● 久方ぶりの……
風と波が岩をなでる騒がしくも穏やかな音が、遠くの方から聞こえる。
短い髪の毛が風に煽られ、三箇月前に切られてから伸びっぱなしだった髪とヒゲはどうした? と不思議に思う。
そんな思考を吹き飛ばすように、二度の汽笛が腹に響いた。音には聞き覚えがあった。オレが港町タンジアに密航した際に乗った商船と、同じタイプの汽笛だ。
ただ、妙に音が遠い。というか、背後から聞こえるように思える。
ゆっくりと瞼を開け――
――視界の左側を占める巨大な岩の塔と、右側を占めるわずかに青みがかった漆黒に、胃が引っ繰り返りそうになった。
一年と三箇月ぶりの……これはなんだろう。
海に立った塔を上から見下ろし、これから落ちていくような気もする。
空まで届くハシゴを、あの世の果てまで登るところのような気もする。
少なくとも、一年間以上オレを覆っていた黒い闇と狭い壁と低い天井じゃない。
不思議な感覚は、蘇った三半規管の働きと、背中が触れている硬い材質の現実感に、少しずつ薄れていった。
この街の代名詞である、数百メートルにも隆起した岩盤を用いた“タンジアの灯台群”。
灯台の周囲を巡って頂上まで達する木製の足場は、灯台を整備する人が頂上まで上る道であり、内部や地下に存在する灯台牢にぶち込まれる犯罪者が下る道でもある。
そんな現実的なキーワードと記憶が浮かべば、そこに寝転がったオレが見上げるこの黒い青も、なんてことはない、ただの暗い空だって分かる。
落ちるわけじゃないし、登るわけでもない。
その中間で、どっちつかずに留まっている。
オレみたいな状態だ。
身体を起こそうとして、後ろ手にかけられた鉄製の手錠が音を立てた。
(……ああ、まあ、そりゃそうか)
諦めて、幅四~五メートルの狭い足場で、ごろんと身体を転がした。
あせた水色の囚人服の生地を通して、木のささくれが右肩をチクチクと刺激してくる。その心地よい感触を味わう。
視界の先には若干赤らんだ水平線があった。明け方らしい。夕方――西向きならタンジアの港町が見えてなきゃおかしいけど、今は水平線以外なにも見えないからだ。
そこでやっと、異変に気付いた。
タンジア灯台群は港町よりも東側にあり、オレがいた灯台は群の中でも港町に近い位置にあった。だからそこから東を見れば別の灯台があるはずなのに、今は海しか見えていない。
つまりここは、もっとも港から遠く、かつ、周囲三〇〇メートルに一切の足場と人工物のない海域に立つ、史上類を見ない凶悪犯罪者だけが連れてこられる灯台、ってことになる。
「なんだオレ、ランクアップしたのか?」
独りごちて、脚にもある錠をがちゃりとならす。
その音に合わせるように、誰かの靴音が足下の方から聞こえ、
「君は最初から重犯罪者で、最高プライオリティの囚人だよ」
そんな言葉が飛んできた。
「へえ……。そんなこと言われてなかったけどな」
「君の扱いには大勢が困ったからね。君の耳には判決しか入れないよう、気を遣ってたんだよ」
身体をひねって声の方を見ると、灯台の岩肌に寄りかかるように誰かが立っていた。黒い空を背景として、淡い黄色で軽やかに見える布をまとい、幅広の笠を被った姿は見覚えがあった。そう、ここタンジアに辿り着く前、冬の間に滞在していた城塞都市ロックラックでよくみたデザインだ。
「ああ、お前、あの情報屋か? ロックラックの」
下から見上げたそいつに、オレは覚えがあった。“竜人族”の血を引く耳介の開いた耳、幼い声の割りに落ち着いた口調、人を食ったように閉じられた瞼。そういう身体的特徴じゃなくて、後ろ暗い情報を金で売る人間の割りに、妙に自信があり、こっちの頭を鋭く貫いてくるような態度に、違和感を覚えていたからだ。
「なるほど、とんだ情報屋だったな」
「一年と四箇月ぶりだね。ボクの情報、役に立った?」
「高くついたぜ。こんな、メシが美味いだけのところにぶち込まれたんだからな」
「それはご愁傷様、シェイム」
ズダ袋を肩にかけ、臑を締める足袋で木の板を歩きながら、彼はオレの名前を口にした。
もう四年間口にしていない、一年前以上聞いていない、“恥”の象徴たるオレの名前を。
「シェイム・ダウン。二〇歳。ポッケ出身。住所不定、各地に点在する廃屋や洞窟を転々としている。四年前から密猟――ハンターズギルドの許可なく“モンスター”を狩猟する行為を続け、三年間で少なくとも一六頭の、主に討伐許可最小サイズ以下の幼体の“モンスター”を討伐。一七三年の禁錮刑として受刑中」
たった数十秒にまとめられた自分の犯罪に、オレは小さく息を漏らした。
「君の追跡には苦労したそうだよ。ボクたちハンターズギルドの情報網は人間向けじゃないし、去年は隣の大陸に大勢が出払っていたし、なによりアイルーが買収されていたのが痛かった。彼らも当てにならないね」
「いや、あいつら優秀だぜ。素材全部売り飛ばしても、その七割以上は買収に使ったからな」
「それは数が多かったからだろう?」
「まあ、それもあるけど」
そのせいで質素な生活しかできなかったのも、オレが目立たなかった理由だったと思う。
「おかげで一年経った今も、該当の“モンスター”について、こちらの大陸では相変わらず狩猟禁止令が発令中。それどころか保護種認定も解除されてない」
「……なんだって?」
意外なほど仰々しい単語に驚いて身体を起こしてあぐらをかくと、彼はもう二メートルも離れていないところでオレを見下ろしていた。
「当然素材の相場は高騰。生活必需品のためにはミナガルデから輸入せざるを得ず、ギルド支部間のパワーバランスはだいぶ傾いたよ。あちらの大陸じゃ狩り手の少ない“モンスター”だから、流通してる素材量がそもそも少ないこともあったしね」
「お、おいおい、オレはただ“あいつ”の情報を聞きつけて、狩って食ってただけだぜ。そんなの、ギルドがやってるクエストと大して変かわんねえだろ」
オレの言葉に、そいつは軽く首を振った。
「情報屋に流れるのは、ギルドに寄せられる一般人からの一次情報がほとんど。その一般人が目撃できる“モンスター”は、目下の脅威である危険個体より、将来脅威となりうるであろう未発達個体の方が多いんだよ。ギルドは前者に対してはクエストを発注するけど、後者――ボクらの定めた下限サイズを下回る“モンスター”は、狩らない」
そりゃたしかに、サイズもなにも関係なく狩っていたことは事実だけどさ。
「むしろ幼体“モンスター”は、保護クエストの対象になり得る個体だ。君が狩っていたのは、そういう“モンスター”さ」
「それで、狩猟禁止令に、保護種認定……」
オレはかすれた声で呟いた。
「やっぱりそういう認識はなかったか。逮捕当時も、君の罪悪感のなさにはみんなが不思議がっていたけど、納得だ。君を重犯罪者にしたのは、その悪意のなさかもね」
悪意。
そんなもんはない。
オレはただ、生きるためになんとか足掻いてきただけだ。
でも……。
脳裏に、いくつかの死に顔が頭をよぎる。
母親、奉公先の一家、仕事と身体を工面してくれた男、父親と愛人。
オレの周りには、死ばかりあった。
褒められない結果ばかりが。
この投獄もきっと、それと同じだったってことか。
意気消沈したオレを眺めていた彼は、笠を斜めにして閉じた瞼を隠した。
「でも罪状とは関係ない。君の行動の影響が可視化されてくるにあたり、もはや禁錮の刑期は延長されることはあれど、短縮される可能性はないと結論が出た。君の判決は死刑に変更された」
過去に飛んでいたオレの意識が、クリティカルなキーワードで引っ張り戻される。
「し、死刑? ちょっと待てよ!」
「禁錮一七三年以上なら、今死んでも五〇歳くらいで老衰死しても同じでしょ?」
「同じじゃねえって! 全然ちげえよ! 生きてりゃメシ食えるし!」
「それも上の不満の一つでね。君の食費ってものすごくバカにならないんだよ?」
「いやそりゃ、え、でも、だって――」
――と、彼は口の端を少しだけ持ち上げて、持っていたなにかを放り投げた。
がちゃん、と音を立てて木の上に転がったのは、直径一〇センチばかりの金属製の輪に引っかかった、五つの鍵。
「なんだ、これ。どこの鍵だ?」
「小さい二つは、君の手錠と足錠のもの。残りの三つは、牢屋の鉄格子のだね」
は?
「……セルフサービスで牢に入れってか? 自分で手錠外して牢屋まで行って? 三重の鉄格子の奥にぶち込むような重犯罪者に?」
「まさか」
「なら……逃げていいのか? お前を出し抜いて?」
「こんな海の真ん中から? 飛行船もなしに?」
オレはイライラして舌打ちする。
「じゃあ、なんだってんだよ!」
彼は答えず、持っていたズダ袋をオレに投げつけた。
手錠で不自由な腕で受け取り、脚の間に入れると、袋の口から一枚の紙が覗いているのが見えた。
クエスト発注票だった。
ハンターズギルドが所属する不特定多数の“ハンター”に依頼を発注する際に発行される、クエストの種別、目標、日時、場所、条件などが書かれて紙切れだ。オレもアイルーの目を欺くために、何回か偽造したことがあった。
“翡水竜”ガノトトス希少種の保護クエスト――
「――ガノス希少種?」
ハンコで印刷されたクエスト目標“モンスター”は、“水竜”ガノトトス。
オレは目を丸くして、彼を見上げる。
「そう、最近確認された、原種でも亜種でもないガノトトス。その保護クエストだよ」
翠色の亜種だって滅多にいないガノスに、希少種認定が?
たしかに発注票のガノスは色がおかしい。数色のインクが汚いマーブル模様を描いていて、見るに堪えない。
出発は今日の一〇時半、開始は四~五日後、期間は王立古生物書士隊の調査団が到着するまでのおおよそ二日間、場所は水没林で、条件は特になし。
ギルドタンジア支部のものらしき承認印の出来はよく――というか、偽造じゃなさそうだ。
「これを、オレに? 死刑は決定したんだろ? なのにクエスト受けさせていいのかよ」
「シェイム・ダウンの死刑は今日、この灯台で執行される」
「だったら――」
「――彼は永遠に社会に戻らない。なんの問題があるの?」
「……ああ」
やっと状況が飲み込めてきた。オレは何度か頷き、笠の下の顔を見る。
「オレが生きてるのがバレたら、お前はどうなんだ」
「ガノトトス希少種の保護は直近の必達クエストで、そのために君を使うと決定したのはギルドだよ。クエストを成功しさえすれば、参加した“ハンター”は全員無罪放免、釈放される手筈になってる」
「失敗すれば、死刑?」
「受注しなくても死刑」
「終わったら“ハンター”になれ?」
「いや」
彼はあっさりと首を振った。
「クエスト受注時点で、君はハンターズギルドのタンジア支部に登録される。でもそのあとは、ボクらの法以外に君を縛るものはないよ。“ハンター”として活動してもいいし、一年三箇月ぶりの自由を満喫してもいい」
自由?
「その自由は……オレのものなのか?」
「君はもう、一つの自由を得ているでしょ。このプラットフォームから、あの世に登るか、この世に降りるか、選ぶ自由をね」
「どっちの道も、あの世に繋がってそうだけどな……」
オレは水色の囚人服を見る。その下の、トレーニングを欠かさなかった身体を思う。
生きるためになんでもしてきた、汚れきった身体を思う。
「オレのものに、なるのか? 自由が、こんな……恥だらけのオレのものに」
そう表現して、後悔し、オレは頭を垂れる。
彼はオレのところまで歩いてきて、自ら放ったキーホルダを拾うと、オレの足と手の錠を外してしまった。
「君は重犯罪者だけど、その腕はたしかだ」
まだ手錠の跡が赤く残る腕を一度叩かれ、オレは顔を上げる。
「密猟者の多くがすぐに逮捕されるのは、仲間がいるから。どうして仲間がいるのかって、大型“モンスター”を一人で狩るのはプロの“ハンター”――“モンスターハンター”にとっても無理難題だから。でも君はそれをやってきた。それがたった一種類の“モンスター”だけだとしても、小さな幼体から大きな成体まで、一六頭もね。その命と引き替えに力を磨いていった様は、殺された“モンスター”から読み取っている。君は歴史に名を残す、“凄腕ハンター”になり得る卵なんだよ」
“凄腕ハンター”?
オレが?
「バカ言うな。二〇歳の卵なんて、笑えねえよ」
オレは目を逸らす。
「結果だけ見てるからそんなこと言えるんだ。オレが今まで何回失敗したと思ってる? 何週間も追いかけ回して、他のヤツに邪魔されて逃げ惑って、アイルーに足下見られながらも色々調達してもらって、前回の収入を食いつぶすかどうかの頃にやっと狩るようなレベルだぜ」
こわばった手首を回し、ねじり、オレは自分に言う。
「オレにあるのは、あいつらを食いたいって願望に、親父が遺した名前だけ。いくつ偽名を使っても結局まとわりついてくる、この恥だけだ。オレに食われたあいつらには悪いけど、オレは――」
ぐい、と囚人服の襟を引かれた。
「――なんなんだ君は」
強制的に上を向かされた額に彼の笠がぶつかる。
「さっきまでの自信はどこにいったんだ? 死刑に抵抗したのはウソか?」
笠は彼の向こう側へ落ち、首紐でひっかかる。
ぱらりと広がった暗い桃色の髪に、“竜人族”の血の混じった尖った耳。
抑制された声と口元に、刻むか刻むまいか迷う眉間のシワ。
「本心から言えばね、ボクは君たちを釈放することには反対なんだ。事情はどうあれ君たちがやってきたことは犯罪行為で、ボクにはそれが許せない。目的のために犯罪者さえ使おうとするギルドのやり方も、納得できるわけがない」
幼いと表現していい顔立ちの中央で、閉じたままの瞼がかすかに震えている。
自分が“君たち”と複数形で話し始めたことにも気付いてない。
「それでも君たちが自分の死に直面して、人生をやりなおそうと思うなら、ボクはそれでもいいと考えてたんだ。なのに君たちは――」
襟を掴んでいた手の力が一瞬だけ強まり、そして緩む。
「――自分たちにどれだけ特異な力があるか知らないまま、自分の力を誰にも受け継がせないまま、牢獄で腐る道を選ぶのか……?」
彼はゆっくりとオレを解放する。
突然の静かな激昂に、オレは正直ついていけなかった。
いや、言われてることは分かる。こいつの言ってることに疑問はない。
だけどオレは、その言葉に秘められた怒りのバックグラウンドをなにも知らないんだぞ。一年三箇月ぶりの空の下で、最初に出会った人間にブチ切れられて、どうしろっていうんだ?
逆に――覚めてしまう。
「誤解すんなよ。オレは別に、死刑を選ぶなんて言ってねえ」
オレはズダ袋を脇に避けて、立ち上がる。
「クエストは受けるさ。もう何食かメシも食えるだろうしな。でも期待すんな、オレはお前らが思うようなヤツじゃねえ。毎回毎回死にそうな目に遭いながらもなんとか生きてきた、ただの人間だ。そう言いたいだけだ」
そう言いたかったのか?
実際はよく分からない。
もっと色々考えていた気もする。
ただなんか、言葉にしたことでその辺りは全部落ちきって、単純な覚悟だけが残ったような、そんな感覚だった。
彼はオレの内心を知ってか知らずか、数秒間オレを眺めて、
「分かった。よろしく頼むよ」
と、俯くように頷いて、さっと顔を上げた。
「でも忘れないでほしい。ボクらは殺した命を受け継いで生きている。ボクらの後ろには沢山の命が連なっていて、ボクらはその力を受け継いでいるんだよ。それを受け継がせる義務がある。例外なくね」
「そんなチャンスがありゃ――いいけどな」
オレはゆっくりと息を吐き出し、クエスト発注票に改めて目を向ける。
受注人の欄に書かれた“markey palao”に気付く。
「マーキ・パラオ、お前の名前か?」
「まさか。ボクはクエストには行かないよ。“彼”のことは、“M・P”って名前で知ってるでしょ」
……なんだって?
「おいおい先に言えよ! あの“凄腕ハンター”で殺人犯の!? オレなんかじゃ比べものになんねえビッグネームじゃねえか!」
「周りは、そうは思ってないんだけどね」
彼は首を曖昧に傾けて、灯台の内部へ通じる通路を示した。凶悪犯罪者が収容された灯台牢の入口を。
ああ、だからオレはここに連れてこられたのか。そんで――
「――オレと同じ境遇ってことか」
クエスト受注して、成功させれば自由を得る。クエストを受けないか、失敗すれば、死刑。
キーホルダの鍵は、その“マーキ”を解放するためのものなんだな。
「君よりは軽いよ。クエストリーダーが“M・P”ってことは、彼が港に現れなきゃ君はクエストに出発できず、引きずられる形で死刑確定だ」
「こいつを説得して、“ハンター”に復帰させなきゃいけないってわけか。まあ一人ならどっちみち、クエストで死ぬだろうしなあ」
笑いながらオレは、リーダー記名の“markey palao”の下にある、三つの枠を眺める。こいつの他にクエストを受注できる、三人分の記名枠。
……受け継ぐ、ね。
オレはそこに、“lesio psioth”と書き込んだ。
「これでいいだろ」
発注票を押しつけ、オレはズダ袋を開けた。
中身は革製の装備一式と、嬉しいことに一年間使ってきた愛刀の『レムオルニスナイフ』。
「クエスト受注を確認したよ。ありがとう。でも――」
そいつは顎をあげて、笠の下から閉じた目でオレを見る。
「――レシオ・プシオスか。偽名にしては、ひねってないね?」
「受け継いだつもりになってみるなら、相応しい名前だろ」
オレが一六頭殺して食った“モンスター”――“水竜”ガノトトスを意味する単語、“plesioth”をもじった名前で――