りんに泣かれ、事情を説明してまた泣かれ、そして悲しい気持ちにさせてしまってから数日経った、六月末。二回目オーディションが終わり、若くて優秀な新人を獲得した。山宮修、二十歳。大学に通いながら声優活動をしている。彼のもはや演技とは呼べないような、むしろ執念とも言うべきものを目の当たりにした時、満場一致で彼に決まった。これで、自分の最後の仕事は、満足する結果に終わった。あとするべきことと言えば、自分のデスクを綺麗にすることくらいなのだが…。いや、実はもう一つ、重要な問題が残っている。
まだ、自分がいなくなることをコウに告げていない。
前にりんに話した時、あれだけのことになってしまった手前、話難いと言うか。樫井さんには案外あっさり話せたのに、コウに向かって、となると、名状しがたき気持ちが渦巻く。今までなんどもチャンスはあったはずなのに、どうしても怖気付いてしまう。まだ、コウに対してはカッコつけていたいと思う気持ちがあるのだろうか。しかし、もういい加減出ていかなければならない。
「はあ…」
そのことを思うと、またしても溜息が出てしまう。
「司?何してるの」
「げっ」
と悩んでる時に限ってタイミングが良い。いや、悪いか。
「ええっと、なんていうか、その…」
「…?なに、改まって」
ええい、覚悟を決めろ!
「実は、俺、話しておくことが…」
「宮前くん、いるー?」
「…」
樫井さんが俺を呼んでいる。いかなきゃいけないのか、これ。
「…えっと」
「いかなくていいの?」
「…うん」
結局逃げてきてしまった。全くタイミングが悪いのか良いのか。
「すいません。なんでしたか?」
「ああ、来たね。葉月さんが呼んで来いって言ってたよ」
「…それだけ」
「そうだけど?」
「ああ…はい」
それだけか…。このままずるずる言わずに終わっちゃうのかなあ…。ただでさえぶれっぶれな決心がさらにブレブレになる。終いにはゲル状になってしまいそうだ。などと無駄なことを考えてるうちに葉月さんのデスクに着く。
「はいーどーぞー」
ノックすると反応が帰って来たので、入る。
「失礼します…」
「なんだい、そんな顔して」
「いや、今日でチームを抜けなきゃいけないから、その、少し感傷的に」
「ふーん。ま、いいや。今日は君にとっても大事な話があるんだ」
「話…」
これからいなくなるやつに何を話すことがあるだろうか。
「まあ、私からじゃないけどね」
「え?」
「ここからは私がお話しします」
そう言って出てきたのは、このチームのパブリッシャー社員である大和さんだ。先日の厳しい言葉を受けてから、どうにも苦手だ。
「大和さん…。どうしてここに?」
「宮前さん。あなたに本社からの辞令が降りました」
「辞令…?」
「はい。あなたは、まだチームに残っていいそうです」
「はぇ?」
変な声が出てしまった。
「ええと…。それって一体どういう…?」
「言葉通りですが」
「こ、言葉通りって…」
「良かったじゃないか。君も望んでいただろう?」
「いや、でも、なんかあからさまにありますよね?その、条件みたいなもの…」
「さあ。あるにはあると思いますが、知りません。聞かされておりません」
「…」
どうしよう。突然降って湧いた幸運に、対応出来ない。いや、幸運ではなく、不幸の前触れかもしれない。とにかく、こんなことはあり得ない。一度決まったことが、何もせずに覆るわけがない。
「まあ、あれだ。この幸運に感謝して、ますますゲーム制作に勤しんでくれたまえ。話は以上だ。もう戻っていいよ」
「はい…」
#
なんだかよく分からずに残れることになってしまった。嬉しいが、釈然としない。これで良かったのか…?これは素直に喜んで良いのか?そもそも、こんなことって本当にあるのか?まさか、葉月さんが俺のために何かしたんじゃ…。
「司ってば!」
「うわっ」
いつの間にかコウが目の前にいた。
「おう、コウか。どうした?」
「どうしたじゃないよ。なんかぼうっとしてるから、どうしたの?あとこれ。サブキャラのデザイン」
「ああ、どうも…」
コウが心配そうに顔を覗き込む。
「本当に大丈夫?なんか昨日からりんもちょっとおかしいし、何かあったの?」
「あ、いや、何かがあったのは確かなんだけど…」
「…どういうこと?」
「ううん…」
どうしよう。今更言ったってなあ…。もうすぎたことだから言わなくていい気がする。
「違うんだ。何もなかった。りんは…そうだな。女の子の日だったんじゃないか?」
「…あんたそれ冗談でも最低だよ」
「…ごめん」
割とまじに蔑まれる。
「あ、司くん」
「りん。ちょいちょい」
「ん?」
ちょうどりんが通りかかったので、そのままコウと離れる。
「あんな、その…なんていうか」
「どうしたの?確か今日だよね。寂しくなるね…」
「うん。あの、そのこと、なんだけど…」
「大丈夫よ。たとえ仕事が違っても、今までと同じようにご飯食べて一緒に帰りましょう?」
「うん…。ありがとう。でも」
「新しいところで慣れないかもしれないけど、司くんならできるよ。また次の仕事で一緒に頑張りましょう」
「あああ、もう!ありがとう!でも違うんだ!」
「違うんだって、何が?」
「だから、ええっと。…いなくなるのが、なくなった、らしい…」
りんは、一瞬、呆けたようになる。
「…それって、まだ残れるってこと…?」
「ああ。だけど、なんでかは分からないんだけど…」
「……」
すると、りんは、先ほどまでの朗らかな様子を崩すように、へたりと座り込んでしまう。
「もおおお。できるだけ普通にして、悲しくならないようにしたのにいい。私の悶々とした時間を返してよお」
「ご、ごめん。でも、俺だってさっき聞いたんだぜ」
「でも、良かったあ」
本当に嬉しそうな顔をしている。改めて、いいやつだと思った。友達になれてよかった。
「でも、なんでだろうな。こんなことってあるのか?」
「わかんないけど、きっと葉月さんがなんとかしてくれたんだよ」
「…何してんの」
声がした方を向くと、コウが立っていた。
「ていうか、いなくなるってなに?」
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「やっぱり無茶してたんだ。なんで言ってくれなかったの?」
「いや、タイミングが合わなかったっていうかなんというか…」
「でもりんには話してるじゃん」
「それは、たまたまタイミングが合って」
「でも、私たち何回か二人っきりだったよね。それでもタイミングが合わないの?」
「それは…。こ、心の準備が…」
「まあまあ、いいじゃない。全部解決したんだし。それよりも、司くんが残れることを喜ばなきゃ」
「うん。まあ、そうだけど…。でも、これからは、私にも言って欲しい。これじゃ、心配したくてもできないよ」
「わかってる。何か困ったことがあったら、お前にもちゃんと相談するよ」
「それならいいや。仕事に戻らなきゃ」
「あ、私も」
「俺は…樫井さんにも言わなきゃいけないなあ」
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「え?そんなこととっくに知ってたわよ」
「…」
「私も驚いたけど、わけは聞かないでくれって、話してるじゃんに口止めされてたから」
「そ、そうですか…」
「でも宮前くん」
樫井さんは真剣な顔をする。
「ここからが正念場だよ。そろそろプロトタイプの提出日だし、アルファ版の仕上げに入らなきゃいけない。きっちり締めていかないと」
「はい!」
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そして数日後。プロトタイプの提出を終え、アルファ版の制作も順調に進んでいる中、定例会議が始まった。定例会議とは、二週間に一回、各チームのトップが集まって、最終的なゲームの方向性を決めるものだ。今回は、脚本のタテビさんが議題を提出するらしい。なんでも、『超、新しいものを思いついちゃった』らしい。
「では、定例会議を始めます。えーまずは、芳文堂のクリスちゃんから伝言を預かっています。『プロトタイプの出来は素晴らしく、社内でも評価は高いです。今日は所用があっていけませんが、これからもお互い頑張っていきましょう。あとクリスって呼ぶな』だそうです」
プロトタイプの評価がいいといわれ、笑顔が広がる。
「プロトタイプの評価が高かったからって油断しちゃいけないけど、いい調子だよ。この勢いのまま、どんどん行こう。さて、今回はタテビくんから何かお話があるそうだけど…」
「はい」
タテビさんがホワイトボードの前に立つ。そして何かを書き始めた。『エンディングについて』とある。
「僕が今日提案するのは、エンディングの仕様です」
「エンディングの仕様…?」
「はい、この作品では、というか、昨今の作品では、だいたいがノーマルエンディング、つまり、初めから終点が決まっているものです。しかし僕がこれから提案するのは、その逆、マルチエンディングです」
「…マルチエンディング」
「はい。まず、プレイヤーの選んだ選択肢によってエンディングが分岐。さらに、その分岐したエンディングがフラグとなって、またエンディングが分岐。そして必要なエンディングをコンプリートした時、『真エンド』が解放される、という仕組みです。予定では、バットエンド含め、二十六のエンディングを用意します」
「でもそれでは、クリアするまでに時間がかかるのでは?」
「むしろそれが狙いなのです。携帯タイプならそうではないですが、このゲームは据え置きタイプ。つまり、家でゆっくり、そしてじっくりプレイすることができる。必要なサブクエストやアイテム、やりこみ要素をこれでもかと詰め込んで、プレイヤーをゲームの中に閉じ込めます」
「けれど、それだけのエンディングを用意するのは時間がかかりますよね。それだと、作業に遅れが出るのでは?」
「大丈夫です。もうすでに大まかなプロットは提出してあります。あとは清書するだけ。そこまで時間はかかりません」
「…他に質問は?」
葉月さんは周りを見渡すが、手をあげる者はいない。少なくとも、ここにいる全員は、この案は魅力的だと思っている。
「じゃあ、とりあえず、エンディングはマルチエンディングで進めよう」
「あの、マルチになると、グラフィックの仕事量が多くなるので、スケジュールを少しずらしてもいいですか」
「樫井くん。どう?」
「はい。充分に調整可能です」
「わかった。他に遅れるかもしれないとこは?」
コウが手を挙げた。
「多分サブキャラ増えると思うので、もう少し時間が欲しいです」
「キャラ班も可能です」
「AD?」
「はい、大丈夫です」
「よし。では、決定ということで。他にはーー」
#
定例会議が終わったあと、タテビさんを見かけた。
「タテビさん。お疲れ様です」
「お、宮前くん。どうも。残留おめでとう」
「あ、はい。ありがとうございます」
「改めてすごいと思いました。あんな案、あんまり聞いたことないです」
「まあ、負けてるわけにいかないからね」
「誰にですか?」
「いや?こっちの話さ。…さて、じゃあ僕は執筆に戻るよ。啖呵切っちゃったからね。速攻で仕上げないと」
「はい。タテビさんの脚本、早く見たいです」
「おう。楽しみにしててよ」
このままいけば、予定の十二月にはマスターアップを迎えるだろう。順調すぎて、少し怖いが。プロトタイプを提出し、アルファ版を完成させてしまえば、ベータ版で修正し、完成に向け、微調整を繰り返し、そうすれば完成して出荷される。このゲームが着実に近づいているのを感じた。