● 一頭目、追跡完了
雨水で緩くなった坂を保持しているのはやはり樹木のようで、上り下りの際に手がかりとするものもやはり木の根だった。泥は次々と上から流れてくるから、木が倒れるほど根が露出してしまうことは少ない。
でもじゃあ、上の土がなくなったらどうなるんだろう。この毎年雨期になると水深十メートル近い水たまりを各所に作る雨は、いつか山を完全に崩壊させて平地を真っ平らにするんだろうか。オレが初めてここに狩りにきたのは三年と少し前だけど、少なくともここはその頃から変化がない。ならもしかしたら、なんらかの作用で土が山の上の方に運ばれているのか?
……なんでこんなこと考えてるんだ?
一人で“モンスター”を追ってる時は、相手の動向を推測したり、攻め方を考えたりしてるのに。
急ぎ足で黙々と坂を下るマーキに追いつくために、環境に意識を集中してるからか? それとも作戦はマーキが練ってくれてるからか?
……やっぱり考えすぎてるな。
滑りやすい坂から眺める“エリア4”は、歪んで潰れた楕円の形をしている。雨季の現在、エリアは東西で大きく二つに分断されており、東側は流れる水が溜まってできた、水深一〇メートルばかりの“水たまり”が、西側もところどころには膝ほどの“浅い”水たまりがあるが、全体的にはある程度の硬度を持った岩でできた陸地だ。
オレたちは北側の“エリア7”へと通じる山道を下ってきているところであり、それももう緩やかになっていた。
ざっと下までの距離をチェックしたマーキが、木の根を離して坂を滑り降りだした。オレもそうしようとしたが、レザーの踵は思ったより薄いことがこの一時間ばかりの降下で分かっていたので、ここは我慢してペースを維持するしかない。
だけど、オレにも目標は視認できた。
紫色の“水獣”ロアルドロス亜種は、“エリア4”の陸地側にいた。浅い水たまりに横になって、一心不乱に自分の身体をこすりつけている。
ペイントの匂いが若干薄くなったような気がしていたので、かなり離れたものかと心配だったのだけど、そうじゃなかった。おそらく“ふん”の匂いを払拭したくての行動だろう。
ようやく追いつくと、マーキはオレを一瞥もせず、
「やるぞ、レシオ」
と呟いた。
「まだこっちに気付いてないか?」
「ああ、まだだ。奇襲できる」
ごろごろと転がり続けるロアルには、オレたちのちょっとした動きなんて気付かないんだろう。
「でもあれ、大丈夫なのか? 匂い落とされるぞ?」
「落とせるのはロアルとラギアだけだ」
厳しい視線と言葉少なげに、マーキはロアルを睨み続けている。
ラギア――つまり“海竜”とロアルドロスは水に浸かれる環境にいるが、レイアは水に浸かれないからか? だからこちらを先に討伐しようと考えてるのかもしれない。
マーキは瞬間的に手信号を見せて、右手、エリアの境界である切り立った崖にそってさっさと歩き出した。
『左前方』『挟撃』。
一瞬、本当に一瞬だったが、なんとか読み取った。
でも普通それ、『狩猟準備』とか『散開して待機』とか出すんじゃないか? さすが“凄腕ハンター”、なんでも無駄がないな。
彼は上の方からわずかに零れてくる水を避けるように動きながら、水たまりの方へと移動していく。
と、その水の色が若干紫色っぽくなっていることに気付いた。ロアルドロスを中心にじわじわと広がっていくように、色が薄まっていく?
しかしオレは手信号に従って左手へと進む。目的地の指示はなかったが、進行方向には若干盛り上がって流れる水が迂回していく箇所がある。数本だけ立つ木の陰にシダ植物の下生えが密集したブッシュで、オレもここで狩りをする時にはよく使っていた。身を隠すと同時に飛び出してきた虫をやり過ごしてから、そこにバックパックを隠した。
ロアルは強靱な赤い爪を地面に食い込ませ、身体を大きく起こした。頸から胴体まで広がるぶくぶくと水分を含んだ海綿体の襟巻きから、紫色の液体が零れる。足下の水たまりを暗い小豆色に染めているのは、それだ。
そこに、マーキが足を踏み入れた。
あ、とオレは思う。
情報屋から聞いたことがあるが、ロアルドロスを含むルドロスは雑食で、基本的になんでも食べる。原種――黄色い個体は、地上ではケルビやアプトノスといった低脅威~中脅威の“モンスター”を捕食したり、水中では植物性の繊維や甲殻類を補食する。
だが乾季の開始間際に生体に達した個体は、地域によっては水中の餌を獲ることができず、毒性を持つ様々な植物に手を出さざるを得なくなる。
結果、その毒性と色素は身体に沈着し、まったく同一の生物にもかかわらず“亜種”と呼ばれる個体が誕生するのだ。
つまりあのロアル亜種の身体を覆う紫色――というか紫色の液体は――
「――毒だぞマーキ! 水たまりに入るな!」
叫んで、一〇〇メートルばかり先の水たまりに身を下ろしていたマーキの顔を見て、そんなこと知ってるだろうと後悔した。
においを落としたか南へ移動しようとしていたロアルは、オレの言葉に反応して頭を左に向け――
――目が合った。