「その……大丈夫ですか? 申し訳ありません。お兄様がまたあなたに……」
薬師のエルルゥの部屋。夜も深まる頃、まだ起きていたエルルゥに治療を受けていると、ユズハは耳を垂れさせ落ち込み気味に消えそうな声で謝罪する。
治療を受ける俺の頬には小さな刀傷が出来ていた。
それは先程、オボロに付けられた刀傷だ。シスコン暴れん坊将軍は悪気はまったくなかったのだろう。
透過できたはずの剣がつけた傷は避けるに足りないものだった。が、悪寒を感じた故に咄嗟に回避行動を取った結果がこれだ。
刀の軌道は完全に当たるものでも、自分なら透過して回避するまでもない筈。それが何故か透過できないほど自分の存在はこの時代に定着しつつある。これがいったい何を意味するのかはわからないまでも、新しく知ることもあった。
「やっぱり私が恋人だなんて……」
「まぁ、そう言うな。本当は当たらない筈だったんだ。オボロもそれをわかっていたはずだ。俺も少し自分の存在を見誤っていた」
「ですが、私といるとまた……」
「オボロももう反省しているようだし、それで十分。今の俺にとってはユズハがいなくなることの方が大問題だ」
願うならもう斬りかかるのをやめて欲しい。
きっと、それは叶うだろう。
今度こそシスコンお兄ちゃんは自粛する。せざるを得ない。我ながらくさいセリフを吐いたものだなと、過去の自分を省みながらそんなことを考えて、やはり昔を知る姉が見たら笑うだろう。
「でも、本当にいたんですね。なんで今まで姿を見せなかったんですか?」
治療の最中、エルルゥが質問をする。
とても珍しい服装に興味があるようで、白衣やパーカーを見て興味深そうに観察している。
「姿を表せなかったんだ。初めて俺を見れたのはユズハだから特に理由は考えなかったが、ある条件が揃うと見えるようになるらしい。まぁ、今では見えない人間が逆にいないが」
満月が関係しているだとか。
敵がいると認識することが条件とか。
どれもユズハには当てはまらない。
ユズハには見えないなりに、逆に見えないものが見えたのだろう。
ほんの些細なことでそうなる人間も昔はいた実例がある以上、驚く事は無かったが。
ユズハに見えたことで、そこから認識されるようになったと考えれば自然と納得できてしまう。今はそれでいいとさえ思えれば、悩むことでもない。
「はい、終わりです」
「あぁ、ありがとう。ところで、その髪飾り……しばらくの間、貸してくれないだろうか?」
「この髪飾りですか? 別にいいですけど……何に使うんですか?」
「そのうち話す。ちゃんと目処が立てばだが」
エルルゥから白輪を受け取る。
マスターキーと呼ばれる、古代の宝箱を開ける世界に幾つもない鍵を。
私達からミコトへ。
ミコトから次の世代へ。
託され続けた鍵は巡り巡って戻ってきた。
実験体の全てのデータへと繋がる、または施設を開くための重要なキー。それは生前自分が心血を注いだ過去と向き合うための扉でもある。
□■□
それから間もなく。オボロは斬りかかることはなくなったが、手合わせを申し出てきた。正式な試合ならと繰り返す日々、過去自分と渡り合える人間がいなかった為、とても有意義だと実感する。
察して、オボロは品定めをしているようにも見える。ユズハに相応しいかどうか。シスコンをやめる気は毛頭ないらしい。
ユズハの守護霊が定着しつつある頃、事件は起こる。
彼女が眠る頃、外の探索の帰り。
庭になる桜の木を寝床としていた俺は目を閉じる。と、何やら忍び足で気配が近寄って来る。
敵か、味方か、思考を別のところに寄せていた自分は反応が遅れてしまう。気がつけばカルラに馬乗りになられていた。
「……やぁ、こんばんは」
「毎晩毎晩、ご苦労さまね。ユズハが寝てからあなたがどこにいるのかと思ったけど、こんなところにいたなんて。それでどこにいらしてたの?」
「半分実態がない俺は睡眠を取らなくてもいいようでな。習慣的な癖があるから一応は寝るが、前からしたいと思っていた世界巡りだよ。古代の遺産は随分と好き放題できてね、うるさい上司もいないし願ったり叶ったりさ」
「なら、いい場所がありますわよ。お願いを聞いてくれるんでしたら、いいことして差し上げますわ」
「……ははは。断る」
「あら、残念」
了承したらオボロに斬られかねない。
今度こそ、どざえもん必至だ。
この日、カルラはのらりくらりと帰っていった。
好きだとか、嫌いだとか、感情的なものは彼女の中には絡んでいない。あるのは興味らしい。
いや、感情的になっているのは弟のためなのかもしれないと、最近の噂を聞いて思う。
ナトゥンクと呼ばれる國。そこでは奴隷解放の為に戦う戦士がいるのだとか。カルラゥアツゥレイ。きっと彼女に関係する言葉なのだろう。
手を貸してやろうか。
しかし、それはいいのか……。
この時はまだ、思い悩んでいた。
翌日の夜、ユズハと別れて桜の木で寝る。
夢の世界へと旅立つその感覚は、まるで自分の存在が消え行くような感覚で、世界に溶けてしまいそうなほど脆い身体が揺れる。存在が揺らぐ。
いい感じの眠気に誘われ、目を瞑っていた。
……。そして、眠るのと似たような行為に身を落としていた時だろうか。目を覚ますと、自分の身体は縄についていた。
「……おはよう、カルラ」
「あら、もう目覚めましたの」
自分を縛った犯人だろうカルラは悪びれもなくそう言って縄についた自分を運ぶ。軽々と運ぶのは自分が幽霊だからかとか生半可な理由ではないだろう。それより、この状況について説明願いたい。
「……どういった状態だ?」
「ふふ、時が来たらわかりますわ」
カルラはいつになく真剣な様子で、酒の香りが何処か薄く飲んでいないようだった。
廊下を突き抜けて、見慣れた部屋を通り過ぎる。しかし、通り過ぎるより先に見慣れた部屋の扉が開き、大きな獣がのっそりと顔を出した。
「準備できました。おはようございます、ヨミナ様」
「あぁ、おはよう」
おかしい。
さっき、寝たはずのユズハがムックルに乗っている。後ろにはアルルゥも一緒だ。カミュも。
奇妙な対面に首を傾げると、ユズハは当然のようにカルラに進言する。
「それではヨミナ様をこちらへ」
「そうですわね」
「ちょっと待て、ユズハもグルか?」
カルラからユズハへと手渡される。
ムックルに騎乗すると、ユズハは首を傾げ、
「何言ってるんですか。カルラさんが私達のために新婚旅行を用意してくれたようで、もしかしてその話はまだ聞いていなかったり……」
背中にくっついてくる。
「うぐっ。そうだな、そうだったな」
「今ならお兄様もいませんから」
……よし、行こう!
嬉しそうなユズハを見ていると、拒否できない自分がいた。昔と同じく、今の自分はどうも女という生き物に弱いらしい。
庭へと出る。オボロは追ってこないようだ。仮にカルラの狂言が本当だとしても、やはり思う。
新婚旅行とは――、大人数で行くものじゃないはずだと。
庭先には俺よりも酷い格好のハクオロが布団の上から縄に巻かれて捕らえられている。ウルトリィはさも当然のように居座って、トウカは主が縛られているのに対して気にもしていないようだ。エルルゥは大荷物でその殆どが薬剤なのだろう。
「……その、なんだ。互いに大変だな」
「そう思うなら仲間の暴挙を止めろ」
これは皇の管理責任である。
朝日はまだ昇らない。
太陽が折り返す頃には、ナトゥンクの領へと荷車にて侵入は果たしていた。
ユズハはアルルゥ、カミュと楽しそうに談笑している。最中に俺は澄ました顔のウルトリィへと声をかける。
「少しいいか?」
「ふふっ、いずれあなたなら声を掛けてくると思っていました」
まさか、だから声を掛けてこなかったのかと内心してやられたことに頭を掻いて誤魔化す。
そんな自分のプライドとかよりも、とても重要な話なのだ。
「それなら、俺が何を探しているのかも要件もだいたいわかっていると考えていいんだな」
「いえ、さすがにそこまでは……でも、あなたの要望の殆どは私達に叶えられるものだと、思いたいです」
なら、単刀直入に聞こう。
過去の地図とは違うこの世界。
自分ひとりでは絶対に調べ尽くせない、この広大な大地の情報。
「オンヴィタイカヤンが使用していた遺跡の場所を知っている限り全て、情報の開示を要求する」
「……一応、あなたが使用していた可能性のある施設に絞り込みますか?」
「そんなこともわかっているのか?」
「ええ。大切な愛しき人間の情報は、先祖から大事に伝承として遺されていますから。まぁ、たったそれだけで殆ど何も知らないのが事実ですが」
「それでも十分だ。ありがとう」
ウルトリィは世界の縮図を広げて、ひとつひとつ大体の位置に印をつけていく。出来上がった遺跡の場所を見てみると、なるほど効率が悪いわけだ。自分は昔から研究室を作る位置は大抵、獣人の実験施設とそこから離れた隠れ家と決まってはいるが……地図にしてみればバラバラ過ぎた。
その殆どを姉や姪に知られているものだから、勝手に入られると困る場会もある。認証登録も義兄が勝手にやらかしているから防ぎようすらなかった。許すまじ義兄、ハックやクラックは犯罪だぞ。身内だからって赦されると思うなよ。特にあんな本やこんな本が見つかった時はマジで焦った–––と、冗談はそのくらいに、大まかな古代遺跡の分布をウルトリィから受け取ると立ち上がり馬車を飛び降りようとする。ちょっとストーカーレベルでこれ全てが自分の施設だとしたらとても怖いが。
「待て、ヨミナ殿。どこへ行かれる?」
「せっかくここまで来たんだ。俺は少し用があってな、席を外す」
「肝心の場所も告げなければ落ち合うこともできぬだろう。それに、ユズハ殿を置いて行く気か?」
まったくの正論だが、果たして連れて行っても良いものだろうか。
ナトゥンクというこの國では奴隷狩り、つまりどんな人も狩って奴隷にしてしまう危険な國らしい。そんな國でユズハを連れ歩くよりは、ハクオロ達に任せた方が無難であると判断していた。
「危険だ。おまえたちといる方が安全だ」
「それは、今から行かなければいけない場所なのか?」
「時間は有限だ。近くまで来たうちにやっておきたい」
「……」
言うべきか悩んでいるのかハクオロは目を瞑る。しかし、その言葉を代わりに言ったのはエルルゥだった。
「ユズハさんといる時間よりも大事ですか?」
きっと薬師であるエルルゥは気づいているのだろう。ユズハの時間は今のままでは長くないと、だからその時間を削ってまでやらなければいけないことなのかと問うている。
誰もが静かに見守った。ユズハはこちらを不安げに見上げている。
お互いにいつまで一緒でいられるか、彼女は俺に時間を大切にして欲しいと願うだろう。そんな娘だから好きになったのだと俺は心の中で呟く。口には出さない。そして、いや……そろそろ自分だけでは限界だ。迫る時間があり、人手が足らないことは重々と承知している。
「そんなわけがないだろう」
誰かに本心を話すのは初めてかもしれない。姉にも本気で向き合ったことはない。だが、過去の楔が、ミコトと似たその顔が俺に動揺を生んでしまったのだ。
「……俺が今、大切にしているのはユズハだ。それ以上に大切なものはない」
「だったら、どうして……」
「だから、彼女の病気を治すために俺は探しているんだ。俺がかつて使用していた獣人専用の医療用機材を備えた研究施設を」
誰もが死んでいく実験体の死の真相を突き止めたが、治療ではなく改善を選んできた。不良品は要らないとばかりに切り捨ててきた。それを救うために創り上げた、医療調整用マシン。世界でも3機しかないそれを俺はたった一人で心血を注いで創り上げたのだ。
「えっと…もっとわかりやすくお願いできますか?」
この時代の人間には理解できない単語が並んだことで薬師であるエルルゥですら把握できなかったようだ。当の本人であるユズハもキョトンとして見上げてくる。
「だから、ユズハの病気を治すために俺が昔作った薬を探してるんだよ。それさえあればユズハはもっと生きられる。身体が弱いのも少しは改善されるんだ」
「紫琥珀以外にそんなものが? おばあちゃんでもそんなもの……」
「知らなくて当然だ。薬師では辿り着けない。古代技術だからな。おまえたちの先祖を創造したのは紛れもない科学者達、俺はそこに後から配属された形になる」
もっともその職場を勧めてくれたのが姉だ。俺の趣味を理解した故の誘導、確かに一番性に合う仕事だった。同時に俺は現実を叩きつけられ、扱いの酷さに静かに怒り狂った。そこから俺は偏屈で狂気とされ、異常者であると判断され軽蔑され続けてきたわけだが。誰もが俺を異端としたのだ。
「伝承通り、ですわね」
俄かには信じ難い話、皆が固まってこちらを見てくる。
そんな中、アルルゥだけが近づいてきて手を握った。
「ヨミニィすごい」
何を言うかと思えば、罵倒でも叱責でもなく賛辞だった。
「ユズっちを元気にできるのは、ヨミニィだけ。ヨミニィにしかできない。運命」
「運命か……」
もし俺がここにいるのがユズハを救うためだとしたら。
それはとても嬉しいことだ。生涯、ここまで満たされた時間はない。出会ってからの時間が全てこのためだったとしても俺は全てを受け入れるだろう。
しかし、それとは別に。
運命とは、時に残酷性を持って同時に現れる。
成すべきことは、他にも存在する。
「運命じゃなくても、俺はそうしただろうな」
アルルゥの頭を撫でる。ハクオロと瞳が交差する。一瞬の出来事に、俺の瞳の意思に何を思ったのか目を瞑りフッと笑うと彼は父のような言葉を吐く。
「まったくそれをオボロに言えば少しは認められるというのに……」
「もしこれで救えなかったら後が怖えんだ。あいつに摑みかかられて切り刻まれるなんて嫌だぞ」
「尤もそんなつもりもないだろう?」
わかったような口を聞くハクオロに少し緊張が解れる。いったいそのカリスマ性はどこから湧き出てくるのか、最初の頃の人格は何処へやら昔とは違うその姿に面影を重ねる。
荷台から飛び降りようと背を向けると、服の裾を掴まれる。
振り返ると隣にいたユズハが俺の服の裾を握っていた。
「私も行きます」
「ユズっちが行くなら私も」
わがままが飛んできた。
逸早く反応したのは、アルルゥの姉のエルルゥだ。
「こ、こらアルルゥ」
「そうだ。危険だからできればこのままハクオロ達と共に」
「嫌です」
断固として拒否したのはユズハだ。続いてアルルゥも物申すと言いたげに「いや」と一言で拒否を露わにする。ユズハは服の袖を離すと今度は手を握ってくる。逃げる暇すらなかった。いや、それよりも逃れるという選択肢が自分にはなかったのだろう。握り合わせた手のひらから頑なな意思が伝わってくる。
「私はヨミナ様の全てが知りたいです。どんな苦難も一緒に乗り越えたいです。ダメ、ですか……?」
反則級の上目遣い。瞼を閉じているが悲しそうな雰囲気が漂ってくる。哀愁が漂い心臓を鷲掴み離さない、芯の強さが彼女からは伝わってきた。絶対に手放したくない。そう言ってるような気がした。
「わがままを言ってはダメだとわかっていますし、足手纏いだというのもわかっています。ごめんなさい」
嫌われると思ったのか、手の力が弱くなる。その手を強く握り返す。その次は考えていない、ただの反射だ。手を離したくないのはこちらも同じらしい。
「わかった。だけど、約束だ。絶対に傍を離れないでくれ」
「はい!」
途端に元気のいい返事をする。相変わらず女に弱いダメな人間だ。まぁ、こうなったのも姉の教育の賜物だとしておこう。
「アルルゥを頼む」
「ハクオロさん!」
咎めるような口調でハクオロに詰め寄るエルルゥ。それを尻目にこっそりと抜け出そうと小さな声でカミュがこちらへと寄ってくる。
「わ、わたしも〜」
「行って来なさいカミュ」
「やった」
「カミュをよろしくお願いしますね」
それでいいのか? 許可をあっさりと出したウルトリィに俺は心の底で嘆きながら、もうどうにでもなれと旅支度を整える。
そうして愉快なピクニックが始まったのだ。
芋づる式ハーレム(惚れてるとは言ってない)