煉獄の使者   作:あぷぺあら

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邂逅

 グレンとフリューゲルが邂逅する数十分前、グレンはまだいつも通りの授業をしていた。生徒たちはもうほとんど立ち直っているらしく、数日前の暗い雰囲気は払拭されていた。

 

 魔術講師――――グレンはまさか自分がこうなるとは予想すらしていなかった。人を殺めた事実から目を背け、セラが死んだ喪失感で何もかもが嫌になったとき、彼は逃げた。それからはずっとセリカに養ってもらうつもりだったのだが、いつの間にかまた守るべきものが増えてしまっている。グレンは教壇から真剣な眼差しでこちらを見る生徒たちを見た。飽きもせずによくここまで集中できるな、とグレンは感心した。

 

 午前中の授業はそろそろ終わる。そうなったら昼食の時間となるため、グレンも少し気合いが入った。

 

 今回の事件に対して、気がかりな点が無いわけではない。フリューゲル=シュトロブルク――――かつての仲間であり、背中を預けた頼りになる『魔術師殺しの死神』。グレン自身、彼に助けられたことは何度もある。兄貴と言っても過言ではない人物だった。

 

 グレンは全く授業に興味がなさそうに突っ伏すリィエルを見た。彼女もまた、フリューゲルとは因縁浅からぬ関係だった。もし彼と対峙することになったらどうなるか、グレンには見当もつかない。もし前の“兄”が出てきたときのように暴走したらと考えると非常に恐ろしくなった。

 

 次いでルミアを見た。彼女はリィエルとはうってかわって真剣に授業を受けていたため、グレンと目が合うことになり首をかしげられたが、グレンは誤魔化すように目線をそらした。アルベルトの情報が正しいとするならば、フリューゲルは天の智慧研究会との接触があるはずだ。そうなると必然的に彼が狙うことになるのは、生まれながらにして特殊な能力を持つことになった彼女だ。

 

 もし奴がここを襲うことになったら全力を持って阻止する。グレンにはその覚悟は出来ていた。たとえかつての仲間に、背中を預けた頼もしい戦友に、真正面から立ち向かう覚悟は。

 

 フリューゲルの持つ特性上、グレンとの相性はかなりいいはずだ。グレンもまた、魔術に頼らない戦法を取っているのだから。そしてリィエルも、フリューゲルと相性のいい人間だった。恐らく誰よりも。

 逆に最悪なのはセリカだ。彼女は魔術師としてはそれこそ神に迫る実力の持ち主だが、格闘戦においては彼女の力はない。つまり魔術が通用しないフリューゲルとは相性が悪いどころの騒ぎではなかった。

 

 万が一のことがあってもセリカに頼ることはできない。それはかなり厳しい条件だった。セリカさえいればどうにかなる問題も多々あったが、今回はそうもいかないようだった。グレン一人で解決しなければならない問題が最近は特に多い気がした。セリカは用事でどこかに行っていたり、リィエルは記憶の混濁のせいで戦うことが出来なかったり、アルベルトは単純に足止めを食っていたり。

 

 グレンは内心苦笑していた。格闘訓練において彼は師であるバーナードにまともに勝てたためしがない。最近は年のせいか衰えも見られていたが、それでも実力者なのは確かだ。だがフリューゲルはそれを倒したのだという。それはグレンにとって最悪の事だった。格闘戦ではグレンよりフリューゲルが強い可能性が大いにあり、その上彼の持っている武器も強力なものばかりだ。そんな相手に一人で戦わなければならないというのは、とんでもなく厳しいものがあった。

 

 だが、いくら厳しくてもやらなければならなかった。グレンが敗北するということは、ルミアが危険にさらされるということなのだから。生徒が傷つけられるのは、自分が傷つくことよりも恐ろしいことだとグレンは考えていた。

 

 またルミアと目があった。今度は頬をほんのりと染めながら目を反らされた。ばか野郎、そういう意図で見たんじゃねえよ。グレンは大声でそう言ってやりたかったが、あいにくと彼は地雷原をスキップで渡るような趣味は持ち合わせていなかった。

 

 不意に、微かな音がした。何かが弾けるような音だった。グレンにははっきりと聞こえたが、生徒たちには聞こえていなかったようで、急に動きが止まったグレンを怪訝な顔で見つめていた。――――リィエルを除いて。

 

 リィエルは表情の乏しい彼女にしては珍しく、その蒼い瞳を大きく見開いていた。

 

「リィエル、どうしたの?」

 

 リィエルの視界一杯に青が広がった。その色は空を溶かし込んだように鮮やかで、リィエルの瞳とは別種の輝きを有していた。リィエルは少し羨ましかった。淀んだ色の混ざっていない、輝くような瞳が。

 グレンもこんな人の方が――――そんな考えを振り払う。自らが持てる冷静さのすべてをもって。

 

「大丈夫、何でもない」冷静さを取り戻した頭で、リィエルは答えた。ルミアはその言葉に探るような目を向けたが、ただ一言「そっか」と言って前を向いた。リィエルにはルミアの踏み込まない優しさが有り難かった。今の独特な銃声は、“彼”の物のように聞こえたから。

 

 考えても仕方がない。彼は一年前の作戦の時に死んだはずだ。恐らく訳のわからない組織の人間が、また侵入してきたのだろう。それならばセリカが止めてくれるはずだ。そう考えてリィエルがまた寝ようと準備をしようとしたところ、ルミアとは逆側の席から漂ってきた殺気に目を覚ました。システィーナが、リィエルとルミアを射殺さんとばかりの鋭い目付きで睨んでいた。

 

「二人とも、授業中よ? 私語をするなんて――――」

 

 システィーナの説教が行われようとしたとき、その爆音は鳴り響いた。

 

 それは凄まじい魔力の炸裂する音だった。あらゆるものを破壊せんとする、崩壊そのものの音。これ程までの凄まじい魔術を使いこなせるのは、学園中どころか、大陸中を探そうとも彼女――――セリカしかいなかった。

 

 教室がざわめき立った。流石に全員に聞こえたようで、あのギイブルでさえも戦いた顔をしていた。空気の振動は収まったが、次いで聞こえてきたのは何発もの銃声だった。

 

 決定的だった。

 

 セリカに本気の一撃を放たれてなお健在であり、高い連射能力を持つ銃を所持して戦うのは、もうフリューゲルしか存在し得なかった。

 

 それはグレンの想定した“最悪の事態(ケース)”の一つだった。大陸屈指の大魔術師とて、『魔術師殺し』の名を欲しいままにするフリューゲルにはかなわない可能性の方が高かった。グレンは焦ったようにリィエルを見る。じっと机の上を睨み付けていたものの、不安定さは見当たらなかった。これならばもうひとつの“最悪の事態(ケース)”に陥らずにいられそうだった。

 

 大きな音と共に教室前方の扉が開け放たれた。かなりの音だったために、教室の喧騒を掻き消すには十分だった。扉を開け放ったのは一人の少女だった。確か三組の生徒だったとグレンは己の記憶を探る。すると少女は苦しそうに息をしながらも止まることなくグレンへ歩み寄り、泣きそうな顔でグレンのシャツを掴んだ。その腕も恐怖に震えていた。

 

「どうした?」グレンはその女子生徒を刺激しないようにできるだけ柔らかい口調で訊いた。少女はいくらか落ち着きを取り戻したのか、肩を大きく上下させると、グレンの顔を見つめた。まだ恐怖に染まった顔で。そして恐る恐る口を開いた。

 

「わからないんです。いきなり男の人が学園に侵入してきて、私、殺されそうになって……アルフォネア教授が助けてくれたんですけど、勝てるかわからないって言われて、私怖くて……」

 

 言いながら少女の体が小刻みに震え出した。殺されかけたという強い恐怖を与えられれば、誰だってそうなるはずだ。

 

 過呼吸気味になってきた少女をルミアに託し、グレンは教室を飛び出した。それと同時にシスティーナの制止も聞かず、リィエルもまた走り出していた。

 

「リィエル、お前も教室にいろ! 今回の相手はお前じゃ倒せない」

「それは、相手がフリューゲルだから?」

 

 リィエルの問いに、グレンは言葉を一瞬つまらせた。あまりにも真っ直ぐな迷いのない視線を向けられて、むしろグレンの方が怯んでいた。そのグレンに対し、リィエルはうなずいて見せた。大丈夫だと言うように。

 

「私は迷わない。私の目で見て、そして決める。例え相手がフリューゲルだとしても、誰かを傷つけるなら、敵」

「お前はそれでいいのか? あいつは――――」

「今は私よりもグレンの方が迷ってる。迷いは捨てないと。フリューゲルはそんなに甘い相手じゃない。それに、私はきめた。私の友達を傷つけるやつは皆、私が倒す」

「……そうか」

 

 全力で廊下を駆けた。セリカとフリューゲルの一対一ではセリカの方が圧倒的に不利であり、グレンかリィエルが加勢しないことには恐らく勝つことはできない。一刻も早く戦闘に参加する必要があった。ただ、一人の人間を探し出すには、アルザーノ帝国魔術学院という学校の校舎は広すぎた。焦りがグレンの頭を支配した。だが冷静さを失うわけにはいかなかった。

 

「……二手に別れるぞ。俺もお前も彼奴とは相性がいい部類に入る。リィエル、お前が本当にいいんなら、彼奴と戦ってくれ」

「私は良い。それで皆を守れるなら」

 

 二人は無言で頷き合うと、廊下を二手に別れた。

 

 階段を下りきったとき、また大きな音がした。先程のものとは別格の、凄まじい破壊の音だった。グレンはセリカが【イクスティンクション・レイ】を放ったのだと予感した。彼女がそれだけの魔術を放とうとも、恐らくフリューゲルは何食わない顔で立っているはずだった。

 

 ただ無事を願った。フリューゲルであればセリカを殺すことは可能だろうが、それこそ本当に最悪の事態(ケース)だ。グレンが無意識に深層心理という入れ物(ケース)に入れてしまう類いの。痛いくらいに脈打つ心臓を押さえつけ、グレンは懸命に走った。ただ間に合うことを祈った。だがそれを嘲笑うかのように鋭い銃声が二発聞こえた。

 

 グレンはただ音の方向に走った。そして廊下の突き当たり、未だに粉塵の舞う風穴が空いた壁を曲がると、その男はいた。

 

 男は、グレンが最後に見たときよりも不気味さが増していた。特務分室時代から、えもいわれぬ不気味さがどこかにあった彼であるが、ここまで分かりやすく表には出ていなかった。そっくりな別人かと疑えるほど、彼は雰囲気が変貌してしまっていた。

 

 セリカがフリューゲルの拘束から逃れようと必死にもがくのが見えた。フリューゲルの体に触れることによって、あらゆる魔術が否定され、セリカは()()()で対抗しなければならなくなっていたが、魔術師としての彼女はフリューゲルの力に抗うことができずにいた。

 フリューゲルがナイフをセリカの首にあてがうのが、グレンからはっきりと見えた。そのナイフは彼のよく知るものだった。フリューゲルが『旧友』から譲り受けたものだと言っていたものだ。そして、そのナイフも魔術を否定する効果が付与されていた。それはつまり不死者であるセリカを殺せるということを意味していた。

 

「セリカ!」

 

 グレンは叫んだ。ただフリューゲルが一瞬でも制止すればよかった。だがフリューゲルはそれを嘲るかのようにナイフを引き抜いた。セリカの首から噴水のように鮮血が飛び散り、廊下を赤く染め上げた。

 

 映像が妙なスローモーションになった。吹き出る赤い血が、空気中で球体になる様子までしっかりとグレンの網膜に焼き付いた。セリカの眼球が細かく左右に震え、水を失った魚のように痙攣し出した。グレンはただ遠い目をしてそれを見つめていた。それしか行動することができなかった。

 

「久し振りだな、グレン」

 

 フリューゲルが低い声で告げ、銃口を向けるのを、グレンは虚ろな瞳で見た。その引き金を引く動作さえも、コマ送りのように見えた。咄嗟に側方に転がると同時に銃声が轟き、先刻までグレンがいた虚空を穿ち貫く。脳と心臓を狙った的確な射撃だったが、当たらなければ意味がない。グレンは頬を伝った汗をぬぐい、銃弾にかすりもしなかった事に感謝した。

 

 フリューゲルの後ろで苦しそうにもがくセリカを見た。事は一刻を争う事態だ。フリューゲルを避け、セリカを安全な場所に移動させた上で治療を行う。それがグレンに課せられた課題だった。この上なく厳しい条件に、グレンは内心舌打ちした。

 

「久しぶりに合った戦友を殺しにかかるなんて、お前も随分粋な挨拶をするじゃないか。俺を殺したいほど恨めしいのか?」グレンは余裕そうな態度を努めた。恐怖すれば体が萎縮する。それはなんとしても避けなければならなかった。

「何、今回の依頼がお前の殺害だったからな。そうでなかったらこの再会を両手をあげて喜んでいるだろうさ」

「依頼が、俺の殺害だと?」

 

 フリューゲルは答えず、ただ真っ暗な瞳でグレンを見つめていた。それが答えだった。

 

 天の智慧研究会の目的はよくわからないまでも、その中枢にルミア=ティンジェルがあることは間違いなかった。だからグレンが警戒していたのもルミアについてだったのだが、その目的が自分だとわかると急に安心感が湧いた。誰かを守りながら戦うより、純粋に守るものが自分だけの方が戦いやすいからだ。

 

 フリューゲルが銃口をグレンに向けた瞬間、青い影がフリューゲルに突撃した。紙細工のようにフリューゲルの体が吹き飛び、壁に激突した。その影はリィエルだった。彼女は巨剣を片手に持ち、グレンに背中を向けていた。年不相応の殺気を放ちながら。

 

「グレンはセリカを治療して。私はあいつを倒してくる」

 

 リィエルは一言そう言うと、粉塵の中に突っ込んでいった。

 

「――――セリカ!」グレンはセリカを見た。呼吸が浅くなり、血色が悪くなっている。グレンは夢中で彼女のもとへ駆け寄った。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 強化魔術を施した体で体当たりしたが、その程度でフリューゲルが倒れるとは思えなかった。彼の丈夫さを、リィエルはよく知っていた。

 銃声と共に煙の中から飛び出してきた二つの銃弾を、リィエルは持っていた巨剣で弾き飛ばした。その程度では彼女の速度は落とされることなく、ただ攻撃の飛んできた方向に剣を振り抜いた。

 

 フリューゲルはそれをナイフで受け、金属同士が打ち合う甲高い音と共に火花が鮮やかに飛び散る。衝撃で粉塵が巻き上げられ、剣を交えた相手の顔をリィエルはまじまじと見た。あらゆる光を失ったような目をした背の高い、中年の男だった。それはリィエルのよく知る人物であり、彼女の恩人と言っても過言ではなかった。

 

 リィエルが力任せに剣を横に振るが、手応えはなかった。フリューゲルがバックステップで力と衝撃を殺し、リィエルの攻撃を全て無効化していた。

 

 フリューゲルがリィエルを見下ろした。それが纏う形容し難い雰囲気にリィエルは飲み込まれそうになるが、なんとかこらえた。ただ真っ直ぐにその暗い瞳を睨み付けた。迷いはもうない。それを確かめるために、リィエルは右手に持った剣の柄を握り締めた。

 

「俺に向かって剣を向けるとは、反抗期か? リィエル」

 

 低い声で告げるフリューゲルを、リィエルはさらに鋭い目付きで睨んだ。奥歯を噛み締め、涙が零れないように必死になった。覚悟はしていたが、変わってしまった彼を見て、平常心でいられるはずもなかった。

 

「私の友達を傷つけるなら、例え誰でも許さない。私はそう誓った。だから、覚悟して。お父さん。」

 

 

 

 

 

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