煉獄の使者 作:あぷぺあら
日常回です。
昨日は生徒たちも沈んでいたものの、一日が経過すると落ち着きを取り戻し、いつもと変わらない姿をぽつぽつとではあるが見せ始めていた。グレンにとっては生徒たちに活気が戻ってこなければかなりの考えものだったものの、普段と殆ど変わらない生徒たちを見て思わず胸を撫で下ろしていた。
授業終了を示すチャイムが鳴り、グレンは大きく延びをした。
「ほら、午前中の講義はこれで終わりだ。昼飯食って午後の講義を寝るなんてことの無いようにな?」
そんな言葉を吐いた途端に生徒たちから「先生の方がやりそうだけどな!」と野次を飛ばされ、グレンが半分むきになって言い返す。そこには紛れもない日常があった。何かに怯えることなく、苦しむこともないグレンの望んでいた日常が。
彼は小さい頃からそれを望んでいた。そして望めば望むほどそれは両腕をすり抜けて逃げていく。だが、彼はようやく手に入れた。平和という、何もない日常を。
願わくは永久に続くことを願って。
少し感傷的になりすぎたかとグレンは窓の外、驚くほど真っ青な空を見た。例の町ひとつが壊滅した事件のことは、聞けば聞くほどおかしなものだった。ナボルという都市は人口数千人の、そこそこの大きさがある町だ。それが一晩にして壊滅させられた。
――――考えれば考えるほど意味がわからない。
それほどまでに高度な魔術が展開されたのなら数週間、下手すれば数ヶ月は準備をする必要があるはずだった。しかもそんな魔術が長期間におよび準備されたとしたら、誰も気がつかないなどあり得ない話だった。それなのにナボルで広範囲の破壊魔術が展開されかけているなどという話は聞いたことがない。そんな話があれば公的機関が動かないはずもなかった。
ぼりぼりと後頭部をかきむしりながらグレンがうんうん唸っていると、背後から「先生」と鈴のなるような声がした。すぐ後ろに、金髪を肩口で切り揃えた碧眼の少女、ルミアの姿があった。
「よろしかったら、食堂まで一緒にいきませんか?」
「一人なんて珍しいな。白猫とリィエルは?」
「リィエルが、さっき先生をからかったカッシュ君に襲いかかりそうだったので……システィが抑えているんです」
「ああ、そう」
グレンは唇をひくつかせながらもなんとか返事をすることは出来た。とりあえずリィエルはぐりぐりの刑に処す事は決定した。
「先生は今日、結構みんなに気を遣ってましたね」ルミアがにっこりと笑って言った。なんとなくいたずらな雰囲気が混ざっていた。
「……え? なんのこと? 僕、全然わからないや」グレンはとぼけて見せた。まさか核心を突いてくるとは思ってもみなかったからだ。ただ下手にごまかしたせいで、ルミアはかえって笑みを深めた。
ルミアは頭を下げた。「システィはああ見えてすごく繊細なんです。だから、ありがとうございます」
そんなルミアを見て、グレンは思わず吹き出した。「繊細なのはお前とどっこいどっこいだろ? 大体、そういうことすんのは講師として当たり前だっつの」
グレンは絹のように柔らかいルミアの金糸を撫でた。ルミアがむっとしたのが雰囲気で分かったが、構わず撫で続けた。
突然、強烈な衝撃がグレンの背中を襲った。グレンの体が嘘のように吹き飛び、うつ伏せに廊下を滑った。摩擦で削れるかと思ったが、グレンの鼻はもってくれた。一応確認したが、鼻はしっかり付いていてくれている。ほっと胸を撫で下ろし、元凶たる背中にすがり付くリィエルを睨み付けた。
「システィーナもルミアもずるい。私も撫でて、グレン」頬をぶうと膨らませたリィエルの蒼い双眸とかち合った。若干潤んでいたため、先程までグレンの心の中にあったお仕置きをしてやるという心は、何処かに蒸発していた。ただ撫でてはやらなかった。そうしたらなんとなく負けな気がして。
グレンが呻きながら立ち上がろうと視線を上にあげると、ルミアをかばうようにして立つシスティーナが見下ろしていた。ごみ虫を見下すような目付きと「不埒……」なんて台詞と共に。世の中の
「い……からもう、飯、食いにいくぞ……」
たかが数分の出来事ですっかり疲れきったグレンが絞り出した言葉は、その嘆願だった。
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午後の授業も滞りなく進んだ。問題も全くなかった。むしろ「先生の集中力が足りていません!」とシスティーナに注意されていたが、これにはちゃんとした理由があった。グレンの中で、例の事件の事が頭について離れないのだ。白い布に一滴の黒いシミがついて、気になって仕方がなくなった時のように。
生徒に、それも『白猫』に注意されたことはグレンの中で子供じみた対抗心を芽生えさせたが、歯軋りをしながらどうにか踏みとどまりつつ気づけば一日が終わろうとしていた。
最後の講義が終わりのチャイムによって終了を迎え、生徒たちはそれぞれの帰路につきだした。今日も一日が平和に終わったと、グレンは大きく息を吐いた。なんとなく今日は疲れてしまっていた。微妙に気を張っていたせいだろう。
「帰るわよ。ルミア、リィエル」いつも一緒にいる三人組も、共に帰る用意をしだした。リィエルはもう問題を起こすことは少なくなっており、グレンは頭痛の種が消えたことにほっとしていた。システィーナもいつもの活気を取り戻し、彼はふっと微笑んだ。
「何じろじろ見ているんですか、先生!」システィーナの鋭い金の瞳がじとりとグレンを見据えていた。
グレンのこめかみがその言葉にひくついた。こいつ、昨日は弱々しかったから慰めてやったのに。そんな心がグレンの中を侵食していた。もう我慢の限界だ。グレンは攻勢に出ることにした。
「はぁぁ~ん? 俺は別に白猫のことなんてこれっぽっちも見てないんですけど? ちょっと自意識過剰なんじゃないですかねえ!?」
急に飛んできたグレンの罵倒に、システィーナはその端正な顔にびきびきと青筋を走らせ、美少女らしからぬ怒りに満ちた顔をするとグレンの目と鼻の先にずいと歩み寄った。「絶っっっ対に見てました! 先生、私のことを見てニヤニヤしてましたもん!」
グレンは言葉をつまらせた。心当たりがありまくりで、一瞬隙が出来たが、ここで引くのは男が廃った。「見てません~! 例え、仮に、もしかして万が一、白猫のことを見てたとしてもあなたの貧相な
「い、言ったわね!? とうとう言ってはいけないことを言ったわね!」
ルミアはそんな二人の様子を苦笑しながら眺めていた。どうもグレンはシスティーナに対して何かしらの意地があるようだ。売り言葉に買い言葉で、下校時間はとっくに過ぎているというのに二人は言い争いという名のじゃれあいを繰り広げていた。
「グレンもシスティーナも、なんか楽しそう」
「えっと、そう……だね」
リィエルがお門違いの所で羨んでも、ルミアには指摘する余裕がなかった。いつになったら終わるのか皆目見当もつかず、ただ見つめるしかなかった。
「大体お前が可愛い顔してるからって、そんなにじろじろ見るかっての。大体……どした?」
グレンが気がつけば、システィーナは真っ赤な顔をしてうつ向いていた。先刻までの勢いが嘘のように静まり、両の手で頬を押さえるようにしていた。その様子にぴんときたグレンはまた、とんでもなくいやらしい顔で追撃を加える。
「ああ、悪い悪い。確かにおまえは可愛いと思うぞ? すぐ近くにセリカってとんでもねえ美女がいても美少女だって思えるくらいお前は――――」
「この……」
「んあ?」
「《このバカ》ああああああぁぁぁぁぁ!」
断末魔を上げる隙もなく、グレンは巻き起こされた風に吹き飛ばされ壁にめり込んでいた。【ゲイル・ブロウ】と呼ばれる突風を巻き起こす黒魔によって。彼女はこの魔術を使いなれており、いまや略式の詠唱で展開することも可能だった。
そろそろ頃合いかとルミアは動いた。取り敢えず謎の修羅場から早く解放されたかった。隠そうともせずに殺気をにじみ出している小柄な少女から。
「ほら、帰ろう? システィ」
「……うん」
システィーナ涙目であることに、ルミアはあえて突っ込まなかった。全身に埃を被ってぶすくれるグレンに軽く挨拶をすると、システィーナとリィエルの二人の背中を押すようにして教室を後にした。耳まで赤くしたシスティーナを、ルミアは微笑ましく思った。
三人が教室を出ていってしばらく経過した後、グレンは大きなため息を吐いた。なんとなく負けた気がして面白くなかったからだ。ちえ、と軽い舌打ちをした後で、ルミア達が出ていった反対側の廊下から顔を出した男がいた。深い蒼色の髪と、猛禽類を思わせる鋭い目をした男だった。名をアルベルト=フレイザー。グレンの“元”相棒だった。
「盗み聞きとは行儀が悪いな。アルベルト」
「全て聞くに耐えない痴話喧嘩だったがな」
グレンは冗談めいて茶化したが、アルベルトの方はそんな彼の言葉をそうとはとらず、鋭い目をいっそう厳しくしてグレンを睨み付けていた。後ろめたいことのあるグレンは目線を左右させた。
「来い。話したいことがある」
「……可愛い姉ちゃんなら、跳んで喜んだんだけどな」
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フェジテの町外れにある小さなバー。そのカウンター席に二人はいた。そこのマスターも元帝国宮廷魔道士団の団員だったため、機密事項のやり取りにはうってつけの場所だった。
薄暗いオレンジの淡い光に包まれ、二人は未だに黙ったままでいた。グレンのグラスの中で、からんと氷が音をたてた。
「それで? 黙ったままじゃナンパした後に会話出来ないへたれな男みたいになってるぜ、アルベルト」
「安心しろ。俺は
「そうか、それは安心できたぜ。俺もノーマルだよ」
グレンはグラスの中の琥珀色をした液体を喉に流し込んだ。アルコールが喉を通り、体を伝う感覚がした。
グラスに映る自分の顔を見る。迷いを失った顔。すっかり平和な日常に染まりきった顔をしていた。これではもう戦いに身を置くことなど出来ないなとグレンは皮肉げに笑った。
「ナボルの大量殺人事件」
アルベルトが口を開いた。話をすることにアルコールの助力を欲しているようにグレンは思えた。精神の強靭なアルベルトですらそうさせる何か。それが事件の根底に居座っていると、暗に表していた。
「どこの家屋にも破壊された痕が無かったが――――」
「な? まてまて、破壊の痕がないだと!?」
要するに犯人は一晩で数千人単位の人間を、一切の高等魔術も用いずに殲滅したということになる。どう考えても物理的に不可能だった。複数犯の可能性もあるが、それでも破壊された痕が無いというのは異常なことだった。
「落ち着け」
アルベルトはその一言でグレンを律した。話を途中で途切れさせたことに気づき、グレンはおとなしく引き下がることにした。アルベルトの言葉の先にその答えがあることを信じて。
「ガルシア家の人間だけが物理的な方法で殺害され、他の住人は全てそれ以外の方法で殺害されていた。全員、凄まじい苦痛の表情をしていた」
「毒でもばらまいたのか?」
「もっと恐ろしいものだ」
そこまで言うとアルベルトはまたグラスをあおった。ここまで精神が乱れている彼を見るのは、グレンにとってはほとんどの初めての事だった。
「ガルシアの人間だけが直接的な方法で殺され、調査に踏み込んだ憲兵隊も爆弾によって殺されていた。そして、ガルシアの屋敷からこんなものが出てきた」
アルベルトはカウンター席の上に紙で包まれた何かを置いた。グレンがそれを広げると、沢山の小さな球体が幾つも転がり出た。
グレンにとって、それはよく見たことのあるものだった。こんなものを使う人間はグレンの知る限りたった一人だけであり、それはもう死んでいるはずだった。だが目の前にはそれを覆す物がある。アルベルトが無駄されるのも無理の無い話だった。昔はよく
「これは確か、散弾。だっけか? フリューゲルが使っていた……てことは大量殺人に使われたのは――――」
「『蛍の灯火』。あらゆる生物の呼吸を止める、小さな蛍。一番使いたがっていなかったのは彼奴だったはずなんだがな」
アルベルトはまた酒を口の中に流し込んだ。もうグラスの中にはほとんど残っていなかった。
「犯人にたどり着くのは容易だった。ガルシアの屋敷中からその散弾……『ショットガン』の弾が見つかったのだからな」
「こんな変わったものを使うのは、あいつしかいないな。だがあいつは死んだんじゃなかったのか? あのときの作戦で、敵の仕掛けた爆弾からリィエルを庇って……」
「ああ。奴は死んだはずだった。だが生きていた。宮廷魔道士団も接触を試みたが、返り討ちにあった」
アルベルトは眉を潜めると、空になったグラスを見つめた。そして躊躇うように口を開いた。「翁――――バーナード=ジェスタがやられた」
グレンは大きな音をあげながら立ち上がった。それほどまでに信じがたいことで。「やられたって……まさかあのジジイ、殺されたのか!?」
「いや、一命はとりとめた。おかげで証言も得られたな。やはりフリューゲルだったそうだ」
グレンは無理矢理笑った。冷静さを求めて。「流石、魔術師殺しの《死神》だ。まさか黄泉から帰ってくるとはな」
グレンは酒をあおろうとグラスを手に取ったが、いつの間にか空になっていた。舌打ちをひとつすると、乱暴に座った。ただマスターが不機嫌そうに咳払いをしたため、頭を何度も下げるのは忘れなかったが。
「奴は今、裏社会では有名な殺し屋をしているらしい。通称『死神の翼』。暗殺、誘拐、拷問、破壊の四つの仕事を、金次第で標的が誰であろうと遂行するそうだ」
アルベルトは睨むようにしてグレンを見た。何かを訴えるような表情に、グレンは見えた。
「天の智慧研究会と繋がっているという噂もある。グレン、お前も気をつけろ。いつルミア=ティンジェルが標的にされるか分からん」
「任せろ。生徒を守るのが俺の役目だ」
グレンはそう言うと、立ち上がり、勘定を済ませた。何時もより若干割高になっている気もしたが、そこにはあえて触れなかった。
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次の日も、なんの変哲もない日常が過ぎていった。久しぶりに飲んだせいで普通に寝坊して遅刻をかまし、システィーナからなんだかんだ色々言われたが、それも尊い日常の、平和な一幕に過ぎなかった。
グレンは廊下を歩きながら驚くほどの晴天が広がる空へ、窓越しに目を向けた。覚悟はできていた、かつての仲間に矛を向ける覚悟は。
グレンは誰も気がつかないような微かな殺気を立てて、廊下を歩いた。次の授業はめんどくさいから自習かな。そんな怠けた心をもって。
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フェジテの町の中心にある大きな道を堂々と歩く、背の高い男がいた。適当に伸ばされた無精髭を顎に蓄え、長い足で一歩ずつ、迷いの無い足取りで真っ直ぐに歩いていた。やがて突き当たりの大きな建物にたどり着いた。アルザーノ帝国魔術学院と呼ばれる、帝国でも有数の魔術学院だ。
最近は物騒なテロ事件も多く、見張りの兵が二人入り口を塞ぐように立っており、学院の敷地には高度な結界が張られていた。外道魔術師を閉め出す為に。
男は衛兵に引き留められていた。朝というには少し遅く、昼というには少し早い中途半端な時間に訪れる男など怪しくないはずがなかった。
「学院の許可証は? 無いのならお引き取り願うが」
「許可証、か」
男は喉元に槍の刃を突き付けられていた。だが無言で懐を漁り始めると、衛兵はその刃を下ろした。
「これでいいか?」
拳銃がその手には握られていた。だが変わった形状をしていたため、衛兵には一瞬何が握られているのか理解できなかった。
銃声が鳴り響いた。二人の衛兵は頭と胸に銃弾を二発ずつ撃ち込まれ、一瞬で命を刈り取られていた。
男は何事もなかったかのように歩みを進めた。障壁など最初から存在しなかったかのように、なんの抵抗もなく魔術で作り出された壁をすり抜けていた。
男は――――フリューゲルはその顔に悪魔のような笑いを浮かび上がらせていた。
「さあ、始めよう、グレン」
そういえばグレンって十九歳……