長い夜が明けた。
朝日が射し込む部屋に筆を置く音が響く。
徹夜して書き上げた手紙はそれなりに出来は良いと思う。
幾度となく書き直したし、それなりに悩み抜いた。
上手く文に纏まらなかったが、足りなければ言葉で伝えればいい。
手紙だけには想いが収まらなかった。
それも仕方なく、そしてそれほどまでに自分は愛していた。
「一応は形になったな」
徹夜して変な気分になっているが何処もおかしくはないと思う。正常な判断が下せないのが難点だが、疾くこの手紙をトゥスクルに……ユズハ達に出したくて仕方がなかった。
–––会いに行けばいい。
そう思うかもしれないが、此方にも事情がある。
ヤマト國の帝都にいる。
それさえ伝われば、きっと彼女達はすぐにでも来てくれるだろう。
もし来なかったら、多分その時は愛想を尽かされた時だ。
それもまた仕方がないかもしれない。
もう十数年は待たせているのだ。
ユズハを、サクヤを。
「さて、さっさと出すか……」
あとは出すだけ。と、思ったところで–––。
「……そういえばどうやって出せばいいんだ?」
とある問題に気づいた。
この世界に手紙という連絡手段はあるかと聞かれれば、答えは『ある』。それは世間一般的な手段ではなく、國同士の書簡による通達のようなもので一般ではまず使わないものだ。つまり、個人的なやり取りで手紙を用いる事はない。そして、似たようなものといえば先刻見たであろう、ルルティエがオシュトル宛に届けた書簡だ。あれもまた類似したものである。
……そして、この場においてトゥスクルに手紙を届ける手段は旅の者に頼むか、トゥスクルへ行く行商人に任せるしかない。まずはそれを探すところから始めなければいけないのだ。
「……んぅ。うふふ、書けたんですか?」
その時、部屋の片隅に布団を敷いて眠っていたフミルィルが目を覚ました。寝惚け眼を擦り起き上がると腕を伸ばして伸びをする。ゆったりと胸が揺れ視線は吸い寄せられた。
「今終えたところだ。が、どうやって手紙を出せばいいんだ?」
視線を逸らしつつ尋ねる。するとフミルィルは数分顎に指を当て、黙考すると口を開いた。
「白楼閣の主に頼めば、きっと届けてくれると思います」
「なるほど……?」
徹夜には慣れたものだったが、徹夜した脳ではトゥスクルにどうして届くのかまでは考えられなかった。
朝食を食べてからフミルィルと白楼閣の廊下を歩く。適当な女子衆を見つけて白楼閣の主の居場所を聞くためだ。そして、手ぶらで何処かに向かっている女子衆を見つけると声を掛けた。
「すまないが白楼閣の主は何処にいる?」
「えっと、さぁ……?」
聞けばそんな答えが返ってきた。詳しく話を聞くと白楼閣の主の居場所を知っているのは白楼閣の女子衆でも数人ほどらしい。その女子衆を見つけなければいけない。それにその女子衆は白楼閣の主の姿を一度も見たことがなく、面識があるのは女子衆の中でも数人ほどだという。
「あー、そこの女子衆さん?」
「は、はい……うぇっ!?」
手当たり次第に女子衆に声を掛けて二桁に達しようとした時だった。俺の顔を見た女子衆が悲鳴を上げた。酷く驚いたようなそんな声で、まじまじと自分の顔を見つめる。
「よ、ヨミナ殿……?」
「はて、何処かで会ったか?」
自分の名前を女子衆が呼んだが生憎とこんな美人に面識はない。素敵な獣耳なら覚えているが、この都には昨日初めて来たのだ。何処かですれ違ったにしても、此処まで覚えがないのもおかしい。
改めて顔を近づけると女子衆は顔を逸らした。正面に回ると女子衆がサッと顔を逸らす。鬼ごっこを何回か続けて、両の手で頰を挟んで間近に顔を見つめる。
「ひにゃっ!?」
「……ん?トウカか?」
「あらまぁ、トウカ様ですか。お久しぶりです」
昔と比べて随分と大人っぽい顔立ちになった所為か気づくのが遅れたが、この特徴的な耳はエヴェンクルガの物であり、その知り合いとあらば浮かぶのは一人の女剣士。トウカがそこにいた。何故か女子衆と同じ姿で。
「ち、近いです。近いですから!」
「あ、すまん」
頰を赤くしたトウカが慌てて俺の胸を手で押しやる。
頰を離してやると、胸を押さえて一息ついた彼女と対面した。
「久しぶりだな」
「あ、はい、ヨミナ殿もご健勝で何より–––って、なんでこんなところにいるんですか!?」
「なんで、と言われてもな……」
「フミルィルまで……」
これまでのあらすじ、とクオン達にコールドスリープから叩き起こされて旅をしていた話をして、娘達から目を離せないことを伝えるとトウカは難しい顔をした。
「はぁ、それで……トゥスクルには帰れなかったと。しかし、ユズハやサクヤはきっと貴方の事を待っていますよ」
「だから手紙をトゥスクルに送ろうと思ってな」
「そんなまどろっこしいことをせず、皆で帰ればよいではないですか」
トウカの主張は一理ある。同意するようにフミルィルがクスクスと微笑う。だが、そこには現実的な問題が存在する。
「きっとクオンだって母親にヨミナ殿を会わせたいはず。今更、帰るのが嫌などと言わないでしょう」
「……そうだけど」
言い渋る俺に怪訝な表情のトウカ、自分は間違ったことを言ったか?と首を傾げてハッとその可能性に気づいた。
「まさかクオンに自分が父親だということを告げてないのですか!?」
トウカが驚きを露わに白楼閣にその事実を漏らした。慌てて口を塞ぐ俺だが、本当に何やってるんだろうと思う。いっそこれが原因でバレたら楽なのだが、運が良いのか悪いのか、クオンの気配は近くにない。
「バカ、聞こえるだろうっ」
「むぐ、いや、しかし……」
並々ならぬ思いがトウカにもあるようで何か言いたげに口を窄める。数秒葛藤した後、ため息を一つ吐いて肩を落とした。
「取り敢えず、手紙を出すという話でしたらカルラに相談してみるといい」
「カルラも此処にいるのか?」
「案内しましょう」
そう言ってトウカは白楼閣の廊下を進んで行った。
白楼閣は歪な作りだ。廊下と階段が入り組みかなり複雑な形をしている。階段は繋がっていない。敵に攻め込まれた時、敵が迷うように廊下を張り巡らせ、更には階段の位置を離しておくことで相手の侵攻を遅らせる意図があるように思うのだ。それはつまり敵からの強襲を想定して造られたということだ。
この楼閣の主はかなり用心深い人物らしく、彼女の過去を知る者であらば『白楼閣』の造りがどうしてこうなっているのかも容易に判ってしまうだろう。
自分もカルラがこの楼閣を造ったと言われて、ようやく納得できた。
「えっと、しばしお待ちを……」
そして、最上階。眺望できる楼閣の最高階層に到達した。この先に階段はなく事実上、此処が白楼閣の最上階であることが窺える。他に部屋はなく帝都を一望できる開けた部屋があるのみ。その部屋の壁面にある奇妙な模様の壁にトウカが座り込み、何やら彼女は壁を弄り始めた。
「うーん、あれ?此処をこうして……」
よく見れば奇妙な壁の模様は木の細工で四角い木片が幾つも並んでできていたものだ。その木片をトウカが並び替えているが一向に完成する気配がない。こういうのはからっきしなのか何度も間違えては挑戦している。
「ちょっと変わってくれないか」
悩んでいるトウカを押し除けて細工に挑む。
「ふむ、簡単だな」
パチパチと木片を動かして、壁の模様がものの数秒で完成すると最後の一片でカチリと何かが噛み合う音がした。その音の直後、近くに階段が降りて更に先の部屋が姿を現す。
「随分と用心深い女だな」
トウカに先導され、俺達は階段を上がった。
◇
階段の先にあったのは香煙の靡く怪しげな部屋だった。灯は小さく薄暗く、部屋の内装に数点の調度品が並び、トゥスクルにいた頃のカルラの印象とはまるで違った。大人の雰囲気である。毎晩、月夜で盃を傾けては飲んだくれていた女とは思えない部屋の内装に面食らいつつ、部屋の主を探す。
「あら、これは随分と懐かしいお客様ね」
声の方に視線を向けると、獣の皮を敷き詰めた一角で長椅子に躰を預けてくつろぎ、盃を傾ける女性がいた。妖艶でしなやかな肢体を晒して悠然とした態度だが、その表情は驚いているようだった。
「懐かしいか。変わらないな」
「あら、これでも少しは変わったつもりですのよ」
「綺麗にはなったと思うが、内面の話だ」
昔と比べて大人の女性の色気というか……。カルラの魅力がより一層強くなったとは思う。しかし、酒を朝昼晩飲んでいる飲んだくれというところは変わらない。そう告げるとカルラは照れたようにそっぽを向いた。
「そういうのはあの子に言ってあげなさいな」
呆れた声音で叱咤すると、盃を傾ける。
「それであなたが此処にいる、ということは……クオンにはまだ……」
そして全てお見通しらしい。呆れ半分だった彼女はため息と共に言葉を締め括る。
「今更、父親面するのもどうかと思ってな」
「でも、いつかは言わなければいけませんわよ。私達が口出しすることではありませんけど」
それは判っている。うんうん、と頷くトウカを尻目にカルラは付け足す。口出ししかねないトウカに釘を刺すような物言いに俺は感謝しつつしかと心に受け止めた。
「それにしてもよくこの白楼閣に来ましたわね」
この話は終わりと言わんばかりにカルラは話題を変えた。
その瞳は何か確信があるかのようにフミルィルを見据える。
「はい、ウルお母様に『白楼閣』のお話を聞いてきたんです」
和やかに応えるフミルィルに、道理で……とカルラは言葉を零した。
「まさか私に会うためだけに此処に来たわけではないですのよね」
「あぁ、実はトゥスクルに手紙を出したくてな」
「ユズハとサクヤにですわね」
話が疾くて助かる。書き上げた手紙を俺が一通、フミルィルが一通、それぞれ取り出す。カルラに預けると考え込むように虚空を見つめて薄く頰を吊り上げた。まるで、これから楽しいことが待っていると言わんばかりの表情に不安が募る。
「トウカ、一番速いのは貴方?」
「いや、某が届けるよりあの双子の方がより正確で疾いと思うが……」
「ちょうど近くに居るみたいだし。なら、少し私もトゥスクルに手紙を出そうかしら。そうね、アルルゥかカミュ辺りに。纏めて今日中に送っておくから安心なさいな」
これで一応はトゥスクルに手紙が届くだろう。安堵すると共に、肩の荷が少し降りたような気がした。そんな自分にカルラが含み笑いを向ける。
「それにしてもトゥスクルに直接帰らなくてよかったですわね」
とても愉しげな笑みだ。盃の中の酒を回して弄ぶ。白く濁った酒が波のように揺れる、その様子を少し眺めてから口に運んだ。
「あの國で貴方を知らない者はいない。國内中に指名手配されていて、入れば速攻でオンカミヤリューに捕捉されて捕縛されますもの」
「おい待て何故そんなことになっているっ!?」
物騒な事を言い放つカルラに詰め寄る。長椅子が二人分の体重を受けてギシギシと軋み、カルラが酒瓶から盃に酒精を注ぎながら懐かしむように語る。
「オンカミヤリューの皇族にのみ伝わるお話はご存知?」
「あー、あれか。解放者とかいう……」
ウィツアルネミテアであるハクオロと、大いなる父でありながら科学者を大量殺害した自分、二人は解放者として崇め奉られている。その話が脳裏を過った。しかし、カルラは首を横に振る。
「それではなく、もう一つあるんですのよ。始祖が掲げたもう一つの決まり事が。随分と昔にあの子が話してくれましたわ」
勿体ぶって言葉を区切り、カルラは酒を含む。
ニヤニヤと実に愉しげだ。
ついには堪え切れなくなり、上品に笑う。
その姿はとても様になっていた。
自分の事でなければどんなに良かったか。
悪魔のようで魅力的な笑みを彼女は浮かべた。
「ウルトリィは昔から言ってましたわ。オンカミヤリューの皇女たるもの、うたわれるものを見つけたならその者に添い遂げよ。この意味貴方ならわかりますわよね?」
「いや、待て……それなら相手はハクオロだろう」
俺がオンカミヤリュー総出で追われる理由にはならない。『うたわれるもの』が大神と大いなる父、ハクオロと自分であるとするとして、どちらでもいいならハクオロを選ぶべきだ。少なくともあいつは行方知れずな訳ではないし、条件にも合っているだろう。
「それにウルが好意を寄せていたのはハクオロだろう?」
これは自信を持って言える。というか、そうでなければ困る。ただでさえあの翼は反則的なほど魅力的なのだから。
しかし、何故か呆れた様子のカルラの口から漏れるのは溜息ばかり。
「勘違いも甚だしいですわね。貴方、オンカミヤリューの始祖が誰かご存知でしょう」
……そう。妙な掟を作ったのはムツミだ。とんでもない置き土産である。
「シャクコポルもオンカミヤリューも種族絡みで貴方の事を慕っている。昔からずっと貴方の話を聞かされてきたウルは随分と貴方に心酔していて、その上で妹を救ってもらったんですもの。当然ですわよね?」
「いや、あれに関して俺は何もしていないぞ」
ムツミがカミュの躰を勝手に返してくれた。本当に自分は何もしていない。と、言ったら謙遜とか言われるんだろう。謙遜じゃなくて事実なんだが。
「ウルにも選択の自由がありますわ」
そう言われては言い返すこともできず、話が進まないので口を噤むしかなかった。
「それは判った。だが、普通そこまでするか?」
詳しく聞けば國中で噂を知らないものは居らず、常世の使者とも呼ばれ、子供には御伽噺として恐れられ、戦場では伝説としてまことしやかに囁かれているらしい。
カルラは酒の肴のつもりか愉しそうに酒を飲んでいた。
実に解せない。
「しかし、何故そんなことに……」
探してくれるのはありがたいが少しやり過ぎな気もする。が、それにも理由があるようでフミルィルを一瞥すると語り出す。
「昔、そうねクオンが生まれて間もない頃かしら。ウルが訳有りの赤子を育てていたことがあったのだけど、親元に返されることになって感情移入しすぎたあの子が連れ去る事件がありましたのよ」
「……は?」
「それ以来貴方の事を血眼になって探してますわ」
どうしようもないと肩を竦めるカルラに苦笑いしか浮かばなかった。それから数分、適当な世間話をして用事を終えた俺達は次の予定があるため部屋を出る。
「じゃあ、またな」
「今度はクオン達も交えて会いましょう」
カルラの部屋を去り際、背中にそんな声が掛けられた。
もしもの話。
シャクコポル族が滅びてなかったらオンカミヤリューと協力してもっと疾く彼を探し出していたでしょう。