獣耳天国   作:黒樹

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タイトルを帝にするか迷った。


老人と姉なるもの

 

 

 

夜も深まった頃、月を眺めてトゥスクルに思い馳せ懐かしんでいたところにそれはやってきた。両頬をつんつんと突いて存在を主張してくる二人の外套を羽織った何者かが自分を呼んでいる。声を発せばいいのに、頬を突いて遊んでいるところを見るにどうやら喋れないのだろうがもう少し方法というものがあるだろう。

 

「……いきなり現れたな、君達は」

 

帝都に着いた頃から姿を表さなくなった二人が久しぶりに現れたかと思うと、ぐいぐいと手を引っ張ってくる。その手は柔らかく小さいことから女性であろうか、少女のようにも感じられる。

 

「ついてこいと?俺がか?」

 

「……」

 

こくこくと二人は頷いた。外套の揺れがなければ気付かない範囲でだが、察するにはそれで十分だった。

急かすように手を引かれ立ち上がる。襖を開けた先では何故か霧のようなものが立ち込めていて、人の気配が感じられない。まるで世界で三人だけになったような感覚に少し不安を覚える。

 

「何処に向かっているんだ?」

 

白楼閣の廊下をどれほど進んだだろうか。気がつけば壁も床も見えずただ進むだけ。二人組は片方ずつ手を引いて誘うかのように進んでいくので、止まる気配はないから何処に向かっているかは彼女達のみぞ知るということだ。

しかし、考えてみれば妙だ。白楼閣にはこんな造りの廊下などないし、自分の感覚通りならば壁に何度も当たっているし、その上そこは存在しない場所のはず。誘われるままに行くと遠くに光が見えた。

 

「庭園……?」

 

霧の洞窟を抜けるとそこは庭園だった。

気がつけば、俺の手を引いていた二人組はいない。

 

「ふむ、客人がいらしたようだ」

 

「よお、ヨミナ」

 

その代わりと言ってはなんだが庭園にある円卓を囲み老人とハクが茶を飲んでいた。石造りの柱に囲まれた中央で向かい合い此方を見ている二人に呆然と立ち尽くし、状況が判らなくて何がなんだか……。

 

「ホノカ、茶を」

 

「はい、只今」

 

そして、その傍らには……いるはずもない人間が立っていた。老人に付き添うような素振りを見せる若い女性、ホノカと呼ばれた女はあまりにも似ていた。似過ぎていた。

 

「……姉、さん?」

 

自分の姉に。あの男の妻に。ハクの義姉に。姪の母親に。容姿だけではなく、雰囲気も、似過ぎていてドッペルゲンガーというものを疑うくらいに。だが、万が一にも自分の姉が存在しないことを自分は知っている。ハクはあの時言ったではないか。生き残っているのは自分と兄の二人だと。

 

ならば、あの獣耳すらついていない御老人は……その答えに至った時、ホノカという存在が姉に似ている理由も自ずと理解してしまった。

 

「貴様ァァァ–––!!」

 

怒りのあまりに地面を踏み抜き、その場から瞬時に老人の目前に移動した俺は老人の服の襟を掴んだ。そのまま片手で宙吊りにした後にそれに気づいたホノカと呼ばれた女性が、茶を乗せた盆を取り落とす音が響いた。

 

「我が君!」

 

その女性が目の前の老人をそう呼んだことから、自分が悟ったことを事実だと知る。紛れもなく、あれは、偽物であると。

 

「……よい、ホノカ、やめよ」

 

「ですが……」

 

「儂が今こうして怒鳴られているのも仕方がないこと。悪いのは……私だ」

 

まるで最初から自分がこうすることを判っていたかのように老人は呟いた。

 

「巫山戯るな!ならば何故、姉の模造品などっ……!!」

 

頭には血がのぼり激昂した心で問い質す。ホノカと呼ばれた女性を見て、しかしその怒りは急速に冷えていくようだった。

彼女の瞳には涙が浮かんでいた。大粒の涙が、頬を伝って零れ落ちた。

 

「……なんだってこんな思いを……俺がしなくては……」

 

腕からは力が抜けて、老人が車椅子の上に崩れ落ちる。

視界が滲み、老人の顔の皺がより深く見えた。

 

「糞義兄、あんただって判っているはずだ。命を創ることは禁忌とされている。それが姉の模造品など、気が狂ったか」

 

「あぁ……気が狂ったのかもな。妻が、娘が、目の前で溶けて姿を異形に変えて狂わずにいられるか」

 

疲れたように老人が呟く。

今にも消えそうな声でポツポツと。

 

「……しかし、禁忌に触れたのはおまえとて同じだろう」

 

「姉さんに勧められたからな。けど、あんたは反対していたな。自分が禁忌に触れることを。だけど姉さんは違った。その理由が判るか?」

 

「ほのかがおまえに禁忌の研究を行っている研究所を薦めた理由か……」

 

「俺には出来ないと判っていたからだ。多分、姉さんは俺にあの研究を終わらせて欲しかったんだろう。俺がそうすると判っていたから、あの研究を薦めたんだ」

 

自分くらいなものだろう。愛するために獣人を創造していたのは。

 

「あの、これを……」

 

それから無言で立ち尽くしているとホノカが一枚の手拭いを差し出した。だが、自分は受け取る気分にはなれなかった。というかそもそもあんただって泣いているだろうに。自分の涙すら拭わず、此方のことばかり気にしてくる。

 

「いい。要らない」

 

そんな自分の主張も無視して、ホノカは涙を拭ってきた。

 

 

 

「それにしてもやってくれたな。あんたと会うくらいならこんなところに来なかったところだ」

 

ようやく心が落ち着いた頃、円卓を挟んで二人と対峙していた。まだ言い足りないことは多々あるものの邪険に扱うことも忘れず、帰りたい気持ちも隠さずにそう告げると、何が面白いのか人の良い笑みを二人は浮かべていた。今は老けた義兄も帝とかいうこの國のトップらしく、本当に巫山戯たこともあったものだと思う。

 

「おまえが生きていたと知った時、私は耳を疑ったよ。奇病が世界に蔓延したときにはもう、おまえとは連絡が取れなくなっていてほのかが泣き喚いておったからな」

 

「奇病、だと……?」

 

自分の知らぬ間に奇病が蔓延しているとは……というか、そもそも何故義兄達が生きているのかその疑問の解決の方が先だろう。

 

「どんな病気だ?」

 

「見ただろうタタリという怪物のことだ。あれは人間が溶けてスライム状に変貌した姿だ。てっきりおまえは知っているものだと……」

 

「病原体不明、感染経路不明、治療法はおろか予防法もない。ある日突然躰が崩れれば終わりだ」

 

義兄達と自分の間では認識に齟齬があるらしい。

あの災厄を、病気などと思っていようとは……。

 

「そうか原因を知らないのか?」

 

息を飲む音がした。

まるでおまえは知っているようだな、という視線を受けて口を漏らす。

 

「……原因は禁忌に触れた連中だよ。あれは病気などではない。呪いだ」

 

「詳しく話を聞かせてくれるか?」

 

隠すようなことでもないので人がタタリになる災厄の真相を二人に話した。もっとも非科学的な事を科学者に説くのは骨が折れたが、自分もまさに科学者であった事を今更思い出したくらいだ。

 

「……そうか。そんなことが……」

 

「今更呪いを解いても元に戻ることはないぞ」

 

あくまで悪いのは科学者、大いなる父と呼ばれる太古の人間にあると告げて、手遅れなことも明瞭に語っておく。もっともその神が今も形を変えて生きているとは言えないが。謎が解明されたことで、二人は重過ぎる真相に深く溜息を吐いていた。

 

「傲慢さ故の罪か……」

 

人を人と思わない研究を行っていた旧人類には相応しい終焉だろう。

思えば自分はあの時すぐに眠ってしまったので、世界は一瞬にして滅びたと思っていたがどうやらそうではないようで、呪いが広がるのに時間が掛かっていたらしい。

案外、ウィツアルネミテアの呪いも万能ではないのか。

 

「……呪いを解く方法はないのだな」

 

今も冷凍保存されている人間を解凍すれば、タタリへと変貌してしまうらしい。ウィツアルネミテアの憎しみはそれだけ深く、怒りに燃えていたのだろうと思うと、悔やまれる思いだ。

自分にもう少し力があったならば、未来は少しだけ変わったかもしれない。それでも自分はこの世界を愛していた。悔やむべきは救えなかったこと、過去の自分の脆弱さ故に。

 

「それでこれからおまえはどうするんだ?」

 

沈黙も数分を過ぎたところでハクが自分に質問をしてきた。

その質問の真意は帝都に残るのか、トゥスクルに帰るのかだろう。

 

「帝都で少し観光でもしてから、トゥスクルに帰るつもりだが?」

 

「ふむ、帰るか……もうしばらくは帝都でゆっくり……むしろ住んでくれても構わんのじゃぞ。なんなら宮廷の一角に部屋を設けたり優遇しても……」

 

「俺は故郷に帰る」

 

「故郷か……そう呼べる場所があるのかね」

 

「結婚した相手の故郷だがな」

 

「……なぬ、結婚?」

 

義兄が今世紀一番驚いたとも言える顔で聞き返してくる。

しかし、次第に笑みへ変えるとうんうんと頷いた。

 

「そうかそうか。ならば、今度連れてくるといい」

 

「嫌に決まってるだろ。少なくとも今回の一件で俺はあんたのこともっと嫌いになったんだが」

 

出来るならばもう二度と会いたくはない。

今回も騙されて連れて来られたのだ。

次は拒否させてもらう。

 

「……儂ではなくホノカに会いに来るといい。ホノカもその方が喜ぶ」

 

「はい、また来てくれると嬉しいです」

 

オリジナルの弟とでも言われたのか、姉のような微笑みを向けられてはNOとは言えない。あんな顔されれば来ないわけにはいかないだろう。義兄には会いたくないがこの人に会いに来るならば……。

 

「……考えておく」

 

結局、姉に似た美人の誘いは断れなかった。

 

 

 

 

 

 

そこからどうやって帰ったのかも覚えていない。気がついたら白楼閣にいた。妙に足が重く疲れ切った躰を窓際に投げ出して、滲み出る嫌な汗を袖で乱暴に拭う。

 

「……どうして……今更」

 

全て割り切った筈だった。姉は死んだ。姪も死んだ。だけど、その姉の遺伝子を使い獣人を創造してしまうなど到底許せることではない。今の自分があの老体を殴れば死んでいたかもしれないので、あの時殴らなかっただけマシであろう。少なくとも姉と同じ姿をしたあの人の前で醜態を曝すのは憚られたおかげか。

 

「お帰りなさい。ヨミ様」

 

帰宅した俺の気配に気づいたのか、入口にフミルィルが水差しを持って立っていた。起きていたのか、起こしてしまったのか、隣の部屋であるはずのフミルィルはいそいそと近寄り、水差しを傍に置いて手拭いを顔に当ててきた。

 

「顔色が悪いですよ。何処か体調でも悪いんですか?」

 

「……いや、体調は悪くない」

 

「……泣いていらっしゃるんですか?」

 

どうやら自分は泣いているらしい。

あの顔を見たからか、或いは別の理由か。

今もまだ胸は苦しいままだ。

理由は判らない。

ただ、苦しかった。

 

「うふふ、ヨミ様にも可愛いところがあるんですね」

 

「幻滅したか?」

 

「いえ、むしろ貴方様が私達と変わらないヒトと判って安心しました」

 

不意を突かれてフミルィルに抱き寄せられる。

頭を愛おしげに巨乳に抱えられて、少し息苦しい。

 

「お、おい、フミルィル?」

 

「……怖かったんですよ。何も言わずに居なくなってしまって。もう勝手にいなくならないでくださいね」

 

「悪かった。判ったから、離せ」

 

「おやすみなさい、ヨミ様」

 

「寝るなら自分の部屋に……って、聞いてないな」

 

抵抗するも獣人の力は人間とは比較にはならない。思わぬフミルィルの包容力に抵抗も虚しく気がつけば朝になっていた。

 




補足。ヨミナは義兄が嫌いだが、義兄の方はそうでもない様子。
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