煉獄の使者   作:あぷぺあら

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天恵

 そこは帝都郊外の町、ナボル。一晩で破滅へ導かれたその町は今や人影はひとつもなく、しかし建物は全体的にまだ人のいた形跡をぼんやりと残していた。

 その町の中心を貫く大通りから少し逸れたところ、それでもしっかりとした作りである一つの家屋の玄関先にその少女はいた。

 

 黒髪が無造作に肩口で切り揃えられているものの、少女にとって自慢だったそれは今もその艶ややかさを主張するように風になびき、白い絹のような素肌は通りかかる者を立ち止まらせるには十分すぎた。しかしここにはそのような存在は何一つとして無く、有るのは無邪気に(さえ)ずる小鳥たちの声だけだった。

 少女は困惑したように眉尻を下げ、玄関の木製扉を眺めていた。

 

 以前、少女は死神を探していた。契約を交わすために。報酬は用意していたし、足りないのならば自らを差し出せばいいと思っていた。相手がまともな男であるならば――――もしくは特殊な女だったとしても――――それで満足させられるはずだった。

 死神との契約はただひとつ、少女の人生を灰色に塗りたくった男の始末だった。

 

 その為には何でもした。死神と接触(コンタクト)するためなら喜んで自分の体を差し出した。一度純潔を失った自分の体に、もう男達の口を開かせる道具としての役割以外はなくなっていた。しかし死神は見つからなかった。どの男共も噂程度の程度のことしか知らず、少女はその存在そのものを疑い始めていた。

 

 それは少女にとって残酷な仕打ちだった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 理不尽は少女の心身を痛め付けすぎていた。もう、絶望が彼女の体を破壊することが出来なくなるくらいには。

 そんな人生でも希望は訪れた。

 

 邂逅は急だった。死神は突如として少女の目の前に降り立った。少女の体は歓喜と、それ以上の恐怖によってうち震えた。

 生物的な感情の一切見えないその姿は、正しく死神だった。()()()()()()()()()()()。少女は“死”そのものが人の皮を被って動き回っているような、そんな印象を与える男を目の前に確信した。そして死神は自らを探そうとする少女に慈愛の手をさしのべた。少女にとって、その手は天使が差し伸べる救いの(てのひら)よりも希望に満ち溢れていた。

 

 契約は交わされた。期日に必ず男の魂をその醜悪な肉体から奪い去ることを約束した。

 しかし帝都にて少女に入った知らせは、男本人ではなくその取り巻きの死、だけだった。本人の死はどこにもなかった。

 

 再開の日、約束の場所には死神とは別の男がいた。そちらは分かりやすく胡散臭い空気を放ち、隠す気のない“裏”を孕んでいた。

 

「はじめまして、お嬢さん。俺は死神の遣いだ。名前は“ソニド”と名乗らせてもらっている。偽名だがね」男は少女と顔を会わせるなり、笑顔で大仰にお辞儀をした。仮面のような笑みだ。と少女は思った。それは人を安心させるために顔に貼り付ける、薄っぺらな笑顔だった。

 

「死神はどこ?」

 

 少女はその男を睨み付けながら言った。それでも男は笑ったまま、子供をあやすように両手を前後させた。

 

「物怖じしないのはいいね、気に入ったよ。ただ残念ながら死神はここにはいない」

「どうして?」

「理由は……そうだな、別の仕事が忙しいそうだ。だからこその代理人さ」

「下手くそな嘘ならやめて。私はただあの糞野郎の汚い死体が無いことに腹をたててるのよ。依頼した仕事は、最後まで完遂するものじゃないの?」

 少女は次第に声を大きくしながら目の前の、ソニドと名乗った男に捲し立てた。男のどこまでも人を見下すような態度への不満も込めて。ただソニドは笑みを深めるだけだった。「()()()()()()()()()()

 

 ソニドは一歩、少女へ近づいた。『またか』と少女は思った。男という生き物はいつもこうなのだ。女に気にくわないことを言われたから、女がでしゃばるから、直ぐに力で屈伏させようとする。

 まるで盛りのついた猿だ。というのが少女の、ほとんどの男に対する評価だった。だがソニドという男は、彼女を襲うでも怒鳴るでもなく、ただ紙切れを少女の小さな手のひらに握らせるだけだった。

 

「準備に三日間はかかる。だから四日後に指定した場所にまた来てくれ。そこで再会しよう。そして、そこで君の最も求めているものを俺からあげるよ、カレン=ユーズ」

 

 カレンは男の眼鏡越しに彼の瞳を見つめた。翡翠(ヒスイ)色のきれいな瞳が、少女を吸い込むようにまっすぐととらえ、その緑は彼女の心をほんの少し落ち着けた。

 ソニドはもう一度にっこりと笑うと、きびすを返して去っていった。雲が切れて日が指してきたとき、カレンはずっとくすんだ灰色だと思っていた彼の髪が、青色に輝いているのを見た。

 

 それが四日前のことだった。

 

 自分が本当に求めているもの、思い当たるのはカレンの人生をめちゃくちゃに引き裂いた男の死だったが、ソニドという男が示唆するのはどうやらそれ以外の事らしい。彼女には理解し難いことだったが、大人しく従うことにした。

 紙切れは地図だった。今や浮浪者ですら近寄ることのない死都の一角に印が付けられており、暗にそこが再会の場所だと伝えていた。

 

 それが今、カレンの立っている場所だった。例の男もそこにいたが、彼女の姿を認めるなり、また微笑を浮かべると建物の中に入ってしまった。カレンは一人取り残されていた。

 彼女自身もここに来ることには抵抗があった。それでも行かないわけにはいかなった。自分が本当に望むものが、そこにあるのだと言うのだから。

 

 意を決して扉を開けた。かなり質のいい家屋のようで、扉を開けるときも軋む音ひとつしなかった。玄関先にはソニドが立っており、相変わらず隠そうともしない胡散臭さを放ちながら、薄皮のような笑顔を張り付けた端正な顔でカレンを見下ろしていた。

 

「ようこそ来てくれたね。さあ、君が求めているものはこの先だ」彼はまた大きな手振りで、二階へ続く階段を指した。カレンは大人しく従うことにして、階段へと歩いき、木製の階段に足をかけた。これも頑丈な造りで、少女の体重を受けても一切の音を立てず、かつての居住者がかなり豊かな暮らしをしていたことが手に取るようにわかる。

 

 ソニドも後ろから着いてきていることは気配で察知していた。そして少女は気がついた。自分のこの男に対する警戒心が揺らいでいることに。得体の知れない男が背後にいるというのに、全く不快感を抱かずにそのままにしている自分がいることに。

 そして、別にそれでもいいという気さえしていた。男が怪しいことに変わりはないが、特に害があるわけでもないからそのままでもいいという感情があった。

 

 二階へは一分もかからずについた。広い廊下の左右にいくつかの部屋があり、その最奥には一際大きな扉があった。ソニドが指を指すのはその扉、いまカレン達がいる場所から歩いても数秒の距離のその扉だった。

 カレンは敢えてゆっくり歩き、その大きな扉に手を掛け、ドアノブを回して一息に開け放った。そして、その光景を見た。

 

 両手足を縛られた太った男が、部屋の中央に転がっていた。それ以外にその部屋には何もなく、生活の跡すら見えない無機質な壁と大きな窓だけの、大きな空間だった。

 カレンは転がっている男を見た。身体中の筋肉が強張るのを感じていた。少女の中にあった困惑の感情が次第に憤怒へと変遷し、瞬きもせずにその男を見続けた。

 

「……どういうこと?」カレンは震える声で、背後に立つソニドへ問を投げ掛けた。

「私が望んだのは、この男の抹殺よ? 誘拐なんかじゃないわ。できるだけ痛め付けて、痛め付けて、生きていることを後悔させながらこの男を殺すのが、私と死神に交わされた契約(コントラクト)のはず! 私はその為に彼との邂逅(コンタクト)を望んだの! どうしてこの男はまだ生きているのよ!」

 

 カレンは心から沸き上がる怒りに身を任せて吠えた。怒りで体が震えた。結局死神は救いをもたらすことはないのかと、絶望すらしていた。だがソニドは余裕のある笑みを崩さず、ただ慈しむように少女と目を会わせた。

 

「君は確かにその男、アンディ=ベネスの死を望んでいた。それは復讐の為、耐えきれなくなった絶望のために、殺してしまいたいとすら願っていた。それこそ都市伝説と噂され、強大な呪いを政府が隠蔽するためにでっち上げた、虚構の存在とまで言われた死神を探してしまうほどに。でも君が死神と契約したのは何故だい? 答えは簡単だ。君には力がなかった」

 

 ソニドは眼鏡の後ろにある翡翠の瞳を優しげに細めて、カレンを見た。カレンの体は、先刻とは別の震えが襲っていた。

 

「手段があれば、力があれば、君はこの男を躊躇なく殺すだろう。そしてそれは君が望んでいたことだ。何よりも、一番に」

「何が、言いたいの?」

 

 ソニドは大きく両手を左右に開き、まるで啓示を与える神のように優しく微笑んだ。

 

「俺は君に手段を与えよう。力を与えよう」

 

 ソニドは懐から出した何らかの装置をカレンの右腕に握らせた。カレンの腕にずっしりとした重みが伝わり、その黒い塊は存在感を重厚に主張していた。

 銃だ。そう少女は理解した。

 アンディや、その取り巻きが使っているのを何度か見たことがある。その時見たものは、彼女の手のひらに乗っているものとは大きく形状もかなり違っていたが、それでも手のひらのそれは銃だと、彼女は確信した。

 

 それが何を意味するのかも。

 

 ソニドは優しく彼女の手を手のひらで包み、銃のグリップをしっかりと握らせた。その腕をゆっくりと回転させ、転がっているアンディに照準を合わせた。

 カレンにもやり方は分かっていた。そのまま引き金を引いてしまうだけで、目の前の男はそれこそ肉塊と成り果てる。自らが見下してきた女に蹂躙され、その汚い中身をぶちまける羽目に合うのだ。

 

 ソニドはカレンに一度止まるように指示し、転がされたままのアンディに近づくと、口に貼られていたテープを思い切り引き剥がした。短い悲鳴を上げたその声を聞いただけで、カレンは鳥肌をたてた。それは家の中でゴキブリやネズミを見たときと同じ感覚だった。

 だが怒りに身を任せることは出来なかった。自分が手に持つのは凶器であり、それは容易く人の命を奪うものだと理性が警告していた。

 

「やめ、止めてくれ! カレン! 殺さないでくれ! お前にしたことは謝る、謝るから!」

 

 カレンはその言葉に奥歯を噛み締めた。謝るとはよくいったものだ。反省もしないのに。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 この男にとっては、とるに足らない小さな商人を潰しただけだ。勝手に壊れていったのは相手の方だ。カレンはその副産物に過ぎなかった。適当に潰した商人の家の、その娘という副産物。それが彼女だった。

 

 やれ。感情が燃え盛り、脳が体に命令するのを感じた。

 やれ! このまま、目の前に転がる肉をずたずたにしてしまえ! そのまま引き金を引き、生まれてきたことを後悔させてやれ!

 

 カレンの呼吸が激しくなった。心臓が早鐘を打ち、腕が細かく震えた。瞳には次第に涙が溜まり、視界が霞に迷い込んだ。

 

落ち着いて(プ リ ー ズ)落ち着いて(プ リ ー ズ)……そう、大丈夫。こいつは優れものだ。落ち着いて狙いを定めて、引き金を引くだけの簡単な作業さ。そうすれば必ず当たる」

 

 ソニドは優しくカレンの腕をさすった。震えは次第に収まり、真っ直ぐに銃口をアンディに向けた。大きく息を吸って吐いた。縛られたアンディが何かわめき散らしていたが、もう気にすることはなかった。

 

「そう、そのまま撃ち殺せ」

 

 撃った。大きな音のわりには衝撃は小さかった。銃声がしばらく脳裏に木霊し、その強烈な音に目を強く瞑っていた。少しして目を開けた。銃弾はアンディの体を貫通し、床に穴を穿っていた。男の体は生命の余韻のようにびくびくと痙攣し、死してなお涙を流し続けていた。

 その死体も、酷く醜い姿だと思った。

 

 カレンはしばらく呆けていた。一瞬のことだったせいかまるで実感が伴わず、むしろ困惑すらしていた。

 

「これで、終わりなの?」

 

 悲願だった。この男が死ぬことをずっと望んでいた。

 それなのにあまりにもあっさりしすぎていて、あまりにもあっけない。歓喜に心が踊ることが無ければ、爽快感を得られたわけでもない。

 

 ソニドを見た。彼はそのカレンの姿に暖かい笑顔を向けた。翡翠の目が細められ、少女に語りかけるように首を横に振った。“否、まだ終わってなんかいない”と。

 

 変化はそこからだった。カレンの耳に、肉をかき混ぜるときのような、ミンチ肉を肉団子状に丸めるときのような音が飛び込んできた。

 音源はアンディの体だった。肉体の中央に空いた穴が、徐々に治癒されていく。

 やがて完全に傷が塞がった。多少歪な形になりはしたものの、肉体は完全に生命を失う前の姿に戻っていた。

 

 そして呼吸を取り戻した。もぞもぞと動きだし、かっと目を見開いた。その眼球がカレンを捕らえたとき、アンディはまた泣きそうな顔つきに変化した。

 カレンも困惑していた。一度死んだ人間が生き返ることなど、絶対にあり得るはずがない。それなのに今の現象は、それ以外に説明しようがない。

 

 アンディが悲鳴をあげ、めちゃくちゃに動き回るのをカレンは見ていた。完全に魂が肉体に還っていた。

 優しい感覚が頭の上に乗せられた。ソニドの手が、カレンを優しく諭すように置かれていた。何が起こったのか分からないのなら、教えてあげようと落ち着けるように。

 

「俺がこの男にちょっとした魔術をかけた。生命の死を克服する魔術さ。肉体はもとの姿に還元され、魂ももとの居場所へと還る。俺の最高機密(トップシークレット)さ。これで君は、何度でもこの男に復讐することができる。ほら、もう一度撃ってみな」

 

 何度でも生き返らせることができる。何度でも復讐を与えられる。カレンの心は震えた。魔術など都市伝説と考えていたカレンにとって、それは畏怖にも近い感情だった。

 もう一度撃った。アンディの頭の上半分が消し飛び、頭蓋骨と赤い液体を滴らせる肉が飛び散った。それも三十秒ほどで修復され、アンディはまた元気に動き出す。

 止めてくれ、とアンディは悲鳴をあげた。構わず撃った。少しだけ狙いが逸れ、脇腹に命中した。

 直後に悲鳴。アンディは痛みに暴れまわった。撃った。心臓の辺りが破れ、勢いよく倒れながら絶命した。

 

 心から沸き上がる感情があった。カレンはその感情に名前をつけることは出来なかったが、()()()という確信はあった。

 

 ()()()()()()()! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 カレンの黒髪を綺麗だと言いながら撫で回す手のひらを引き裂いた。カレンの身体中をなめ回す汚い舌を粉砕した。

 返してあげる。少女の心は歓喜に舞った。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 何度も撃った。途中で弾が切れたが、ソニドは替えの弾を用意してくれていた。マガジンの変え方も教わった。あり得ないほど使いやすく、簡単で、かつ威力が他の武器とは桁違いだった。

 

 男の体は再生する度にいびつに歪んで行き、形を保てなくなっていったが、それでも苦しげに呻き声や悲鳴をあげることはできていた。声が聞こえる度にカレンの心は震え、聞こえた呻き声の長さの五倍は銃撃を叩き込んだ。

 

 そんな彼女の様子を、ソニドは背後で腕を組みながらずっと見ていた。口元には隠す気のない悪意を含んで。もし少女が振り返って男を見たら、それこそ即座に撃ち殺されかねないくらいに、その笑顔は凶悪に歪んでいた。

 少女の嬌声と、銃撃の音と、男の悲鳴。正常な人間なら耳を塞ぐようなその空間で、ソニドは音楽でも聞くようにうっとりと瞳を閉じていた。

 

 不意に扉が開いた。入ってきた男の影響で部屋の気温が数度下がったようにソニドは錯覚したが、その畏怖を顔に出すのは止めた。

 音も止まった。静寂が空間を支配したが、カレンはゆっくりと振り返った。息は上がり、頬は上気して、それこそ性交の後の余韻のような表情をしていたが、身体中にはアンディの返り血が付着し、不気味さを際立たせていた。

 

「ねえ、死神。見て、これ」にっこりとカレンは微笑んだ。

「私がやったのよ? 私の手で、私からすべてを奪った男から何もかも奪い返したの! 素敵な贈り物をありがとう」

 

 少女は花のような満面の笑みを浮かべた。ティーンにもなっていないような子供のように、無邪気な。

 

 死神はただ、(くら)い瞳で少女を見下ろしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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