その日、コウやあまねたちキャラ班は、いつも通り、普通に仕事をしていた。いつも通り、誰も喋らず、課せられたノルマを片付けていく作業を。司はこの日まで外回りが詰まっており、会社に戻る暇がなかった。りんも背景班が忙しい。三人は、この日、バラバラになっていた。
「……」
この日でコウは二徹目。どうしても新作のキャラデザに納得がいかない。さらには、ADとしての責任、重圧。正直、任命された日から気がおかしくなりそうだった。最近では実際に気を失いかけたこともある。でも、誰にも言わない。一番親しいはずのりんにも、司にも言わない。二人に追いつきたいから。隣に居たいから。二人に返しきれないほどの恩を返したいから。きっとこの仕事をやり遂げれば、私は変われる。胸を張れるんだ。ただ、それだけの思いが、彼女を動かしていた。
無心になってペンを動かす。無心の方がアイデアがスッと出てくることもある。
「出来ました」
あまねが完成した、キーモブキャラの設定画を提出する。
「ありがとう、そこ置いといて」
今見ている暇はない。自分は、このゲームの顔を書いているんだ。そんなモブキャラ程度、なんだっていうんだ。
「…すいません。モブキャラ程度で」
「…っ」
声に出てた?まさか。もう、声も出ないくらい疲れてるはずなのに。
「出てますよ、声に。先輩、疲れると隠し事できないんですね」
「…ああ、そう。ごめんね。でも、今はちょっとキャラデザに集中したいから。後でいいかな」
「そう言って、昨日も結局見てくれませんでした」
あまねがデスクのある一点を見つめる。コウもその目線を辿ると、目に入ったのは、大量の設定画。そういえば、昨日も提出された気がしないでもない。
「…ごめん」
「いいですよ、謝らないでください。先輩が頑張ってるって、みんな知ってますから」
字面だけ見れば、なんていい後輩なんだろうと思ってしまった。しかし…。
コウは、その言葉に、悪意を感じてしまった。
「…ありがとう」
その違和感を胸にしまい、作業に戻るためにデスクへと向き直る。ふと、周りを見渡していた。みんなちゃんと仕事やってるかな、程度の気持ちだった。
偶然だったのかもしれない。たまたま、その時、後ろを向かなければ、こんな思い抱かなかったのかも。
あったのは、悪意の目。
自分だけ特別だと思いやがって、という汚い声。
「…え?」
思わず声に出てしまった。同時に悟ってもいた。ああ、やっぱり私は、そういうやつなんだなって。
「ふざけないでよ。一人だけ頑張ってるって顔して。やってんのはあなただけじゃないのよ」
「あんただけ辛いみたいな顔しないで。あんたに付き合わされる私たちはたまったもんじゃないわ」
「もう嫌だ…。疲れた…」
みんな、口からブツブツと声を漏らしている。普通なら、聞こえない程度の声だろうが、誰も喋らない静かな、しかも狭いブースだったのが不幸だった。いや、招き寄せた。
「……」
薄々気づいていた。みんなが私のことをよく思っていないって。一年前から続く因縁は、まだ無くなってないことに。それを承知で放って置いた、私のせいだ。私の、せい…。
「あれ…」
視界が歪む。鼻が熱くなって、耳がぼうっとする。視界がクリアになったと思ったら、手元の資料に大きなシミができた。
「ふっ…。う、ふうう…」
声を抑えきれない。嗚咽が大きな大きくなる。狭いブースだ。すぐに周りも気づく。
「ちょっと…なに泣いてんの…?泣きたいのはこっちよ…!あんたのせいで、みんなどれだけ疲れてると思ってるの!?」
「あなたが全部抱え込むから、キャラ班が余計に働かなきゃいけないんじゃないじゃない!」
「だいたい、あんたがキャラデザじゃなければ、もっと…」
もうやめて。
「もっと、みんな幸せだった!」
ポタポタと涙が落ちる音がやたら大きく感じられる。
ブース内は私への怒号の大合唱だ。
でも、私の周りに薄い膜があるみたいに、音がぼやける。
なにもきこえないの。
なにもきこえないの。
みんなわかってないんだから。
わたしのきもちなんて。
しらないから、ひどいこといえるのよ。
あのふたりなら、そんなこといわない。
あのふたりなら。
りん。
つかさ。
「みなさん、やめてくださいよ!」
あまねが叫んだ。
「こんなところで言い合いしてても仕方ないじゃないですか!私たちゲーム作ってるんですよね!?ケンカするためにここにいるわけじゃないですよね!?八神さん責めても何にも意味ないじゃないですか!八神さんだって、人一倍頑張って…」
「あなたに私のなにがわかるの…」
口がいつのまにか声を発していた。
「え…?」
「誰も私の気持ちなんてわからないよ…。あの二人以外、だれも…」
「八神さん…?」
「うるさいっ!触らないでっ!」
彼女の手を払った。
「才能がないくせに、私と同じ場所にいないくせに、なにわかった風なこと言うの!ムカつくんだよ!お前らも、私ばっかりだけどな、自分ならどうなんだ!?やってみろよじゃあ!ふざけるな!私を悪者にして!私と同じ思いをして、同じ努力をして、同じ屈辱を味わえ!」
もう、止まれない。
「もう、知らない」
だれかたすけてよ。