煉獄の使者   作:あぷぺあら

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悲哀

「見つけた」

 

 イヴ=イグナイトは、目を輝かせて部屋から飛び出した。

 

 先日から帝都中に複数展開していた彼女の眷属秘呪(シ ー ク レ ッ ト)である、『第七圏』の内の一つが帝都の東側地区の治安の悪い場所で消えたのだ。

 彼女の意識の外で『第七圏』が解除されることは、絶対にない。

 

 『死神』がそれに触れない限りは。

 

 イヴは全力で都市を疾走した。グレンも、特務分室のメンバーも、彼が今どこにいるのかなど絶対にわかるはずがない。彼にどの様な高度策敵魔術を施そうとも、彼はそれに捕まることは絶対にないのだから。

 だが、イヴは違った。魔術が効かないのは確かに厄介だが、死神のその特性を逆に利用してその尻尾を掴むことにした。

 肉体を使って広い帝都から一人の人間を見つけ出す事よりも、数段効率的だった。

 

 フリューゲルという存在は、今や帝国で最も悪名高い犯罪者となっていた。恐らく彼の出した犠牲者は、個人の犯罪としては今までに類を見ない数だった。

 それを一人で仕留めたとなれば、イグナイト家の人間も、確実にイヴに正当な評価を下すだろう。そう、一人で彼を打ち倒さなければ私に何の価値もなくなるのだ。

 

 イヴはほくそ笑んだ。誰にも見つからず、奴を見つけ出してやったことに。これでようやく、特務分室室長を務めるイグナイト家としての箔がつくということにも。

 

 彼女が『第七圏』を展開していた地点に着いた。そしてそれはいた。

 

 明らかに低所得層とは一線を引いた身分の人間がいた。衣服もそこまで汚れておらず、しっかりとした食事を摂れている健康的な体型をしたその人物は、どう見ても怪しい雰囲気を纏っていた。

 彼女は背後から、軍用攻性魔術(アサルトスペル)《ブレイズ・バースト》を放った。

 

 放物線を描いて前方を歩く人物の背中に火球が着弾したとき、爆発を起こすことなく霞のように炎が消え去った。

 そしてそれは、確実な答えをイヴに与えた。

 

「見つけたわ、『死神』フリューゲル=シュトロブルク! あなたのしてきた罪の懺悔を、私の前でしなさい!」

 

 その声に、その人物の歩みは止まり、ゆっくりとフードを外しながら振り返った。

 最初に見えたのは、眼鏡越しに見える翡翠(ヒスイ)のように深い緑色をした瞳だった。そしてフードが完全に取り払われたとき、その空の色を溶かし込んだような鮮やかな青い髪が現れた。

 

「まさか人生で死神、何て言われる日が来ようとは、流石に予想してなかったなぁ、子猫ちゃん」彼は人懐こい柔らかな笑みを浮かべて、そう言い放った。

 

 イヴは完全に混乱していた。

 まさか魔術を完全無効化する人間が、この世に二人もいるとは考えても見なかった。

 

 そもそも、その容姿が異様だった。まるで極彩色の鳥の羽根をふんだんにあしらった高級なドレスのように、その男は鮮やかな印象を与えた。

 男はにこにこと笑っているままだ。問答無用で攻性魔術(アサルトスペル)を叩きつけられた怒りも、急に呼び止められたことに対する憤りも感じられなかった。いや、魔術に関しては気付いてすらいない可能性もあったが。

 

「あなたは……誰なの?」

 

 最初に口から飛び出した言葉がそれだった。ほぼ無意識にその問いは出ていた。

 

「そういう君は分かりやすいね。宮廷魔導士団特務分室室長、執行者ナンバー1、コードネーム《魔術師》であり、イグナイト家のご子息であるイヴ=イグナイト。で、間違いはないかい」

 

 男は笑みを深めて首をかしげた。戸惑いながらもイヴが頷くと、満足したように彼も頷いた。

 

「俺の名はソニド。しがない町医者さ。先程の挑発するような態度は謝罪しよう。まさかこんな辺鄙なところに、君のような人が来るとは思っても見なかったのでね」

 

 ソニド、と名乗ったその男は左胸に右の手のひらを添えて仰々しくお辞儀をした。

 それが更にイヴを混乱に陥れた。この男はどう見てもただの一般人であるのだ。戦闘慣れしていそうな佇まいでは断じてない。寧ろ筋肉のあまりない細い腕や脚は、軟弱な印象すら与えた。

 

 それなのに魔術が効かないという特殊体質。フリューゲルは何処かの特殊な生まれであるらしいが、この男もそうなのだろうか。

 ただ訊く気にはならなかった。訊いたところで何かがあるわけでもなかった。

 

 男は顔をあげ、イヴをまっすぐに見た。

 人を試すような瞳だった。翡翠を思わせるその深緑の瞳は見るものの心を落ち着かせ、柔和なソニドの態度と合わせてイヴの焦っていた心をも鎮静させていた。

 

 ソニドはイヴににっこりと柔らかく笑いかけ、

 

「何故俺のことを死神と言ったのか、理由を聞いても?」

「――――魔術を完全に無効化できる能力、それを死神は持っているわ。私も独自の方法でそれを探して、あなたにもそれが見つかった。だから……」

 

 突然ソニドは高らかに笑った。それがイヴの言葉を中断させ、彼女を苛立たせたが、それでもくっくとソニドは笑い続けていた。

 失礼、と一言言うとソニドは眼鏡をはずし、その奥の瞳に浮かんだ涙をぬぐうとイヴに向かって笑いかけた。

 

「いやなに、このようなただの一般人である医者ごときにそこまでの機密を漏らすとは、余程焦っているのかな、と思ってね。その年で特務分室室長を任されている身だ、焦る気持ちも十分にわかるけど、ここは一度冷静になった方がいい。()()()()()()()()()()()()()()()()、と考えたらぞっとする話だよ」

 

 冷静になった方がいい。

 その言葉は昔、フリューゲルに言われた言葉だ。どの様な劣勢でも、冷静さを失ってはいけない。いや、劣勢の時ほど冷静になれ、と。

 唇を噛み締めた。お前はあの時と何も変わっていないと言われた気がして。

 

「ごめんなさい、引き留めてしまったわ」

「……自らの非を認めることもまた、強くなる秘訣だ」

 

 ソニドは終始、柔和な態度を崩すことはなかった。

 だがその言葉の一つ一つは、イヴの心に大いに突き刺さった。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 イヴは東側地区を離れ、人で賑わう中央地区に戻っていた。

 数刻前までいた東側地区とは違い、様々な店が通りの両側に所狭しと並んでおり、人々の姿もまた中流階級以上の者たちばかりであるということを容易に想像できるくらいには整った服装をしていた。

 

 人の流れは緩やかで、比較的歩きやすかったが、それでも人で一杯の通りは普通より歩きにくかった。

 折角罠を張ったというのにそれが不発に終わったこともあり、彼女の心はささくれ立っていた。それこそ無作為に炎を起こし、無理矢理道を開かせかねないほどに。

 

 だが、流石にそうするわけにはいかなかった。

 大きく息を吸って吐き、懸命に冷静さを手繰り寄せる。眉間に皺は寄っているだろうが、それでも多少はクールダウンすることは出来た。

 それでも苛立ちを完全に消すことは叶わなかったが。

 

 ふと、彼女の横を数人の少女が横切った。

 年齢的には丁度ハイスクールに通う頃だろうか。ほぼ無意識にイヴが通りすぎていった少女たちに目を移すと、特徴的な制服が目に入ってきた。

 外界マナとの親和性を高めるために、あえて布の面積を少なくしてあるその制服は、本来帝都から離れたフェジテの町にあるはずのものだった。

 

 アルザーノ帝国魔術学院の女子生徒数人が、和気あいあいと通りに並んだ商品について話している。

 まだフェジテの学院は復旧出来ていないようだが、それはイヴにとって好都合でもあった。

 アルザーノ帝国魔術学院が帝都にあるかぎり、グレンは今回の件に関わり続けることになるのだから。

 

 イヴはまた道を歩んでいた。今度はその顔に不適な笑みを浮かばせながら。そうだ、まだ何も終わってはいないのだ。そしてこれが終わらない限り、グレンは彼女の手のひらから抜け出すことは出来ない。

 丁度その時、懐に入れていた魔晶石が甲高い金属音を鳴らした。

 

《イヴか? 今日の報告会だ。早急に集合しろ》アルベルトの低い声が、通信機の向こうから聞こえてきた。

「――――ええ、分かっているわ」

 

 一瞬、今日の事を報告しようか迷った。だが、それはしないとすぐに結論付けた。仲間を信用するよりも、自らの力で解決することを選んだ。

 まっすぐに歩けばすぐに着く場所に作戦本部はある。イヴは早足で歩みを進めた。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 人のいない町\昼間であるにも関わらず――人の生活する雰囲気すら無し。

 その異様な景色の中、一人息を切らしながら走る男がいた。

 

 息がいつも以上に切れる\それでも走り続ける\限界はまだ遠く――元々長距離は得意ではないが、()()()()()()()()()()=身体強化の賜物。

 転びそうになりながら懸命に走る\涙のたまった瞳のせいで視界がぼやける=何かを踏んで転ぶ。

 

 アスファルトに赤い染み\残された小さな上半身――悶え苦しんだように宙に向けられた前足=ドブネズミの死骸。

 

 フラッシュバック――押さえ込もうとする\努力は空しく\巻き戻される記憶\痛み\混乱。脂汗が浮き上がり、甦る痛みに叫び声をあげた。――――反応するものは無し。

 嘔吐――記憶と現実の狭間が曖昧\アスファルトに頭を打ち付ける=現実の痛みによる、虚偽の痛みの喪失。

 呼吸を整える\ゆっくりと目を瞑って開く――かえって前よりも落ち着く。

 

 希望を捨てるな――上官の声。

 冷静さを失ってはいけない――戦友の声。

 ――どちらも、もう聞くことは出来ない。

 

 体を揺する\また走り出す。

 目的の場所まではもう少し=そこでもう一度希望を手に入れる\最後の。

 息は切れない\心拍も通常と殆ど変わらない――全力疾走=目的地迄は体力は持つという推測。

 

 過ぎ去って行く景色\目的地が近づくにつれて心拍が上昇――仕方のないことだと割り切る。――――それほどまでに待ち望み、それほどまでに否定したかった事だから。

 目的地=家族の待つ家――妻が、娘が待っているはず=希望的観測――家族だけは無事でいてくれという願い。

 

 玄関にたどり着く\インターホンを押す\返事は無し。

 きっと映った自分の姿に驚いて動けないのだろう――そう結論付け、家の鍵を握る。

 鍵を差し込む――出来ず。

 震える手が、中々鍵をきちんと鍵穴に指してくれない=異様に力の入った指。

 

 無理矢理鍵を開ける\玄関に入る\「ただいま」と一言――返事は、無し。

 

 息が上がる\心拍が上昇する――恐らく全力で走っているときよりも。

 頭を激しく振る\歯を食いしばる\身体中に力が入る――全ては現状を否定するための、子供の駄々のようなもの=それでも止めるわけにはいかず。

 

 家は最後に見たときと何ら変わりはない――掃除好きの妻が、過剰なまでに埃を取り去ったフローリング\娘が何時か描いてくれた家族の絵――玄関から見えるものに、彼の記憶と違うものは一切無い。

 それならば迎えてくれ\懸命に帰ってきた俺を労ってくれ――声は出ず。

 ただ靴のまま、一歩踏み入れた。妻に叱られるかもしれないという考えは、脳みそから抜け落ちていた。

 

 リビングの戸を開く\光景を目にする\力が抜ける。

 ごとん、と大きな音=自分が膝をついた音。

 迸る悲鳴――自分の口からそのような声が出るとは、この年になるまで知らなかった。

 

 目をそらせない\動くことは出来ない\ただ叫び続けるしかない。

 

 床に散らばった白い糸=妻の髪――うつ伏せに倒れ、懸命に何かに手を伸ばしたまま静止している。

 その先に倒れた娘\苦しげに喉を抑えたまま倒れている\かっと見開いた蒼い瞳――瞳孔は開ききっている。

 

 嘘だ\嘘だ\嘘だ――叫びまくる\目の前の光景は変わらず=ただ現実を押し付けるだけ。

 ふらふらと立ち上がる\うつ伏せのままの妻を上に向かせる。視線の会わない、見開いた金色の瞳――彼が愛した色。

 涙の跡――苦しみながらも、娘を守ろうとしていた。

 

 十歳になったばかりの娘\苦しげなままの表情\余程の苦痛を与えられた証拠。

 二人の目を閉じさせる\穏やかな表情=まるで眠っているような――実際はもう覚めない夢を見ている\永遠に\二度と。

 

 ただ救いを求めた\解放を求めた――この苦しみから。

 涙が溢れる\嗚咽が続く\慰めてくれる家族は無し――物言わぬ姿となっている。

 

 ――――人が二人死んだだけだ、それだけなのに何故そこまで狼狽える? ――声=どこからのものか分からない。

 怒り――家族を侮辱されたことに\その死を嘲笑された事に。

 憤怒に任せる=ホルスターの拳銃を抜く。

 

 ぶち殺してやる! 

 

 ――――何を?

 

 俺の家族を返せ!

 

 ――――それはお門違いだ。俺はお前の家族になにもしていない。

 

 ふざけるな!

 

 ――――話にならない。そもそも、()()()()()()()()()()

 

 怒り=俺が冷静? バカを言うな、家族を殺されて冷静で要られるわけがない。

 感情に任せる\虚空に弾丸を放つ\壁に穴を穿つ――漂う硝煙の香り。

 聞こえてくる溜め息。

 

 ――――何をしている。

 

 殺してやる!

 

 ――――お前は、俺に攻撃できない。

 

 何だと?

 

 ――――お前は俺だ。

 

 衝撃――心臓が大きく脈打つ\それを境に心拍が正常に戻る。

 二人の死体――妻と娘の\ただそれだけのこと……

 

 嘔吐\自分が今、何を考えていたのかを思い出す\身体強化の副作用を思い出す――今、その恐ろしさの一端に触れた。

 否定したくて、二人の遺骸に寄る\抱き寄せる\頬に触れる。

 失われた熱\一体、何度現実を突きつけられれば良いのか分からなくなる。

 虚空に向かって叫んだ。

 

 ピッという機械音\音源を見る\部屋のすみに筒状のもの――正体は分かる。

 動こうとはしなかった\動くことすら億劫だった。

 

 筒状の物が爆発\『家族』を守るために覆い被さる\破片等は何もない=比較的小さな爆発。

 この町が沈黙した理由――敗戦者がテロ紛いの行為=報復。

 恐らく彼に対しての私怨\だから彼は家族に会いに来ると踏んで罠を仕掛けた\その予測は当たり――“蛍”をばらまくことに成功。

 

 呼吸が止まる――もう、する気もなかった。

 頭がぼうとする\視界が霞む\本格的に力が抜ける。

 家族の横で眠ろうとした――身体中に装着した兵装が邪魔になる\取り外す力はない。

 

「俺も、行くよ」

 

 穏やかな心=すべてを受け入れられる。

 疲れて眠る子供のように穏やかな表情で、彼は瞳を閉じた。

 

 

 

「おい、旦那大丈夫か?」

 

 意識の浮上\目の前の景色を確認――煉獄のもの。

 

「……少し、寝ていた」

「ああそうか、最低限の睡眠でいいとはいえ、取らないと死ぬもんな」

 

 ソウタは笑う=道化の笑み\本心では怯えている――目の前の化け物に。

 椅子から身を起こす\立ち上がる\ソウタを見下ろす形になる。

 ソウタが息を飲む音がした――隠すことの出来ない恐れ\人間としての本能――至極正常。

 

 彼が机の上の液体に目を向ける\透明な袋に入った、緑白色の液体――“蛍”を産み出すための“卵”。

 ソウタが怪訝な顔をする\袋を持ち上げる\小さく悲鳴をあげて袋をそっと置く――非難するようにフリューゲルを睨む。

 

「おいおいおい、旦那が調合できるって言うから任せたのに、なんだこれは? 濃度が三倍ぐらいあるじゃないか。こんなの使えねえよ。つうか、火気には気を付けてくれよ? こいつ、燃え上がったら水じゃ消せねえんだから」

「問題ない。俺が求めたのはその濃度の“卵”だ」

「……つまり、計画に必要なのは“蛍”じゃないと?」

 

 ソウタの顔がひきつる\信じられないものを見たようにフリューゲルを見る。

 フリューゲルは冷たい瞳でソウタを見下ろす\次いで袋を見る。

 

 夢の中の感情を思い出そうとした――不可能\もう彼の中に、悲しみも怒りもない。

 ならば何故計画を進める? ――自問自答\答えは単純だった。

 

 ただ終わりを望んでいた。

 この身を焼き尽くせるほどの炎を\救いを。

 

「なあ旦那、計画の内容、そろそろ教えてくれてもいいんじゃないか?」

「ああ、そうだな」

 

 計画の内容を伝える\ソウタが破顔する――わくわくした子供のように。

 

「成る程、そいつは楽しみだ!」

 

 終わるために\救いをもたらすために。

 もう、後戻りは出来なかった\もとよりするつもりもなかった。

 望んだ最後へ――――もう、彼自身にも――彼自身であるからこそ、止まることはなかった。

 

 

 

 

 

 

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