「では、第一回の会議は、これにて終了ということで。お疲れ様でした」
「はい。こちらも、とても有意義な時間を過ごすことができました。ありがとうございました」
樫井さんと大和さんが互いに礼をする。そうして、『フェアリーズストーリー』の初めての会議は、何の波乱を起こすことなく、無事終了したのであった。
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「き、緊張した…!」
会議室から出るやいなや、コウは全身を脱力させて、倒れかかった。難なく受け止めたが、正直、今更かよ、と思っていなくもない。
「よく言うぜ。会議前はパンイチで歩きまわってたくせに。あのあとりんにど叱られてたよな」
「しょうがないじゃん。スカートとか、なんかこう、ムズムズするから」
「全然全くしょうがなくない。スカートが嫌なら、ズボンでも履いてこればいいじゃないか」
「違うの。下に何か来てくるのがやなの」
こいつは…。と思い始めると、ちょうど目の前をりんが通りがかった。
「あ、コウちゃん、司くん。葉月さんが呼んでたわよ」
「葉月さんが?なんのようだ?」
「私も、って言ってたけど…。とりあえず、一緒に行こっか」
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「君たちに、話してたおかなければならないことが一つある。これは、社会人にとっては重要かつ死活問題だ」
「…」
いきなり始まった物々しい雰囲気に、何も言えない。
「普段はこんなことしなかった。我々だって、予定以外のことはしたくない。しかし、これは我々の信用問題だ。関わるんだよ、すごく」
「…」
「そこで我々は、ある決断をすることにした。これはイーグルジャンプの、総意だ」
「…あの、なんの話ですか」
「君たちの給料の話だが」
「…ああ」
そう言えば月末だったな。
「本来なら二日前には支払われる予定だったんだけど、どうにもドタバタしているうちに支払いが滞ってしまってね。初任給に気持ちをちょっと上乗せというわけさ」
「気持ち上乗せ…?」
「やったねコウちゃん!これでもっと豪華になるね!」
「うん。夕食のグレードをあげてもいいかもしれない」
不意に葉月さんの電話が鳴った。
「うん?うん。うん、了解だ。うん。今から行く。うんうんわかってるって。…悪いね。パブリッシャー様からの呼び出しだ。話はこれで終わりだけど、何か質問ある?…よし、じゃあ、給料は今日、しっかり振り込んでおくから、確認しておいてね」
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ディレクターの事務所を出る。
「初任給かあ…。なんか、お給料もらうと社会人って感じがするなあ」
「そうだね。いつまでも学生気分じゃいられない」
りんのつぶやきに、コウが同意する。
「司くん?どうかしたの?」
りんが顔を覗き込む。どうやらぼうっとしていたのを見抜かれたようだ。
「いや…。なんか懐かしくて。仕事で給料もらうのは久しぶりだから」
「ふーん…。なにかバイトとかしてたの?」
コウが聞いてくる。
「ああ。まあ、そんなかんじ。…そう言えば、夕食とかなんとか言ってたけど、二人でどっか行くのか?」
「うん!私とコウちゃんで、温泉巡り!お給料もらったら二人で行こうねって、ずっと前から計画してたの!」
「女ふたり旅だから。誘えなくて悪いね」
「いや…。全然。楽しんでこいよ」
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帰り道、バイクを飛ばしながら、考えに耽る。
仕事の給料。労働に従事する時間を金で買うシステム。このたった十八万円が、金額以上に輝いて見える。今までの自分が稼いで来た金が、いかに汚れているか思い知らされるようで、苦しくなる。
途中、銀行に寄って、少しだけ降ろす。そして、その足で花屋に寄り、そこでとびきり上等な、美しい花を買う。これで準備は万端だ。
そうして国立に向かう。
一面に広がる、黒い景色。霊園に来た。その中の二つに、先ほど買った花を供える。
「元気か?お父さん。お母さん」
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「おはようございます」
六月の初め、土曜日。予算のさらに具体的な計算をするために、いつも通りの休日出勤。来る途中、動物園に向かう親子の和やかな会話を聞いて、情けなくも泣きたくなってしまったが、そんなことは関係ない。今日からコウとりんは岐阜の方に温泉に行っている。あいつらと仕事場で会わないのは新鮮だ。自分の席につき、デスクトップを立ち上げる。資料室から予算関係のものを片っ端から持って来て、計算する。
「…」
誰もいない仕事場に、キーボードを叩く音だけが聞こえる。普段から近くに誰かしらいる状況に慣れている身で、一人きりは珍しかった。
「あ、司くん」
「葉月さん」
葉月さんが入って来る。どうやら、俺がいるとは思わなかったらしい。
「ちょうどよかった。君に言わなくちゃいけないことがあるんだ」
「言わなくちゃいけないこと?」
「今度、メインキャラクターのオーディションがあるでしょ?君にも参加して欲しいんだ」
「…え?俺がですか?な、なんでですか」
「おいおい、君が『アスカ』を生み出したの、まさか忘れたのか?」
『アスカ』というのは、『フェアリーズストーリー』で、俺が考えた主人公のライバルキャラだ。
「そりゃ覚えてますよ。でもいいんですか?俺みたいな新米が現場に乗り込んで」
「いやあ、現場責任者の大葉さんが呼んでこいって言ってたから。いいんじゃない?君も必要だよ」
「でも、まだプロトタイプもできてないのに…」
「あ、それは、ボイス付きにすることにしたらしい。この前の班長会議で決まったんだ」
「わかりました。そういうことなら、いくらでも参加します」
「よし、じゃあ、大葉さんに伝えておくよ」
そんなこんなでオーディションに参加。どんなことになるやら。