煉獄の使者   作:あぷぺあら

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始動

 眩しい日差しがさんさんと降り注ぐ、爽やかな朝。それにもかかわらず、汗にまみれて息を切らしながらあわただしく走る、グレン=レーダスの姿があった。

 なぜ急いで走るのか?と問われれば、「遅刻しそうだから」と答えるしかない。確かに起きた時間はそれなりに遅い時間ではあったが、朝食をゆっくりと食べていたせいでぎりぎりの時間になっていた。

 

 別に遅刻する分には一向に構わなかったのだが、何せうるさい人間がいる。システィーナ=フィーベル。彼の愛する生徒のうちの一人で、糞が付くくらい真面目な『白猫』。遅刻でもしようものなら、きゃんきゃんと吠え散らかされる事は目に見えていた。

 猫のくせに――――等とグレンは考えていたが、『白猫』は彼が勝手に付けた愛称の為、別に彼女自信が猫の化身とかそういう類いではなかった。あの当たりの強いつんつんとした性格は、猫にそっくりといえばそっくりなのだが。そんなことはどうでもよかった。

 

 侵入者を妨害する障壁を乗り越え――――見た目は怪しいが、彼は侵入者などではなく、れっきとした講師だ――――息を切らしながら階段を上がり、目的の教室のドアを吹き飛ばすような勢いで開け放った。

 

「セエエエエェェェフ!」

 

 ぎりぎりで間に合った。これで文句は言われないだろう、と額の汗をぬぐい、長いため息を吐く。それでもあの白猫は、何かしらのいちゃもんをつけるんだろうなと考え、言い訳を用意していたが、それは杞憂に終わった。

 

 教室の中が異様に落ち込んだ雰囲気だった。何時もなら生徒たちのお喋りの声がひとつやふたつは聞こえてきそうなものだが、今日は異様に静まり返っている。グレンは教室を見回した。中には泣きそうな顔をした女子生徒までいた。何があったのか皆目見当もつかなかったが、取り敢えず話を聞いておくことにした。

 

「何かあったのか?」

 

 そのグレンの言葉に、がたんと大きな音をたてて立ち上がったのは、白猫もとい、システィーナだった。

 

「先生、知らないんですか?」

「うん、知らん」

 

 システィーナは頭を抱えた。グレン=レーダスは確かにロクでなしの馬鹿だ。最近は頼りがいのある先生に変わりつつあったため、忘れかけていたが、目の前の男のそもそもの根幹を思い出した。この男はどうしようもないくらい馬鹿者であったと。

 怒りに身を任せて怒鳴り散らしたい衝動にかられたが、システィーナは辛うじて踏みとどまった。冷静さを欠いては、伝えたいことも伝えることが出来ない。

 

「一昨日、帝都の郊外にあるナボルの住人が、一人残らず殺されているのが発見されたんです。そして……私の友達も……」

 

 グレンの目が見開かれるのと同時に、システィーナもまた言い様のない苦しみに苛まれていた。あの事件で命を落とした友人のことを考えると、胸の奥が剣山で突き刺されたような感覚に陥る。彼女は胸の前でぎゅっと握りこぶしを作り、涙がこぼれないように耐えた。人前で涙を見せたくないのもあったが、何よりもグレンに泣き顔を見られるようなことは避けたかった。

 

 アリア=ガルシアは、システィーナの友人でもあった。

 父親の仕事の関係でそこそこの回数、顔を交わしたことのある彼女は、システィーナすら羨むほどのルックスを持っていた。町の人間百人に訊けば、百人とも「美人だ」と答えるであろう。それほど美しい少女だった。それに性格も文句のつけようがないとなれば、神様は平等じゃないと皆は溜め息を吐くしかなかった。

 

「明日の誕生日ね、久し振りにナボルの家に帰ってパーティーをするの」輝くようなアリアの笑顔が脳裏にこびりついて離れない。あれは放課後、少し早めの誕生日プレゼントを渡したときだった。彼女の実家はアルザーノ帝国魔術学院から遠く離れたところにある。その為、たまにしか帰ることが出来ないらしかった。あの時のアリアの笑顔を思い出すたび、やるせない気持ちになった。

 

 ぽん、と何かが乗せられた感覚がした。弾かれたように上を向いた。システィーナの頭を慰めるように撫でるグレンの姿が、彼女の黄金の瞳に写り込んだ。

 

「落ち込んでも始まらねえな。――――勝手かも知れねえけど、お前は、その友達の分まで生きてやれ」

 

 頭を撫でられ、暖かい言葉を受け取った。それだけで顔が熱くなるのが分かった。

 グレンはシスティーナに笑いかけると、教壇に歩いていった。頭に乗せられたグレンの手の感覚は、一向に消える気配を見せない。むしろ強くなる一方で、何とかしてその感覚を振り払うために懸命に頭を振った。

 

 ふと、隣に座る金髪の少女と目がかち合った。何か言いたげな含み笑いと共に。

 

「良かったね、システィ」

「なっ……ちょ、ルミア!」

 

 ルミアの言葉に対し、必死に言い訳の言葉を探すが、生憎と都合のいいものは見つからない。それどころかシスティーナの脳みそを、軽く混乱におとしめていた。と、次は逆の方から言い様のない殺気を浴びた。悲鳴をあげることはなかったが、恐る恐る振り返る。何時も眠たげに落ちている瞳を一層細め、システィーナを睨み付ける青髪の少女、リィエル=レイフォード姿があった。

 

「システィーナばっかり、ずるい」

「リィエルまで……」

 

 言い訳の言葉は全く見つからなかった。探そうとすればするほど深みにはまっていく気がした。

 

「ほらお前ら、遊んでねえで授業始めるぞ?」

 

 奇しくも混乱状態に陥ったシスティーナを助けたのは、事の元凶であるグレン=レーダスその人だった。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 どこかの都市の建物の一室に、その二人はいた。

 粗悪な建物で、そこらじゅうから虫の這いずるかさかさという音や、壁からがたがたと音がしているが、二人とも気にする様子はなかった。

 一人は男だった。細身で手足が細長く、部屋の中央に置かれた風化の激しい椅子に腰を落ち着けていた。

 もう一人は女だった。この粗悪な建物には到底合うことのない、メイドが着るような服をしていた。尤も彼女の職業は、専らメイドの範疇に納まる様なものではないのだが。

 

 男は机の上で拳銃の手入れをしていた。銃は精密機械だ。少しメンテナンスを怠るだけで、相手ではなく自分の命を危険にさらしかねない。それは銃を扱うものの中では常識以下の基本事項だが、女は男の手元を興味深そうに見ていた。

 

「やはり、その銃は私の見たことがないものですね。まさか十数発も連射をすることができる銃が存在したとは。私達魔術師からしたら、これは天敵以外の何物でもありませんわ。貴方がもし敵だったら。なんて考えたくもありませんね、フリューゲル様?」

 

 フリューゲルは淡々と銃の手入れをする。女の声など聞こえなかったかのように。だが暫くすると手を止めた。

 

「この世界の未来が私の予想通りに過ぎて行くとしたら、そう遠くない未来にこれと似たようなものが完成する」

 

 女――――エレノアは眉を潜めた。フリューゲルの言った言葉の意味を理解するのに少しの時間を要した。

 

「我々の情報網をもってしてもあなたのことは、《死神》時代以前のことは全くわかりません。それと何かしらの関係が?」

「俺がいたのは、もっと別の世界だ。人はどこまでいっても人であり、神からの干渉は一切なかった。俺たちは、お前たちのように神の加護を得ることができなかった、孤児達(オーファンズ)さ」

 

 エレノアには、フリューゲルの言葉を理解するだけの知識はなかった。二つ以上の世界を体験するなど、いくらエレノアのような高等魔術師であっても、成し遂げたことのないことだった。

 

 ただ予感があった。

 

 魔術師では、この男を殺すことが出来ない。高度な戦闘能力を持つエレノアでさえ、目の前に座る男と対等な戦いを繰り広げられるビジョンが浮かんでこなかった。それは予知に近い予感だった。

 言い知れない恐怖を感じて、彼女は半歩フリューゲルから距離をおこうとした。その時、足元にあった金属製の巨大な筒に踵が当たり、甲高い金属音が鳴った。

 

 椅子に座ったまま、ゆっくりとフリューゲルが振り返る。エレノアが警戒して構えるが、彼の宵闇を思わせる暗い瞳は、彼女の足元の筒を見ていた。そして緩慢な動きで立ち上がると、その筒状の物を片手でひょいと持ち上げた。

 

 恐ろしく巨大な銃だった。先刻までフリューゲルが扱っていた拳銃が、小人の武器に思えるほどに。

 

対物(アンチ・マテリアル)ライフルだ。この程度の建物なら、軽く貫通することができるくらいの威力がある」

 

 フリューゲルの瞳がぎょろりとエレノアを見据えた。エレノアは、何とか喉元まで出かかった悲鳴を押し込めることができた。

 その瞳は今まで彼女が見てきた、どの人間の物とも違っていた。彼女のような社会不適合者(サ イ コ パ ス)の狂気に染められたものではない、言い知れない無機質な色。その色を彼の瞳の中に感じた。例えるならば“虚ろな色”だった。

 

 ごとんと大きな音をあげて、フリューゲルは再びライフルを床に置いた。そしてまた、拳銃の手入れに戻っていた。

 

 不意に音がした。驚いたエレノアが音の根元を見やると、一匹のネズミが床にいた。

 

 白い、ただ純粋に白いネズミだった。雪を思わせるその純白の体毛は、まるで汚れというものを知らないかのように光輝き、その瞳の赤を過剰なまでに浮かび上がらせていた。不思議そうに二人を見つめ、ちい。と可愛らしい声で鳴いた。

 

 大きな銃声が鳴り響いた。

 

 ネズミの体が瞬きをする暇もなく四散し、白い体の中に閉じ込めていた赤いぐちゃぐちゃしたものを撒き散らしていた。断末魔を上げる隙すら与えられずに粉々にされた小さな命。その事に対してエレノアは何の感慨も抱かなかった。ただ驚愕はしていた。先程まで感情を一切見せることのなかった目の前の男が、肩で息をしながら冷や汗を滲ませていることに。

 

「まさかネズミが苦手とは。案外、乙女な所があるのですね」

 

「……ああ」 フリューゲルは袖口で汗を拭った。その腕すらも細かく震えていた。

 

「俺に悪夢を見せる、最悪の獣だ」

 

 フリューゲルの脳裏に、猛烈な勢いで映像が再生し始める。それは記憶の隅に封印しておきたい、最低の記憶。

 

 再上映(リバイバル)――――思い出したくもない悪夢が、甦ってきていた。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 真っ白な部屋――過剰なまでに。

 

 椅子に縛り付けられる\言い知れない恐怖を感じる\泣きながら叫ぶ\「嫌だ! 止めてくれ!」

 

 頭に管を刺される=強い痛み。

 

 同時に注入されるなにか――激痛が走る。次いで言い様のない快楽が。

 

 顔がぐしゃぐしゃになる=涙と汗と涎によって――投薬の影響\強い恐怖の影響\強烈に襲い来る快楽の影響。

 

 逃げ出したくて体をめちゃくちゃに動かす――無意味な抵抗――かえって薬の濃度を上げられる――再び襲いかかる快楽=思考回路が支離滅裂。

 

 響き渡る甲高い悲鳴\意味をなさない言葉\子供のように泣きじゃくる声――自分のものじゃないような。

 

「対痛実験に入ります」――白衣の人間の無慈悲な言葉――涙を流して懇願=無意味。

 

 管から薬を注入される=拷問用の神経そのものに痛みを与える種類の――身体中を流れ回る猛烈な痛み――悲鳴すらあげられない\凄まじい勢いで痙攣を始める体。

 

 助けを求めて動かす\瞳を\首を\体を。

 

「致死量の二倍ですが、生命活動を維持しています」=白衣の言葉――意味を理解できず。

 

 救いを求めていた目線の先に、赤を見つけた=真っ白な鼠\赤の瞳――嘲笑うかのように、ちい。と一声\向けようのない怒りを感じて、手を伸ばそうとする――拘束されているため動かない。

 

 鼠にじっと見上げられる\不思議そうな顔=苛々するほどに。

 

 目をそらすことが出来ない\体を動かすことが出来ない\眼球すら一ミリも動かない。

 

 にんまりと鼠が笑った気がした。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 強烈な再上映(リバイバル)が過ぎ去り、意識が現実へ昇華する。時間にして数秒にも満たない時間。にもかかわらず、追憶した内容は数日間に及ぶ非人道的な実験の数々。今見たものは、その一部に過ぎなかった。

 フリューゲルはゆっくりと立ち上がった。鼠を見たことで、モチベーションはかえって向上していた。

 

 数々の武器をあらゆる場所に仕込み、対物(アンチ・マテリアル)ライフルを分解して携帯した。

 

「行かれるのですか?」

 

 エレノアの顔が邪悪に歪んだ。

 

 フリューゲルは黙ってエレノアに顔を向けた。もう、先程までの狼狽は消えてなくなっていた。

 

「仕事の時間だ」ただ淡々と告げていた。

 

 きしんだ音をたてて、ドアが閉じた。

 

 




フリューゲルさん、一応オリ主ということにしてるけど、はたしてこいつ『主人公』なんだろうか……?
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