいた。助けを求めて目を向けたが、返ってきたのは苦笑いだけだった。

 

「ふーん、散歩……そう、散歩なのね。知らなかったわ。最近の散歩は、わざわざ【フィジカル・ブースト】をかけてまでするようなものなのね?」

「そ、そう、だよ」

 

 徐々にシスティーナがリィエルとの距離を縮め始めた。一歩一歩と、芝生を踏みしめる音がリィエルへ近づいてくる。恐ろしくて目を向けられなかった。フリューゲルに見つめられたときと、ある意味同種の恐怖が彼女を襲い続けていた。

 

 がしりと両肩を掴まれた。至近距離でその笑顔を見つめてしまった。こめかみには青筋がピクピクと立ち、システィーナから放たれる威圧感は、そこいらの魔術師よりもよっぽどリィエルを圧迫した。

 

「駄目じゃない? 怪我も完全に治ってないんだから、じっとしていないとまた傷口が開いちゃうわよ?」

「う、うん」

 

 激しく起こるのではなく、まるで子供をあやすようなその口調が、かえって恐ろしさを助長させていた。ただ、リィエルの肩に触れたその手が細かく震えているのを感じた。どうしてかということは、今でははっきりとわかる。

 こういうのを、世間では『いい友達を持った』と言われることも。

 

「どうして外に出ようとしたの?」

 

 瞳を真っ直ぐに見つめられた。その潤んだ、小さく震える瞳を見て、リィエルは少し申し訳なく思った。

 

 いつかフリューゲルがグレンたちに溢していたのを、不意に思い出した。『リィエルに、同年代の友人が居ないことが気がかりだ』と。

 その時は特に何も思わなかった。グレンやフリューゲル、皆が要るだけで十分だった。

 だがこうして友達と一緒にいると、言い様のない感情が芽生える。リィエルはようやく理解することができた。あの時、フリューゲルがなぜそんなことを気にしていたのか。

 

「病室は狭いし、病院のご飯は美味しくないし、だから出ようと思った。だからその、システィーナ、ごめんなさい」

 

 素直に謝った。心から謝罪したいのもあったが、下手に言い訳をするとどのような結果になるのか、グレンが証明していた。

 

「分かったわ。そのかわり、もうしないで?」

「……うん」

 

 システィーナは納得したように笑った。今度は本当に柔らかい笑顔だった。リィエルは緊張で強張っていた体の力が抜けていくのを感じた。

 ただ、腰に手を当てたシスティーナの足元にある紙袋がリィエルの目についた。

 

「システィーナ、それ何?」

「あ、いやこれは……」

 

 急にシスティーナの頬が染まり、なぜか手をわたわたと動かし始めた。それは彼女が照れたときの行動だというのは経験で知っていたが、何に照れているのかはいまいちわからなかった。

 ルミアはまだ微笑を浮かべたまま、リィエルたちの少し離れたところにいたが、システィーナへ助け船を出すように口を開いた。

 

「せっかくお父さんからおすすめのお店を教えてもらったのに、勿体ないよ? システィ」

「分かってるわよ……」

 

 そう言うとシスティーナは拗ねたように唇を尖らせた。そして諦めたように紙袋からそれを取り出した。

 見るからに美味しそうなイチゴのタルトだった。そして彼女はそっと再び紙袋のなかに入れた。

 

「お父様からおすすめのお店を聞いたから、たまたま寄っただけよ! ただ、私たちだけじゃ勿体ないから、ほら、病室で食べるわよ? お医者様には許可をとってあるから!」

 

 一通りリィエルが訊いてもいないことを捲し立てると、システィーナはずんずんと病院の方へと歩いていった。そしてそれを追いかけるようにルミアも駆けていく。

 だが、リィエルの隣に来たとき、そっと呟いた。

 

「ごめんね? でもシスティはリィエルのために買ってきたんだよ? お見舞いにって。リィエルが美味しくなさそうに病院食を食べるから、たまには美味しいものを食べさせてあげたいって」

「分かってる。システィーナは、素直じゃない」

 

 ルミアはにっこりと笑ってシスティーナの後を追っていった。

 リィエルもそれに続こうと振り返るときに、ふと病院の門の前で動くものを見つけた。

 

 普通、人間の目に見えるような大きさのものではなかった。だが、【フィジカル・ブースト】を解くのを忘れていたリィエルには、はっきりと見えた。

 

 猫だった。そしてその猫は何かと格闘していた。

 いや、実際には弄んでいた。手元にあるそれを。小さな命を。

 

 猫にいたぶられているのは鼠だった。しかし必死の抵抗もむなしく、やがて動かなくなっていった。

 猫は食べるわけでもなく、動かなくなった鼠を道端にすて、去っていった。鼠の死骸をそのままに。

 

 リィエルはその死体から目を背けて病院へと歩いていった。

 

 背後では、カラスの鳴き声が響いていた。

 

 

 

 

 

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