煉獄の使者 作:あぷぺあら
凄まじい蒸気と煤を轟音と共に撒き散らしながら、グレンの側を蒸気機関車が駆け抜けた。それは馬などでは比較にならないほどすばやく、かつ大量の人間や物資を運ぶことのできる科学の粋を結集した乗り物だった。それはまさに科学技術が魔術を越えた一例だった。移動に高度な技術を必要とする転移魔術とは違い、魔術に精通していない一般人であろうとも難なく移動させることが出来る。
グレンはフリューゲルの持つ銃を思い出していた。詠唱を必要とせず、高い精度と連射能力で敵を蹂躙する道具。軍用魔術と同様か、場合によってはそれ以上の力を持つ片手で持ち運びが可能な小さな鉄の塊。
確かに拳銃はグレンも使用する。だが装填数も射撃精度も次元が違った。それは並の魔術では、それどころか軍用魔術ですら超越した技術だった。
あれが人間の行く末なのか。グレンは肌が粟立つ感覚を覚えた。あんなものを持った人間が大勢で殺し合いをする光景など、想像することすら憚られた。フリューゲルの体に起こった異変が容易く行われる世界など、考えたくもなかった。
あの“蛍”もそうなのだろう。一晩で町ひとつを死に追いやる兵器を作ったのも、人間なのだ。その製法がわからないにしても、人が使う兵器である以上、それは人の手で作られた物なのだ。
もし、今は混ざり合わずに別々の概念として存在する科学と魔術が合成されきったとき、その時に人類はどのような確変を起こすのだろうか。リィエルのような存在が大量に造り出され、人々を尽滅して行くのだろうか。機関車のように、移動に便利な道具が造り出されるのかもしれない。だが結局は戦争に、人殺しに使われるのだろう。人々を豊かにする技術というものは、同時に効率よく人間を、動植物を殺す手段になり得るのだから。
視線を感じ、そちらに目を向けた。そこは昼間だというのに薄暗い、都市の裏側だった。豊かに発展して行く都市の表側と同時に、広い屋敷の掃除が届かない場所のようにそれは広がっていった。帝都をよく知る人間であるほど夜だけでなく、昼間ですら足を運ぶ事はほとんどない都市の
どれも警戒を露にしていた。同時に、隙を見せたら身ぐるみを剥いでやろうという殺気も。
だがグレンはその辺りの人間よりも戦闘経験が豊富なため、隙は見いだせておらず、攻めあぐねているようだった。そして、ふと見つけた。その視線の主を。
小さな子供だった。姉と弟だろうか、視線が合った瞬間に蜘蛛の子を散らすかのごとく路地の奥へと消えていった。
彼らが踏んでいった地面から舞い上がった塵に、薄緑色の光が混ざっているのを、グレンは決して見逃すことはなかった。
「まさかおもいっきり女王様の住むところが見える場所で、あんなもんがもう蔓延っているなんてな。それとも
それは急激に発展した巨大都市の、誰もが予想し得なかった弱点だった。巨大になった分、その細部まで世間の目に映ることが少なくなっていったのだ。それまで都市部から離れたところに形成されてきたスラムが、都市の中枢で姿を見せ始めたのだ。
鉄道ができたことによって生活区が広げられ、帝都で働く人間も周辺都市で暮らすことが多くなった。古くなって見捨てられた町は、生活水準の低い者達がそこに住み着き、普通の人間ならば命惜しさに決して近寄らない醜悪な場所と成り果てた。
その為、以前は大都市で見られなかったスラム特有の問題が、都市の中枢で発現するようになった。
グレンはその治安の悪い場所を堂々と歩いていた。昼間であろうとも一般人ならば我が身かわいさに決して近寄ることのない、薄汚れた場所がそこだった。こんな危険なところに来ているとシスティーナ辺りに知られたら一体どんな顔をされるだろうか。吊り目気味の目をさらに尖らせて、わめき散らされることは目に見えている。
微かに彼は笑った。最早、生徒達と共にあるあの場所こそが完全に自分の居場所となっていた。
セラを失ったときには考えられないことだ、とため息を吐いて後頭部を乱暴にかきむしった。全てに嫌気が差し、完全に引きこもりになったあのときと比べたら天と地ほどに差があった。
「話しかけられそうもないし、知れたのはここにも影響があるっつー事実だけか。んじゃ、うるせぇやつらに文句垂れられる前にとっとと帰るか」
グレンは暗く人気のない路地から大きな通りに出た。人々の喧騒が耳に飛び込み、急に顔を見せた太陽光に思わず目を細めた。視界が光に慣れると、病院への道を進んだ。もうベッドに縛り付けられる生活は強いられずに済んでいるが、それでも怪我が完治するまでは病院通いを続けなければならなかった。
授業そのものは近場のホテルを借りることでどうにかできているが、休日でなければ自由に行動できないというのは調査においても不便だった。
ただいくら
曰く“いつの間にか、緑色に光る粉が置いてあった。それを他人に流していただけで、誰がそれを持ってきているのかわからない”らしい。にわかには信じがたい話ではあるのだが、全員が同じことを言うためグレンはもうその事を真に受けるしかなかった。おかげでフリューゲルの足取りは一切つかめず、今どこで何をしているのかすらわからない状態だ。
何気なしに空を見上げた。グレンの曇りきった心象とは裏腹に腹が立つほどすんだ空色がそこにあった。
「あ、グレン先生!」
高い声がした。本能的に逃げ出したくなったが、それはそれで後々面倒なことになりそうであったため仕方なく声のした方へと顔を向けた。日光の下ではよく映える銀髪を靡かせた少女、システィーナだった。その後ろにはルミアとリィエルの姿もあった。
「どういうことですか先生!」
いきなり怒鳴られてグレンの肩がびくりと反応したが、平静を装ってシスティーナを正面から見た。予想と寸分も違わない怒りの表情で彼を見ていた。正直凄みが一切ないのだが、仕方なく降参したとポーズだけはとっておく。
「あの男から狙われているからと護衛を付けることを推奨されていたのにそれを断って、病室でじっとしていろと言われても何処かに出歩いてしまって……何かあったらどうするんですか!」
「大丈夫、大丈夫。現にほら、何もなってないだろ?」
「何かあってからじゃ遅いんです!」
「わぁったわぁった! 俺が悪かった!」
噛みついてくるシスティーナを適当にあしらう。強い言葉の後ろに彼女なりの不安があることはグレンにも十分理解できていたが、少し煩わしさも感じていた。だが不快感はなく、寧ろ心の中に
「システィ、先生も分かったって言っているからそろそろ放してあげて」
終わらない二人の応酬を止めたのはルミアだった。困ったような笑顔でそっとシスティーナに触れると、それで観念したように彼女はグレンの胸ぐらを掴んでいた腕を放した。
「先生も、あまり皆に心配をかけるようなことは止めてください。先生が無茶するのは、見ていて苦しいですから……」
そのルミアの言葉に、グレンは声をつまらせた。今もかなりの危ない橋を渡っている途中であるからだ。ただ心底不安そうに眉尻を下げる少女に対する罪悪感もかなりあった。
だが、それだけではもう止まることはできないところまで来ていた。
「大丈夫。グレンに何かあっても、私が守るから。もう、負けないから」
リィエルがぽつりと呟くように声をあげた。誰も何も言わなかった。ただ彼女の決意がそこにあった。
リィエルは彼女の意思で、二人にフリューゲルとの関係を明かした。親のいない彼女にとって父親のように接してくれた人物であるということを、包み隠さず“友達”に明かしたのだ。グレンもその場にいたが、システィーナもルミアもリィエルの言葉をただまっすぐに受け取った。その事実について偏見を持つことなく、ただ一人の友達として受け止めたのだ。
覚悟を決めていたとはいえ、
止められることは目に見えていたが、止まるわけにはいかなかったからだ。
少しの間が空いたあと、システィーナが声をあげた。
「さ、行きますよ。早く完治してくれないと、グレン先生の授業が受けられませんからね」
「俺のことがそんなに待ち遠しいのか? 白猫、お前も可愛くなったもんだな」
「何でそうなるのよ! そんなこと一言もいってないじゃない!」
見るからに怒って早足で去っていくシスティーナに慌てて付いていこうとするルミアを遠目に見ながら、リィエルとグレンはゆっくりと歩き出した。
グレンには目の前を歩くリィエルの背中が、小さく見えた。珍しく不安にかられているようだった。
グレンはその蒼のぼさぼさの髪をくしゃりと撫でた。不安を少しでも払拭させるために、ほぼ無意識にそうしていた。リィエルも拒むことはなかった。されるがままに身を任せ、そして再び歩き出した。その足取りは幾段か軽くなり、グレンから少しずつ距離を離していった。その顔には微かな笑顔が浮かんでいた。
「大丈夫そうだな」グレンはそう呟いて前の三人に追い付くべく足を速めた。目の先には守るべき場所があった。それは彼にとって、ようやく見つけた唯一の場所だった。
失うわけにはいかない。何があろうと護り抜く。グレンは拳を強く握り、力を緩めた。
しばらく帰路を歩いていると、人が一層集まる場所を見つけた。妙にざわつき、中には何か悲惨なものを見たかのように汚い言葉の一つや二つを発するものもいた。人々の視線は大通りから少し逸れたところ、狭い路地に向けられていた。
「どうしたんでしょうか……?」
不安そうにグレンを見上げるルミアを安心させるためにも、グレンはうなずいて見せた。言外に心配はないと伝るために。それだけでもルミアには十分伝わり、彼女も柔らかく笑ってうなずいた。
「ちょっと様子を見てくるわ。お前らは――――」
「グレンか。ちょうどいいところに」ここで待ってろよ。続ける前に低い男の声が遮った。
群青の髪と鋭い猛禽類のような目をした男、アルベルトだった。だがいつもと違うのは普段は冷静な彼が隠しもせずに苦々しい顔をしている点だった。少なからず怒っているようで、その怒気はシスティーナとルミアを圧倒し、通行人すら彼らを恐れて一気に避けていった。
「あ、あの、何かあったんですか?」
アルベルトの殺気に気圧されながらも、システィーナは彼をまっすぐに見上げて気丈に訊いて見せた。その鋭い眼で睨むように見つめられたときは流石の彼女も体を強張らせはしたものの、逃げ出すようなことはしなかった。
思わぬところで彼女の成長を見たと、グレンは一人感心していた。
「すまないフィーベル。剰りにも突拍子も無いことで、我々も混乱している。分かっているのはまた死人が出たということだ。悪いがグレンとリィエルを借りていくぞ。二人はここで待っていろ」
「でも……」システィーナは反論の声をあげた。私もやれるようになったと、グレンにも見てもらいたかった。ただ護られるだけではない、自分自身の力で戦えるようになったと言いたかった。
だが、言葉は出なかった。アルベルトが
「ここから先は、お前たちが足を踏み入れるべき所ではない」
システィーナは人混みに紛れて行く三人の背中をただ見つめていた。
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血痕がそこらに飛び散っていた。隠す努力を一切せず、逃げも隠れもしないという宣言のように穿たれたままの銃創も、壁や床にばらまかれたままだった。
それだけでもう誰の仕業かは明白だった。そもそも現在流通している銃では、ここまで深々とした穴は開けられるはずもなかったからだ。
「誰がやられた?」
「ガルシア財閥のナンバー2、いや、当主ローレン=ガルシアの亡き今、実質のナンバー1か。名前はアンディ=ベネス――――の私設団だ。全員急所を一撃で仕留められていた」
グレンは顔をしかめた。大通りに近いため、そこまで薄暗い印象を受けない路地だが、それでもその光景の異常性を際立たせるには十分だった。リィエルはどう考えているのか表情からは判断しづらいが、多少は驚愕しているようだった。
「帝国に蔓延る謎の薬と……
グレンは壁を見上げた。そこには文字が書いてあった。赤黒く変色し、乾いた血で形作られた巨大な文字が。
終極が始まる。
その光は使者。魂をあるべき場所へと還す為の使者だ。
その一つの光は世界を変えるには小さく脆弱だが
同時に脆弱な人を変えるには十分なほど強靭だ
「この言葉の意味は分からん。それに不可解な点が多すぎる。例の薬の件もそうだが、フリューゲルの犯行にしては剰りにも今までとはかけ離れている。これはもはや狂気にかられた精神異常者のそれだ」
「でも現場証拠からしてフリューゲルの仕業以外に考えられないのも事実だ。だが、この
「私も。何となくだけど」
リィエルは蒼い瞳を壁の血文字に向けたまま言った。そしてアルベルトとグレンの二人に眼を向けると、そのまま言葉を繋いだ。
「多分、
前回の話の厳しい評価に、やはり転生者(転移者?)多数は受けが悪い展開だと痛感しました。
しかし、二人目のオリジナルキャラクターの存在も、物語の鍵を握る人物ですのでどうか結末まで見届けていただけると幸いです。