あれから、何年の時が経ったのでしょう。
ヨミナ様が私の前から消えてから、幾星霜。
私のお腹に芽吹いた命が産まれ、クオンと名付けた娘はすくすくと育ち、やがて大人になっていく。まだまだ子供っぽいけれど、元気に育ってくれて何も文句はありませんでした。私みたいに病弱じゃなく、元気に育ってくれて。それだけが唯一の懸念でしたから。
そんな娘も大きくなって、娘の成長を一緒に見守ることが出来なかったのは残念でしたが、私はそれでも貴方を待ち続けています。
–––また、いつか会えると信じて。
そう思わないと生きていけない。あの人がいない生活はとても退屈で、色褪せていて、まるで世界が私に意地悪をしているかのようにゆっくりと時は過ぎ……。
春が来て、花が咲き。
夏が来て、緑が生い茂り。
秋が来て、世界が枯れていく。
冬が来て、雪が降る。
–––貴方はいつまで待っても来ないのに。また、春が来た。
季節が過ぎて、また一年。
私は貴方を待ち続けた。
信じている。信じていた。
でも、一年が過ぎる度、季節が変わる度に、私の胸中には不安が募った。
まるで雪が積もるかのように私の心の中を不安が押し潰していく。その重さに耐え切れなくて、何度泣いてしまったことか。
そんな私を元気付けようとして、娘や兄、友達が色々としてくれたけど寂しさは増すばかりで、私の心はポッカリと穴が空いたように虚しく感じてしまう。
「ヨミナ様……貴方は何処にいるのですか……?」
トゥスクル中を探しても、彼は見つからなかった。きっと私の知る世界にはいないのだろう。このトゥスクルが私の知る世界。海に囲まれていると知ったのはつい最近の話だ。何処までも陸が続いていると思っていた私には寝耳に水で、酷く驚いたのを覚えている。同時に落胆したのも、私が知る世界はなんて狭いのだろうと。
今日も月を見上げた。私の目には映らない。だけど、喩えるなら……きっと今日の月は満月だ。私の瞳の代わりに世界を写す、綺麗なまあるいお月様。きっとお月様が私の代わりにヨミナ様を見ている。
「早くしないと……ユズハ、おばあちゃんになってしまいます」
老いてしまった私にヨミナ様は興味を示してくれるでしょうか?
不安で仕方ありません。
「……ユズハは立派な母親になれたでしょうか?」
夜風が吹く。
その気持ち良さに身を委ねている時だった。
「ユズっち!」
「起きてるー?起きてるね、よしっ!」
襖が勢い良く開けられて、私のお友達が二人入って来た。
アルちゃんとカミュちゃん、私の大切なお友達。
二人が何やら慌てた様子でがっしりと私の腕を掴んだ。
いったいこんな夜中になんだと云うのか。
紙をくしゃっと握り潰す音に、ムックルののっしりとした足音、本当に訳が判らない。
「今から、ヤマト、行く」
「急いでユズっち、レッツゴーだよ!」
「急過ぎませんか!?」
突然、突撃してくる二人には慣れたものだけど、最近は形を潜めていたはずなのに彼女達の暴走癖はまだまだ健在のようでなんだか微笑ましくなってしまう。
「まぁ、いいですけど……」
あまりトゥスクルから離れたくはないけれど、閉じ籠っていてばかりではヨミナ様を見つけられないのは事実。
「じゃあ、サクヤちゃんも拾って行こっ」
「んっ」
「でも、どうして急に……?」
そう聞くと二人は顔を見合わせた。
返答まで若干、間があって。
「ほ、ほら、お仕事だよ。大使的な」
「あと、クーもヤマトにいるって」
何故だか、二人は私に内緒で何かを企んでいるようだった。
いいでしょう。気づかないふりをしてあげます。
陸路をムックルで四日程、潮風の匂いがした。
どうやらヤマトという國は海の外にあると、二人は言う。
馬に車にと船に詰めて、船旅を始める。
私は未知の世界に少し胸が躍っていた。
この先にヨミナ様がいるかもしれない、そう思うだけで少し気分が軽くなる。
「気持ちいいですね」
「そうですね、ユズハ。クーヤ様を連れて来れないのが残念です」
甲板の上で潮風と太陽を日差しを受けながら、私は隣にいるサクヤに話し掛ける。昔は私のことを『様』付けで呼んでいたけれど、今では同じヨミナ様の妻として大の仲良しになって、こんな風に話す仲だ。
「お仕事ってなんでしょう?ユズハにもできますか?」
「だいたいお話を聞いているだけの楽な作業って聞いてますけど、きっと疲れてしまうのでユズハには合わないかもしれないです」
「お話を聞くのは得意ですよ?」
「いえ、経験上やめておいた方がいいと進言しておきます」
何故だか、頑なにサクヤは私に仕事を薦めはしなかった。
深くは聞かない。サクヤが言うから。
「ふふ、トゥスクルの……あの島の外に出るのは初めてですから楽しみです」
「宿泊先の楼閣はカルラ様がやっているらしいですから。期待していいと思いますよ」
「あれ、カルラ様は楼閣なんてやっていたんですか?」
「随分と前かららしいですよ。あの人を探す拠点に建てたらしいです。それに他にも情報収集のために色々とやっていますから、帝都で隠れ蓑にするには便利な肩書きなんだとか」
「随分とあの二人にはご迷惑を……」
「大丈夫ですよ。多分。それより、大丈夫ですか?」
波に船体が揺られ、風が帆を撫で、太陽の光が海に反射する。
そうサクヤが私に情景を教えてくれた。
想像しても、やはり想像できないというか……。
不思議な感覚だ。船に乗る、というのは。
「もう慣れました」
「さっき転けましたからね」
だって、地面が揺れるなんて思わないじゃないですか。次は大丈夫です。私はそう言い張ったが、サクヤは私の手を引くことをやめることなく先導してくれる。
「こんなにドキドキしたのは久しぶりです」
貴方に会うために私は國を出ました。
それだけで私にとっては冒険なんですよ。
船旅は一週間くらいで終了。再び陸路に戻る。遠い異國の地は匂いが新鮮で、何処か活気に溢れていて、人で溢れていた。
「此処がヤマトですか?」
「正確には帝都はまだ先ですけど。ヤマトという國は沢山の國からなっているらしいです」
「なるほど……?」
よく判らない。けれど、相槌を打っておく。
「行くよー、二人とも!」
「先を急ぐ」
カミュちゃんとアルちゃんが準備した車に乗り込み、私達は再び陸の旅を。珍しく市井を見て回らない二人に訝しげに思いながら、娘達がいるという帝都をただひたすら目指した。
やがて、潮風の匂いがしなくなり、森の中に出る。涼しげな風が車に吹き込み、カミュが呟いた。
「やっと半分。もうすぐだからね」
「随分と急ぐ旅路なんですね」
「あ、あははは、まぁね〜……」
誤魔化すようにカミュちゃんが笑う。目の見えない私だからこそ判る違和感。彼女は何かを隠している。この旅のこともそうだし、何より不自然すぎるのだ。今はまだ騙されたふりをしておくけど。
そこで私は気になっていた疑問を解消しておくことにする。
「ヤマトってどんな國なんですか?」
「ヤマト?ヤマトね〜」
うーん、と考え込んで一言。
「得体の知れない國、かなぁ?」
困ったような顔でカミュちゃんは言った。
「実はだいぶ前から接触してるんだけど、神の眠りし地に興味があるらしくて調査させてくれって煩いの。普通はオンカミヤリューである私達でさえ、入ることが難しい土地なのにね。あいつら遠慮なしに再三要求してくるんだよ。ダメって言ってるのに」
怒っているような、困っているような、そんな声で。溜息を一つ零す。
「相手は大國だし下手したら戦争になるから、対応にも気を付けてるんだけど。やっぱり他國のヒトを大事な場所に入れるのも無理だから、本当に困ってるんだよね〜」
そこまで愚痴を漏らせば、カミュちゃんの口は止まらなかった。
「帝は荒人神であるとかあっちの宗教観を押し付けてきたり、それでこっちはウィツアルネミテアを崇め奉ることを主張したら平行線だし、妙なところまで立ち入ってきて嫌になっちゃう。私達が信じている大いなる父は一人だけなのにね」
「大変なんですね」
國同士の問題はまだまだあるようで今はお互いに仲良くしていきましょうの段階らしく、ぴりぴりとした緊張感があるのだとか。それでカミュちゃんが大使として選ばれてしまったらしい。
「でも、まぁ、そんな仕事ぜーんぶ押し付けちゃうんだけどね」
カミュちゃんに代わって、いったい誰が代役をこなせるというのだろうか。
少なくとも大事な役目だからこそ、彼女に任せたはずなのに。
約一週間程の旅路。
そしてついに、私達はヤマトの中枢、帝都へ辿り着いた。
「ん。見えて来た、帝都」
御者をするアルちゃんがそう言うと簾を除けて、カミュちゃんが窓枠から身を乗り出す。
「おー、本当だ、すっごーい!」
緩やかな丘を下っていく。他にもトゥスクルから連れて来た車を引き連れ、私達は帝都へと入る大門の前に。すると異國の地の匂いが車の中に吹き荒れる。何処か知らない匂い。でも、その匂いが、人々の活気が、人々の喧騒となって溢れ。アルちゃんもカミュちゃんもサクヤも楽しげに見渡している。
「ん。いた」
それから数分、帝都の門を潜って中へ。
大通りの真ん中で、車が止まる。
いったいどうしたというのだろうか。
「うそ、どこどこっ!?」
カミュちゃんが窓枠から誰かを探す。
だいぶはしゃいでいるみたいだ。
「あ、ほんとだ」
人々の喧騒の中に何を見つけたというのか。
楽しげな生活音に耳を澄ませているとそっと風が吹いた。
また、異國の風が車内に入ってくる。
風に乗って、匂いが……。
「…………え、うそ…?」
その中に混じった匂いが鼻先を掠めた時、ふと懐かしい感覚がした。
大好きな人の匂いが紛れていた。
一瞬だけ、ヨミナ様の匂いが……した気がして。
私は思わず、車から身を乗り出した。
「ヨミナ様……近くに、いるんですか?」
問い掛けても返答は無い。
ユズハの勘違い?
でも、あの匂いは……。
「ヨミナ様!」
ユズハは今まで出したこともない大声であなたの名前を呼びました。
そこにいるんじゃないかと思って。
姿は見えないけれど、そこにいると思いたくて。
あなたがすぐに応えてくれると思って。
でも、すぐに答えは返らなくて……今すぐに探さないと見つけられない気がして、私は車を飛び出し–––。
「きゃっ!?」
気がつきました。
此処は車の上で、脚を踏み外したことに。
宙に浮いて躰が倒れ、車から転げ落ちるその刹那。
「お母様っ!?」
誰かの声が聞こえて……でも、誰だか判らなくて、そんなことを考える余裕はなくて。
思わず顔を顰めて痛みに備えようとした時、倒れる私を誰かが抱き留めた。
優しくて、懐かしい匂いがする、両腕が。
私を受け止めて、地面に下ろした。
その腕の中から私は……ユズハは離れられなかった。
より顔を埋めて、匂いを確かめる。
あなたの匂いがする。
あなたの温もりがする。
あなたの心臓の鼓動が聞こえる。
それだけで涙が溢れた。
「ヨミナ…さま…?」
私の頭を撫でる優しげな腕が、私を抱き締める。
「あぁ、此処にいる。ユズハ」
その声が私の名前を優しく鈴を転がすように呼び、ついには私の心を掴んで離さない。
聞きたかった声が此処にある。
あなたがいる。それだけで私は満足してしまった。
言いたいこと、色々とあるはずなのに。
母親として立派な姿を見せようとか、色々思っていたのに。
あなたの前ではユズハは普通の女の子です。
「……この時をどんなに待ち侘びたことか」
長かった。本当に長かった。
あなたがいない間、その時間が永遠にも感じられて。
苦しくて。辛くて。
せめてもう一度会えたら。何度、そう思ったことか。
でも、本当の私はもっと欲張りで。逢えただけでは、飽き足らず。
伝え足りない言葉を補完するように、そっと唇を重ね合わせた。
注意。ユズハさんに周りは見えておりません。
おまけ
ヤクトワルト「なぁ、ヨミナの旦那の動き見えたか?」
オウギ「全然見えませんでしたね。あれも愛がなせる技かと。ふふっ、僕もまだまだですかね」
ハク「クオンが物凄い形相で直立不動なんだが、どうしたらいい?」
フミルィル「クーちゃんは私が回収しておきますねー」