「別に逃げないってのに」
マーキは二〇センチほどしかない足錠の鎖を億劫そうに持ち上げながら、一歩一歩石段を上っていく。中央をくりぬかれ、手すりもなにもない内階段を数十メートルも登ってきたのに、マーキは涼しい顔だ。
その後ろ二メートルばかり距離を開けて、オレは背中の腰に差した片手剣の柄を握ったまま、彼の一挙手一投足を油断なく睨んでいる。いつ振り向いて手錠の鍵を奪いに来ても、左手の小盾か右手の片手剣で御せる――はずだ。
「どうせお前を殺したって、ギルドに殺されるだけなんだから。そんな怖い目で見るなよ」
そりゃそうだ。でもお前さっき、クエストを受けるくらいなら死刑の方がマシとか言ってただろ? なら、オレの命とお前の命、すっげえ軽くないか?
そんなことを考えてると、オレの頭を読んだように、マーキが肩越しに言う。
「ちゃんとクエストは受けてやるって言ってんだ。今更一人二人殺したってどうにもなるもんじゃないだろ」
「お前が足踏み外した時のこと、考えてんだよ。事故死なんてカッコ悪いからな」
「オレの心配より、お前の膝を心配したらどうだよ」
言い返されて、すり減った石を踏む膝がかすかに笑っていることに気付かされた。
「正直なヤツだ。長生きするぜ」
マーキはヒゲに覆われた口で笑い、オレは惨めな虚勢を引っぺがされただけだった。
四半世紀以上投獄されていたマーキは完全に年齢不詳だが、そのシワの間から見える目は死んでないし、身体は現役の“ハンター”以上とみて間違いない。それに比べてオレはなんの変哲もない二〇歳の男で、体型も標準的な“ハンター”と同等程度ときた。力の差は明らかで、オレにはそれが気に食わない。
いや、一番恥じるべきは、手錠も足錠もされたままのマーキに主導権を握られ、それが当然だと思い始めてるオレ自身か。
そんなことを考えていたせいか、オレは自分がこの内階段に出てきた洞穴が通り過ぎたのも気付かず、マーキが立ち止まってようやく、外界からの吹き込む風に目を向けたのだった。
「ここから外に出るのか?」
内階段はそこで終わっていて、天井に開いた穴が一段細くなった。その代わりに、灯台の内外を貫く通路が側面に開いていた。自然の岩で作った灯台は強度の問題から、これ以上の層へは、岸壁外部に取り付けられた足場を辿る必要があるのだ。
「ああ……もうすぐだぜ」
なんでもない顔を意識して、マーキとともに狭い通路を進む向かう。
マーキの背中越しに増えてくる光量と強い海風から顔をかばい、三〇メートルも進み――パッと展望が開けた。一足先に屋外に出たマーキがオレの前から外れ、視界が抜けたのだ。
目の前を覆うのは、ただただ青。
切り立った岩肌で構成された海底のおかげで、海面は青緑から紺碧への極端なグラデーションを各所で描きながら輝く水平線まで伸び、そこから脱した太陽の浮かぶ、たくさんの白に一滴の絵の具を混ぜたような薄青の空が広がっている。
暗い牢獄を脱したオレに、その光景は自分が属する世界とは思えないほど眩しく、後ろ暗さを感じてしまう。
だけど今は、そんなことを感じてはいられないんだ。胸を張って、我が物顔で木製の足場を進む。
緩やかな傾斜でもって灯台周囲の岸壁を取り囲んでいるのは、幅四~五メートルばかりの木製の足場で、岩の天辺に灯光を点すために仮設されたものが、現在も繰り返し補修されて使われている。
そしてここは、外部から灯台中腹に到達するために作られたプラットフォームであり、オレの足の向く先には、小型の飛行船と、一人の少年――いや男が立っていた。
「グッジョブ、レシオ。連れてきたね」
男は頭にかぶった幅広の笠を傾けて、覗いた耳をオレたちに見せた。耳介の一部が外側に広がった形で、“竜人族”――オレたち普通の人間よりずっと寿命の長い亜人の血が混じっていることが分かる。だから、声が幼く、顔のシワが少なくても、その抑制された口調もあって年齢が推測できない。ただ、風が淡い黄色の衣服を軽やかに舞い上げ、その下に垣間見える小柄ながらも筋肉質な肉体から、そいつが“ハンター”だと分かる程度だ。
オレは横に並んだマーキに注意を向けながらも、
「ああ、約束通りだぜ」
男の元へと歩を早めた。
「急いで。状況が変わってきた」
そいつは武具を背負っていない背中をオレたちに向けて、小型飛行船に乗り込んだ。
おいおい、不用心な、こっちには殺人犯もいるのに――
「――って、これって?」
飛行船はわずかに七~八メートルのサイズで、木製のデッキにはコクピットを含めて五つの座席がある。デッキの下部にある気嚢はなんらかの骨で内外から固定されているようで、普通の飛行船がまるまると掲げる風船と違ってスマートな形だった。“モンスター”素材らしき翼とあわて緩やかな三角形を描いた形状は、いかにも早そうに見える。オレがここに来た時に乗った、数十メートル級の大型で低速な飛行船とは全然違う。
「すぐ出るよ。支給品はボックスとバックパックに詰めてあるから、各自ポーチに入れるものは移しておいて」
「いや、これで、えっ? どこ行くんだ? 港は?」
「その余裕がないって言ってるんだろ。お、オレの装備もあるな」
オレの質問に答えたのはマーキで、彼はプラットフォームから五〇センチばかり離れて浮いているその淵に、なんのためらいもなく乗り込んだ。マーキの巨躯を支えた飛行船は若干傾いたものの、すぐにオレを促すように水平に戻った。
心の準備もできてないオレは、だけどマーキが深いヒゲをこすりながら訝しげに首を傾ける前に、意を決してデッキにひょいと足を移した。
そう、こんなのはなんてことないんだ、現役の“モンスターハンター”なら。
二人掛けで向かい合わせの席に座り、シートベルトを締めるが早いか、エンジンがうなりを上げて機体後部のプロペラが回り出した。音の高まりにつれて少しずつ飛行船が前に動いていく。
「マジか……」
気嚢が空気の上を滑っていく感触に、膝から下がムズムズして、尻が落ち着かない。
プラットフォームから完全に船体が離れていく様に、恐怖と興奮を覚えていたオレは、
「じゃあ、飛ばすよ」
キャノピーの内側で気軽に言われた言葉に反応する間もなく、シートベルトを食い込ませる加速に声も上げられなくなった。