翌日。出社した俺は、すぐさま葉月さんに呼び止められた。間違いなく昨日のことだろうと、怒られるのを覚悟していたが、
「昨日大葉ちゃんと喧嘩したんだって?昨日大葉ちゃんから電話があってさ〜。たくましいねってさ」
「…たくましい?」
「うん。ほら、君、前は何か意見の食い違いがあっても、カンケーねーみたいに澄ました感じだったから。大葉ちゃん喜んでたよ。情熱がある子と一緒に仕事できて嬉しいって」
「そんな…。昨日だって、散々失礼なコト言ったのに」
「ケンカなんてこの業界じゃ日常茶飯事さ。妥協や馴れ合いじゃないんだ。各々が思ういいものを作りたければ、そりゃお互いに思ういいものは違うんだから、意見の違いは出るさ。それを擦り合わせてその理想に近い、納得の行くものを作るのが、私たちなんだよ」
胸にしみた。昨日のタテビさんの言葉が土壌になって、肥料みたいに染み込んだ。そうだ。妥協じゃないんだ。いいものを作るためには、意見の衝突は避けられない。避けられないこそ、それを最大限利用するんだ。おかげで、自分のこれからのやるべきことが見えた気がする。
自分のスマホが鳴る。どうやらメールが来たようだ。差出人は、大葉さん。
『本日十四時。第二会議室にて、会議を行います』
これで後戻りは出来ない。しかし、もう腹はくくったつもりだ。あとは突っ走るだけだ。
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「では、これより会議を行います」
大葉さんの司会で始まった会議だが、この場には三人しかいない。大葉さん、俺、そしてタテビさんだ。他の方々が、このことならこの三人に任せても問題ないと判断して、信頼してくれたおかげだ。
「この会議では、前回オーディションで難航したアスカ担当声優を決めたいと思います。そのためには、議論を尽くす所まで尽くすつもりです。よろしくお願いします」
「…そのことなんですが」
あれからずっと考えていたこと。妥協じゃない、馴れ合いや諦めでもない、それなりに無謀な挑戦。
「俺の意見は前と変わりません。キャラクターに声をつけると、そのイメージが変わってしまう。その代案を考えました」
「…わかりました。それで、その代案というのは?」
「まだ世に出ていない役者さんを使うことです」
「世に出ていない…?」
「はい。デビューして間もなかったり、あまり出演作がない人たちです。言い方は悪いですが、その人たちはおそらく、人々耳に残ってないはずです。この際、まだデビューしていなくても構いません。…これが、代案です」
「…」
大葉さんは、しばらく考える素ぶりを見せる。
「タテビさんは、どう思われましたか?」
「なかなかいい案だと思うよ。でも、そうするともう一回人を集めなきゃいけない。それに、わざわざ集まってオーディションしたのにそこから役が一人も出ないっていう文句も絶対くる。それはどうするつもりだい?」
「そ、それは…。誠心誠意、謝るっていう…」
「残念ながらそれじゃ甘いなあ。社会はそんな甘々じゃないんだ。謝れば許してもらえるのは学生までだぜ。それに、声優たちを集めた芳文堂の面子もある。おいそれと謝れないし、まず、謝りに行かせてもらえるかどうか」
「そんな…」
「それに、仮に君が謝りに行ったとしても、君みたいな新人社員の頭なんて、何も価値がないって一蹴されるのがオチだ」
「…」
一気に目の前が真っ暗になる。ない頭を絞ってやっと捻り出した答えは、ここまで隙だらけだったのか。
「じゃあ、音響監督の頭なら?」
「…へ?」
「タテビさん。どうなの?」
「まあ、価値はないとは言い切れない。…ちょっと待ってくださいよ。本気ですか?」
「さあ?私は質問してるだけです」
「…大葉さん?」
「宮前くん。先日、君に言われたことを、自分なりに考えてみたの。確かに、私は音響監督だから、キャラクターの担当を決める権利、いや、義務がある。でも、それを必死に考え出したのは、あくまでキミたち、クリエイターだってことを、いつの間にか、忘れていた。あの時否定したけど、確かに私は、妥協をしていたののかもしれない…」
そして、俺の目をまっすぐ見つめる。
「これは、初めてのゲーム業界参入。失敗、挫折はかならずあるけど、それを乗り越えなきゃいけない。この一件は、一つの関門だと思う。あなたが、本気なら。本気でアスカのことを、そして、このゲームを良いものに、いや…一番にしたいなら、私は、このちっぽけの頭を何度でも下げます」
もう戻れないぞ。目が語っていた。良いさ。やってやる。もとより玉砕覚悟の特攻のつもりだった。それに少しのリスクが加わったところで、痛くも痒くもない。
「はい。俺は、やりたいです。一番にしたいです!大葉さん。お願いします…!」
できる限り深く頭を下げる。この感謝が、少しでも伝わるように。
「参ったなあ。本当に出来ちまった」
タテビさんは降参だというふうに、頭をかく。
「もしかして、とは思っていたけど、まさかなあ…。わかりました。じゃあ、自分も同行しましょう。僕の頭なんて軽いから、いくらでも下げられますよ」
「タテビさん…」
涙が出そうだった。もしかしたら少しチビってしまったかもしれません。そのくらい、全てに感謝した。この仲間と、環境に。
「じゃあまず、葉月ちゃんに直談判しに行きましょうか」
「はい」
「しょうがない。頰をひっぱたかれに行きますか」
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「え、全然いいよ?なんかそんな予感したし」
「はい…?」
「まじ」
「…」
全く予想していなかった答えに、三人とも絶句した。
「大丈夫。私あっちに貸しがあるから。安心してよ。多分、その新人さん集めるってのもイケると思う」
トントン拍子に進む話に、着いて行けなくなってしまう。
「あ、そうだ。じゃあ私も謝りに行くよ。私ディレクターだし。こういう時に責任とらないと」
「あ、はい。…ありがとうございます」
「ま、まあ…。これで、だいぶ楽になったっていうか」
タテビさんがぼやくと、葉月さんが考え出した。
「楽になった…?君達も謝りに行くんだ。当たり前だろ?」
「いや…。そのつもりっすけど」
「…なんか気にくわないなあ…。そうだ。じゃあ、条件つけちゃおっかなー」
「条件…」
「タテビくん。あなたうちに入りなさいよ」
「あ、いっすよ」
「良いんだ…」
「葉月ちゃんが男を入れるだなんて…」
葉月さんも信じられないという顔をする。
「え…?いいの?」
「大丈夫っすよ。今フリーだし。宮前くんともっと仕事したいしね」
「そ、そんな…。持ち上げすぎです」
「そこまで言うのか…。わかった。それじゃあ、私も着いて行こう」
「え、いいの?」
「まあ、私が行った方が誠意が伝わるんじゃないかな?正直、 この相談されてからそうする方がいいかなって思ってたし」
「あ、ありがとうございます」
「なんのなんの。私って、ほらこういう時のためにはいるから」
話がまとまった直後、一同は荷物をまとめて芳文堂へと出発した。
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「あ、私私ー。うん。いや、ちょっと問題が起きちゃってさー。うん、そう。クリスちゅわんの助けがどーしても必要なのだよー。…あ、いや、ちょ、切らんで切らんで!ほら、言うこと聞かないと、あのことバラしちゃうぞお。…。…。わかってくれたか!よし!じゃあ、君のオフィスで。うん。うん。もちろん。ほんじゃ」
通話を終える。
「いやー。セーフセーフ。これで大丈夫だよ。よし、じゃあ乗り込もう!…でも、その前に」
葉月さんが俺の方に振り返る。
「君は本当に、いいんだね?前も聞かされたと思うけど、君はもう社会人だ。君の発言には、責任も伴う。君のわがままで、最悪、チームから外されてしまうかもしれない。それでも、構わないかい?」
「はい。何が来ようと、全部を受け入れます。でも、自分の納得するまでやりたいんです」
「安心しな。声優事務所への謝罪は、俺も一緒に行ってやるから」
「ありがとうございます。タテビさん」
「これも悲しきかな。クリエイターの性だ。肯定するわけじゃないが、尊重してやるよ」
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「全く…。とんでもないことを言ってくれますね」
事を話された大和さんは、はたから見てもひどくご立腹だ。
「会議で頼まれたことをそのままやったのに文句だなんて…。少しは立場を考えてください」
「…考えた上での、行動です。全ておれ、いや、私の責任です」
「なんの地位もないあなたが責任を取ったって、何も変わりはしません。悪化もしないし、良くもならない。そこをわかっているのですか?」
「…はい」
「私に言わせれば、心底甘い。社会というものをなめてます。それに、あなたたちもです。こんな若造の暴走を止めるどころか、そのまま着いて行ってどうするんですか」
「いやー。乗りかかった船っていうか。若気の至りを思い出しちゃって」
「そんな言い訳聴きたくありません。全く…」
大和さんは苦しげに眉間を揉む。
「私だってあまり厳しいことは言いたくありませんが、これは度が過ぎてます。あなたのわがままのせいでどれだけの人の時間を奪うのか、わかっていますか?まず、声優さんを派遣してくださった事務所への謝罪。そして再収集。これだけで、おこがましい。次に、スタジオのセッティング。これにまたお金がかかる。そして再選考。そのための人員追加。あなたが伊達や酔狂で言い出したことで、これだけの人とお金が動くのです。正直、あなたはわかっているとは思えない。私が思うに、あなたはクリエイターという仕事に酔っているのです。いいものを作るためなら仕方ないと言って、責任を考えていない。愚かの極みです」
「うわ、厳しい…」
タテビさんが苦笑いをするが、これも事実だから仕方ない。
「はい。わかってます。重々承知しています。だから、全て私がやります」
「全て?」
「はい。事務所への謝罪も、スタジオのセッティングも、声優さんを集めるのも。そうすれば、他の人に迷惑をかけません」
「それこそ子供の発想です。仮に全てあなた一人でやったとして、一体どれくらいの時間がかかるのです。もう全体の計画書は我が社に届いています。遅れは許されません。あなたがもたもたしている間に、ゲーム製作はどんどん進んでいく。また遅らせた責任が、あなたにかかります。それはどうします?」
「…できる限り早くします」
「…はあ。そこまでです。さっさと帰って、事前の声優で決めてください」
何も言い返せない。正論で、身体中を刺される。まだ自分はガキであると思い知らされる。
「まあまあ。ちょっと待ってよ。こう見えて、彼は期待の新人なんだ。ここで潰すのは惜しい。でも、こうなった以上、責任を取ってもらわなくちゃ」
「何が言いたいんです?」
「この話をそのまま上に通してよ」
「…いい加減にして。このまま甘やかしていいと思ってるの?」
「思ってないよ。でも、もう騒ぎが広まり始めている。ならいっそ、お偉いさんにこの子の処遇を考えてもらおう。どうせ、君一人じゃ決められないでしょ?」
「…言っとくけど、私は知らないわよ。彼がどうなっても、私に大掛かりをつけないで」
「わかってるさ。これはあくまで、宮前くんの問題だ。だから、彼が最前線にいるべきだよ」
「…はあ。もう、わかったわよ」
やがて、大和さんは諦めたように、電話をかける。
「了解したって。それと、宮前くんを連れてくるように言われたわ」
「ありがとう。愛してるよ」
葉月さんは俺に向き直る。
「さあ、窮地だよ。君がどうなるかは、私はもう知らない。助けることもできない。君は全て受け入れますって言ったね?ここからは君一人だ」
「…こんなもの、窮地なんて言いませんよ。まだチャンスがあるじゃないですか。だったら、突っ走るだけです」
「…そうだね。君は、そうだったね…。どうなっても、後悔しないように」
「うん。ありがとう…。しずくちゃん」
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芳文堂最上階の一室。目の前に三人の偉い方々ががいる。黒田さん、関さん、そして大塚さんだ。ここには、俺とこの人たち以外には誰もいない。まずは黒田さんが口を開く。
「大和くんから話は聞いている。宮前司くん。年は十八。そして、またの名を天草司…。まあ、いい。こんなことは今回関係ない。きみは、どう思っているんだ?これだけのことをして、多くの人たちに迷惑をかけようとしてまで、君は何をしようとしてるんだ」
「自分が納得する、そして、いずれ、一番になるゲームを作るためです」
次は、関さんだ。
「わたしゃ間違ってると思う。君がこの件を通したからと言って、果たしてそれがいいゲームになるのかい?あくまで君はチームのうちの一人だ。君一人が行動を起こしたからって、意味ないんじゃないか?」
「それは、わかってます。ですが、誰も動かないからと言って、行動しないのは、納得できません」
「だからその納得というのが今回の問題だとわからないのかね?」
そう言ったのは大塚さんだ。
「まるで美談のように語っているが、それはただの自己陶酔だ。そのおかげで工程が遅れるなど、話にならん。いい迷惑だ」
「…はい。それも、先ほど大和さんにおっしゃっていただきました。しかし、それでも、私はわがままを貫きたい。なぜなら、アスカは私の生み出したキャラクターだからです」
「それは違うよ。キャラクターは生み出した時点でもう君のものじゃない。そのチーム全体のもの、そして、それを受け取った全ての消費者のものだ。自分の生み出したキャラクターに愛着があるのはわかるが、それだけが理由など、少々おこがましいんじゃないかい」
「はい」
「それにおこがましいといえば、大和くんから聞いたが、全ての責任を背負うなどと言ったらしいじゃないか。君程度が責任を取ったからといって、どうするんだ。それで解決すると思っているのか」
「思っていません。しかし、誠意は、伝わると思います」
「…そんな話は置いておこう。仮に、君の要望が全て叶ったら、『フェアリーズストーリー』は成功するのかね」
「はい。します。私はそう確信します」
「理由は」
「このチームには、素晴らしい人材しかいないからです。一人一人が本気になって取り組んでいる以上、成功以外の未来はありません」
「…」
大塚さんは考えている。おそらくその答えで、俺の運命が決まるだろう。
「黒田、関。まずは、どうだね。彼を、生き残らせるか?」
「…俺は反対だ。あえて、反対と言わせてもらおう。この失敗は、取り返しがつかなくなるかもしれない。そんなものを、こんな小僧に背負わせられん」
「わたしゃ、うーん…。まあ、賛成かな。ただし、重い罰を受けてもらう必要があるけどね。責任、背負わせる必要がある」
「一対一…。宮前くん。君はどうだ。まだ、仕事をしたいか」
「もちろんです。まだ、関わっていたいです」
「…」
再び考え込む。ここで、汚いかもしれないが、俺は祈ってしまった。頼む。頼む。まだ俺はみんなと一緒にいたい。このゲームを完成させたい。何かを。素晴らしい何かを手に入れるために、神様がくれたチャンスを、ふいにしたくない。頼む。頼む…!
「わかった」
運命の時が…。
「君の要望を飲もう」
「…!」
天にも登るような気持ちになった。ようやく、報われる気がした…。
「この件は了承する。そして、それによるスケジュールの遅れも、可能な限り見逃そう。無論、これから起こる面倒ごとを、君が一人で対処するという条件付きで」
「あ、ありがとうござい」
「そして、オーディションが終わった時、君はこのチームから退きなさい」
「…………………」
「では、解散とする」
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あの後のことは、よく覚えていない。うわごとのように、ありがとうございましたと礼をして、ノロノロと帰った。その後、メンバーにあったことを報告して、いつの間にか家に戻っていた。
なぜか涙が止まらなかった。