変わらずにはいられない。
どんなことも、何があっても。
転がり続ける石のように、坂の果てまで。
行く末は、まだ、わからない。
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昨日からりんの連絡がない。
初めは、「昨日、お疲れ様」とメッセを送り、その後数時間経って、寝る直前になっても返信がなかったのを少しおかしいと思ったが、疲れているんだろうな、と納得した。
不安が現実になったのは、翌日、会社にりんがいなかったことだ。いくらメールや電話をしても返ってこない。
この日、司はボッチだった。
「よし、ぱっぱと終わらせて、りんのところ行ってみるか」
きっと体調でも悪いんだろう。そういうわけで、いつもより早めに仕事を切り上げ、プリンやスポーツ飲料などをコンビニで購入した。
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『ごめん、今は会いたくないの』
そう言われて追い出されてからもう十分。司はトボトボとりんの家がある中野周辺を散策していた。中野は家賃が高いと聞くが、よく住めるなあと感心していたが、そんな気持ちももう失せてしまった。そもそもだが、司には友達というものがあまりいなかったので、信頼した人に一時的とはいえ拒否されると傷つくどころでは済まないのだ。
「そうだ、今日もコウのところ寄らなきゃな」
そう思い出し、お土産を買うのにちょうどいいと中野の南口付近の商店街を物色する。これから中野からコウの住んでいる荻窪まで10分以上かかるのを考えると、また余計な思案をしてしまいそうで、少し参った。
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コウの家の前。ここに通ってもう半年近くになるが、未だに顔を出さない。
「はあ…」
毎週必ずインターホンを鳴らし、世間話をし、時には管理人に誰だお前は何しに来たと厳しく問い詰められながらも、通い続けた。その間一度も嫌だ、めんどくさいと思ったことはないが、今、初めて、不確かなマイナスの気持ちが掠めた。
気だるくインターホンを押す。
「……」
数秒待つが、やはり反応はない。もう一度ため息を吐き、扉から離れようとした、まさにその時。
「…司」
驚いて振り向く。そこには、たしかに、想って止まなかった友人の姿が。髪はボサボサで、最後見た時から明らかに痩せている。お世辞にも健康とはいえなさそうだった。
「…コウ、お前」
「司、聞いて欲しいことが、あるんだけど…」
コウは遠慮がちに部屋を指す。
「上がって、くれる?」
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半年ぶりに訪れたコウの家。思ったより綺麗で少し驚いた。
「りんが来てくれて掃除手伝ってくれたから。一人だったら今頃ゴミの山だな」
「……」
こういうときどう返答した方がいいのかわからない。肯定すれば嘘だと言われるし、否定すれば失礼だと怒られる。結局司は答えないという道を選んだ。
「それで、話したいことって」
「うん…」
コウは押し黙ってしまう。きっと、コウの中でも色々な葛藤があるんだろう。辛抱強く待つ。
「…あのね」
ついにコウが口を開いた。
「私を、新しい企画のチームに入れて欲しいの」
「」
息をするのを忘れてしまうくらい、これまでの全てが「嵌った」気がした。
「…司?」
コウが不安げな顔をする。返事がないのを不審に思ったんだろう。
「…ありがとう」
もう止められなかった。涙が溢れ出す。
「ちょ、司」
「その言葉を聞きたくて、俺は、ここまで来たんだ」
「司…」
「ありがとう…!」
コウをひしひしと抱きしめる。
コウは司の頭を優しく撫でる。
「司、私こそ、ありがとう。でもね、りんのおかげなの」
「りんの?」
「りんが、私をひっぱたいてくれたの。このままここに居続けるつもりかって。私は前に進むけど、あなたはそのままなのねって」
「……」
「だから、私も進みたいって思ったの。私は、今度こそ、二人の追いついてみせるって。まだまだだけど、必ずやり遂げるから」
「ああ。じゃあ、俺も負けてられないな」
「あ…」
と、コウは付け足した。
「この後、りんのとこ行きたいの。バイク、乗せてってくれる?」
「え、でも俺歩きなんだけど…」
「家、ここから近いでしょ?風を感じたい気分なの」
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「ほい、ヘルメット」
「ありがと」
コウにヘルメットを投げて寄越す。二人乗りなんて生まれて初めてだ。
「よし、できる限り安全運転で行くからな。しっかり掴まってろよ」
「前から思ってたけどさあ…」
コウがバイクを見下ろす。
「この蛍光緑、悪趣味だよね」
「なんんだとお!?お前、このカワサキニンジャ250の素晴らしさがわからんのか!?この粋な配色、絶妙な流線型、エンジンは248cc水冷4ストローク並列2気筒DOHC、これだけのハイスペックを誇り、なおかつお手頃値段の良さがなぜわからない!?」
「あ、うん。司ってこんなに面倒だったっけ」
「まあ乗ってみればわかる。もう一度言うが、しっかり掴まってくれよ」
エンジンをふかす。心地よい振動が尻を揺らす。
「おおっ」
「じゃあ行くぞ」
アクセルを切り、車体を前進させた。初めはゆっくりと。しかし少しずつスピードを上げ、法定速度に近づけて行く。
「……」
「どーだ、気持ちいいだろ」
ヘルメット越しにも感じる、他の何にも例えられない感覚に、コウはご満悦のようだ。
「…」
すると、コウは司の体に回した手の力を強めた。
「どうした?」
「…うん」
「言ってみ」
「…うん。あのね…」
おずおずと話し出した。
「私、今まで人に好かれたことなくって。こんな性格だから、恋人どころか友達もいなかったの。だから、なんというか…大事な人との仲直りの仕方がわかんないの」
「そんなの簡単だろ。自分の気持ちをぶつけりゃいいんだよ」
「そんなこと」
「それが出来ない奴が多いんだ。多すぎる。みんな、建前だとか上っ面で我慢するんだ。それで損をする。俺もそうだった。お前はそうはならないで欲しいけどな」
「司…」
「俺が前に俳優だったことは話したろ?」
「うん」
「俺はぶっちゃけ言えば、父さんと母さんのために、あの二人から褒められるために頑張ってたんだ。それがたまたま上手いこと行ってたんであって、特に有名になることにこだわっちゃいなかった。ただ、あの人たちに誇りに思って欲しかったんだ。ま、血は繋がってなかったけどな。そんなのは関係なかった」
「……」
「でも、俺が十五の時、二人が事故にあって亡くなって。そこからがむしゃらになってった。そこで人も上っ面の厚さとくだらなさを知ったんだ。だんだん腐っていって、ついには事務所もクビになった。悪いこともいっぱいやったなあ。そこで、出会ったのがお前なんだ」
「え…?」
「お前、よく新宿の画材屋行ってただろ」
「うん、でも、なんで」
「あそこ俺の根城だったから。びっくりした。こんなに綺麗な人がいるのかって思った。一目惚れだった。それから、あの人に見合う男になろうと思って、悪いことも全部やめて、しずくさんのとこ転がり込んで、武者修行した。スケジュールの組み方、人の動かし方、仲介の仕方、コンペの仕方、なんでもやった」
「そっか、だから…」
「しずくさんには迷惑かけたけど、感謝してもし足りない。だから…。あー…。何を言おうと思ったんだっけ」
「…大丈夫。いいたいこと、伝わったから」
「そ、そっか。ならいいんだ」
「私も、ぶつかってみるよ」
「…ああ。頑張れ」
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インターホンが鳴る。寝ていたようだ。時計を見れば、もう七時近い。今日はもう誰にも会いたくない。何か宅配頼んでたっけ…?お腹が鳴る。そういえば朝から口に入れたものはコップ一杯の水だけだった。なんとか気力を振り絞り、ドアまで向かう。何も考えてなかった。
「…りん。こんばんわ」
「よう」
そこにいたのは、最愛の人と、大好きな友人だった。寝ぼけていた頭がいきなりフル回転を始めるが、燃料が足りない。
「スープパスタの材料持ってきたんだ。食うだろ?」
「どうして…」
「どうしてって、心配だろう。連絡もろくにしないで。体調悪いのか」
「え、えっと」
口が裂けても、失恋の傷心とは言えない。
「う、うん」
「よし、安心しろよ。俺のスープパスタは重くない。病人にも安心設計だ。台所借りるぞ」
「あ、どうぞ」
許可を取る前にもう色々出して作業している。それより気になるのが。
「……」
いそいそと座っているコウだ。気まずいにもほどがある。
「あ、俺ちょっと水がうるさくて何も聞こえないからー。安心して大声で喋ろよ」
司も司でなんだかよくわからない気の使い方をしている。
「あ、あの、コウちゃん」
「りん」
コウが真剣な目でこちらを見ている。
「私」
「わああああ、待って、待って!」
「へ?」
「け、化粧、いま、顔ひどいから!」
「別に気にしないけど…」
「私が気にするの、せめて顔はきちんとさせて!」
慌てて洗面所に逃げ出した。
「コウちゃん…」
油断すると涙が出てくる。
ーーダメよ、りん。昨日涙は流し尽くしたでしょ!?これ以上みっともなくならないの!
冷水で顔を洗い、化粧を塗りたくる。自分でもなんだが、化粧は上手い方だという自負はある。
十分ほどで、とりあえず人前に出れる最低限になった。
「…よし」
これからは、何もなかったように振る舞おう。失恋の痛みは時間とともに消えるらしい。コウちゃんに気づかれなくても、一緒に入れるだけで幸せなのだから。
「ごめん、コウちゃん。おまたせ。…あれ?司くんは?」
「生クリーム足りなかったんだって」
「そう…」
大方気を利かせてくれたのだろう。しかし、二人きりだと余計に気まずい。
「えっと…コウちゃん。今日はなんで来てくれたの?」
「昨日、ちゃんと返事しなかったでしょ?りんがしてくれたように、私もぶつかってみようと思って」
「……」
俯く。忘れなきゃ。
「気にしないで?昨日のは、冗談だから。本気にしないで、ね?私たちは明日からいつも通りよ。今日はたまたま風邪引いちゃっただけなの。心配しないで」
「りんはあんなに辛そうな顔で冗談を言うの?」
「…それは」
「りん、私、私ね」
「りんとは付き合えない」
「……うん。わかってた」
「ごめんなさい。せっかく、私を好いてくれたのに」
「いいのよ。私も、ごめんね。困らせること言って」
「ううん。困ってないよ。嬉しかったから」
「嬉しい…?」
「うん。だって、私、今まで人に好かれたことってあんまりないからさ」
「そう、なの」
「昨日言ってた交流会だって、すごく覚えてる。もともとお嬢様学校で、私は奨学生だったから馴染めなくて。もし、学生時代に会えてたらって思うと、すごく悔しいよ」
「…そっか」
「でも、今、りんと会えたことは、意味があることだとおもう。…ありがとう。私を好いてくれて」
「…なら」
目の前で、とても優しい笑みを浮かべているコウちゃんに、私は少しわがままになってしまう。
「なんで、私じゃダメなの?私が女の人だったから?それとも、距離が近かったから?それとも…」
「ううん。違うよ。私じゃ、りんを幸せに出来ないから」
「どうして?そんなこと…」
「今までだって、今回だっていっぱい迷惑かけたし、これからもいっぱい迷惑かけると思う。私、不器用だから、りんが今よりもっともっと大切になったら、きっとりんのためになんだってやっちゃう。司だって、葉月さんだって怒らせるかもしれない。りんまで傷つけちゃうかもしれない。りんに負担、かけたくないんだ」
「…私のためってこと?」
「そんなに自惚れてないよ」
「そっか。コウちゃんは優しいね…」
ぽろぽろと水滴が手の甲の上に落ちている。視界が歪んで目頭が熱い。また泣いているみたいだ。
「でも、最低…!」
「ごめん」
「最低…!最低…!私みたいないい女そうはいないからね!それを振るなんて、不幸者!」
「ごめん」
「もうコウちゃんなんて知らない!知らないんだから!もう助けてあげないんだからぁ!」
「ごめんね」
コウちゃんは私をそっと抱き寄せた。私はコウちゃんの胸に顔をうずめ、思いっきり泣き叫んだ。コウちゃんの服が涙で濡れても構やしない。コウちゃんは私の頭をそっと撫でてくれる。
「うるさい、振ったんだから、これ以上優しくしないで…」
「ごめんね。でも、りんは大切なんだ」
「最低…!そんなことされたら、諦められないじゃない!」
「…うん」
「うわあああああああん!」
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司は扉の前で二人の漏れ出る声を聴きながら、安心していた。
「よかった。あいつら、とりあえず大丈夫そうだ」
司は心から願った。コウとりん、そして、ひふみやあまね。これから動き出す人々へ。
どうか、後悔だけはしないでくれ。