● 食うか、食われるか
口の中でなにかが動いているのを感じ、無意識のうちに歯を閉じた。
かしゃり、と軽い音がして、数センチの甲虫が砕ける感触がして、その味が口の中に広がる。
「うめえ……。王族カナブンだな、これ……」
噛み砕き、飲み込み、目を開ける。
真っ先に見えたのは、倒れてる赤いブチ柄のアイルー
「おい、パティ……」
返事はない。まさかこいつが、落ちてきたオレを助けたのか? それで……。
ああ、いや、パティの背中はゆっくり上下してる。死んだわけじゃなさそうだ。
大きく溜息を吐こうとして――
――パティの向こう、ぽっかりと降り注ぐ月の光を浴びたレイアが見えて、思わず息を潜めた。
彼女は小型の肉食動物フロギィに取り囲まれていた。フロギィたちは女王のレッテルの砕かれた彼女を釘付けにし、群れのボスがくるのを待ってるんだろう。
(クソ……それはオレの肉だぜ……!)
と、パティが見慣れないバッグを提げているのに気付く。身を起こそうとして身体の節々に痛みが走り、それでも大盾に注意して両腕で這いずっていって中を覗いてみた。
「こうくるか……助かるぜ、アキュート」
それをポーチに収め、無理矢理立ち上がる。
立っているだけでも色んな筋肉を使ってるんだな、と分かるくらい、身体のあちこちの筋肉が悲鳴を上げた。
歩けるか?
一メートルに五秒かけていいなら。
左腕は動くか?
ランスを持ち上げるくらいなら。
オッケイ、ならさっさとレイアを助けにいけよ。
だけど幸いなことに、オレが動く前に、レイアはブレスでガスを誘爆させ、フロギィを一掃した。
オレはホッと息を吐き――自分の感情の動きとリアクションに眉をひそめる。
こいつは、マーキを殺した“モンスター”だぞ?
オレがあれだけ仇を討ちたいと願って、ランスを手に泥の中を這いずる原因になった、あの“モンスター”だぞ?
立ち上がったオレに、レイアが気付いた。
まっすぐにこっちを睨み、右の脚と翼を不自由に引き摺りながら、オレの方に来る。
オレのことを誰だと思ってるのか分からないけど、もう後には引けないと悟ったようだ。
逆鱗を破壊したオレを、もう一度殺し、もう一度食うために、最後の一戦を交えるべく近付いてくる。
「そうか、お前……お前もマーキを、受け継いでたんだったな」
だからか。
オレもこいつも、マーキの肉を食った。
オレはマーキになり、こいつもマーキになった。
だからもう、仇なんて考え方が、オレの頭から吹っ飛んじまってたんだ。
オレは頭から流れてきた血を舐め、右腕の大盾を外した。
左手は、『アクアンスピア』を背負った背中に向ける。
オレはたぶん、受け継ぐためにここにいる。
復讐のためでも、捕食のためでもなく、だ。
でもレイア、お前はなんのためだ?
ぐずり、ぐずり、と彼女の身体が沈んでいく。
「やめろよ、レイア」
オレは呟く。
「オレとお前は、もう、食うか食われるかの関係でしかねえ。勝った方がマーキを受け継ぐんだ、誰かに受け継がせるためにだ!」
オレとレイアは、同じだったはずだ。
ガノスを失い、授乳器を失い、未来を失った二人のはずだった。
今はもう、事情が違う。
レイアは一歩“踏み出し”、牙を打ち鳴らした。
吐ききったガスが誘爆し、爆炎がレイアを覆い、黒煙が立ち上り――
「だから、そんなこと、すんじゃねえよ……」
――ガノスの油を浴びた桜色の彼女は、炎に包まれていた。
そして、最後の数十メートルを走り始める。
オレは滲んだ視界を振り払い、その視線を受け止める。
でもまあ、否定はできねえかもな。
未来がなくなったと思ったオレが、最後の最後にお前にやったことと、同じなんだから。
だからこそオレは、あの時のお前みたいに、全力でお前を叩き潰さなきゃなんねえ。
オレの“クエスト”は、まだ続くんだからな。
痛みを抑えて右腕を振りかぶり、サイドスロウで振り抜く。
人差し指と中指の間にあった投げナイフはレイアの顔の横を抜け、柔らかな鱗を裂いて一〇センチの刃を右足首に突き立てる。ベノバインの皮から抽出した毒液は速やかに染みこみ、神経を強烈に刺激する。
炎の塊になったレイアは予期しない痛みにバランスを崩し、腹から土の上へと落ち――
――連続した発砲音と共に、レイアの背中の甲殻と毒性の棘が吹き飛び、炎を帯びていた翼膜が穴だらけになった。
顔面から泥の上を滑るレイアは、草を根ごと引き千切り、泥を盛大に巻き上げ、オレの目の前まで来て、ようやく止まった。
「ヒュウ……」
ゆっくりと息を吐き、右腕を力なく下ろす。
もう大盾を構えるだけの余裕もなかった。
轟音が静まったあとの“エリア9”で、レイアはなにが起ったのか分からず、自分の身体から抜けていく血を不思議そうに見ていた。
「『よく見ろ』だぜ、レイア」
頭上、崖の上に立つ樹木から落ちてきたはじけクルミが、レイアの圧力と炎で一斉に爆裂した結果だった。
横倒しになったレイアの首筋を左脚で踏みつける。
内蔵を破壊された彼女はもう、首を動かすことさえできない。
今を見ろ。
今ここには、オレとお前しかいない。
マーキもガノスもいない。
レシオもシェイムもいない。
アイルーたちもいない。
死も責任も恥もない。
ヤるか、ヤられるか。
食うか、食われるか。
受け継ぐか、受け継がせるか。
オレは受け継ぐ側だ。
今はまだ。
ランスを突き下ろす。
繰り返し突き、流れた血が固まりかけた左首筋の傷口をめがけて。
全体重をかけて、よりかかるように。
焦げた桜色の鱗が真っ二つに割れ、四つ叉の切っ先の全てが肉の中に埋まっていく。
レイアの身体は痙攣しなかった。
ただ蒼い目を閉じて、それで、レイアは動かなくなった。