夜、それは人ならざる者達が活動を活発化させる時間である。しかし夜が人間の根源的な恐怖を連想させるものである以上、当然のことと言えるかもしれない
その最たる例、妖怪はその存在が人間の恐怖といった感情を元にして生まれているのだから。
では、どの妖怪でもその特性は当てはまるのだろうか?
答えは否。
境界の大妖怪、八雲紫の式である八雲藍は睡眠を必要としていた。精神は見た目に引き込まれるとはよく言ったもので、十ばかりの幼い容貌の彼女は妖怪であるのにも関わらず真夜中には瞼が重くなる。
以前に主がいる前で寝ないようにと考えをめぐらし、指で瞼を持ち上げ続けることでそれを解決しようとしたところ、主人は苦笑。近くにいた亡霊の姫からは『あらあら、まあまあ……』と微笑まれる始末。
そんな、自分が真面目に考えた上での行動がなぜか苦笑されてしまうという衝撃的な経験をした彼女はすぐさま主から『素直に寝るように』と言われ、亡霊の姫の従者が用意した布団に寝かしつけられた。
ゆえにそれからは、自らの主の身の周りの世話をするなりしてすぐに寝付いてしまう。
彼女にとって主人が眠りにつく前に寝てしまうなど、言語道断と言っていいものであったが己の性には勝てなかったのだ。
そんな彼女はある日、珍しく寝付けないでいた。
理由は至極単純。
今宵は主が一人で出かける用事があり、人間の守り手である博麗の巫女がいる博麗神社に託児所よろしく預けられてしまったことにある。絶対的な主の存在が幼い藍に安心感を与えていたため、彼女が不在の今、藍は夜を越すということに一抹の不安を覚えていた。
「(う、うぅ……ね、ねむれません……)」
行儀が悪いとは分かっていながら、布団の上でごろごろと転がって体勢を変えてみたり、目を瞑ってじっとしてみたり。思いつく限りの手立てを試してみるもあまり効果は見込めなかった。
いざ眠れそうな体勢に落ち着けたと思えば、そんなときに限って藍が自慢とする狐耳が妙に痒くなったりするのはどうしてであろうか。
「(なんというか、ねぐるしいです……)」
きっと、主がいないからであろう。
そう、藍は自分で理解していた。それを自己分析する程度には冷静であったが、感情を自制できるまでには至っていなかった。
「(ゆかりさま、いまごろいかがなさっているのでしょうか……)」
寝返りを打ちながら主の心配をする藍。そうしている内に眠りにつけないものかと期待していたが、むしろ布団と擦れることで体が火照っていく一方であり、毛並み豊かな三本の尻尾がむず痒くなるばかりである。また汗で寝巻が体に張り付き、あまり気分がよろしくない。
不快なあまり、ますます不安に囚われそうになってしまう。
「(い、いけません。ゆかりさまに、るすをまかされたのです。ここはいちど、からだをさまし、きぶんをかえましょう)」
だるい体を起こそうとするのには少なくない労力を必要とするが、そのままでいても眠れるわけではない。
「(すずしいところ、すずしいところ……すぐそこにある、えんがわ……?)」
そう思い至った藍はむくりと起き上がるや否や部屋の襖を静かに開け、神社の縁側へと抜き足差し足で向かった。ここの住人を起こさないことが理由に挙げられるが、実はそれだけではない。
藍にとっては大事なことであり彼女は今宵の心地よい睡眠のためには必須事項だと考えていた。
しかし藍の努力も虚しく、
「うげっ……」
そこには先客がいた。紺に近い色の髪を短く整え白衣に緋袴という伝統的な巫女装束を纏った一人の女性。その者は姿勢を微塵も崩さぬまま、茶を一度啜った後に横目で藍を捉えると静かに述べた。
「声に出ているぞ、藍。こんな夜更けにどうした?」
今代の博麗の巫女。
藍がもっとも苦手としており、天敵とも呼べる存在である。
******
「あの」
「なんだ、藍」
「どうしてわたしはいま、ここにいるのでしょうか?」
「それはまた哲学的な質問だな。だが、この状況下では不似合いだろう」
「いや、なぜあなたにつかまえられているのか、ということですっ!」
藍は今、天敵の膝の上に座っていた。否、博麗の巫女に無理やり抱えられ拘束されていた。
藍の体躯が齢十に届かないばかりであるため、博麗の膝の上にすっぽりと収まってしまっている。誰に見られるわけでもないが羞恥に駆られた藍は顔を真っ赤にして博麗の膝の上から抜け出そうとした。
「はなしてくださいっ!ていうか、はなせっ!!」
「暴れるな。まるで癇癪を起こした子供のようだぞ。……いや、子狐だったな」
「ッ!?きさま~!!」
ジタバタと拘束を逃れるべく暴れる藍。しかしその手足は短く、博麗の拘束を振り払えるまでには至らない。むしろ傍から見れば仲睦まじくじゃれ合っているかのように見えなくもない。
そして藍の必死の抵抗を何のこともないかのように押さえつける博麗の巫女は息を吐くように藍を挑発していた。しかし博麗はまったくそれを意図しているわけではなく、悪気がないだけになおさら質が悪かった。
「こらこら、そんなに興奮していては、寝付くことなどできまいに」
「あなたから、いってきたのでしょうがっ!」
振り向き、尻尾を逆立てながら抗議する藍を博麗は見つめ、
「ふむ、それは済まなかったな。一つ詫びよう」
「だからそういうことではないと……はあ、もういいです」
藍は呆れた。
先程まで軽快にこちらをおちょくってきた癖して、急に自らの行いを詫びるのだ。
真面目で融通が利かなくて、どこか抜けている。そんな博麗を藍は苦手としている。とはいえ“嫌い”になれないのもまた事実であり、未熟な藍は頭を悩ませているのだが、そんな気も知らず、ずばずばと言いたいことを言うのが博麗という人物である。
ゆえに彼女は藍にとってどう接したらよいものか決めかねてしまう“天敵”なのだ。
「詫びの印に、寝物語でもしようではないか」
だから急に意味不明なことを言い出すのもまた、
「なんでそうなるんですか……」
藍にとって理解不能だった。
そして藍が再び自分が抱えられたままであることに気づく頃には時既に遅かった。
******
夏も終わりに近づいて、境内からは鈴虫のリー、リーという鳴き声が響いている。かと言ってうるさいほどでもないため、耳心地がよい。
夜風も秋の足音を感じさせるもので昼間の生暖かい風と違い、涼しく過ごしやすいものである。
そんな、静かな神社の縁側には二人の影。
「藍、博麗が持つ役割を知っているか?」
「ひとと、ようかいのかけはし。そう、あかねからおそわりました」
むすっとした顔の藍だが、答えたときの表情はどこか得意げである。
「そうだな。間違ってはいないが、正しいわけでもないだろう。確かに博麗は人の願いから生まれ、初代はその架け橋になろうとした。しかし架け橋になること自体が役割なのではない。我らに求められるのはあくまでも秩序を守ることだ」
「?」
小さく首を傾げる藍に、博麗は珍しく表情を綻ばせて言った。
「それほど難しく考える必要はない。形は違えど、目的は同じなのだからな。だから茜が言ったことも間違いではないからそこまで気にしなくていい。ただ——」
振り返る藍に博麗は言う。
「博麗にはもう一つ、役割があるのだ。それは人々の望みではなく、初代の望みから生まれたものだがな」
「そんなの、きいたこともありません……」
「だろうな。紫様はきっとお前に話さないだろうから」
なぜ、ここで自分の主人の名が出るのか。
今代の博麗は、その性格からして嘘をついたりすることができない。すると、紫が藍に隠し事をしていたことは事実であると言える。
だから、藍はその言葉を聞き流すことができなかった。
「ゆかりさまは、わたしをしんじていないのですか?」
それは普段、藍が博麗に見せないような弱々しい表情であり、声も少し潤んでいた。
情緒が不安定なところ、まだまだ未熟であると言えないでもないが、泣きださないだけ十分に立派である。
「……わたしがみじゅくだから——」
だからこそ博麗はそれを遮った。
「いや、それは違う。お前はあの方唯一の“式”だ。信頼していないわけがない」
「……」
これもまた博麗の本心であると、藍は理解した。
「つまりお前に話せない理由があるということだ。別にお前を信じていないとか、未熟だからといった理由でなく、な」
「なぜあなたにはわかるのです?」
「ふむ。それは博麗になったとき、と言うべきか。継ぐということは得てしてそういうものだからな。初代様が考えていたことが今になってみれば、少しだけ分かる気がする」
博麗を継ぐこととはいったい何のか。藍にはまだ分からない。
「わたしは、はくれいにはなれません。しかし、わたしにもわかるひが、いつかくるのでしょうか?」
「お前が紫様を見失うことなく、お傍に仕えていることができればその内にきっと」
「そう、ですか……」
ほっとした様子の藍。
博麗は半ば冷めてきてしまったお茶を一度啜り、ぽつりと呟く。
「立派な狐になれよ」
「うがぁぁっ!!」
藍は激怒した。
そして彼女を宥めすかすこと数分の時を要するのだった。
******
「う~」
未だご機嫌斜めといった様子の藍を差し置き、
「話を戻そう。結論から言えば、私達博麗の役目とはお前の主人である八雲紫という存在をいつの日か解放することにある」
博麗はまたしても不可解なことを述べた。
最早、自分を抱えて座る博麗が一体何者なのか。藍は足元が崩れ去っていく感覚に陥りそうなった。
寝物語とは何だったのか。
「こ、こんどは、どういうことですか?」
「あの方は望んで祝福を受けたわけではなかったということさ。望みもしない定めを与えられて今もきっと運命と戦っているのだろう。だから私達は“八雲紫”を開放しなければならない。私達以外にはきっとそれはできないからな」
「わけがわかりません……」
「従者である以上、知っておいて損はない。心の隅にでも置いておけばいい。さっきも言ったが、いつか分かる日がくるだろう」
そう言って、博麗はすぐ横に置いてあった茶をまた手に取り啜った。言いたいことだけ言って満足したようにも、藍には見えた。
「ほんとう、なんですかっ。きゅうに」
目で訴える藍に気づいているのかいないのか、博麗はお茶を啜り終えると藍の頭を片手で撫でる。
「そこまで構えることはないさ。幸運なことにお前は賢い。きっとこの先、良い従者になるだろう。だからこそ従者が主人の全てを把握しようなどと
答えになってるのだか、なっていないのだか分からないような言葉。
しかし、博麗の無骨な手はどこか温かみがあって。
「ふ、ふんっ……そのちゅうこく、きょうだけはきいてあげます」
博麗に顔を見られないよう前を向く藍は、自分の尻尾が今どんなにご機嫌に振られているか気づいてない。
「ああ、それはなにより」
こうして二人の夜は、少しずつ更けていく。
******
「夢想天生という技を聞いたことはあるだろう」
次なる話題は、博麗の巫女の技である『夢想天生』。
「はい。はくれいの、さいしゅうおうぎだとききました」
「然り。しかし夢想天生とは決まった形を持たない。一人として、同じ形のものを使う博麗の巫女はいないだろうな。なぜなら夢想転生は初代の技であるからだ」
何となく従者の心得を説いてくれているだとは自覚している。しかし藍は、先程からなぜ自分にこれほどまで重要そうな話を矢継ぎ早にしているのか、分からなかった。
とはいえ知っておいて損はなく、いつか主のために役に立つと考え、素直に博麗の話に耳を傾けた。
「それでは、『むそうてんせい』とはぜんぶひとつのわざ、ということなのですか」
「そうだ。もしも別の技であるならば、名前が一つ一つ変わることになるだろうからな。一代にただ一つの形をもってして、夢想天生と成す。覚えておくように」
「それはわかりましたけど……。それじゃあ、あなたの『むそうてんせい』は……?」
「……式神を使う」
「ふむふむ、それで?」
「それだけだ」
「…………え?」
まさに拍子抜け。博麗が戦うところを見たことがないのもあって、想像もつかない。
藍は目が点である。
というか『式神を使う』では簡潔過ぎて何が何だか分からないのもうなずけるというもの。茜あたりが聞いてもきっと、『何ですか、それ?』となるだろう。
今代の博麗はいつも言葉が足りないということを、身をもって思い知った藍は深く溜息をついた。自分の瞼が重くなり始めたことにも気づかずに。
その後はずっと、博麗がぽつりぽつりと“博麗の巫女”について藍に語り、それを聞き終える頃には藍は眠気で舟を漕ぎ始めていた。
それからまた数刻、丁度真夜中になった頃、空に浮かぶ月は一番高く昇ろうとしている。
「少し、喋り過ぎたな……」
もう残り少ない湯飲みに手を掛けようとしたとき、ふと気づく。
「……おや?眠ってしまったか」
すぅすぅと膝の上で寝息が聞こえる。規則正しく寝息を立てる藍は博麗の胸を背もたれにしてよく眠っていた。
「……まあいい。賢い子狐よ、お前の未来に多くの幸があらんことを願おう」
博麗は起こさぬよう、優しく藍の頭を撫で、寝所へと抱えていった。
「おやすみ、藍」
******
二代目博麗の巫女。
彼女について記された文書は少なく、彼女の功績を疑問視する者もいる。しかし史実の通りであれば、幻想郷創立直後の不安定な人里を守り抜きながらも“博麗”の地盤を盤石なものにした功績は大きく、『彼女失くして博麗は存続しえなかった』ともされている。
彼女が妖怪を退治する様はほとんど目撃されていないが、残された数少ない伝承によれば外からやって来たとある大妖怪が人里を襲った折に、白い人型の紙のようなものが幻想郷の空を覆いつくしたと言う。
また御阿礼の子からしても初代と同様に突如として現れ、二代目となった彼女は謎の多い人物であったらしい。
その実際は真面目で堅物な、融通の利かない天然娘であったのだが真実を知る者は少ない。そして八雲の従者である九尾の今の性格を形作った人物であるという事実を知る者は、もっともっと少ない。
博麗の巫女 完