あの後、会社に今日は三人とも早退します、とだけ伝え、コウを半ば引きずりながら、司とりんはコウの家まで運んで行った。りんが合鍵を持っているからだ。コウは司に負ぶわれている間、ただ、静かに涙を流しているだけだった。家に着いた後も一言も喋らず、呆けたように座っているだけだ。もはやりんも諦めたらしく、一言も話さない。
こういう時、どうするべきか。何だかんだ一年以上の付き合いになって、この人らとの喧嘩はもちろんあった。司とりん、コウが言い合えば、りんとコウも喧嘩することもある。そうなったら、対処法は、ただ一つ。
司は立ち上がり、キッチンに向かった。まるで買ったばかりのように、随分と綺麗だ。コウが掃除するとも思えない。おそらく、りんがご飯を作りにきたときにしか使わないのだろう。上にある棚を漁る。すると、以前に買った、少々値が張るいい緑茶の茶葉が残っていた。以前司が出張に行った際のお土産だ。りんは喜んでくれたが、コウは微妙な顔をしていた。あまり興味がないのかもしれない。
やかんに水を入れ、コンロにかける。IHなんて良いものじゃない。その間に茶葉の準備をする。体全体に染み渡るような、茶の香りが鼻をくすぐる。やがて、やかんに入れた水が沸騰すると、茶葉を入れた急須にお湯を注ぐ。お湯に茶葉の成分が行き渡るまでに、また上の棚を漁る。すると、またもや出張先で買ってきたチョコクッキーが出てきた。こちらは随分と減っている。茶を三人分のコップに入れ、チョコクッキーと一緒にお盆に乗せて、二人がいる背の低いテーブルまで持っていく。
「ほら」
「あ、ありがとう」
「コウも」
「…りがと」
掠れた声で応じた。もうすでに五時を回っている。昼時から何も口にしていないのだろう、コウの限界が見て取れた。
その後はひたすら三人の茶を啜る音とクッキーを食べる音が部屋に響いた。しばらくして、クッキーも茶も無くなる。
「…なあ、りん。ここは一旦解散にしないか?コウも疲れてるだろうし、明日は休みだろ?そこで話聞けばいいじゃないか」
「司くんはそれでいいの?」
「構わない」
「…分かった。じゃあ、今日のところは諦めるわ。でも…」
りんはコウを見る。睨むように。
「明日、ちゃんと話してもらうからね」
「……」
コウは、かすかだがたしかに頷いた。
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家に帰って、とりあえず風呂を浴び、簡単な料理を作って、コーラで喉を潤しながら考える。結局、司はこの状況を全く知らないのだ。何が起きたか分からない。分からないが、それなりに推測出来ることがある。会社に帰った時に見た、あまねの歪んだ顔とブース内の空気。全く、自分が嫌になる。コウが前から張り詰めていたのは分かっていた筈だ。緊張の糸をほぐしてやるのが自分の役目なのに。ましてその糸を切ってしまうなんて。
「はあ…」
思わず頭を抱えてしまう。その時、スマートフォンが鳴った。見てみると、葉月からの連絡の通知だ。今日はどうしたの?といった内容のメールだった。
気づいたら、葉月に電話をかけていた。二回目のコールで出てくれる。
『もしもし?どうした?』
「…あの」
声音で察してくれたらしい。電話の向こうで神妙な空気になるのが分かった。
「今、大丈夫だった?」
『全然大丈夫だよ。…やっぱりなんかあったんだね』
「うん。…話、聞いてる?」
『私も今日出張だったから、人づてだけどね。なんでも、コウちゃんが新人の子に酷いこと言ったらしくて』
「そっか…」
ため息が出る。
「これは…どうすればいいんだ…?思うに、これは本人たちの問題でしょ?俺たちが干渉したって、本人たちが納得しなかったら、ずっと残り続ける」
『私たちが出来ること…。そうだな。単純に、話し合いの場を作るとか』
「話し合いの場…」
『そう。逃げられないようにして、とことん、それこそお互いが納得するまで、話し合わせる』
「そ、それだ。それがいいかも」
『とりあえずそうしてみて、危なそうだったらまた考えればいいよ。…司。やれる?』
「うん、大丈夫。やるだけやってみるよ」
『ごめんなさい、私が仕事が立て込んでるせいで、司に負担かけて』
今更だが、現在葉月は芳文堂のプロデューサー、大和・クリスティーナ・和子とともに、出張中で、あと数日は帰ってこない。
「全然。そんなことないよ。そっちこそ体、気をつけて」
通話を切る。
「はあ…」
安堵のため息だ。自分のことを心配してくれる人がいることに、その人とつながれることに、ひどく心が落ち着く。
ちらりと時計を見ると、十一時を回っていた。いつもならもう少しゆっくりしているのだが、今日はもう寝よう。今日は今日でも、目覚めたら違う朝だ。なるようになる。
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翌日。朝のうちに、りんとコウを家に呼び出した。ここに来ても、コウとりんは話さないままだ。
椅子に座った二人に、熱々のコーヒーを出す。
「さあ、とことんまで言ってもらうからな。お前の正直な気持ちを言ってくれ」
「うん…」
コウは昨日よりも落ち着いたようだが、まだ元気がない。まるで、何かに諦めたかのようだ。
「昨日、おこったことは…」