“エリア7”に、桜の花が蘇った。
いや、違う。これは炎、ただの炎だ。
だけど雨に散らされる桜の花びらと違って、ガスの燃焼で終わるいつものブレスと違って、火が消える気配はない。
ガノスの油のせいだ。水玉を覆っていた虹色の油が川の水や土に広がったおかげで、燃焼の時間を大幅に広げているんだ。
これを狙ってたのか? レイアは。
ガノスが我慢できず高温の油を飛び散らせるのを、それに自分が火を付けるのを。
「マーキ……マーキ!」
オレは走り出していた。
あいつ、これを予想してなかったのか!?
レイアに爆炎を吐き出させないってことは、あいつがはき続けるガスが消費されないってことだ。いくら比重が低いからと言って、ガスはたった数秒で綺麗に飛び散るわけじゃない。
だからよく考えれば、『レイアにブレスを噴かせない』作戦は、そのガスを嫌うガノスがいる時点でいつかはぶち壊されるんじゃなかったのか!?
“凄腕ハンター”なら、それくらい分かってたんじゃないのか!?
「レシオくるな!」
マーキが叫んだが、オレはとまらなかった。
さっきまで考えていた“信用”なんて単語は頭から消し飛んでいた。
マーキは明らかにピンチだ。
無傷ですごしてきたこの二四時間で初めて傷を――それもきっと重傷を負っている。
オレはそのピンチを救わなきゃいけないだろ!
それだけの気持ちで、崖の淵に立つマーキに走り――
――そういえば、レイアはどこだ?
考える瞬間、その一〇メートル近くの長さの尻尾が、視界の右後方に見えた。
“サマーソルト”。
その単語を思い浮かべると同時に左腕の小盾を向け、ガードの姿勢を取る。
モーニングスターのような、大きな棘の並ぶ少しだけ膨らんだ尻尾の先端が、中空に静止したレイアを軸に振り下ろされる。
レイアの位置は高い。体内のガスと、炎が生み出す上昇気流で、高度を稼いでいる。
だからこそできる、尻尾を十分に伸ばしての後方一回転。
尻尾の軌跡は完璧にオレを捉えていた。
「うおおお!!」
尻尾の棘を受けた小盾の突起が弾け飛び、踵は油と炎にまみれた土の上をガリガリとこすり、耐えきれずに転倒した。
実質全ての衝撃を受け止めた胸がずきりと痛み、歯を食い縛って立ち上がり――がちゃがちゃん、と何かが転がる音を聞いた。
固定具をオレの左腕に残して、小盾が四つに砕けた。
一回転したレイアが、ぶらんと下げた尻尾を再度水平に持ち上げる。二回目のサマーソルトがくる。
言葉もなく、死を覚悟した。
棘は触れただけでこの革の防具を引き裂き、オレの肉をえぐり取るだろう。万一致命傷にならずとも、棘の毒がオレに行動不能の痛みを与えるだろう。
やっぱオレ、“ハンター”にはなれなかったか。
マーキ、あとは頼む!
せめて瞼は閉じず、スローモーションの世界で少しずつ近付いてくる尻尾を睨み――
――瞬間、オレの視界いっぱいになにかが飛んできた。
ヒレを組み合わせたような――大盾?
『アクアンスピア』の大盾、マーキの武具だ。
オレは咄嗟にあいている右腕を突き出し、固定具が前腕に通し――
「ごっはッ!」
――大盾がオレの身体めがけて激突した。
もちろん違う、振り下ろされた尻尾が、大盾ごとオレを弾き飛ばしたのだ。
ほとんどスタミナの切れた身体じゃ、腰を入れて構える“ガード”と同じとはいかない。そして使い慣れた小盾でも左腕でもない。
オレは紙細工の人形のように宙を舞、土の上を転がり――崖を転がり出た。
「おわあっ!」
崖の下は、両脇を流れ落ちる川の水が貯まる、深さ五〇メートルはある“水たまり”で、そこまでの高さは一〇〇メートル近く。
飛び込めない高さじゃないけど、今ここで落ちるわけにはいかない!
革の手袋ごしに指先に力を込め、土に一〇本の線を描いて、何とかとまる。
「おい、マーキ!」
マーキはどうしたんだ?
大丈夫なのか?
最後の状況はどうだった?
レイアは?
ガノスは?
なんとか崖の上まで身体を引っ張り上げたオレの前に、ガノスの鱗に包まれた小さななにかが落ちた。
「マーキ」
叫び声は出なかった。
息が吸えていなかった。
熱気のせいでも、三度目のサマーソルトを終えたレイアの降り立つ衝撃のせいでもない。
「マーキ」
マーキは、身体から白い煙と黒い煙を上げ、左腕を上腕の途中から失い、立っている。
ただ、立っている。
怒りに炎を迸らせたレイアが、地面に一度足の爪をこすりつける。
「レシオ!」
マーキが叫んだ。
「オレの言葉は忘れろ! もう一度見出せ! お前が!」
渾身の力で踏み込んだレイアが、桜色の“陸の女王”が、まっすぐマーキを狙い、マーキは右腕でヒゲをじょりとかき――
――その背中から、授乳器が飛び出した。
息が止まる。
割れた鱗が飛び散り、噴き出す血が雨に混じり、ちぎれたヒゲが、満開の桜のような揺れる炎を背景に、風に散っていく。
「ヒュウ……! オレの勝ちだぜ、レイア」
ぽつり、と呟く声に重なるように、爆発音、そして黒煙。
爆圧と衝撃が、崖から乗り上げていたオレの上半身を叩き、バランスを失い――
「マアァァキィ!」
――オレの叫びは重力に引っ張られ、流れる滝の音にかき消され、たぶん、あいつの耳には届かなかっただろう。