ガノス希少種は、ロアルドロス亜種を食べ終えると、身体の熱を落ち着かせ、“エリア4”から南――つまり自分がやってきた“エリア2”へと引き返していった。“エリア2”には数メートル単位の水たまりがなく、水棲系“モンスター”の多くは寄りつかないところだったが、元々水に浸かれないガノス希少種には関係ないようだった。
オレたちは煮沸消毒されたロアルの肉を剥ぎ取り用ナイフで回収し、ガノスの後を追い、しかし“エリア2”に到達してからは大いに翻弄された。深い水のない広い場所だからか、ガノスは奔放に無節操に縦横無尽に走り回り、あげく跳躍を繰り返してエリアの外へと出て行ってしまったからだ。
そして周囲に気を配りながらも追いかけた先で見つけたのが、ガノスが根城にしていたらしき、このピラミッドの内部だったのだ。
そこは一定間隔で柱が並ぶ、幅一五メートルの通路だが、二〇メートルほど進んだ先で崩れているので、もう部屋といった方が近いだろう。さらに入り口となる亀裂の高さが低いために、それこそ一部の中型“モンスター”でさえ入れないここは、護衛対象が入り込む場所としてはおあつらえ向きだった。
まあオレたちの目的に関係なく、こいつは自分の身を護るために根城を見つけたんだろうけど。
そして、すっかり眠りに落ちたガノスを見ながら話し合い、『今から他の“モンスター”を探しに出向くくらいなら、当番制で見張りをしながら時間を消化しよう』と結論を出したのだった。
できるなら、ずっとここにいてくれると楽なんだけどな。
「レイアもラギアも、まだ遠くにいるな」
「なんのことだ?」
後ろから話しかけられて、でも、オレはそれを気配で感じていたから、驚きはしなかった。
“水竜”の鱗で覆われた大きな腹を揺らせて、マーキがピラミッドの外に出てきた。分厚い筋肉を含む超重量の身体が、吹き抜ける風を気にせず、どっしりとその居場所を得た。
「ペイントの匂いだよ、まだするだろ?」
「ん……そういえば」
吸い込んだ空気を注意深く嗅ぐと、言われてみればレベルでペイントボールの匂いが漂っているようだ。思わず手の匂いを嗅いでみたけど、武器と汗と水たまりと雨でこすれて、果実の独特な匂いはもうしない。
「……って、なんでまだ匂うんだ? ペイントの効果時間って四時間だろ? もう六時間くらい経ってるじゃん」
月も星もないけど、腹時計で時間は大体分かる。今はマーキと見張りを交代する二一時の、一五分くらい前。ペッコと戦ったのが一五時半頃だから、五時間は確実に経ってるはずだ。
「四時間はギルドが言ってるだけだろ。効果自体はその倍は持つぞ」
ギルドが言ってる?
……ああ、要するに保証時間か? ペイントボールの効果は四時間までは確実にもつけど、それ以降はその匂いを基に狩りをして失敗しても自己責任だよ、ってこと?
「“プロハン”――プロの“ハンター”は四時間しか信用しない、ってこった。オレは雑兵だからな」
「マーキが雑兵なら、オレはなんなんだよ」
「レシオは見習い以前、だろ? ああ、そうそう、で、どうだったよ。初めてのクエストの感想は」
「そうだなあ……ずっとソロだったから、二人ってのは新鮮で――」
えっ?
「――なんだって? 初めての、えっ?」
「初めてだったんだろ?」
「なにが」
「クエスト受注したのがだよ」
「バッカお前!」
オレは言葉を喉に詰まらせ、何度か咳き込んだ。
それをニヤニヤ見ているマーキは、もっさりしたヒゲに手を突っ込んでいる。
「正直だな」
「うるせえ!」
「いいじゃねえか。ほら、騒ぐとあいつが起きるぜ」
それは面倒だ。
「って、いいのかよ、ガノス放っておいて」
「起きたらすぐ分かるだろ。熱で」
そりゃそうか、だけど……。
「……てか、なんで分かったよ」
「分かったって、なにが? レシオが“ハンター”じゃないってことがか?」
明言されて、オレは赤面せざるを得ず、それがマーキの笑みを更に深くさせるをことに気付いて、オレは顔を背けた。
マーキの言うとおり、オレ――レシオ・プシオスは“ハンター”じゃない。それは事実だ。でも今までずっとそれを隠してきたし、失敗はあったたにせよ、ロアルともちゃんと戦ってきたはずだ。はずだろ?
「毒にやられたことない“ハンター”がいるかよ」
「それは……ああ」
オレの内省は一瞬で否定された。
まあ噂によれば、“ハンター”は見習いの段階で一通りの毒を体験し、その脅威や対処法を叩き込まれるんだという。もちろん弱い毒性から身体を慣らしていくのだから、ちゃんと活動してる“ハンター”ならロアルの毒一発で狼狽えることはないし、ましてぶっ倒れるわけがない。
「ま、そんだけじゃないけどな」
「まだなんかあるのかよ!」
「別にいいだろ、お前が納得できる狩りができてりゃ。次も期待してるぜ」
「あ、ちょ、ちょっと待てよ!」
その発言に、オレは思わ声を上げた。
亀裂へと入ろうとしたマーキは、オレの語調の変化に、振り返って首を傾げている。
「なあ、さっき、どうしてオレに、その……礼を言った?」
「礼? オレが? いつ」
「だからほら、狩りが終わった時にだよ。『グッジョブ』って」
「ああ!」
素で心当たりがなかったようで、オレはまたも赤面する羽目になる。
「なんでオレを労うことなんてあったんだよ。あんな、失敗ばっかの狩りでよ」
これまで労いの言葉なんて、もらったことがないように思う。
形だけならったかもしれないけど、でも、誰も本心じゃなかった。
だから落ち着かないんだ。
オレはどうして労われた?
どこが認められたんだ?
「そりゃ失敗ばっかだったけどな。色々助けられられたろ?」
「いや、だからそんなの失敗で相殺されちまうだろ?」
そして、失敗の方が多くなれば、罰。
それがルールだろ?
「相殺? なんで」
期待したような深い答えなんてなかった。
「てかどんな狩りでも精一杯やったんなら、労うのは当たり前だろ? 普通の“ハンター”なら」
「そう……なのか?」
呆然としたオレを見て、マーキは勘違いしたようで、口元で小さく笑った。
「まだまだあるぜ、お前が“ハンター”じゃないってバレバレの証拠はよ」
「な、なんだよ、まだなんかあるのかよ」
小声で言うと、マーキは自分の背中を一度叩いてみせる。
「その武器だよ」
……そうだ、こいつ飛行船で、オレの『レムオルニスナイフ』を密造品って言ってたよな!
「そうだよ、それもなんなんだよ! 教えろよ!」
「いやだね」
灯台牢でオレの提案を蹴った時と同じ口調で、マーキは暗闇の中に消えて行き、渋々オレもその後をついていく。
五分ばかり歩いて通路に戻ると、心配するまでもなく、ガノスは相変わらず大人しいいびきを立てていた。
一〇メートルばかりの胴体を丸め、石畳に寝転がったガノスは、ヒレがすべて寝ていることも相まって、ドーナツのようだ。
オレは火を付けたたいまつを片手に、そのそばに近付いて、そっと観察してみる。
鱗は一枚一枚が鍛鉄された刀のように鈍く光っていて、やはり生き物の質感とはとても思えない。触れると、波打つように煌めく油が指につくが、料理で使うそれとは全然違う、ねっちょりした油だ。もう“脂”と言っても遜色ない粘性だろう、まるで宝石のように、指の間で球体を作りすらしている。
そう、宝石だ。
“翡水竜:ヒスイリュウ”とは、“翡翠”と“水竜”をかけた異名だ。“翡翠”という宝石は通常、深緑色と思われているが、含まれる不純物によって様々な色を帯びる性質を持つ。ハンターズギルドはガノス希少種の虹色に光る外見を、“翡翠”に見たてて命名したんだろう。
つまり、ギルドはこの希少種の性質をある程度把握した上で、オレたちに情報を連携せずクエストを発注したってことになる。あそこのやり方は噂通りってわけだ。
「おい、火を近付けすぎるなよ」
「おっと……」
その言葉に、オレは慌てて身を引いた。
「どんな性質なのか分からんけど、燃えないとは限らんからな」
「だな。こんなところでクエスト失敗なんて、シャレにならん」
「初めてのクエストが、な?」
「うるさいな」
軽く舌打ちをして、オレはそこを離れる。
「そうだよ、それで、この片手剣がなんだってんだよ」
「レシオ、お前“ハンター”になる気なのか?」
オレの質問を完全に無視した問いかけに、オレは一瞬面食らう。
「いや、うーん。オレもまっとうな仕事に就きたいと思ってたけど、なあ」
この戦いを一生続けろ、って言われたら、オレにできるかどうかは分からない。
さっきの戦いやその後の指摘で痛感したけど、なにしろオレには知識がない。
このクエストの前に狩ってた“モンスター”なんて僅か一種で、経験もない。
なにしろ“モンスターハンター”になるためには、一〇代の頃から見習いとして下積みをして、師匠の下で何年も研鑽しなきゃいけないって言うじゃないか。それを、二〇歳のオレがやれると思うのか?
「今更難しいだろ?」
だから正直にそう言った。
「そんなことねえよ。でもなるつもりなら、盾は右手で使え」
「は?」
オレはたいまつを握る自分の右手を見る。
そう言えば、オレは小盾を左手に、片手剣を右手に構えてるな。
対してマーキは、大盾を右手に、ランスを左手に構えてたっけ。
「あれ、マーキって左利きじゃねえの? だからランスを左手に持ってたんじゃ」
「“ハンター”は盾を右手で持つ。利き手に関係なくだ。お前、“ハンター”見習いの訓練、見たことねえのか?」
「んん……どうだっけな、ちょっと待て――」
と、マーキは溜息をついてオレの胸をこづいた。
「――思い出そうとするな。もっと周りを見ろ」
「えっ?」
「記憶なんて簡単に変わっちまう。色も、言葉も。今を見ろ」
なにが……だ?
なにを言われたのか分からない。
武器のことか? 利き手のこと? それとも密造のこと?
ん、色?
「もしかして、ロアルの毒のことか?」
思い返してみると、ロアルの身体から漏れる液体は、淡い紫色のものと、赤紫色のものがあった。前者は、水たまりを染めたり、海綿体から吹き出してオレの身体を濡らしたりしたが、無害だった。対して後者は、口から吐く唾液、同じ色の鋭い爪の軌跡、海綿体の奥の奥から吹き出してオレを毒に陥らせた出血――つまり、有害だった。
そのことか?
あの時マーキは『よく見ろ』と言った。
その色の差を見ろと、そう言ってたのか?
「別になにかのことじゃない」
マーキは、オレの考えを肯定すると同時に、オレの発言を否定した。
「なんでもだ。記憶するな。思い出すな。推測するな。オレたち“ハンター”が信じていいのは――」
たいまつの炎で、長いヒゲが動くのが見える。
ヒゲをかいていた指が伸び、オレの目の前にかざされる。
「――この目が見る今だけだ」
マーキはオレの目を見つめたまま、ゆっくりと指先を離していく。
「どこで磨いたのか分からんけど、レシオ、お前の腕は確かだ。“ハンター”じゃなくたって生きてく道はあるさ」
離れた場所のたいまつを拾い上げ、炎を揺らめかせる。
「でも“ハンター”になって、“モンスターハンター”になるなら話は別だ」
亀裂から少し離れたテント布の方に、炎が動いていく。
「今にフォーカスできるヤツだけが、あいつらを越えられる。でも一瞬でも過去を振り向いてみろ――」
たいまつの蓋が閉じられたか炎が消え、オレの手元の炎だけが取り残される。
「――食われるぜ」