● 最後の休息
『待機』
オレが手信号で指示すると、パティはすぐに側で立ち止まり、見習いアイルーたちは静かに荷車を手に崖沿いの林床に身を隠す。
手早く周囲を見回し、小型の中脅威甲虫種の姿がないことを確認すると、オレはパティを振り返った。
「ここで一度休憩しよう。メシ食おうぜ」
「ここで、ですニャ?」
「おう。レイアは北西の“エリア10”だろ? なら一息つけるのはここだけだ」
「ここだけって言われましても……」
パティは赤ブチの両腕を抱いて、辺りに視線を向けていた。
雨がやんでも、水の流れは簡単には止まらない。地面に染みこんだ大量の雨は、隙間を見つけてせせらぎと共に小川を作り、川になっては土壌を削り流し、時には滝となって轟音と共にすべてを砕く暴力となる。
“エリア9”としてギルドに認定されている地形は、そんな水が長い年月をかけて掘り抜いた窪地だろう。僅か二五メートルほどの幅しかない細長い道は、両脇は高い崖に遮られていて、風が吹き込まないため空気が滞留しやすいようだ。外敵の侵入する方向を絞れるメリットと、逃走の方向を制限されるデメリットを兼ね備えており、大型“モンスター”の狩りには向かないエリアだと想像できる。
ガノトトス専門の“密猟ハンター”だったオレは、「ガノスは“エリア9”と“エリア10”に行かない」というただ一つの理由から、このエリアに来たことがなかった。もしオレが、自分の知識だけで“エリア”を把握しようとする今までのオレなら、ここから先はまっさら白紙の状態で挑まざるを得なかっただろう。
だけど今は違う。こうしてその場で周囲を観察することで、これだけの情報を得ることができる。
『記憶するな』
やっとその一端が、見えた気がした。
岩山の向こうで流れる滝の腹に響く音を聞きながら、オレは湿ったシダ植物の上にバックパックを置き、ランスも外して腰を下ろした。
パティもキョロキョロとあたりを見ながらオレの隣に座り――
ぽんぽんぽん!
「ニャ! ニャア!」
――軽い連続音に驚いて声を上げた。腰が抜けたか、立ち上がろうとして、べたん、と尻餅をついている。
「ああ……なにやってんだお前」
赤ブチ柄の毛の生えそろったケツに、いくつかの切片が食い込んでいる。崖の上の木から落ちたはじけクルミをお尻で潰して、弾けさせてしまったようだ。
「こんなジメジメしたところにあるなんて思わないですニャ! レシオさんだって普通に座ってたニャ!」
「いや、オレはちゃんとさけたぜ」
「教えてくれたっていいニャー!」
「てかお前、フィールドに出てきたことねえのか? オトモアイルーの経験とか」
「私はキッチンアイルーとサプライアイルーの経験しかないニャ! ベースキャンプの外になんて、お魚捕まえる時くらいしか出ないニャー! お尻チクチクするニャー!」
わめくパティのケツをこちらに向けて、弾けたクルミの殻を取り除いてやる。十分な衝撃と熱を加えれば銃の弾頭にもなるはじけクルミだけど、素のままなら痛がゆいくらいだっただろう。
「ほれ、気を付けろよ」
「乙女のお尻が……ありがとうですニャー……」
パティは赤ブチの毛並みのケツを押さえて、恥ずかしそうにモジモジしていった。
てかこいつ、雌だったのか。
オレは生のクルミの実を渋皮つきでボリボリ食べながら、バックパックから防水布を引っ張り出す。食べかけだった右腕の前腕を取り出して、もう一つ選ぼうとして――
「――えっと……マーキの右腕の前腕の真ん中って、どれだ?」
オレが聞くと、パティは落ち着かないのか、手をケツにやったままソワソワとしている。
「レシオさん、あの、“エリア8”の洞穴に戻りませんニャ? ここ、あんまりいたくないですニャ。ジメジメしてて気持ち悪いし、ちっちゃい虫もたくさんいますしニャ……」
パティは、最終的に“エリア1”の川へ合流する水の流れを見ている。水没林中央の岩山の西と北を繋ぐ、水の流れる洞穴は、オレがラギアと戦ったあの巨大な空洞“エリア8”を通過するルートだった。オレたちがここにきた道でもある。
「おいおい、メシって言ったらやっぱ空の下で食いたいじゃん。それにほら――」
ここなら二~三キロばかり離れたレイアから漂う、ペイントボールの匂いがよく分かる。移動を開始すればすぐに気付ける距離だ。
それに“エリア10”にはグラーヴェが待機しているはずだし、毒ブドウを持ってきてくれるアキュートへオレの位置を教える見習いアイルーたちのことを考えても、なるべく直線的な移動をしていたいんだ。
それは口にしない。
「――もし“エリア8”にラギアがいたらオレ、絶対逃げるぜ?」
パティは目を丸くしてから、
「えー!? やっぱりリベンジしないんですニャ!?」
と大声を上げた。
「ついでに言っとくと、お前がラギアに食われそうになってても、さっさと逃げちまうからな。“凄腕ハンター”のそんなカッコ見たくないだろ? ガッカリだろ?」
「いやあ、そんなこと言っちゃうレシオさんに、もうガッカリですニャ……」
偽悪的な言葉を吐くオレを、パティは横目で睨んだだけだった。
オレは肩をすくめて、バックパックを湿ったシダ植物の上に下ろす。
こんな感じでいいか。オトモアイルーとして“ハンター”と共に“モンスター”と戦ったことがないなら、パティがオレを“凄腕ハンター”って盲信するのは危険だ。オレを信頼していなければ、いざって時にちゃんと一人で生き延びるだろ。
「で、右腕の前腕の真ん中は? これか?」
改めて聞くと、パティはオレが持っている肉を見て、頷いた。
「そうですニャ」
一〇センチほどの骨付き肉を、食べかけの肉と見比べる。オレが食いちぎった部分を除いて同じ形――じゃない。左腕に比べると、右腕の方が若干太いんだ。火に炙られていい色に焼けた断面を合わせてみると、さらにはっきりと分かる。
「一応確認するけど、ホントにこれなんだよな?」
「当然ですニャ! 作った料理のことは忘れませんニャ」
「分かった、サンキュ」
改めて右腕の肉を食べて、そのがっちりした繊維を味わう。どちらかというと食べにくい食感だ。
その舌触りを忘れる前に、左腕の肉を食べる。
「……ああ、なるほど」
右腕よりも若干汁気が多く、食べやすい。
飲み下し、もう一度交互に食べて、頷く。
想像通り、味は違った。ただし予想とは正反対だった。
オレは炭で肉に“LA”“RA”と書き込んでバックパックに戻し、首を傾げるパティに片手を見せて言う。
「パティ、脚の左右も教えてくれ」
「あ、はいですニャ」
パティは二つの肉を、『左ですニャ』『右ですニャ』、と手渡してきた。
オレはそれを一つずつ味わう。脚の方はそれほど差がない。どちらもほどよい食べやすさだった。
その肉にも“LL”“RL”と書いて、バックパックにしまう。
「もう食べませんニャ?」
「ああ、残りは戦闘中にする」
「いつ食べるつもりですニャ……」
パティが呆れ顔を作り、オレは崖に切り取られた星空を見上げる。
そろそろ二三時を回る。
オレはバックパックを背負って立ち上がると、
「パティ、お前はここに残れ」
と赤ブチ柄のアイルーに言った。
「えっ! なんでですニャ! 私もオトモしますニャ!」
「アキュートが戻ってくる時間まで、最短でもまだ一時間以上かかる。お前はあいつを待ってて欲しいんだ」
元々そのつもりで、こいつにはここまでついてきてもらったんだしな。
「アキュートの毒を待たないんですニャ? せっかく有利になるのに、どうしてですニャ?」
オレ自身の経験から言って、レイアは戦闘の途中で確実に毒へ抵抗するようになるだろう。どこかのタイミングでは、本来の動きに対応しなきゃいけなくなる。ならそのタイミングは、オレの体力がちゃんと残ってる今がベストだ。最初の一撃で死ぬ可能性はあるとしても。
とはいえまたもオレは、そう言わなかった。
「だってよ、完璧な状態で負けたら、もう絶対勝てないってことじゃねえか。でもどっか隙がある状態なら、逃げ出してもまだ言い訳が効くだろ? 人間ちゃんと抜け道は作って――」
「――ヒゲが伸びてきてますニャ」
オレを遮って、パティがオレの顎に手を伸ばした。
昨夜久々に剃ってもらった顎には、もう僅かに伸びていた。
パティはオレのヒゲをじょりじょりとこすりながら、俺の目を見ずに口を開く。
「また死んじゃうんですニャ?」
オレはすんでで舌打ちを堪えた。
こいつは一二時間くらい前に、こうやってマーキと永遠に別れたんだ。
そりゃ、オレが軽薄なこと言ったって、騙されるわけないか。
「こういう時は鋭いんだな。はじけクルミに座るクセに」
「そ、それは忘れて欲しいですニャ……」
頬を赤くするパティに笑いながら、だけど、オレは考えてる。
あの時マーキは、なにを想定してたんだ?
ガスの充満に触発されたガノス希少種が、爆発するシャボンをまき散らして場を乱すことを分かっていただろうに、マーキはなにを想定して、爆炎を吐かせない作戦を決行した?
『なんかあるなら、今のうちに言っておけ』
マーキは最初から、レイアと相打ちになるつもりだったのか?
最後に残るラギアをオレ一人に任せてでも、ガノス希少種を護るつもりだったのか?
オレは今、なにを想定するべきだ?
保護すべきガノスがいない今、マーキの仇を討つために戦うオレは、なにを?
「レシオさん? 大丈夫ですニャ?」
心配そうに眉をひそめるパティを見て、オレは意識を引っ張り戻した。
今は、うだうだ考えることはない。
オレはどっちにしても死ぬ身だ。オレが受け継いできたみんなと、オレ自身に対して胸を張って死ぬために、もう誰も失わないためにただ、ここにいる。
それ以外は、考えるな。
だから、こいつを心配させっ放しにはできねえな。
「心配すんな。勝算がないわけじゃねえよ。アキュートが毒を持ってくるまで持ちこたえるさ。持ってこられなくても……オレは“凄腕ハンター”なんだから、負けるはずないだろろ?」
また、その単語を使った。今度は安心させるために。
「ホント……ですニャ?」
「ああ。じゃあ、後のことは任せていいよな?」
いまだに物思いの晴れない風のパティは、それでも緊張した表情を作って頷いた。
「分かったですニャ……必ず駆けつけますニャ! だからそれまで、絶対に死んじゃダメですニャ!」
オレも頷き返し、道の先を見る。
“エリア10”に到達すれば、たぶんもう、後戻りはできない。
でももう、やり残したことはない。
オレは最後に、パティに手信号を残した。
『指定の動作』『完了まで』『待機』