2、無理矢理撃震を輸出してやった
***1983年1月13日15時 ドイツ民主共和国 コットブス県コットブス基地 第1格納庫 ロッカールーム***
「うーん、整備班は忙しそうね……ベルンハルト大尉も来てるみたいだし、あんたとヴァルトハイム少尉の機体の受け入れが始まったのかしら」
先ほど会議室から出て幾星霜、もとい30分弱。
ホーゼンフェルト少尉――アネット先輩には格納庫へ向かう道すがら食堂、宿舎、購買など基地施設を案内してもらった。
たどり着いた戦術機とやらの格納庫の前にはなぜか私達を送り出したベルンハルト大尉の方が先に着いていて、眼帯をしたお爺さんとなにやら話し込んでいる。
「しょうがないわね。挨拶より先に強化装備の確認を済ませちゃいましょう。」
「はい、アネット先輩!」
「ホーゼンフェルト少尉でしょ……ハァ、まあ同じ部隊なんだし、それぐらいは大目に見るわ。ほら、そこの部屋に入って着替えなさい」
先輩に促されるまま扉をくぐる。
ロッカールームは日本のプールやジムでも見られるようなタイル張りの大きな部屋だった。
――第666戦術機中隊 カティア・ヴァルトハイム
――第666戦術機中隊 南白亀カレン
ロッカーの表札には真新しいインクで私の名前が、隣にはカティアちゃんの名前が記されている。
(やっぱりドイツ語が普通に読めちゃうんだ)
指先で恐る恐る自分の表札をなぞるとカチッという音がして、バネ仕掛けのレールに乗ったロッカーのドアが押し出されてくる。
中に入っていたのはビニールに包まれた紫色のボディスーツと、胴体部分が抜けたプロテクターのような物だ。
「……先輩、これは?」
「はぁッ!? あんた強化装備の着方も知らないで衛士になったっての!?」
「これが強化装備……! ってまさか、これを私が着るんですか!?」
水着よりも卑猥に見えるソレを自分が来た姿を想像して、思わず頬が赤くなる。
どうやら冗談でも無いようで、アネット先輩は本気で呆れている様子だった。
「本っっっ気でお荷物ね、日本人《ヤパーナー》。いや、逆にここまで酷ければ戦場に出さなくてもいいのかしら? ほら、教えてあげるからさっさと脱ぐ!」
「うぅ……これを私が……」
くそぅ!
かつては学校中の女生徒からセクハラ大魔王として恐れられていたこの私が! よりにもよって同性の前で脱がされる事に羞恥心を覚えるなんて!
歯を食いしばりながら、サスペンダーを取って迷彩色の色気のない上下を脱ぎ去りその場の籠に放り込んだ。
下着姿を晒し、これまでにないくらい赤面しているのを自覚しつつ、救いを求めるように上目遣いでアネット先輩を見つめる。
「それ、女が女にやっても気持ち悪いだけだから。ほら、さっさと下着も脱いで保護被膜を着なさい。あんたの体表の電気信号を拾うんだから全部素肌じゃないとだめよ」
「――くっ!」
「ふーん、着痩せするほうなんだ。――あっ、今夜でいいから脇と下の毛は全部処理してきなさい。負傷した時に、毛が傷口に絡まると大変なんだからね」
「~~~~~っ!!」
畜生っ! 畜生っ! チクショウ!
年上の女の子から淡々と自分の裸の批評をされた! こんな異常事態の最中じゃなければ私にとってはご褒美なのに!
さきほどの会議室とは違う意味で言葉も出せないせいか、必要以上にテキパキと着替えを済ませていく。
少し手間取ったところはアネット先輩に手伝ってもらいながら、最後にコネクトプロテクターと呼ばれるゴツゴツした機材を着込み電源を入れたところでようやくこの羞恥プレイは終わりを迎えた。
「バイタルサイン受信。そっちの網膜投射は作動してる?」
「は、はい! すごいです、直接画面が視界に映ってるなんて!」
ゲームするのに便利そうだな、と思う反面で私の知っている21世紀の日本を凌駕する東ドイツの科学力に違和感を覚え始めた。
今って1983年なんだよね? それってまだスマホもパソコンもなかった時代じゃないの?
そもそも衛士強化装備って言ってたけど、ここまで高度な装備が必要な“戦術機”っていったい何?
ここは……本当に34年前のドイツなの?
『ナバキ少尉!! ナバキ少尉は来てるか!?』
「男の人の声……?」
格納庫の方から男性が私を呼ぶ声がした。
困惑するアネット先輩と共に不思議に思いながら更衣室を出る。
コットブス航空基地の第1格納庫。そこには想像だにしなかった光景が広がっていた。
天井まで30m、200メートル四方の反対側が見えないほど広大な空間、そこに20メートルはあろうかという巨大ロボットが多数直立して並んでいたのだ。
(大きなロボット……! もしかして、これが戦術機……!!)
驚嘆はしかし声にならなかった。つまりは口に出すのが不自然な程の常識――正解ということらしい。
「ホーゼンフェルト少尉、ナバキ少尉! 待ちわびたぞ!」
「オットー中尉、お待たせしました!」
息せき切って走った先には腕を組んで豊かな胸を強調するベルンハルト大尉と右目を黒い革眼帯で覆った老人がいる。
チラリと、老人の襟元へ眼を向けると階級章が2本。私やアネット先輩より多くてベルンハルト大尉より多いということは、この人は中尉か。
「本日付けで666中隊に配属されましたカレン・ナバキ少尉です! よろしくお願いいたします!」
「オットー・シュトラウス中尉だ。この中隊の整備班長をやっている。参ったな。本当に日本人がいるぜ。まあいいや。早速手を貸してくれ。お嬢ちゃん、こいつが何かわかるか?」
オットー班長が指した先には1機の戦術機。
その1機は明らかに周囲に並んでいる他の戦術機とは明らかに雰囲気の違う機種だった。
周りの機種――あとからMig-21《バラライカ》という名前だと知った――がオリーブ色の迷彩なのに対して黒一色。他の機体よりも角ばっていてマッシヴなデザイン。
そして、何よりも決定的なのは肩にペイントされたナショナルマーク――日の丸。
「これ、日本の戦術機ですか?」
「F-4J ゲキシンだ。666中隊宛に搬送されてきたんだが、OSが日本語にしか対応していなくてな。調整どころか初期設定すらできん」
「輸入物の家電製品みたいなトラブルですね……マニュアルはありますか?」
オットー中尉が懐からカラオケの選曲リストのように分厚い冊子を差し出した。
表紙も中身も当然日本語。普通のドイツ人が読めるわけがない。
「カティア嬢ちゃんの機体も入ってきて俺たちも作業に追われている。今から熟読するほど時間はとれねえぞ」
「ふふん、大丈夫です! 私、一度目を通せば忘れませんから」
「何……? お、おい。なにしてんだそりゃ」
「えへへっ、記憶力を良くするちょっとしたおまじないです」
訝しげなオットー班長をよそに私はマニュアル本を開きながら、右手の人差し指で第5頸椎と第6頸椎の隙間を強く圧迫する。
実はこれ、先祖代々伝わる暗記術のひとつで脳内ホルモンを強制分泌させる秘孔だとかなんとか。
少しでもずれるとしばらく体が痺れることもあるが、うまくいけば急に意識が冴えてなんでも見ただけで暗記できる学生には大変便利な術だ。
お父さんはおじいちゃんから習ったらしいが、二人とも多少記憶がはっきりするくらいでこれだけの効果を引き出せたのはご先祖様の“タンバ様”以来じゃないかと褒められたことがある。
右手で秘孔を押さえながら、左手だけでマニュアルをペラペラと捲り、ものの1分で内容をすべて頭に叩き込んだ。
「お前さん、今ので本当に読めてるのか?」
「ばっちりですよ! なんならテストします?」
「……いや、いい。ただし、調整で間違えたら死ぬのはお前さんだからな」
オットー班長にエレベータを操作してもらい管制ユニットと呼ばれるコックピットへ。
そこがマニュアル本の見取り図通りであることに安堵しながら、所定の手順に沿って起動シークエンスを開始した。
[77式戦術歩行戦闘機 撃震 起動準備開始]
[着座情報転送]
[歩行・跳躍制御システム スタンバイ]
[間接統計思考制御システム 接続状態…正常]
[可動兵装担架 正常 接続……装備無し]
[FE79-FHI-17A A、B 推進剤充填率0%]
管制ユニットと呼ばれるコックピットの中で、次々とパネルが点灯し、視界の中を高速で日本語と英語の字幕が流れていった。
「よし、あとは表示されている文字の意味を俺に教えてくれ。入力はこっちで指示する。そのまま着座調整もやるぞ」
「了解!」
オットー班長が指さす項目を日本語に訳し、指示される設定を入力していく。
人型ロボットを動かすのだから当然だけど、2017年に使っていたパソコンの初期設定なんかより遥かに難しい。
班長は東ドイツの機体と同じように調整したいみたいだけど、この撃震という機体とはアチコチ仕様が違うようで、調整はなかなか進まなかった。
「――なあ、ナバキ少尉。お前さん、政治家とか軍の偉い人間に知り合いがいるか?」
「政治家とか軍人ですか……? いやあ、ちょっと身に覚えはないですけど」
そもそも今日初めてこの国に来たので――なんてやっぱり言わせてくれないよね。
知り合いどころか、ドイツ人の名前ですぐ思いつくのは世界史で出てきたヒトラー総統くらいだ。
「この国は東欧州じゃ唯一戦術機を自国で生産している。指揮官専用機のMiG-21PF《バラライカ指揮官機》なんてソ連も逆輸入するくらいに技術だってある。そんなところに外国の機体、それもわざわざ日本から取り寄せるなんて本来あり得ないことだ」
整備の手間も跳ね上がるしな、と途方に暮れた様子のオットー班長。
状況からしておそらく私が乗るであろうこの機体のせいで、どうやら整備班の残業マシマシが確定していたようだ。
「お前さんの知り合いからの贈り物じゃなけりゃあ、日本にいた頃のドイツ人の知り合いとか、亡くなったっていう親父さんの仕事周りとかはどうだい?」
「いやあ……でも私、本当に何も知らないんです。小さい頃にこの国に連れてこられただけで、周りに親戚もいないし……」
くどいようだが、元の世界でも外国人の知り合いなんていないし、ドイツ人の名前なんてヒトラーくらいしか知らない。
私の高校の世界史の授業も第2次世界大戦まで行くのは2年生からである。
「そうか、野暮な事聞いちまったな……よし、調整の方はもういいぜ! 通常整備の項目にだけは、英語の表示がついてるみたいだ。たぶん在日米軍との連携用だなぁ、こりゃ。さすが島国。ここまで国内仕様に徹してるだなんて驚きだぜ」
「了解です! じゃあ、私はアネット先輩とシミュレータに行ってきますね!」
「おう! シミューレタにはさっきこのゲキシンのデータを入れておいた。期待してるぜ、日本人《ヤパーナー》!」
***1983年1月13日22時 ドイツ民主共和国 コットブス県コットブス基地 資料室***
「はぁ~~! 疲れたーー! アネット先輩の鬼ぃ……」
すでに夜中の10時過ぎ。シミュレータを終えた私は資料室の机で突っ伏しながら息をもらした。
シミュレータは地獄だった。というか初心者相手に6時間ぶっ続けでマンツーマンでしごき続けるって鬼畜過ぎるよ。
今日やったのは戦術機の地上操作を目的とした初級操縦過程だったけど、ゲームでいえばチュートリアルの段階でさえクリアするのでさえ、3時間以上も使ってしまった。
商業ゲームならクソゲー呼ばわりは避けられない難易度だ。
「カティアちゃん、最初から上級操縦過程で進めて、私より2時間も早く上がっていた。年下の子に負けたのは悔しいけど……強化装備姿のカティアちゃんやっぱり可愛かったなぁ。……………………zzZ…………――っ!! いけないいけない! 寝る前に調べ物をしないと!」
私は日ごろの運動のおかげで体力には自信があるけれど、兵士として戦術機の操縦訓練なんて受けたこともない。
おかげでアネット先輩には散々に罵倒されたわけだけど、その中で気になるワードが1件。
「こんなんじゃすぐにBETAに殺されるぞ……か。一体”べーた”ってなんなんだろう?」
私の知る限り、冷戦下の東ドイツという国は隣国と戦争をしたことはなかったはずだ。
けど、この基地の中には壊れた戦術機や戦車、傷病兵なんかもいて明らかに最前線の雰囲気をまとっている。
全部私の知っている歴史だとなかったはずの光景。
2017年の日本にいた私が突然数十年前のドイツに飛ばされた原因も含めて、とにかく少しでも情報を集めなきゃいけない。
そんなこんなで、疲れた体に鞭打ってこんな夜中に資料室に来ているわけだけど……漁った資料に書いてあったのは想像を絶する事実だった。
「――はぁああっ!? 人類に敵対的な地球外起源種ぅ!? 去年だけで世界人口が2億減ってるって!?」
世界が宇宙人と戦争してる!? というか、宇宙人相手に人類は負け続けですでにユーラシアが半分は取られてるじゃん!
ウィル・スミスの出てくるSF映画かよ! という我ながら女子高生らしからぬツッコミをかましながら次の資料へ。
――第2次世界大戦におけるロストックとマグデブルグへの原子爆弾投下
――光線属種による制空権の完全喪失
――国家保安省の台頭
――パレオロゴス作戦の失敗
――ワルシャワの悲劇
「わ、私ってもしかして相当マズイ国にいるんじゃ……」
新聞などで戦況について取り上げられているのは『少数で大勢の敵を撃破した』とか『最後までどこかの拠点を守り切った』とかいう
反革命的~とか思想を汚染された~とか書いてあるのは社会主義国家特有の物だろう。
「すぐに逃げなきゃ……! でもどこに、どうやって? 見る限りベルリンはどこもいつまで保つかわかんないし、ヨーロッパはどこも危ない……」
一番まずいのは自分が今軍に属しているということだ。この国の新聞にも出ていたが、脱走兵は問答無用で指名手配される。
難民に紛れてキャンプ生活を送るならともかく、日本に帰国して普通の生活を送るなんて言語道断だ。
ここはやっぱりどう考えても“元の世界の日本”に戻らなきゃいけない。
でもそのためには私の身に起こった超常現象について調べなくちゃ。
でもこんなのどうやって調べればいいだろう? オカルト? SF小説? それともBETAとやらの宇宙テクノロジー?
「こんなの無理だよぉ……。せめてヒントをくれるか、お助けキャラでも出してくれないと」
トホホ、と重いため息をこぼしながら、次の資料へ。とはいえ一介の軍事基地にそんな超常現象の資料などあるわけないよね。
結局消灯時間ぎりぎりまで資料室で粘ったけど、特に成果はなかったのでした。
***【アイリスディーナ・ベルンハルト】1983年1月13日23時 コットブス基地 ハンニバル私室***
「こんな遅くにすまんな、ベルンハルト大尉、イェッケルン中尉。とはいえ、事は666中隊だけでなく、大隊すべてに関わってくる。君の部隊に配属されたF-4Jゲキシンの件でNVA総監部に確認を取ってきた」
「はっ! ありがとうございます!」
消灯時間もとっくに過ぎた頃、666中隊の代表者ということで私とイェッケルン中尉が大隊長であるハンニバル少佐から呼び出しを受けた。
よほど急いでくれたのだろう。私を呼びに来た副官のマライ・ハイゼンベルグ中尉もシャワーの途中だったらしく、髪が濡れたままという有り様だ。
「結論から言うと、あの機体の配備命令は国家保安省《シュタージ》の横やりではなく、正規の命令系統から降りた物だ。ただ尋常のやり方ではない。受領書を辿っていくとそもそも機体の入手先は外務省独自の指令によるものだ」
「外務省!? ソ連と国連のご機嫌伺いをするだけの蝙蝠共が何故そんな暴挙を?」
イェッケルン中尉が驚愕しているが、その気持ちはよくわかる。
外務省と言えば国家の基幹機能を形成する省庁だが、外国に広く展開しているおかげで国内の政争からは切り離された存在だ。
父が外交官だった頃とは時代がずいぶん変わっているだろうが、それでもこんなに派手な行動を取るとは思わなかった。
「わからない。だが、国家人民軍《NVA》も外務省も相当混乱している。出てくる話もまるで順序が逆だ。機体が見つかり、配備指令書が見つかり、輸入ルートが見つかる。まるで壮大な辻褄合わせの言い訳を聞かされているような気分だった」
「つまり総監部が誰もあのゲキシンについて把握していなかったということでしょうか……? 1機だけとはいえ、戦術機輸入の案件ですよ? そんなことがありえるのですか?」
「現実に起こっていることだ。責任を追及しようにも、配備指令書には東方総軍元帥を始め、方々の役所のサインが入っている。書類上は完璧に合法な補給物資だ」
「では私の中隊に配属されたナバキ少尉との関係はどうなっているのでしょうか? 日本人と日本産戦術機、無関係ということはないはずです。NVAに日本人がいたというだけでも相当な驚きましたが、それが衛士訓練も受けずに最前線に投入されるなど前代未聞です」
「彼女とF-4Jの関係については確認中だ。ただ私も無関係とは考えていない。ゲキシンを動かすために彼女を送り込んだのか、
ハンニバル少佐は隣のハイゼンベルグ中尉とアイコンタクトを交わすと、机の中から真空パックのビニール袋を取り出した。
透明のパックには貧相なカーボン伝票の写しが入っていて、まるでそれが殺人事件の証拠か何かのように慎重な手つきで私の前に差し出す。
これは……日本帝国に置いた我が国の大使館の書類?
『東ドイツへ輸送する戦術歩行戦闘機の手配』、帝国軍77式戦術歩行戦闘機撃震の獲得、輸出ルートの指定。
「伝票には日本帝国内でゲキシンを手配した責任者のサインがある。ドイツ民主共和国駐日本帝国大使館駐在武官――アダム・ヒトラー」
ヒトラー……?
アダム・ヒトラーだとっ!?
その名前を聞いた途端、思わず頭から雷が落ちたようなショックが私の体を走った。
それは隣に立っているイェッケルン中尉も同じで顔から血の気がサッと引いていくのがわかる。おそらく私も同じようになっているだろう。
あり得ない名前だった。
かつての国家社会主義ドイツ労働者党総帥。世界で最も有名な独裁者であり、この国で行われた全ての戦争責任を被せられた空前の戦争犯罪者。
第2次世界大戦敗戦後、ナチズムアレルギーを引き起こした西ドイツは当然として、この東ドイツでもこの苗字を使う人間はいなくなったと報じられている。
「ベルンハルト大尉。これは欧州に住む人間にとって、とても冗談で済まされる姓ではない。それが公文書から発見され、公式の物として機体と共にこの日本から本国の最前線までやってきているのだ。非常事態としかいいようがあるまい」
「我が国は……いいえ我々東西ドイツ人は世界大戦の敗戦国という責任をすべてアドルフ・ヒトラーとナチズムに被せる事によって戦後の欧州での立場を作ってきました。現在、我が国でヒトラー姓を持つ人間はいないはずです」
「わかっている。間違いなく悪戯か、でなければ悪意のある偽装工作のはずだ。だが、送り元の日本という国がどうにもよくない。日本帝国は過去にナチスドイツの同盟国であり、大戦終了後も国家体制を維持している。ネオナチを唱える人間の半分は自分たちの総統は自決せずに南米か日本に逃亡して生き残ったと信じているらしい。そんな状況で、ヒトラーを名乗る人物が送った戦術機がはるばる日本からここへやってきている。じきに君の部隊にはヒトラーのゲキシンを一目拝もうと国内外のネオナチ達が集まってくるかもしれん」
ハンニバル少佐の未来予想図を受けて、私の脳裏にはモヒカンやパンク、ヒッピーなどあらゆる反社会的な服装外見をした若者達が列をなして666中隊の戦術機ハンガーを埋め尽くす身の毛もよだつ幻覚が見えた。
加えて、ヒトラーという名前は、西ドイツを始めとする西側諸国の間では劇薬にも等しい扱いがある。
もしも本当に我が国にヒトラーという名前を利用している事が知れれば、それだけで西側諸国における国民感情は一気に最低の所にまで落ち込むだろう。
そうなれば国家保安省やベアトリクスとの対決どころではない。
国連軍や、NATO軍からの支援が無くなればそれだけで東ドイツの命運は尽きるのだ。
「ベルンハルト大尉、誰が何をしたいのかはわからないが、君の元に送られたカレン・ナバキ少尉とゲキシンは壮大な謀略の一部に違いない。私としてはこの2つを一緒にしておきたくはない。彼女にはMiG-21《バラライカ》を与えて、ゲキシンを他の衛士に乗せることはできないか?」
「…………残念ながら、不可能だと断言します」
機体と衛士の載せ替えは元より私も考えていた。
だが結論は不可能。
オットー班長の話によればゲキシンは輸出を想定されておらず、日本語OSは固定されており外国語への翻訳機能がない。
加えて、機体は長刀による近接格闘を行うことが前提にされており、両腕で長刀を扱うために機体の出力スロットルが左操縦桿から右足ペダルに変更されているなど、MiG-21《バラライカ》に慣れた衛士でも1週間は機種転換の訓練が必要だと判明した。
「わかった。とはいえ手がないわけではない。次のBETA侵攻はまだ観測されていない。衛士教育を受けていないナバキ少尉が最前線で戦えるはずもないから、練度不足を理由にして機体ごと教育総監に返却できるよう働きかけよう」
ハンニバル少佐のありがたい申し出に私はよろしくお願いします、と頷いた。
その後はハイゼンベルグ中尉と共に、一通りの事務事項を確認した私とイェッケルン中尉は胃に重い物を感じながら、ハンニバル少佐の部屋を後にした。
帰路イェッケルン中尉とは相談したいことがあったが、彼女も心ここにあらずといった様子だったので結局二人とも無言のまま部屋へと戻った。
私室の明かりをつけて、彼女のパーソナルデータが入ったバインダーにもう一度目を通す。
改めて考えると今日は本当におかしなことだらけだ。
この東ドイツの最前線に突然現れた日本人と日本産の戦術機、そして日本にいるというヒトラーの姓を持つ人間。
どれか一つでも大事だというのに、それらが全て今日あの会議室にナバキ少尉が登場すると同時に判明したのだ。
「やはりどう考えてもおかしい。ひとつひとつはあり得ることだが、ナバキ少尉が来るまで誰一人異常に気付かないなど、合理的説明のつけようがない」
存在するはずのないヒトラーという人物が日本にいて、何かの手段でF-4Jを手に入れる。それを誰にも気づかれないまま東ドイツに送り、戦術機のせの字もしらないナバキ少尉を666中隊に編入させてF-4Jに乗せた。
どうにか理屈をつけようとするが、考えはまとまらない。
ふと、ハンニバル少佐の言葉を思い出した。
――まるで壮大な辻褄合わせの言い訳を聞かされているようだ
例えば全て逆で、カレン・ナバキがあの会議室に現れたのが一番の原因だったなら?
カレン・ナバキが666中隊の会議室に現れたから、衛士として身分を作り中隊に入隊させた。入隊したのが戦術機中隊だったから日本人向けに撃震を用意した。
撃震を用意するのに必要だったから日本から東ドイツへ至る輸入ルートを設定し、黒幕のヒトラーという架空の人間を作り上げた。
「…………フッ、私としたことが、現実逃避も甚だしいな。ナバキ少尉を神にでもするつもりか」
ただ面白い考えだな、とは思う。
この一連の事件が神の仕業だとすれば、もしかしたら神はBETAによる滅亡から東ドイツや人類を救ってくれる気になってくれたのかもしれない。
衛士でもない余所者の日本人がどうやってBETAや国家保安省と戦うのかまるで見当がつかないが、彼女のおかげで成し遂げられるならその時は神の奇跡を信じてもいいだろう。
「だがこれが奇跡だとすれば、神とは恐ろしく雑なやり方で我々を救おうとしているな……」
この国を救うことには全力を尽くす。だから少しくらい文句を言っても許してもらえるはずだ。