● 久方ぶりの夜
全身を圧迫されそうな暗闇に、オレは一瞬、睡眠時間を見失った。
瞼を開いたのか閉じたのか分からず、伸ばした指先で瞼をぐいっと抑え、グリンとねじれる色に視力が戻ってることを認識する。
いつもの暗闇。かすかに漏れ入ってくる火の光、一年近く使っていた汚いベッドの堅さが背中に――
「あれ?」
「お、時間通りだな」
――背中の感触に違和感を覚え、身体を起こすと、闇の向こうから誰かの声がした。
いや、暗闇じゃない。そこにはちらちらと揺れる赤い炎があり、その手前に大きな背中が見える。
「ああ、マーキか……」
そうだ、ここは水没林、その“エリア2”から少し外れた人工建築物の中だ。
「オレ以外に誰がいるんだよ」
壁の亀裂のそばで、ぶっとい腕が小さく振るわれた。苦笑されたらしい。
「お前と……ガノス希少種、だろ?」
ああ、そうだったな。
内壁にそって奥の方に目を向けると、ぐるる、ぐきゅるるる、と喉を鳴らす音が聞こえてくる。オレたちをここまで導いてくれた、“翡水竜”ガノトトス希少種。
そいつは落ち着いていた。水を瞬時に沸騰させる高温の油は、今はわずかな水蒸気を発するにとどまっている。流石に二〇メートルほどの奥行きしかないこの空間で、あの熱水を生み出す温度をやられたら、オレたちは一瞬で骨まで溶けて死ぬに違いない。
「まだ降ってるか? 雨」
「ああ。顔でも洗ってきたらどうだ?」
軽く伸びをして、布団代わりの薄っぺらいテント布から身を起こす。
枕元の片手剣と小盾をレザー装備の背中に納めて、見えるか見えないか分からないがマーキに『移動する』と手信号を見せ、外壁の亀裂を抜けて外に出た。
「ヒュウ!」
ついマーキを真似るように口を鳴らし、身体を撫でた風を見送る。
ここは“エリア2”の南東に位置する、巨大なピラミッドだ。階段状に石を組んで作られた古代の遺跡であり、その高さは一五〇メートル以上ある。基部は発見当初からの破壊や、“モンスター”と“ハンター”の戦いの破壊などの理由で大きく壊れており、のたうつ太い木の幹や根が封印するように複雑に入り組んでいて、気軽に近寄れるポイントじゃない。
水没林には他にもこの手の遺跡が点在していて、年がら年中何らかの調査団護衛クエストが発注されることがある。
オレが立っているのはその中腹、内部の空間に繋がる五メートルばかりの亀裂の前だ。外壁にそって右側の方へ進むと、オレたちがよじ登ってきた木の幹が、エリアの東側を回り込むように這っているんだが、今そこまで行く必要はない。
亀裂の淵に手を伸ばして、流れてくる雨水をすくい、顔を洗う。岩と苔を経た雨水の匂いを嗅ぎ、雨の混じった空気を吸い込み、吐き出す。
次いで、目を閉じて空を見上げて小さな水滴を得る。点々と顔にかかる水は昼よりも少なく、周囲を埋め尽くすさらさらと様々なものを打ち鳴らす音も静かだった。
目を開けると、色あせたカーペットのように淡い黄色に染められた雲のお尻が見えた。星も月も曇天の向こう側だが、光はその強い刺激をたっぷりの雨滴で和らげ、ほんのかすかな濃淡だけで世界を見せていた。
この色も、今日の目まぐるしい展開の中で見てきたどんな光景とも違う。
暗いけど、ただただ落ちてくるような闇じゃない、黒とも青とも言えない色に、月と星と雲を混ぜた色が流れる、夜の色。
この色も――オレのものになるんだろうか。
ふと、いつか考えた思考の断片が蘇り、一瞬で溶けていった。