眠りに落ちた時間は、細くなった雲の隙間から射す日の傾き具合から見て、二時間くらいか。もう数十分で夜が来るだろう。
静かだった。保護対象のガノトトス希少種が死んでから、もう六時間以上が経ったのに、ギルドの人間の姿は見えない。オレたちの処刑はどうやら、可及的速やかに行わなきゃいけないわけじゃないようだ。もしかして、王立古生物書士隊がやってくる予定の明日の深夜三時まで、放置されるんじゃないだろうな。
(早く終わらせてくれれば、いいのにさ……)
オレは寝返りを打ち、目を薄く開き――
――視線の先に、マーキがいた。
川に浸かったために血が抜けて、皮膚がふやけてから乾燥しなおされたマーキが。
(ああ)
オレは寝惚け眼で、その左腕に手を伸ばす。
これが、あのランスを使ってたのか。
オレがろくに振るえもしなかった、ランスを。
オレの胴体に近い太さのある左腕は、唯一土の上にあったためにふやけてない。尻尾の棘によって複雑に切り飛ばされたせいで、断面部分が五センチほど失われているが、他の部分と比べればずっと生前の状態だ。
ねじくれた筋肉の線に沿って指を這わせながら、これじゃ愛人として男の身体に触る時みたいじゃないか、と思って苦笑する。しながらも、指は血の固まりきった血管に沿って手首へと達する。
オレとマーキの関係って、なんだったんだろうな。たった一日だけ一緒に狩りをこなした仲間で、オレの望む父親になってくれるかもしれなかった男。弟子としてなにかを受け継ぐことも、あったのかもな……。
オレが、恥と無縁のまともなヤツなら……。
リストバンドのように強靱な手首の腱を掴み、手を繋ぐように手のひらをなぞり――
(ん?)
――違和感のある手触りに、オレは上半身を起こした。
「どうしたニャ!? もしかして睡眠薬のご用命ですニャ!?」
オレの動きに機敏に反応したアキュートが大声をあげ、グラーヴェが『空気を読みなさいニャ』と蹴りを入れ、パティはまだ泣いている。
手のひらの手触りが、妙だ。
オレはベッドから飛び出すと、彼の左腕を胴体から引っこ抜く勢いでこちらに向け、その手のひらを見つめた。
人差し指と親指を繋ぐ一本のラインと、親指の根本の筋肉が異様に発達し、皮膚は分厚いタコになっている。でも、それ以外は驚くほど柔らかいんだ。とてもじゃないが、オレが散々振り回されたあのランスを握り続けた手とは思えない。
自分の手のひらを見てみれば、一目瞭然だ。ケルビとの一戦を経ただけで、オレの手のひらはその全域といっていい箇所の皮がすり切れている。何箇所かは血が出ているし、小指はまだ気を抜けば痙攣しそうなくらい疲れている。このまま続ければ、手全体が硬くなるか、その前に指の間接を痛めるかしそうだ。
まだ濡れたままの荷車からランスを拾い上げ、左手で持つ。
やっぱりずっしり重く、左手の小指に大きな負担がかかる。切っ先の方向を維持するためだ。
ランスを一度置いて、マーキの遺骸に戻る。オレとマーキの左手を見比べる。違う。
この力のかかり方の差はなんだ?
と、マーキの脇腹に目が行く。
レイアに捕食されたせいで破壊されているけど、側面を覆う流れるようなガノスの鱗の防具。その、ちょうどアバラの下辺りの鱗が、妙にテカテカしているのだ。まるで、何度も何度もなにかをこすりつけたような……。
「まさか……」
再度ランスを拾い、ハンドガードの中で柄を握り込むと共に、柄の後部を脇腹で挟むように持つ。
手と、肘と、脇の三点で支える。
……それほど重くない。
いや、安定してる。
そのまま、突きを試みてみる。
自然と左脚が一歩踏み出され、半身ごと前進し、結果的に四つ叉の槍は突き出された。
やってみても、マーキの動きがそうだった気がする。
左腕を動かすんじゃないのか。
息を吐き、柄を握りしめ、力を込めて突く。
切っ先は宙の一点を裂き、そこで静止する。
「ああ」
分かってきた。
姿勢を戻して息を整え、改めて一突き。
反動を受け止めて、反転し、もう一突き。
崩れかけたバランスを使い、渾身の一突き。
……転ばない。
「様になってますニャ」
グラーヴェが呟く声を聞きながら、薙ぎ払いを試す。
手と肘に力を分散させて右に切っ先を置き、逆に脇腹に押さえつけるように左に振り払う。手首や肩に若干の痛みが走るが、無様に転ぶことはない。
「こう使うのか」
オレは肩で息をしながら呟く。
腕で持たずに脇で抱える。腕で動かさずに全身を動かす。下手にそこそこ持てる重さのランスだったから、勘違いしたみたいだ。
『オレの立ち回りをちゃんと見てれば、分かるはずだぜ』
そんな声が聞こえる気がした。
やれるのか?
これなら。
“モンスター”を想像する。
それと対峙するマーキを想像する。
マーキの動きを思い出す。
オレがマーキになる。
ランスの切っ先を上に向け、大盾を邪魔にならない角度に構える。
来い。
“モンスター”の攻撃を想定して、ステップを踏み、突き、盾を振る。
大きくは動けない、許される動き方も多くない。
それでも“モンスター”の攻撃範囲を見極め、ギリギリで避け、または防ぎ、反撃に転ずる。
想像の中で、『アクアンスピア』を手に、ひたすら立ち回る。
オレの動きに、マーキが重なる。
なるほど、このでかくて重くて長いヤツも、悪くない。
突いて、引いて、受け流して――