今年の三月。その月に、司たちに役職が発表された。しずくがメモ用紙を読み上げる。しばらくして、司たちの順番が回ってきた。。
「宮前司、制作進行兼、イーグルジャンプ側プロデューサー。遠山りん、背景班副リーダー、八神コウ、キャラ班リーダー兼、AD」
司にとって、樫井が抜けた穴に重い役職が来るのは覚悟していたことだった。まだ二年目とはいえ、前年度の濃い経験は自分にとって、強い自信になっていることはわかっていた。だからこそ、事前にしずくから頼まれた時には、流石に戸惑ったが、最終的に引き受けたのだ。そもそもイーグルジャンプには人材がいなく、この時点で満足に仕事を任せられる人材がいなかったことも原因の一つではあるが。
「始まったな…。新しいゲーム制作」
「これまで以上に頑張らないと」
「…」
その時の、コウの表情をもっと読み解いてやればよかった。司には、コウが単に新しい役職に不安を抱いているだけだと、ただそれだけだと思ってしまったから。
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「それでは、会議を始めます」
五月末。あまねのあの一件から一週間後に、初めての月例会議が開かれた。ここで、初めて全ての班のスケジュールを確認し、この会議ですり合わせる。それを鑑みて、制作進行は本格的なスケジュールを組んでいくという流れだ。それぞれの班長が提出したスケジュールに簡単な操作を施し、プロジェクターに映し出す。
その後、それぞれの進捗をまとめる。ここでスケジュール通り行っていたら良し、遅れていたら、その都度修正を繰り返していく。マスターアップ、発売日を決めるのは大体来年あたりになりそうだ。
「では次はキャラ班。お願いします」
「…はい。ここではキャラ班に加えて、ADとして全体的な進捗も合わせて発表します。背景班、モーション班は当初のスケジュールより少しペースが早いです。この余裕のある部分を後からの修正に当てられると思います。あと、エフェクト班はスケジュール通り、そして…キャラ班は、だいぶ遅れています」
「その遅れは、どのように取り戻せますか?」
「…すいません。これから対策を練るところです」
「わかりました。では、後ほど対策案を提出してください」
「…はい」
一抹の不安を残し、その日の月例会議は終わった。
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「なあ、コウ」
会議が終わり、コウを呼び止める。
「大丈夫か?最近、どうもおかしいぞお前」
「…大丈夫だから、気にしないで」
「いいや、気にするね。なんでも話せとは言わないけどさ、辛いなら、ほら、あるだろ?」
「…大丈夫だから」
コウは先程言った言葉を繰り返し、仕事に戻っていってしまった。
「…まったく」
思わずため息をつく。
「なんでうちの連中は大丈夫で済まそうとするかね」
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数日後。六月になって、そろそろ梅雨時が目の前に迫る。この日、ようやくあまねのキャラクターデザインにOKが出た。
「ありがとうございます!」
「うん。いいものに仕上がってくれて、私も嬉しいよ。ただ、どうしても加藤さんの描く絵は生物感っていうか、生きてる感じが足りない気がするから、今後もそこを注意してほしい」
「はい」
「それに、絵が私っぽくなくなって、全体的に自分の味が出てきた気がするよ」
「はい、でも、やっぱり私の根底にあるのは八神さんです。それをどうすればいいのか悩んでた時、宮前さんに相談に乗ってもらって」
「そっか、司が…」
「はい。すごく感謝してます」
「じゃ、なおさら頑張らなきゃ。早めにスケジュールを元どおりにしないと、司も困っちゃうから。とりあえず、残りのNPCのモデリング頼むよ。滝本さんの分を分けて貰って」
「はい、わかりました。ありがとうございました」
あまねはコウの席から離れる。コウに自分の姿が見えないように、廊下の影に隠れた。
「う…」
胸を押さえてうずくまる。
「大丈夫…大丈夫だから…」
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昼下がり。昼ごはんを取って少し眠くなってしまうような、心地よい日差しの中、司は自分のデスクで作業をしていると、突然、
「あの、相談が…」
ひふみが司を訪れた。
「あまねちゃんの、話なんですけど…」
「加藤さん?」
はて。あまねについての相談とは。この前の一件は解決したのでは無かったのか。とは言え、まずは話を聞いてみなければなんとも言えない。
「あの、別に、困ってるとかじゃないんです。でも、なんかおかしくって…。空元気っていうか…。この前、あまねちゃんのデザインにOKが出たんです」
「やったじゃないか」
「…そうなんですけど、あまねちゃん、時々、すごく悲しそうな顔をしてて…でも、訳を聞ける風でもなくて…」
「それで、とりあえずここに来たと」
「…はい」
困った。ぶっちゃけそんなこと言われても何も出来ない。なぜなら、あの一件以来、司は激務に追われて、りん、コウ以外の他人と話さなかったからだ。もちろん、あまねとも会ってないし、話してもいない。
「わかった。それじゃ、俺の方からも気にかけては見るよ。でも、加藤さんにここで一番近いのは滝本さんだから、いざという時、力になってあげなよ」
こんな漠然としたアドバイスしか送れない俺を許してほしい。司は心の中で謝罪をしたが、ひふみは顔を綻ばせて、
「…はい!」
と出て行ってしまった。
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そこからというもの、特に問題は見当たらず、静かな毎日が過ぎていった。クオリティをあげ、バグを取り除き、少しずつ少しずつトンネルを掘り進めていく。そんな作業を続けている。
この日から、コウがだんだんおかしくなっていった。