「あの……ヨミナ様……」
その日は珍しく三人娘がいなかった。普段は自分の傍から離れないフミルィルも、クオンやヨハネに引き摺られて白楼閣から遊びに出掛けていた。この隙にと俺の世話役を今日はフミルィルと争っているルルティエが控えているのだが、どうにもその顔は優れないようである。熱に浮かされたような赤い頰、潤んだ瞳は熱を帯びて、吐息も微かに荒い。
「その……お客様が……」
「俺にか?」
「えっと…はい…」
自分に客。トゥスクルからにしても早過ぎる。と、すれば誰であろうか。面識がない可能性も考慮してトゥスクルからでなければどうでもいいかという結論に至り、すぐに興味は失せた。興味自体は失くなったがそれで終わるはずもない。
「誰だ?」
「八柱将のムネチカ様です……」
一応、名前を聞いてみたがピンとこない。名前を知らないわけではない。聖誕祭の時に見たあの美女将軍かと思い浮かべれば、その将軍が何故此処にと疑問が浮かんだ。その間にも襖が大きく開きルルティエの背後から聖誕祭にも見た女が姿を現す。
「失礼、突然押し掛けてすまない」
雪のように白い髪の女性が僅かに視線を下げて頭を下げる。そこまでされると追い返す気にもならず、ムネチカは確認とばかりに口を開く。
「貴公がヨミナ殿であらせられるか」
「確かに俺がヨミナだが……」
「小生は名をムネチカと申す。聖上の命で参った」
聖上、と呼ばれる人間はただ一人。この國の帝と呼ばれる義兄のことだ。それに思い当たると同時に何故か嫌な予感がして、怪訝な顔をムネチカへと向ける。
「はぁ、それで要件は?」
「聖上の命によれば帝都滞在の間、彼の御仁の警護をするようにと仰せつかっている」
「その人というのは……」
「……」
ムネチカの瞳が俺を見据える。その相手とは俺のことだろうか。何が目的で。何故ムネチカを寄越したか。想像が出来ず彼女の表情から読み解こうにも彼女の瞳には何も写ってはいなかった。ただ自分が写っているだけ、空のような瞳は確固たる意志で曇りなき空のように澄んでいて疑う余地もない。
思惑があるのは帝の方。義兄は一体何を考えているのか、彼女が知らされていないのであれば読み解けるはずもない。
「何故、俺に?」
「ヨミナ殿は聖上にとっても特別な存在故、と聞いている」
「それならばハクの方にこそ必要だと思うが?」
義兄の血縁であるハクこそ必要であろう。
「ハク殿にはオシュトル殿が付いている。基本、小生は姫殿下の衛護も任せられている故にあまり此方に顔を出すことも出来ないが、ハク殿もヨミナ殿も相当な切れ物とオシュトル殿には窺っている」
八柱将の中でもわざわざ一人しかいない女性の八柱将を回したのは、俺が獣耳好きだからであろう。考えれば他にも適任はいたはずなのだから。
「チッ、また余計なことを……」
「どうかなされたか?」
「いや、こっちの話だ」
昔からあれは自分をガキ扱いする。姉の手前もあったのだろうが、その構いぶりが昔と比べて一段と酷くなっているようだ。人類最後の三人とあらば仕方のないことなのだろうが。自分にとって人類が滅びる寸前だと言われても、気にしたことはないのでその気持ちはあまり理解出来ない。
「……あの……お茶をお持ちしました」
いつの間にか席を外していたルルティエが二人分の茶を盆に乗せて運んできた。ムネチカと俺の前に茶と茶菓子を出すと、自分の横に陣取るように座る。
「ほぅ、これは……」
菓子を口にしたムネチカの顔色が変わる。
はぐはぐと次々に菓子を口に入れていく。
どうやら相当気に入ったみたいだ。
「ふぅ……」
お茶を飲んで一息。堅苦しいイメージがあったがその内面は意外にも……と言ったら失礼かもしれないが、女の子らしく甘味が好きなのだろう。
「そのうち姫殿下の件について聖上より正式にお呼びが掛かるはず。今日のところはそれを伝えに来た」
その言葉に俺は一抹の不安を抱いた。
◇
『鎮守のムネチカ』は八柱将の紅一点。彼女の武勲は護國において他の追随を許さない実力を示しており、その手腕を買われて八柱将の地位に就いたとか。アクルカと呼ばれる仮面を賜るのは栄誉とされており、八柱将の中でも全員が持っているわけではないらしい。武勲を帝に認められた者のみが持つ証のようなものだ。
それをムネチカが賜っているというのだから、相当な実力者なのであろう。
一眼見ただけでも、オシュトル、ミカヅチ、ヴライ、ムネチカの四名だけが仮面を持っており、もしあれがハクオロのしているものと同一であるのならば……かなり危険な力だろう。
トゥスクルの敵にならないのを願うのみである。
–––まぁ、考えても仕方ないか。
あれ以降、姫殿下とムネチカはよく白楼閣に顔を出しており、その際に出る被害は酒や菓子やキウルの腹具合くらいでアンジュ姫殿下狂言誘拐事件が起こった以外は平穏そのものだ。
「ヨミナ殿、小生に何も言わずついてきて欲しい」
だが、ある日ムネチカは白楼閣から俺を連れ出す。
白楼閣を二人で出る。思えば二人きりというのも初めてだ。
「何処へ行く」
「すぐに判る」
市井を見廻るでもなく、観光目的でもなく、ムネチカはただ先導する。気がつけば大内裏の門まで潜って一般市民があまり立ち入らない場所にまで出た。
「此処だ」
大内裏の中でも一番大きな屋敷の前で止まる。
城、と言っても差し支えないほどに大きな建物だ。
「……まさか姫殿下に会いに来た、とか言うんじゃないだろうな」
此処に来てもムネチカは口を割らなかった。
城内に入ると廊下を歩いていく。やがて、荘厳で巨大な扉の前で立ち止まる。
その時点で俺の中では警鐘が鳴り響いていた。
即座に踵を返し、逆再生のように廊下を後戻りしようとすると、女性のものとは思えない力で腕を掴まれた。
「何処へ行く、ヨミナ殿」
「いや、急用を思い出した。今日はヨハネと街を回る約束でな」
きっとこの扉の向こうは謁見の間とか格式めいた壮大な場になっているのだろう。御免被る。
「帰らせてもらう」
「やはり聖上の言った通りか……!」
やはり思った通り、義兄が絡んでいるらしい。そして自分が逃げることも織り込み済みと。
「騙す形で連れて来たとはいえ、逃すわけにはいかない」
しかし、ムネチカの腕力は女性のそれとは違い一度掴んだら離さない。全力で抵抗してもびくともしない彼女にこれが八柱将の力かと納得してしまうばかりだ。
逃げるためには自分も負けてはいられず、奥の手を使う事にする。
「これならどうだ?」
「何を–––ひゃぁっ!?」
奥の手『もふもふ』である。ムネチカの尻尾を素早く握り、かつ優しく丁寧に撫で回す。するとあろうことか彼女の口から予想もできない可愛い悲鳴が上がったではないか。残念なことに腕を掴む力は抜けていないが。
「くっ、卑劣な……!だが、小生も負けるわけには……!」
「そうか。さっさと諦めればいいものを」
意地でも離さないムネチカの尻尾だけではなく、獣耳も撫で回す。声を必死に押し殺すムネチカだが小さく漏れる声には蕩けたような甘さが混じっている。プルプルと震えて身を捩らせ必死に抗う。
「ふぁ……くぅっ……!」
ムネチカが掴むのは俺の左腕。そして、俺はムネチカの尻尾を掴んでいる。まるで抱き合っているような体勢だったがムネチカの躰がビクリと跳ねて、力が抜けていくのと同時、一際大きく声を漏らすとバランスを崩して寄り掛かってくる。自然と指が解け、俺の腕から手を離した彼女は立つこともままならず、そっと床に座らせてやると悔しげに呟いた。
「小生、一生の不覚ッ……!」
「残念だったな」
頰が赤いムネチカを残して逃走した。
白楼閣へと逃げ帰ると詰所にはハクが一人、長椅子に座りだらけていた。
「おう、やっぱり逃げてきたか」
「逃げてきたって……さてはハク、知っていたな」
義兄が自分を呼んでいることも、騙すような形でムネチカが迎えに来たことも、全ては今日よりも前に計画されていた事だったのだろう。
「理由は適当にでっちあげるつもりだったんだが、前に姫さんが誘拐されたろ?その事件解決の功績を称えて褒賞を出そうって話がおまえに出てる」
「嘘っぱちもいいところじゃないか」
「理由はなんでもいいんだよ」
そして、その褒美を大々的に下賜する計画こそがムネチカが俺を呼んだ理由。無論、真相を知らされていたら白楼閣から一歩も動かなかっただろう、というのはハクの見解であり、事実である。俺も知っていれば白楼閣から出なかった。
「つーわけでだ」
ハクがそう言った瞬間、隠し棚や襖ががらりと開けられいつもの面子が姿を現す。その中にはクオン、フミルィル、ヨハネまでいた。
「帝に謁見してこい」
もはや逃げ場はない。出口という出口は塞がれジリジリと距離が詰められる。フミルィルだけが申し訳なさそうな表情で告げる。
「すみませんヨミ様、帰って来たらいっぱいもふもふしていいので……今は我慢の時です」
斯くして、俺は帝の前に連行されることになった。
一度逃げられたことにより不機嫌そうなムネチカ随伴で。
やっとアルルゥが手に入りました。