ある日、クーちゃんが倒れた。私の大切なお友達で妹みたいな女の子。家族同然に育ったその子は、部屋に寝かされるとすぐに大人達が集まり子供はどっか行けと言わんばかりに言うのだ。
「大丈夫。安心して」
「本当に大丈夫なのですか……?」
「クオンのお母さんも同じ病気だったの。だから、大丈夫」
「ユズハお母様が?」
薬師のエルルゥ様はそう言って私を安心させようと頭を撫でる。重い病気だったらどうしよう。なんて、不安が吹き飛ぶのを感じた。
私の手を優しく握ってくるのはクーちゃんの本当のお母様。ユズハ様だ。どうやらクーちゃんが倒れたことを知って駆け付けたらしい。クーちゃんの眠る部屋の外で私に言うのだ。
「大丈夫ですよ。きっと良くなります」
「コトゥアハムルの死神様がクーちゃんを連れてったりしませんか⁉︎」
私の必死な様子にユズハ様はクスリと笑った。
コトゥアハムルの死神様は御伽噺に出てくる神様で、悪い子がいるとコトゥアハムルに連れ去ってしまうと言われている。私達子供の間ではとても有名な御伽噺。クーちゃんが悪い子というわけではないけれど、もしかしたら死神様には悪い子に見られるかもしれない。そんな不安を表すとユズハ様はとても愉快そうに和かな笑みを続ける。
「どうでしょうね。でも、コトゥアハムルの死神様も悪い人ではないですよ」
まるで会ったような口振りでユズハ様は私の頭を撫でた。
「むしろ、来るなら来いって感じで取っ捕まえてやりましょう」
「魂を抜かれてしまうと聞きました」
「尻尾と耳は引っこ抜かれるかもしれませんね」
その一言に私はびくりと肩を震わせた。
翌日になってもクーちゃんは元気にならなかった。紫琥珀でも治らないと大人達が噂しているのを聞いた。それでも大人達は大丈夫だと言って相手にしてくれない。クーちゃんにも会わせてくれない。だから、私は忍び込むことにした。
クーちゃんが良くなるまで……きっと、看病をしたら元気になってくれる。そんな浅はかで小さな考えでクーちゃんが眠る部屋へと私は侵入するのです。自分の部屋を出てクーちゃんの部屋へ。そろりそろりと夜の廊下を歩く。普段は一人では無理だけど今は気にならない夜の闇も怖くなかった。
見廻りの兵にも見つからず、こっそり抜け出してクーちゃんの部屋の前。
ゆっくり戸を開けて中に侵入すると、ユズハ様がクーちゃんの眠るベッドの膝下でスヤスヤと寝息を立てていました。じゃあ私が代わりに看病します。と、意気込みゆっくり戸を閉めてクーちゃんの隣へ。まずは額に乗せてあるタオルを桶の水で冷やして絞ってもう一度クーちゃんの額に。
……さて、どうしましょう。看病なんて初めてで何をしていいかわからない。いきなり行き詰まってしまった私はもう一つ椅子を用意して、傍で見守る形に。
薬草の心得などあればエルルゥ様みたいに薬を作れるのに。私は無力だった。何をしていいかわからずただひたすらタオルを換えていると次第に眠くなってくる。
そして……私はいつの間にか、こっくりこっくりと舟を漕ぎ出す。そんな時だった。ギシリ、という板の悲鳴の後にそろりそろりと戸が引かれる瞬間、私は反射的恐怖に急かされて椅子から転げ落ちるようにベッドの裏に隠れる。
(誰……?)
見廻りの兵。オボロ様。等々。
それ以外に、私はコトゥアハムルの死神様という答えが浮かんだ。
幽霊という不可思議なものかもしれない。
人ではないのかもしれない、とびくびく震えて縮こまっている間にも、その何かは部屋の中へと侵入した。
「悪いな。ユズハ……」
第一声は謝罪の言葉。こっそり覗いてみると全身、雪のようにまっしろな男の人がユズハ様の髪を梳き頭を撫でていた。白く長い髪、紅玉のような瞳。それを包むのは見慣れない白い羽織衣。黒い下の衣。帽子付きの衣装。
まるで愛おしい者を見詰めるその視線が、私の胸を高鳴らせる。
不自然な変質者だというのに、何故か不思議と嫌悪感のない。まるでハクオロ様とエルルゥ様のような関係のようでちょっと違うような、けれど絵になっているというか表現し難い安心感がある。
それから少しの間、その男はユズハ様の手に手を重ね合わせたり、優しく扱った後にクーちゃんに向き直った。散々、二人の様子を眺めておきながら行動は早い。今度はクーちゃんの頭を撫でてからちっちゃな手に触れる。と、クーちゃんはその指を無意識に掴み、段々と額の汗が引いていくような錯覚を見た。さっきまで僅かながら苦しそうだったクーちゃんの顔は穏やかに。
「さて、時間もないし行くか」
ユズハ様に気づかれないようにクーちゃんを布団から抜き取る。抱え上げ去って行く男の背中に私は必死に飛びついた。
「ぬぉっ⁉︎」
素っ頓狂な声を上げて驚く。
私は無我夢中で背中にぶら下がる。
「お願い、クーちゃんを連れて行かないで!」
「だ、誰だ? ……子供?」
首だけ捻じ曲げて見下げてくるその男が、まさかコトゥアハムルの死神様だったなんて。だとしたらクーちゃんを迎えに来たのだろう。代わりに私を連れて行けばいい。私ならどこでもついて行くと言うと呆気にとられたように棒立ちになってから、私の口を優しく塞ぐ。
「まぁ、いいか。面倒だし」
–––結果、私はクーちゃんと一緒に攫われた。
夜の闇を抜けてトゥスクルを遠ざかる。遠くなるトゥスクルに私は不安になりながらも抱き抱えられていた。帰り道もわからない。クーちゃんは今も男の人の手の中、一人で逃げたところで私はどうすればいいのかわからず途方に暮れていると、彼が悪意のない様子で無邪気にも似た雰囲気で問い掛けてくる。
「それで、君の名は?」
「……ふ、フミルィル、と申します」
「この子の名は?」
「クーちゃ……クオン、です」
恐る恐る答える。しかし、何故か優しい雰囲気にすらすらと話してしまった。ついでとばかりに私は主張する。
「耳や尻尾を食べちゃダメですよ! お、美味しくないですから」
「食べないぞ」
あっさり約束してくれたので私は呆然と彼を見上げてしまう。抱き抱えられているから、自然とその顔は近くにあった。
「……食べないんですか?」
「年齢がな……まぁ、そういう意味ではないんだろうけど」
何の話でしょう。ですが、油断してはいけません。安堵に胸を撫でおろすと同時に私は目にしてしまったのです。彼の目が爛々と輝き私の耳と尻尾に向いているところを。人と話す時は目を見て話す、なんてことを教わっているから余計に意識してしまった。やっぱりこの人は私の耳や尻尾を狙っている。
警戒する私に彼は落ち込み気味に言う。
「君は俺が何に見える?」
「コトゥアハムルの死神様じゃないんですか?」
「待て、なんだそれは」
どうやら違ったらしい。
じゃあ、この人はいったい……?
「ゆ、誘拐ですか!」
「……そうかもしれないし、違うとも言える」
「盗賊っ」
途端に恐怖が戻ってくる。怯える私に彼は頭を悩ませながら言う。
「そうじゃなくて……そうだ、医者、じゃなく薬師だ俺は」
「薬師……?」
「ああ。この子の病を治す為にやって来た」
「まぁ、そうだったのですね!」
手を合わせて喜ぶ私を見て、彼は複雑そうな表情を見せる。
「……せめて疑ってくれ。頼むから」
「クーちゃんのお病気を治して下さるんでしょう? 嘘だったのですか?」
「嘘ではないが……。もういいか」
山をいくつか超えた。方角はもう私にはわからない。しかし、遺跡のような場所で何やらクーちゃんを水攻めにしたかと思うと帰るぞと言ってまた外を歩く。夜が明け、どうやらここはオンカミヤムカイの宗廟だったようで私は少しだけ安心を感じていた。彼の背中で寝息を立てるクーちゃんの苦しそうな顔がもうないのだ。安らかに眠るその顔がもう大丈夫なんだなって直感でわかる。
(いいなぁ……)
彼の背中に乗ってさぞ気持ち良さそうに眠るものだから、少し羨ましい。私のペースに合わせてくれる彼の背中を追っていると私の足はふらつき倒れかけ、しゃがんだ彼に抱き留められてしまった。
「疲れただろう。背中に乗れ」
ちょっと嬉しい気持ちを隠しながら私は背中にお世話になる。しかし、私の様子を見ると何故か微笑ましそうな笑みを向けてくるものだから納得はいかない。クーちゃんと隣り合わせで彼の背中の温かさを感じる。
きっとそれは幸せな温かさで、私の求めているものだった。日常の中で、少し足りないものだった。
うとうとして眠気が襲ってくる。心地良い眠りに私は落ちた。
◇◆◇
目が覚める。それは、大きな白い獣の隣。ムックルの横腹のお世話になっていた。そのムックルといえば私が目覚めたのを確認すると欠伸を一つして小さく吠える。どうやら「乗れ」と言っているらしく、同じく寝惚け眼で起き上がってしまったクーちゃんの手を引く。
「ここどこ?」
「私にもさっぱり……」
夢、だったのだろうか。クーちゃんの病気も、あの人の背中も、木陰でお昼寝してたら見てしまった夢の一つなんだろうか。小さな冒険も胸の中には釈然としない何かが残って……。
取り敢えず、道もわからないので二人してムックルに跨る。騎乗すればムックルはのっしりと起き上がりゆっくりと歩を進めていく。そんな旅路の途中、クーちゃんは可笑しな体験したとばかりに、
「なーんかおかしいんだよね。誰かの背中で揺られていた気がするんだ」
「–––っ⁉︎」
なんて、不思議そうな顔をして言うのだ。
きっとそれは夢の話で、あの時の話だ。
夢ではなく、実際にあった話で……。
クーちゃんはもやもやを吐き出すように言う。
「すごくあったかくて、安心して、大きくて……なんていうか不思議な気持ち」
ムックルがのっそのっそと歩く。そんなことよりも、クーちゃんは目の前に広がる小さな私達の國の姿を指差した。
「トゥスクル!」
その言葉に偽りはなく。私達の國に向かってムックルは加速する。クーちゃんはムックルを急かしながら朝餉は何かなと楽しそうに喋り掛け、その間にもムックルは城下を駆け抜けた。門を飛び越すと着地して、その音に皆が振り返る。一番に駆け寄って来たのはオボロ様だ。
「心配したんだぞおまえたち!」
「それより朝ご飯は?」
何事もなかったようにケロッとしているクーちゃんは朝餉の心配ばかり。そんな私達に対してユズハ様はにっこり笑って、
「もうお昼ですよ」
と、教えてくれた。
「朝御飯食べ損ねた!」
「そこじゃないだろう!」
何故か頰の緩んだ顔で怒鳴られても怖くない。
しかし、普段は揃っていない筈の皆がいる。
ハクオロ様。エルルゥ様。トウカ様。カルラ様。ウルトリィ様。ベナウィ様。クロウ様。ドリィグラァにお姉様達まで。ユズハお母様とサクヤお母様、皆だ。数名は旅に出ていたはずなのに、クーちゃんの為に皆集まったのだろう。
「ふふ、心配なかったでしょう?」
「まぁ、クオンの病気も治っているようだし一件落着と言えば落着なんだが……あの兄者はまた勝手なことを。せめて一言くらい教えてくれればいいものを」
意味深げに微笑む妹に押され気味の兄。
そんな二人の会話を他所にムックルを労うアルルゥお姉様。
「ムックルえらい」
「クゥーン」
困ったような鳴き声を上げるムックルはあまり嬉しくないようだった。疲れ切った様子でその場に横になる。
「フミルィル」
皆の様子を眺めていると私にユズハ様が話し掛けてくる。私の目線まで屈んで、手を握ると光を宿すことのない瞳で見据える。あの瞳で見られると全て見透かされたような気になる。きっと私はドキドキとしていたのだろう。その瞳が優しい色を写した時、ユズハ様は口を開いた。
「コトゥアハムルの死神様も悪くないでしょう?」
「はい。素敵な方でした。……また、会えるでしょうか」
「お寝坊さんだから起こしに行ってあげないといけませんね。きっと今頃、疲れて眠っているでしょうから」
「疲れているのに大丈夫なのですか?」
「きっと待ってくれていますから。今日は、特別に出て来てくれたようですけど、奇跡は本当に大切な時の為にとっておかないといけませんから」
私の髪を撫でる手付きが好きだった。ユズハ様は私の髪を撫で付けると何かを見つけたように手のひらを握り、私の目の前で開いてみせた。
「ほら、季節外れの桜です」
その手の中には、一片の桜の花弁が握られていた。
ムントは除外。お姉様の中にクーヤ込み。他は誰が足りない……?
全員いるな。……たぶん。ヨハネは別の場所です。仲間はずれじゃありません。