女性の身支度は長い時間が掛かるとは言うがまさにその通りであった。風呂上がりに女子衆が持って来た牛の乳に似ている飲み物を飲みながら、待つこと一時間。ようやく満足したのか出て来た三人娘とルルティエの色艶は良くなっており、微かな甘い香りがしてくる。そんな四人の娘達を連れて、ウコンに呼ばれた野菊の間を目指した。
建物を仕事中だった女子衆に案内してもらい、野菊の間へ。すると広間に入って来た自分に気付いてウコンが片腕を上げ、酔って陽気な声を上げた。
「此処だニイちゃん!」
既に酔い始めているウコンと男衆。一番酔っているのは顔面白塗りの貴族の男マロロのようだが、あまり絡まれるのも嫌なので横目に逃げつつウコンのところへ寄った。
「随分長かったなぁニイちゃん。もしかして、お楽しみだったかい?」
「お楽しみってなぁ……」
「女に恥搔かすのはいただけねぇなぁ。ほれ」
そういう関係ではない。「無理に来なくても良かったんだぞ?」と言葉に出さないまでもニヤリと笑うウコンに苦笑いしていると、何を勘違いしたのか盃を渡されてしまった。
「だから、俺は飲まないと……」
「まぁそう言わずに付き合ってくれよ。一献くらい」
あれよあれよという間に盃に酒が注がれる。その時点で顔は引き攣っていた。
そこに助け舟を出してくれたのがクオン、彼女が盃を奪いぐいと飲み干してしまった。
「ダメだよ。嫌がっている人に無理矢理飲ませたら」
「ま、そいつもちげぇねぇか」
女に叱られたとあっては引き下がるしかないと思ったのかウコンは易々と引き下がる。きっと今までは冗談か何かと思っていたのだろう、酒飲み達の思考はよく判らん。
それと酒を美味しそうに飲むクオンを見ていると、本当に自分の娘か疑わしくなってくる。
「それじゃあ、帝都に無事帰って来た祝いに乾杯だ!」
ウコンの音頭に合わせて気の良い奴らが盃や徳利を高々と掲げる。こういうノリはあまり得意ではないので、敢えて苦笑いで受け流すことにした。
「それではヨミ様、どうぞ」
場の勢いを見守っていると右側にいたフミルィルが盃を渡してくる。ついまた突き返せずに受け取ってしまい、彼女が徳利から注ごうとした酒を避けてしまった。当然、避けた酒は盃に注がれず、盆に溢れる。
悲しい顔をしたフミルィルがシュンと落ち込んだところで、ぼそりと小さな声でこう呟いた。
「……意地悪をするヨミ様にはもう尻尾を触らせてあげません」
「わかった。わかったから。一杯だけな」
フミルィルの尻尾を引き合いに出されては折れるしかなく、それもこんな美人に酌をされて飲まないという選択肢はなくなり渋々盃で酒を受けた。
覚悟を決めて一口飲む。
すると酒ではない何か甘い飲み物の味がした。
狐に摘まれたような気分で盃を膳に置く。
すると、その盃を持ってフミルィルが催促してきた。
「では、ヨミ様」
「ん、ああ」
返礼に盃をいっぱいにしてやる。と、フミルィルは一気に飲み干した。
「……フミルィル、はしたない娘」
拗ねたようにヨハネがぼそりと嫌味を呟いた。その視線はフミルィルの持つ盃に向けられており、首を傾げてフミルィルはすぐさまその事実に気づいた。
「うふふ、もう飲まれないようなので洗い物を増やすのも悪いじゃないですか」
「……むぅ。負けた」
何やら場外乱闘が行われているが無視してもいいだろう。
「ハッハッハ。モテるねぇニイちゃん」
此方からすれば、とても複雑な気分で笑い事ではないのだが。
他人の事を酒の肴にしながら、ウコンが盃を掲げる。
「しかしまぁニイちゃんも女には弱いんだな」
「素っ裸で戦に行くようなものだな」
「ガッハッハッハ–––!!」
中身は果実水だったが。あまり先程の事を気にしていないのかウコンは上機嫌に盃を煽る。空になった盃にせめてものお詫びとして、酒瓶から並々と酒を注いでやっている時、
「おぉ?」
不意に、座敷の襖が勢い良く開け放たれた。
その先にいたのは小柄な少女。まだ花開く前の蕾で将来が楽しみな可愛い娘だった。
「待ってました!」
「ネ、コ、ネ、ちゃーん!!」
気味の悪い歓声。黄色い歓声ならぬ、黄土色と言っても過言ではない少しおかしな男衆の盛り上がり、まるでアイドルが来たとでも言わんばかりの歓声に改めて見ると、なるほど確かに持ち上げたくなるのも判らんでもない。将来有望な少女の登場にざわめき立つのも納得というものだ。
そして、ネコネと呼ばれた少女はある一角を一瞥すると此方にズンズンと歩いて来た。
「……何をしているですか」
ジトリとした目に冷たい声で、少女はウコンに苦言を漏らした。叱り付けているようにも見える。不機嫌そうな表情が何よりの証拠だ。
「おうネコネ!ちょうど良いとこに来たなぁ」
だが、対峙しているウコンは気にした様子もない。自分が同じ立場なら心当たりがなくても酔いの一つは覚めてしまうだろう。
「兄様、しばらくぶりに帝都に帰って来たと思ったら報告も引き継ぎもなく家にも帰らずこんなところで飲んだくれているなんていったいどういうつもりなのです」
『報告もなく』『家にも帰らず』という言葉が流れ弾として俺にも突き刺さった。出来るなら自分も早く、トゥスクルに文を出したいところなのだが、その機会が今日までなかったのだ。明日には文の一つも出せるであろう。
「それなら他のやつに頼んどいたから大丈夫だろう」
「あんな影武者に頼むのではなく、自分でしてくれないと困るのです!」
しかし、ウコンの方に悪びれた様子はなさそうだ。反省する気は毛頭ないらしい。
「まぁ、そう言うなって。それよりも今は皆を労って新しい仲間の歓迎会の方が大事だ」
そう言ってちらりと此方を見た。共犯にする気なのだろう。だが、少女の言い分が判らないわけではなく、自分の心にも響く言葉だったのでウコンを裏切ることにした。
「あー、そのなんだ。報告や家に帰るのは大事だぞ。仕事はともかく、家族と会えるうちに会っておかないと後悔することもあるからな」
それはトゥスクルにいるユズハ達のことか、昔失ってしまった姉と姪のことであったのかは自分でも判らなかった。きっと両方のことを言ってしまったんだと後になって思う。
「…………」
気がつけば無言で皆の視線が集められていた。
少女に至っては、少し驚いたような顔をしている。
「……驚いたのです。兄様がこんなまともな人を連れてくるなんて」
言葉には悲壮感が伴っていた。
「前に兄様が連れて来た人と言えば、ゴミ蟲のような方でしたし仕事はしない上に飲んだくれでどうしようもない人だったのです」
いったいどんなヒトと会えばあんな毒舌を吐けるのか、その人物に会ってみたいものである。
しかし、自分の事を棚に上げたのも事実、そろそろトゥスクルに文の一つでも出そうかと思っている。明日辺りなんとか書いてみないことには出すものも出せない。
–––その時、また座敷の襖が開いた。
「ウコォォォォォンン!!」
罵声と共に入ってきたのは深い緑が掛かったように見える黒髪の青年だった。ドカドカと座敷に入ってきては名前の主を見つけると大股で歩いてくる。そして、酔いに酔っているその者の側に来ると、大声で怒鳴った。
「おまえのせいで散々だったぞ!座ってればいい楽な仕事だと言うから受けてみれば、おまえは帰ってくるなり厄介事を押し付けて飲みに行きやがって!」
「あー、すまんなアンちゃん。まぁちょいと座って飲もうぜ」
そう促されて青年は座った。盃を受け取り酒瓶から酒を注がれて一気に飲み干す。美味いと一言、そして再び注がれた酒を飲んで親父っぽい声を出す。
「くぅー、美味いっ」
「紹介するぜニイちゃん。この男はハクって言って……なんというか、そのなんだ……仕事仲間でよ」
「って、なんかえらい見慣れない顔が……あ」
酒に夢中だった青年が此方に気づいた。
自分の顔を見て、驚いた顔で此方を凝視した。
「……よ、ヨミナ?」
「なんでぇ、アンちゃん達知り合いかい?」
そんな筈はない。
どちらもが思ったことである。
だが、普通に考えて。
その余計な一言を口にした。
「義姉さんにそっくりで、獣人の美人を侍らせてる……やっぱりおまえヨミナか?」
大いなる父の様相をした人はこの世界に片手で数えられるほどしか見たことはない。そして、事実、目の前の青年には獣耳もなければ尻尾もない。高確率で獣人ではないのなら、彼もまた『大いなる父』と呼ばれた旧時代の人間だ。
「……まさかこんな世界で、あんたに会うことになるとはな」
はて、名前はなんだったか。顔に覚えはある。だが、姉の結婚した相手の弟とあって、あまり交流がなかったものだから殆ど相手のことは知らないのだ。
ハク、と名乗っているようなのでそう呼ばせてもらおう。
「そりゃこっちの台詞だ。てっきり自分と兄貴以外全員死んだものだと……」
「……おい、今なんて言った?」
聞き逃したわけではない。
ハクの言葉が信じられなかった。
「だから、自分と兄貴以外は……」
「あの野郎が生きてやがるのか」
フミルィルが作ってくれたアマム巻きを咀嚼する。
モキュモキュと食べながら、嫌なことを聞いたと顔を顰めた。
「ところで二人は何処で知り合ったのです?」
そんな時、ネコネが興味津々に会話に入ってきた。興味というよりは純粋な疑問という感じがする。
「あぁ、なんていうか……義兄弟?」
「今じゃ赤の他人だがな」
姉がいない今、自分達に繋がりはない。
「……信じられないのです」
宴会の場に妙な空気が流れ始めた時、ぼそりと驚愕した言葉を放ったのはウコンの妹であるネコネであった。その言葉の真意は何かと考えていると、答えは彼女の口から出た。
「まさか、ハクさんの弟だなんて……」
「おい待てどういう意味だ」
ハクが言及すると、辛辣な言葉をネコネは吐き出す。
「そのままの意味なのです。まさかハクさんの身内にこんなまともな人がいるなんて思いもしなかったので」
「……なぁ、俺とこいつの扱い違いすぎないか」
肩を落とすハク。日頃の行いが悪いせいなのだろう。しかしすぐに気を取り直して酒を美味そうに飲んだ。
「そうだ。兄貴に教えたらきっと喜ぶぞ」
「俺は会いたくないね」
「なんでだよ?」
「ハク、俺が義兄を嫌っていることは知っているだろう」
それだけ告げて立ち上がる。食事もしたし酒は飲めないし長居する用もない。それよりユズハとサクヤにどう手紙を書けばいいかの方が問題だった。
「俺は先に部屋に戻る」
フミルィル達に向かって言い残すと宴会場を後にした。
◇
月明かりの射し込む部屋で一人、紙を前に筆を持ち思い悩む。
道具は全て最初から用意されていた。まるで自分が誰かに手紙を書くことが判っていたかのように、数枚の紙と筆が予め机の上に準備されていた。紙は旧人類がいた時よりは数段劣るし、筆も少し良いばかりで原始的。更に言うならば、基本は紙ではなくデータのやり取りが主流だったため、今ではかなり珍しい。こんな世界で意味のない話だろうが。
だが、何かを伝えるという手段に“手紙”は最適だった。
しかし、書くと決めたものの一向に手がつかない。何を書けばいいか判らずしばらくの間月を眺めていると、小さな足音が部屋の中に入ってきた。
「フミルィルか……」
振り返ると彼女がいた。まだ騒がしく宴会をやっている筈だが、抜け出して来たようで楚々とした動作で隣に腰を下ろした。
「トゥスクルに送る手紙ですか?」
「そうだ」
「ユズハ様とサクヤ様に」
「あぁ」
そうは言ったもののまだ一文字も書けていない。何を書いていいか判らず、こうして何度も筆を手にしては下ろす行為を繰り返している。
「ヨミ様はハク様と仲が悪いんですか?」
そうして何度も筆で遊んでいるとフミルィルは唐突にそんなことを聞いてきた。興味があったのか尻尾がゆらりと揺れる。ふわふわで艶々な尻尾が腕を撫でた。
「仲が悪いというか……苦手だな」
「では、ハク様のお兄様の方は」
「嫌いだ」
はっきりと断言する。
その理由はすらすらと出てきた。
「科学者と書いてヒトデナシと呼ばれる連中だからな。そんな相手が姉の婚約者など不愉快極まりない話だったよ」
そして、自分もまたヒトデナシの仲間である。
「ヨミ様」
フミルィルが自分を呼んだ。
その声に少しだけ癒された気がした。
宴会の喧騒が、心のざわめきが全て打ち消される。
鈴の音のような声で俺の名を。
「書けないなら、一緒に書きましょう。私がお手伝いしますから」
まだ一文字も書けていない紙を前に、フミルィルがそう言って俺に筆を持たせる。そして、その上から手を重ね合わせる。背中にしなだれるような形で手を伸ばしているものだから、彼女の胸が背中に当たる。非常に書きづらいのだが。
「あの、フミルィルさん……?」
そんな自分の抗議も無視して、フミルィルは筆を動かし始めた。
見ての通りハクは既に帝都に居ます。