煉獄の使者 作:あぷぺあら
リィエルは目の前の男を見つめ続けた。フリューゲルが生きているかもしれないということは、風の噂で聞いていた。帝国宮廷魔道士団の皆はリィエルにその事実を隠そうとしていたようだが、さすが人の口に戸は立てられないと言ったところか。どこで聞いたのかは定かではないが、リィエルはその事を耳にしていた。
曰く魔術師専門の殺し屋をしているとか。
曰く帝都郊外の町を壊滅させた犯人とか。
しかしリィエルにとってそれは重要ではなかった。ただもう一度フリューゲルに会いたいだけだった。生きていたのならどうして会ってくれなかったのか。どうして私のもとに来てくれないのか。それを問いただしたかった。
敵になる可能性は十分に考えていたが、それでも迷いはあった。
フリューゲル=シュトロブルクはリィエル=レイフォードの親代わりの人間だった。創られた生命体である彼女は、記憶こそ母体のものを受け継いでいるが、実年齢は三つに満たない子供なのだ。それ故に一番人間性としてまともだという理由で父親に抜擢されたのが彼だった。
あの時の父はもういないとリィエルは直感で感じ取っていた。優しい瞳をした彼ではなく、今は純粋な人殺しになり下がってしまっていた。リィエルに人殺しのすべを覚えさせたことに対する苦悩を抱えていたフリューゲルはいなかった。そこにはただ敵がいた。ルミア達の日常を脅かす敵が。
フリューゲルに対する相性は、リィエルはかなりいい方だった。彼はあらゆる魔術や不可思議な事象を拒絶し、否定する
「どうして、こんなことするの? フリューゲル」ずっと心にしまっていた質問を口に出した。それはリィエルの中に、まだ迷いがあることを表していた。
「強いて言うなら仕事だからだ。ところで昔のように父と呼んではくれないのか、リィエル? 悲しいな」
「私が守りたい、護るべき物を壊そうとするなら、誰だろうと敵。そんな相手を、『お父さん』なんて呼んだりしない!」それは自分に対する暗示でもあった。動けと心に命じた。動かなければ、待ち受けているのは受け入れがたい崩壊だけだ。だから迷いは捨てた。
リィエルはフリューゲルの脳天めがけて巨剣を振り下ろした。それはフリューゲルの頭を切り裂くことは叶わず、寸でのところで止められている。リィエルの剣とは比べ物にならないくらい小さなナイフで。
白魔【フィジカル・ブースト】によって筋力をはじめとした身体能力を底上げしたリィエルの全身を使った斬撃を片手で抑えるフリューゲルの筋力だけでなく、やわな金属なら叩き斬れる強度を持つ【隠す爪】に耐えるだけの強固さを持つそのナイフに、リィエルは驚愕した。
フリューゲルが体を回転させ、リィエルの刃をいなした。突然のことにブレーキが効かず、そのまま地面に突き刺さる。フリューゲルがそれを上から踏みつけ、引き抜けないようにすると、ナイフをリィエルの首目掛けて一閃した。体を傾けてナイフを避けるが、髪の毛の先が切り裂かれ、青い糸のような髪の毛が舞い散った。その瞬間、リィエルの体感的な体重が激増した。
身体強化魔術が消されていた。
そうなるとリィエルはただのか弱い少女になり下がる。全力でフリューゲルから距離をとり、自らの体に
「《我・秘めたる力をっ……!》」
フリューゲルが猛スピードでナイフを突き刺しに来るのが、リィエルの目に辛うじて写り、ぎりぎりでかわした。ナイフの切っ先はリィエルの頬を掠め、ほんの少しの血液が床に垂れた。
廊下を転がって追撃を避け、再び詠唱した。
「《解放せん!》」
【フィジカル・ブースト】をかけ直し、廊下や壁を跳ねるようにして突き刺されたままの剣の柄を目指す。背後でフリューゲルが銃口をリィエルに向け、発砲した。だがそれが着弾する前にリィエルが剣を握ると、体を縦に回転させて銃弾を切り裂いた。弾丸は勢いをとどめることなく、リィエルの顔を挟むようにして通り過ぎると、そのまま深々と廊下の大理石を抉った。もう取り出せそうにはなかった。
次いで何十という数の弾丸が、ほぼ同時にリィエルへ襲いかかった。一秒の半分でマガジンの弾丸を撃ち尽くすという荒業をやってのけたフリューゲルだが、リィエルは力任せの連撃でひとつ残さず打ち落とし、またいくつかを打ち返していた。フリューゲルの体をひしゃげた銃弾が掠め、皮膚と服を薄く引き裂いて血を滲ませた。
「迷いを捨てたか。強くなったな、リィエル」
「フリューゲルには関係ないこと。大人しく私に倒されて」
「父を殺すか?」
フリューゲルのその言葉に、リィエルは唇を噛み締めた。今回は“兄さん”のように、彼女に偽の記憶を持たせ道具として利用した、あの時とは違った。フリューゲルは本当の父親のように接していた。すべての記憶を取り戻したあとでも残っているそれは、真実の記憶で間違いはなかった。
フリューゲルはその隙を逃さずに、リィエルの心臓めがけて銃撃を放った。
リィエルが慌てて回避行動をとるが、左腕を貫かれた。激痛が彼女を襲うが、悲鳴はあげなかった。銃撃が続けられたが、巨剣で体を守りながら横に走り抜け、広いエントランスに転がり出ると柱の陰に身を隠した。
リィエルは左手をゆっくりと開いて閉じた。未だに強い痛みは続いているが、動かすことはできる。重要な神経がやられたわけではないとわかると、彼女は制服の外套を引き裂き、上腕をきつく締め上げて止血した。さすがに血を流しながらの戦闘は得策ではなかった。
リィエルはそっと柱の影からフリューゲルの様子を見た。落ちていた大きなケースから何かを取りだし、パーツを組み合わせていた。それは恐ろしく大きな銃だった。リィエルには見覚えがあった。たしか
嫌な予感が最高潮に達して、リィエルは柱の影から転がり出た。それとほぼ同じタイミングで柱の根元、リィエルが先程までいた辺りが砂煙と化していた。
リィエルはフリューゲルを見た。真っ暗な銃口が彼女に向けて口を開けていた。頭を恐怖が支配し、咄嗟に巨剣で防御した。フリューゲルがライフルの引き金を引いた。
瞬間、リィエルの腕に途方もない衝撃が加わった。負傷した左腕の穴がずきずきと痛み、体が吹き飛ばされた。巨剣にヒビが入り、粉々に砕け散った。後ろに下がることで衝撃を抑え、壁に激突した。
リィエルは急いで身体の異常を確認するが、両腕とも動く。これならば脱臼も骨折もしていないようだった。ポンプアクションでフリューゲルが次弾を装填すると、再び銃口をリィエルに向けた。そしてその指が引き金を引く瞬間、リィエルは折れた剣の柄をフリューゲルに投げ放った。凄まじい勢いで発射された弾丸と砕けた剣が空中で衝突し、軌道が反れた。
リィエルの少し横を衝撃と共に通過した弾丸が、壁を粉砕する音が響き渡った。
リィエルの小さな体が巻き上げられた粉塵に紛れた。先ずは武器を造り出さなければならないが、フリューゲルが詠唱する暇を与えてくれるとは思わなかった。それでも直接的な格闘は避けなければならない。体が彼に触れた瞬間、あらゆる魔術は効果を失うのだから。
砕けた柱の破片をフリューゲルへ投げ飛ばし、彼が回避する隙にリィエルは頭の中に丸暗記した錬金術の術式を思い描いていた。
「《万象に希う・我が手腕に・剛毅なる刃を》」
フリューゲルがライフルを放った。超高速で錬成された大質量の剣の柄が顔を出した瞬間、リィエルはそれを引き抜いて、襲い来るライフルの弾を正面から叩いた。
尋常ではない衝撃がリィエルの両腕に響くが、軌道を反らすことには成功し、別の柱を木っ端微塵にした。生徒たちは避難できているだろうか。リィエルはにわかに心配になった。この戦いに誰かが巻き込まれるのは嫌だった。
銃撃による流れ弾を避けるためにもリィエルは接近戦を選んだ。離れて戦うのは苦手でもあったし、勝つ確率はそちらの方がよっぽど高かった。体を回転させて、その勢いで剣を横に振り抜く。ナイフで受け止められた瞬間に体を逆に捻って横一文字に攻撃した。
空を切る音が、虚しく鳴った。
フリューゲルは姿勢を極限まで低くし、べったりと床にくっつくようにして攻撃を回避していた。彼を一瞬視界から外したリィエルは、フリューゲルのアッパーカットをまともに受けた。
脳が揺らされ、身体強化魔術も消されていた。無理やり立とうとするが、次は固いブーツの靴底で回転蹴りを受けて、リィエルの体が紙細工のように宙を舞う。床に引きずられるようにして転がり、頭から壁に激突して止まった。
いきなり重みを増した剣は辛うじて手に持っていた。視界がぐらぐら揺れ、口と鼻から血が止まらず、まともに立つことも困難だったが、そのままでいると銃撃を受けることは明らかだった。全力で床に剣を叩きつけることで砂塵を巻き上げ、照準を定められないようにすると、剣を引きずるようにして柱の影に隠れた。
凄まじい破裂音と共にリィエルが先程までいた空間が穿たれるのを、揺れる視界で見た。動くことができずにいたらと考えるとぞっとした。
過呼吸ぎみになっている息を整え、早鐘のように打つ心臓を抑えてリィエルは柱を支えにしながら立ち上がった。胸に手を当て、三節の詠唱を開始する。
「《我・秘めたる力を・解放せん》」
力がみなぎった。【フィジカル・ブースト】による身体強化だけではなく、精神的なものでもあった。絶対にフリューゲルを止めてやる。父が道を踏み外したのなら、娘が道を正せばいい。そう思っていた。だがそれは、迷いの現れでもあった。相手が殺しにかかっているのなら、こちらも殺す気にならないとやられる。だがリィエルはその迷いを受け入れた。それは、またかつての優しかった父に帰ってきてほしいという願いでもあった。
背筋を寒い感覚が駆け抜けた。それは野生の勘に近い感覚だったが、リィエルは素直にそれを受け入れた。剣を握りしめ、柱から飛び出す。それとほぼ同時に柱が吹き飛ばされた。粉塵が撒き散らされ、幸運にもリィエルの体を完全に覆い隠した。
獲物を狙い澄ました豹のように、リィエルの体が煙の中から飛び出した。思いもよらない方向からの攻撃に、フリューゲルは完全に対応が遅れた。リィエルの巨剣が、躊躇されることなく振り抜かれ、彼の体を斜めに切り裂いた。
だが殺せるほど深くは切らなかった。あくまで行動不能になる程度の傷の深さに調節した。フリューゲルの体がぐらつき――――
倒れずに踏みとどまった。
ゆらりと腕を垂らし、対物ライフルが腕から滑り落ちたが、それでもフリューゲルは倒れずに立ったままだった。
「本当に強くなったな、リィエル。父としてお前のことを誇りに思う」
リィエルはその言葉に身の毛がよだつ思いがした。まるでフリューゲルではない、何か別の無機物が放った言葉のように聞こえて。
リィエルは剣をさらに強い力で握り締めた。頬を伝った一粒の汗が、彼女の端正な顎から滴り落ちた。
「“あなた”に言われても嬉しくない。私はフリューゲルを、私のお父さんを取り戻す!」
「傷つくことを言ってくれるな、お前は。俺はちゃんとここにいるじゃないか。こう見えて痛いんだぜ? この傷は」
リィエルはその言葉を振り払うように激しく頭を振った。違う。私が切ったのは『お父さん』じゃない。もっと別の誰か、彼を惑わせた別の何かだ。そうだ。私が剣を振ったのは、『お父さん』を取り戻すためだ! 殺すためじゃない!
フリューゲルが、大怪我をしていると全く思わせない素早さでナイフを振るった。俯いていたリィエルには避ける術は無かった。避ける術は。
金属同士が打ち合う大きな音がエントランス中に響き、フリューゲルの体は引き摺られるようにして数歩引き下がった。その目は大きく見開かれていた。それは驚愕の表情に他ならなかった。彼はリィエルを真っ直ぐに見つめ続けた。
リィエルは剣の切っ先をフリューゲルに向けた。やっと一泡ふかせてやったという感情が彼女の中を支配し、大きく見開かれた暗い瞳を鋭く睨み付けた。
「
静かにそう宣言した。
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グレンとリィエルが飛び出していった直後、教室はいまだにざわめいていた。グレンが厄介事に巻き込まれるのはしょっちゅうだったが、今回の件は訳が違っていたからだ。今までは
それにグレンの様子も違った。セリカがわざわざ出張っているというのにこの上なく焦った様子を見せていたのは、生徒たちを焦らせるのには十分すぎる効果があった。
凄まじい爆発の音が轟いた。システィーナはその音を一度聞いたことがあった。以前、天の智慧研究会が学院に襲ってきたときにグレンが発動した黒魔改【イクスティンクション・レイ】の音だった。それに加えてあのときのものとは桁違いの威力を孕んだ音だった。アルフォネア教授はこれほどまでのものを発動することが出来るのか。システィーナは魔術師としてのレベルの違いに身震いした。
それでもなお聞こえてくる銃声や戦闘の音に、クラス内のざわめきが大きくなった。セリカの必殺の一撃を食らって尚無事であるなど、考えられるはずもなかった。
この大きな、栄誉ある学園内で途方もない事件が起きている。そう考えるだけでシスティーナは我慢ができず、立ち上がった。
「システィ?」ルミアが眉尻を下げて心配そうにシスティーナを見上げたが、それでも止まるわけにはいかなかった。私だって訓練は積んできた。それはルミアを護るためであったし、彼――――憎たらしいけど頼りになるあの担任教師の隣に立つためであった。
「みんな聞いて! このままじゃどうにもならない。戦闘では私たちの立つ瀬は無いかもしれないけど、それでも避難させることならできる!」
「しかし、グレン先生は待っていろとおっしゃいましたわよ!?」
特徴的なツインテールを揺らしながら異を唱えたのはウェンディだった。それは的を得ており、安全策かもしれないが、じっとしていても始まらない。システィーナは歯痒い思いに蝕まれた。なにか自分に出来ることを探さなければ、体に孔が空きそうだった。
「それでも私は――――」
「そうだな、行くしかないだろ!」
声を張り上げる者がいた。背の高い少年、カッシュだった。
「色々と修羅場を経験してるからな、俺ら。こういうときに動かないといけない。だろ? システィーナ」
歯を見せてカッシュは笑った。システィーナはその笑顔に幾分か救われた気がした。その顔の瞳に移る先が、ちらちらとルミアを写していなければ完璧なのにな。と少し残念に思った。
カッシュの一声でクラス中の意志が固まった。あのギイブルまで賛成するのは意外だったが、これでどうにか心の平穏を保てそうだった。
戦闘の音が止んだ。普通に考えればセリカが勝つのだろうが、システィーナの中には抑えきれない嫌な予感があった。
「絶対に戦闘には参加しないこと。いい?」最後に念を押した。自分の発言のせいで誰かが傷つくのだけは嫌だった。システィーナの言葉は言うまでもなく満場一致だった。
二組の生徒が、全員廊下を飛び出した。
今更ながらに思うと大分タフになったものね。そう考えてシスティーナは皮肉げに微笑んだ。