偽物の名武偵F   作:コジローⅡ

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EP.2 狼は銃弾で相食むらしい

 4月17日。

 いまだ春の陽気が続く、この日。

 

「――と、いうわけでですね。繰り返しになりますが、『4対4戦(カルテット)』の申請期日が迫っているんですね。要は、「時間無いからさっさと登録申請(エントリー)しろ」、というわけですね。――では」

 

 ぺこり、と赤茶色のセミロングヘアーを三つ編みにした少女は、壇上で一礼してから1年A組の教室を去っていった。

 それに、粛々とした雰囲気を保っていた1年A組の面々は、一気に弛緩したように一斉に息をついた。

 なにせ、さっきまでいた三つ編みの少女は、2年生なのだ。封建的なまでに縦社会のこの東京武偵高では、「先輩に粗相を働く=死」という図式になることがままある。

 もっとも先ほどの少女――現生徒会書記・東峰(あずみね)凛子(りんこ)――が温厚な性格をしていることは割と周知の事実なのだが、それとこれとは話が別なのである。

 

(……まあ、それにしたって過剰な反応の気がするが)

 

 と、遠山キンジは数分前の光景を思い出してそう述懐する。

 数分前、『気づいたら教壇に立っていた』東峰が(1年相手とはいえ武偵に一切気配を掴ませないことが、東峰の諜報科(レザド)としての実力を表している)、「静聴、ですね」と言ってから数秒。そこでようやく東峰の存在に気づいた1年生たちは、大慌てで自分の席に戻ったり、その場で屹立したり(キンジはこれに該当する)したのだ。

 

「ひゅー、焦ったぜ。あの先輩、気配無さすぎだろ」

「有名だけどね、東峰先輩は。今でこそAランクだけど、今年中には諜報科のSランク入りするだろうって言われてる」

 

 東峰が来るまで、一緒に窓枠によりかかって会話していた2人――武藤剛気と不知火亮が、生徒会書記の先輩について話していた。

 まあ確かに話の種にしたくなるような人ではあったが、それよりも、とキンジは2人に割り込んでいった。

 

「さっきの先輩の話はともかく、『4対4戦』だ。お前ら、申請出してるのか?」

「あー……いや、オレはまだだ。どうすっかなあ」

「僕もまだだよ。いくつか誘いは来てるけど、まだ決めあぐねてる」 

 

 男3人が窓際に並んで唸るのは、なかなかにシュールな絵面だったのだが、それはさておいて。

 ――『4対4戦(カルテット)』。

 読んで字のごとく。それは、4人対4人に分かれての、チーム戦式実践テストである。

 1年生は全員参加することになるこの試験は、各人の『適応力』を見る、という目的がある。

 4人のグループ作成をあえて教師陣ではなく生徒たちに任せることで『人との適応力』を、ランダムに選ばれる競技内容に柔軟に対応できる『武偵の適応力』を、という風に、いくつかの観点から生徒たちを測るのだ。

『毒の一撃(プワゾン)』、『騎士勝負(コロッセオ)』、『鬼探し(オーガ)』、などなど、競技は実に多種多様。粗方どんな学科同士で組んでも対応できるようにしてあるのだ。中には、美少女ぞろいの学科・特殊捜査研究科(CVR)のみで構成されたチームが2つ出来た場合に採択される、『艶美決め(ベッラ)』という伝説の種目もあったりする。

 そして。

 この『4対4戦』、実はエントリーの締め切りが、明日までなのだ。先刻、東峰凛子がこの教室に来たのは、期限が差し迫っていると注意を喚起するためであった。

 そんなわけで、この段階になってまだチームを作れていないキンジたちは結構まずいのだった。

 と、

 

「……いっそ、組むか。オレたちで」

 

 武藤が、ポツリと言った。

 反論……というわけではないが、キンジがそれに反応する。

 

「だが……『4対4戦』はチームバトルだ。当然、チームワークが求められてくる。急造の俺たちに、上手くやれるか?」

 

 キンジの懸念は、確かに正しい。

 普通は、たいてい同じ中学同士だったり、見知った後輩の中等部(インターン)生を組み込んだりすることで、不和を無くすのが常套手段なのだ。

 それを、つい先日親しくなったと呼べる程度の間柄の自分たちが、上手くできるのか? しかも、そのきっかけすら決闘というものだったのに。

 だが。

 武藤はニヤリと笑って、それを否定する。

 

「おいおい、知らねえのかキンジ? 武偵ってのはな、最初仲が悪かったチームほど、後々大活躍したりするんだぜ?」

 

 どうだ! といわんばかりのドヤ顔はうざかったし、そもそも武藤が言っているそれは都市伝説やジンクスのようなものなのだが、しかし、

 

「……そうだな。どうせこのままだと、エントリー出来ずに教務科(マスターズ)に説教くらっちまうだけなんだ。――組むぞ、武藤」

「おうよ! そうこなくっちゃな、キンジィ!」

 

 大笑しながら、武藤はキンジと肩を組む。暑苦しい。

「お前も、それでいいか?」という武藤の問いかけに、「もちろん、参加させてもらうよ」と、さわやかな笑顔と共に、不知火も二つ返事で了承した。

 これで、3人が揃った。

 そして、

 

「ってことは、最後の1人はもちろん――」

 

 武藤がその名を言いかけた、その時。

 ガラララ、と音を鳴らしながら、教室の前側の扉が横滑りした。

 そこから現れた人物が、「ただいま~」と、あくびをしながら入ってきて、

 

「「「……っく、あっはっははっ!」」」

 

 あまりのタイミングのよさに、3人は噴き出した。

 大笑いしている友人3名の姿にきょとんとする現れた人物――有明錬は、

 

「……え? どったの?」

 

 心底不思議そうにそう尋ねるのだった。

 

 * * *

 

 バカ笑いしている3人から事情を聞いたあと、俺たちは遠山の机を中心に集まった。

 なるほどねぇ……『4対4戦』か。そういや、月初めの行事表にあったな。そんなの。

 というか、俺がトイレに行ってる間に、まさか東峰先輩が来てたとは。まいったな、挨拶してねぇよ俺。

 ま、それはともかく。

 

「俺、遠山、武藤、不知火。強襲科(アサルト)が3人に、車輌科(ロジ)が1人か。随分と攻撃的なチームになったな」

 

 俺は、黒板の横にある棚の上から持ってきた『4対4戦』の申請書に遠山が書き込んだ、それぞれの名前と学科を読んでそう言った。

 あ、俺は除くよ? 攻撃力、あんまねぇし。

 

「だな。こりゃ、ガチンコ系の勝負になるかもな」

 

 じゃあ拳銃の整備しとかねえとなー、と言いながら武藤が同意する。いや、整備くらいちゃんとやっとけよ。

 唯一椅子に座っている遠山が、机の上に乗った申請書を指でトントンと叩いて、

 

「どうかな。そうは言っても、車輌科が1人いるからな。戦闘オンリーの競技とは限らないんじゃないか? ……不知火は、どう思う?」

「うん、僕も遠山君と同意見かな。強襲科生が多い場合によく選ばれるのは『騎士勝負』――1対1を4回繰り返す競技だね――らしいけど、『毒の一撃』とかも普通にあったそうだよ」

 

 不知火の言葉に、俺は「ふむ」と少し唸る。てこたぁ、あらかじめ競技を予測するのは難しいな。ま、どの道競技発表は明日の放課後だし、『4対4戦』自体は土日を挟むことになるから、今あれこれ考えてもしかたねぇな。

 というか一個気になったんだが、『騎士勝負』ってのは4対4である意味はあるんだろうか。チーム戦とは言うが、実際個人戦みたいなもんなんだが。……まあ、ある意味武偵高らしいけど。

 

「とにかくだ。これ、さっさと教務科に提出しに行こうぜ。期限は明日の朝までだって話だが、そこで忘れたりしたらバカらしいからな」

 

 俺がそうまとめると、チームメイトたちは頷いた。

 さてさて……果たして、どんな種目になんのかね?

 

 * * *

 

 そして、次の日の放課後。

 校舎内の掲示板に、『4対4戦』の組み合わせと競技名が張り出された。

 ちなみに、俺たちの名前を探しているときに見つけたんだが、理子と時雨が組んだ『鈴木班』の対戦競技は『毒の一撃』だった。あー、こりゃ、勝ったなあいつら。ガチ勝負ならともかく(それでも負けるとは思わねぇけど)、戦略系の勝負って話のあの競技なら、あいつらに負けはねぇだろ。

 おっと、話がそれた。

 で、肝心の俺たちの対戦相手と競技方法は――

 

「相手は、『久賀(くが)班』。対戦方法は……『狼競争(ウルフラン)』、か」

 

 対戦表の前。俺たち『遠山班』(じゃんけんでリーダーを決めた)の4人は、集まっていた。

 久賀……聞かねぇ名前だな。どこの科だ?

 そして、競技の方。『狼競争』……って、どんなんだ?

 俺はどちらについても知識がなかったので、仲間たちに尋ねてみる。

 

「この久賀って奴。誰か知ってっか?」

「ああ、オレは知ってるぜ。そいつ、車輌科(ロジ)だ。それも、Aランク」

「A、か。じゃ、お前と一緒か」

「まあ、運転技術は認めるけどな。けど、オレあいつ苦手なんだよな……」

 

 武藤にしては珍しく、苦い表情でそう言った。

 こいつ、結構誰とでも話すような奴なんだがな。それが苦手っつーなら、めんどくさそうな奴だな、おい。

 で、

 

「競技は? 不知火なら、知ってんじゃねぇのか?」

「まあ、一応ね。けど、さわりくらいしか知らないから、後で送られてくる教務科からの周知メールを見たほうが早いよ」

 

 ただ、と不知火は言葉を切って、

 

「名前からも分かると思うけど、これは武藤君――つまり、車輌科生がカギを握ると思う」

 

 まあ、確かにな。競争、っていうくらいだし。

 よし。とにかく、これで情報は揃った。あとは明日からの2日間で、練習する必要があるな。

 

「そんじゃ、今から誰かんちに集まるか? 男子寮につくころにゃ、周知メールも着てるだろ。武藤には、その久賀って奴のこともききてぇしな」

 

 俺は、これからの方針をみんなに提案してみた。

 それに対する是非が返る――より早く、

 

「ふはっ! 貴様らが探している久賀というのは、この俺のことじゃないのか?!」

 

 という、トンチキな台詞が背後から飛んできた。

 …………振り返りたくねぇなぁ、なんか。

 しかし久賀という名前を出されてはそういうわけにも行かないので、俺はしぶしぶ体の向きを変え、声の主を視界に入れる。

 そこにいたのは、3人の男子生徒と――1人の変態だった。

 …………。

 

「あー……一応聞いとくが、お前が久賀でいいのか?」

「そうだ! 俺が、久賀(くが)大輝(たいき)だ! ふははっ!」

「……そうか。じゃあ、もう一つ聞いていいか?」

「ふはっ! 構わん、なんなりと聞け!」

 

 ……そうか。聞いて、いいのか。

 じゃあ、遠慮なく聞くが……、

 

「お前、なんでスーツ来てんの?」

「アイデンティティだからだ!」

 

 意味わかんねぇえええええええええええええええ!

 い、一体なんなんだこいつは。後ろの3人は、いい。普通の防弾制服を着ている、普通の奴らだ。

 で、この久賀とかいうやつはなんなんだ?

 まず、どうあがいても目を引いてしまうのが、奴が纏う純白のスーツ。この時点ですでにおかしすぎる。防弾制服はどうした?

 

「お、お前防弾制服はどうしたんだ?」

 

 俺同様気になったのだろう遠山が、久賀に質問する。

 久賀は、なぜか大仰に一つ頷いて、

 

「安心しろ、このスーツは防弾性だ!」

「そういう問題じゃねえよ!」

 

 ネジが2、3本外れたような回答に、遠山がツッこむ。

 俺は、多分こいつに聞いても意味ねぇんだろうな、と思ったので、代わりに後ろの3人の内の一人に聞いてみる。

 

「で? マジな話、なんでこいつこんな格好してんだ?」

「これじゃなきゃ嫌だとごねた挙句、教務科に金を払って認めさせたらしい」

「それ、つっこみ待ちだよな?」

 

 おい、教務科。仮にも武偵を育てるあんたらが、なんで金に負けてんだよ。

 

「というか、おい。その胸の赤いバラはなんだ?」

「コントラストを理解していないとは、嘆かわしいな。ちなみに、このバラも防弾性だ!」

「意味あんのかそれ!?」

 

 遠山。もうやめとけ、お前。だんだんお前のキャラが壊れてきてるから。

 

「あ、あはは。なかなか個性的な人だね。――あ、じゃあその頭に被ってる白いシルクハットも、防弾性なんだよね?」

「シルクだ!」

「あれ!? そこは防弾性にしておいた方がいいんじゃないかな!?」

 

 不知火ぃぃぃいいい! お前は最後の砦的な存在だろ! なんでお前までつっこんでんだ!

 おいおい、どうすんだこれ。どんどんカオスになってるよ。対戦表見に来てたはずの生徒たちも、いつの間にかいなくなってるよ。

 どうやって収集つけりゃいいんだこれ、と俺が頭を抱えかけたその時、

 

「久賀よォ、相変わらず変な奴だなお前は」

 

 心底呆れてます、といった感じの武藤が進み出てきた。

 なぜか無意味に「ふはっ。ふはっ」と一人で笑っていた久賀が、武藤に気づき、

 

「む? おお、俺のライバル武藤じゃないか! お前、俺の対戦相手なんだろう?」

「ライバルはやめろ。で、後半はまあ、当たってる。できりゃ、お前とは当たりたくなかったけどな」

「ふははっ! そうだろう、俺の実力を知るお前ならば、俺との対戦を避けるのもやむなしだな!」

 

 多分、違う意味だと思うぞ。武藤が言ったのは。

 

「だが、そういうわけにもいかないな。今のところ、1年の車輌科でAランクなのは、俺とお前のみ。となれば、この『狼競争』で雌雄を決するしかないだろう?」

「……まあ、なんでもいいけどよ」

 

 ガリガリと頭をかきながら、武藤はさらりと流す。きっと、車輌科の授業で散々こんな絡まれ方したんだろうなぁ。

 が、武藤のそんな態度が屈したようにでも見えたのか、

 

「ではな、武藤剛気! 3日後を楽しみにしているぞ! ……よし、行くぞお前ら!」

「「「……なんでこんなやつの友達やってるんだろうなあ、俺たち」」」

 

 高らかに宣戦布告して去っていく久賀のあとを、あいつのチームメイトたちがとぼとぼと付いていく。ホント、なんで友達やってんだよ、お前ら。

 やがて、久賀の哄笑が聞こえなくなったころ、武藤が言った。

 

「……で、いるか? あいつの情報」

「「「いらない」」」

 

 これ以上あいつに詳しくなることを、とても耐えられそうになかった。

 

 * * *

 

 とりあえず競技の方について作戦を考えよう、ということで、俺たちはあの後チームリーダーである遠山の部屋(相部屋の連中は都合よく出かけていた。彼らも作戦会議でもしているのかもしれない)で、会議を開いた。

『狼競争(ウルフラン)』。それが、俺たちに指定された『4対4戦』の競技だ。

 ルールは、割と簡単。定められた道順(コース)を、先に走破したチームが勝ち。それだけだ。

 ただし。『妨害工作』はなんでもあり、だけどな。

 映画でよくある、ドンパチ付きのカーチェイス。あんな感じだな。ただし、使用する武器のレベルがまるで違うが。

 そして、もう一つのルール。それは、運転手(ドライバー)以外のメンバー――『騎兵(ナイト)』は、『いつでも乗り降りしていい』というルールだ。

 つまり。例えば、スタート前に発表されるコース上に、先回りして罠(トラップ)を設置したりできるってわけだ。まあ、それ以外にもできることはあるんだが。

 ……っていうか、これ先生たちコース作り大変だったろーな。各所で行われる『4対4戦』にかち合わないように作る必要があるんだから。

 ま、それはぶっちゃけどうでもいいんだが。

 で、会議を終えた次の日である土曜日。そしてその翌日の日曜日。俺たちはこの2日間を使って、走行する車の上で銃を撃てるように練習していった。強襲科じゃこんな訓練しねぇからな、新鮮だった。

 ――そして。

『4対4戦』当日が、やってきた。

 

 * * *

 

 4月21日。

 学園島9区に敷かれた道路上に、2台のシルビアヴァリエッタ――4人乗りのオープンカー――が停車していた。

 言うまでもないが、この2台が『狼競争』の主役……俺たちが駆る狼ってわけだ。

 そして、平行する2台の後方に、俺たち『遠山班』と『久賀班』、そして担当の教師が立っていた。これから、ルール説明とコース説明があるからな。

 担当の先生は、一度俺たちをぐるりと見渡して、

 

「――えーでは、これより『遠山班』と『久賀班』の『4対4戦』・『狼競争』を始めたいと思います。ルールは、事前に説明したとおり、この話の後で配布するコースを先に走破したチームの勝利、ということになります。妨害は、スタートから30秒後より開始してください。使用武装は制限していませんが、弾丸は非殺傷性の弾、刀剣類は刃無し(ノーエッジ)でお願いします。それ以外は基本的に、何をしてもらっても構いませんので。……あ、ちなみに万が一競技中に人を撥ねた場合はもちろん罪に問われるので、注意してくださいね。あと、車の速度は時速70kmまでしか出ないように改造されているので、そこのところよろしくお願いします」

 

 撥ねた場合とか言うくらいなら、最初からこんな競技作んなよ。

 かなり不安を残す説明を終えた先生は、それから各チームに規定コースが書かれた島内地図を配った。

 

「これから10分間、作戦会議(ブリーフィング)の時間を取りたいと思います。先生、その間にちょっとお茶を飲んでくるので」

 

 台詞から、全体的にこの学校にまともな教師はいないということを再認識しつつ、俺たちは地図を広げて話し合うことにした。なにせ、10分だ。さっさと作戦を決めて、あとは武藤に道を覚える時間を用意しねぇと。

 リーダーである遠山が、全体を仕切る。

 

「よし、じゃあ作戦自体は事前に決めたやつでいくぞ。不知火、お前はどこに陣取る?」

「そうだね……一番狙いやすそうだと思うのは、ここかな。3階建てのビルがある。ここなら、作戦後にワイヤーで降下して車に戻れる」

「できればその前に決められるのが一番だけどな。俺と有明は、車内から攻撃と防御。それでいいな?」

「ああ、それでいい。武藤、あとはお前の運転が頼りだ。しっかり頼んだぜ」

「任せろ。きっちりお前らをゴールまで運んでやるよ」

 

 俺が肩を叩くと、武藤は不敵に笑いながら頷いた。

 その後は、さっきも言ったが、武藤にコースを頭に入れてもらっていた。もちろん俺たちも出来る限りは覚えるが、多分銃撃戦になればそんなこと考える余裕はなくなるだろうな。

 そして、10分間が経過して。

 戻ってきた先生の指示に従い、各チームは、それぞれの車に乗り込んだ。

 ちなみにボディカラーは、俺たちが黒で、久賀たちが白だ。わかりやすいぜ、いろいろとな。

 運転席に乗り込んだ武藤が、エンジンを入れる。駆動音とともに、『狼』は唸り声を上げ始めた。

 先生の、カウントが始まる。

 10……9……8……

 

「ふははっ。武藤、いい勝負にしようじゃないか」

 

 左に陣取る白いシルビアヴァリエッタのハンドルを握る久賀が、相変わらずのスーツ姿(今日はシルクハットはない)でそう言ってきた。

 7……6……5……

 

「負ける気はねえぜ、オレは――いや、オレたちはな」

 

 視線は前を向いたまま、武藤もまたそう返す。

 4……3……2……1……

 

「……ふはっ。そうか、ならば――」

 

 ――GO!

 

「「勝負だ!」」

 

 同時に武藤と久賀が声を上げ、一気にアクセルを踏み込んだ!

 ローギアで発進する機体。それがスピードに乗るよりも早く、

 

「――ッ!」

 

 後部左座席に乗っていた不知火が、車から飛び降りた。作戦、開始だ。

 頼むぜ不知火、と心の中でエールを送り、視線を相手方に移すと――

 

「な!? 『騎士』が全員降りてやがる!?」

 

 想定外の光景に、俺は驚愕した。

 久賀班の車には、久賀以外の人間が乗っていなかった。うちの不知火がそうしたように、スタート直後に降りたんだろう。

 さすがにこんな手を打ってくるとは思わなかった。不知火が事前に調べた話じゃ、普通は2人、最低でも1人は車内に残って撃ちあいになるのがセオリーらしいのに。

 と、車輌科Aランクの実力をいかんなく発揮して一気に加速させていく武藤が、オープンカーゆえの風圧に負けないように大声で、

 

「向こうにも何人か戦闘向きの奴がいんのかもしれねえが、なにせこっちは強襲科のSランクが2人にAランクが1人だ! まともに撃ち合うよりゃ、場外戦術に出たほうがチャンスがあると踏んだんだろうよ!」

「いや……そうは言っても、それじゃ守る奴も攻撃する奴もいなくなるんだぞ!? 蜂の巣になるだけじゃねぇか!」

「いや、多分それは違うぞ有明。あの3人は多分、信頼してるんだ! 久賀なら、1人でも走り抜けられるって!」

 

 遠山の推測に、俺はそんな馬鹿なと思う。しかし、それ以外に可能性がないのは事実だ。

 学園島の道路を、2台のシルビアヴァリエッタが爆走する。だが、それだけじゃただのカーレースに過ぎない。

 そして、それはここで終わりを告げる。

 ピピピピピッ! と、車内に貼り付けられていたタイマーから、突如電子音が鳴り響いた。

 ――30秒。妨害攻撃が、解禁される時間が来た。

 機械の走り合いは終わった。これから始まるのは――狼の喰らい合いだ。

 

「遠山!」

「おう!」

 

 短い呼びかけに、遠山は即座に応える。

 たとえ先に何が待ってても、ここで久賀を潰せば、それでケリがつく。

 俺と遠山は、それぞれ獲物を構える。

 狙うは――タイヤだ!

 

「喰らえッ!」

 

 叫んで、引き金を引く。走行中の上に間隔が開いてるから当たりにくかったが、2、3発撃ってようやく命中した。

 したんだが……なぜか、ビクともしてない。

 お、おい。まさかこれ……。

 

「バカ、武偵高(うち)の車はほとんどが防弾タイヤだ!」

「「前もって言っとけよ、それ!」」

 

 あーもう! ホントなんでもかんでも防弾性にするよなこの学校!

 だったら、運転手を直接狙ってやる! 

 再度銃を構え、久賀を照準(ポイント)しようとして――

 

「――やばい!?」

 

 突如、遠山が叫びながら、助手席から思いっきりハンドルを切った。

 驚く暇もあればこそ、直前まで俺たちの車があった空間に、あられの様に弾丸が降ってきた。

 何事かとあたりを見回すと、前方近くの建物の2階に、久賀班の一人が見えた。原付かなんか使って先回りしやがったな。

 そしてあいつが構えてるのは、FN・ミニミ――軽機関銃!?

 バカだろ! 死ぬよ! いくら非殺傷弾でもそれだけ撃ち込まれたら死ぬよ!

 

「武藤避けろ! 喰らったら蜂の巣だぞ!」

「わかってらッ!」

 

 右へ左へ、減速したり加速したり、不規則な動きで狙いを絞らせない。……うえ、酔ってきた。

 ところどころ車体に喰らいながらも、なんとか銃弾の雨を切り抜けることに成功する。

 だが、その代わり、久賀に距離を離されてしまった。

 なるほどな、連中はこうやって俺たちを妨害してくるってわけか。

 

「上等だよクソッタレ……!」

 

 俺は、後部座席で立ち上がり、前の座席を掴んで体を固定しながら、前方の久賀目掛けて射撃する。

 しかし、距離がある上に背後は座席で守られているから、当たらない。

 

「どうする武藤!? この位置じゃ、俺たちの武装じゃどうしようもない!」

「すぐに抜いてやるから、待ってやがれ!」

 

 遠山に返す武藤の声には、どこか焦りがある。

 クソ、もっと考えるべきだった。後方からでも攻撃できる手段を、用意するべきだった!

 作戦ミスを悔やむ中……久賀が、運転席の外に右腕を伸ばした。

 その手に握られているのは、ここからじゃ良く見えないが拳銃だ。あいつ、一体何を……?

 疑問に思った刹那。

 

 ビシィッ! と。

 フロントガラスに、皹が走った。

 

 フロントガラスに非殺傷弾がめり込んでいるのを見て、俺は目を見開いた。

 馬鹿、な……ッ!?

 あいつ、『ミラーを使って』後ろ向きに撃ったのか!?

 

「クソ、あいつ皹でこっちの視界を潰す気だ!」

「車輌科だろあいつ!? なんだよあの技術(テク)は!?」

 

 俺だって知りてぇよ、それ。馬鹿と天才は紙一重って言うが、マジだったのか。

 

「…………?」

 

 その時、俺の耳が異音を捉えた。これは……エンジン音?

 背後から近づいてくる音の正体を探るべく、俺は振り向いて――

 

「なっ!?」

 

 後方から追走してくる1台のバイク――PCX150――を目にした俺は、驚愕の声を漏らす。

 操縦者は、当然久賀班の1人。いつの間に後ろにつきやがった……?

 つーか、そんなのありかよオイ!? こんな勝負で挟み撃ち喰らうなんざ、まったく予想してなかったぞ!?

 クソ、連中の方がこの競技をよく理解してやがる。本当に、使えるもんはなんでも使ってきやがるな。

 

「遠山! お前は久賀を攻撃しろ! 後ろのやつはなんとか俺が対処する!」

 

 助手席の遠山に叫びつつ、俺は後ろを向きながら数発PCX目掛けて撃ち込む。

 しかし、スラローム走行によって、それらはかわされた。チクショウ、マジモンのSランクならあんな的にだって当てられるのに!

 と、その時、PCXがいきなり加速した。なんだ? てっきり後ろから撃ってくると思ったのに。

 何を企んでるのかしらねぇが――

 

「来るんじゃねぇ!」

 

 牽制のために、俺はさらに射撃を重ねる。

 が、何発かは機体や運転手が被るフルフェイス・ヘルメットに当たるんだが、弾かれている。もういいよ防弾製品は!

 ぐんぐん近づいてくるPCX。まさかこのまま追突する自爆特攻か――と戦慄した瞬間、車体が大きく左に進路を変えた。

 こいつまさか――回りこむ気か!?

 その予想は当たっていたらしく、PCXはシルビアヴァリエッタの左横へと回り込んでいく。

 視線の先で、PCXの運転手の左手に、なにか球体のものが見えた。

 って……お、おい! お前、その手に持ってんの手榴弾じゃねぇか!?

 ぎゃああああああああ!? なんなのお前らホント! モブキャラかと思ったのに、全員どぎつい攻撃方法使ってくんなよ!

 

「クソッ!」

 

 俺は悪態をついて、右後方から左後方の座席へと移動する。

 と同時、PCXが完全に車体の真隣に張り付いた。

 運転手の左手が軽く振りかぶられるのが、どこかスローになっていく視界に映る。  あれを投げ込まれたら――おそらく、俺たちは終わる。

 

「さ、せるかぁああああああああああああ!」

 

 俺は叫びながら、せめてもの抵抗として、ドアの上部から左足を外に蹴りだした。撃ってもダメ、避けるのも無理となれば、バイク自体に蹴りを入れて体制を崩すしかない……のだが。

 ――と、届かない! 俺の足が短いのか、それとも足が届くほど接近されてなかったのか。ただ、足先にちょんと何かが当たった感触はしたんだが、バランスを崩すまでには到底至らなかったらしい。

 ああ……悪い、みんな。こんなことなら、かっこつけずに大人しく遠山に任しとけばよかったよ。

 後悔先に立たず。心中でみんなに懺悔しながら、俺は手榴弾が爆発することを覚悟した。

 そして。

 予想を違わず、直後小規模な爆発が起きた。

 

 ――PCXの、運転席から。

 

 爆発の規模はでかくない。従来の手榴弾から考えれば、ありえない範囲だ。

 だが、これはおそらく強襲科(アサルト)で使用されている、非殺傷手榴弾(ミニボマー)だろう。爆熱でも、破片でもなく、『爆風』で相手を気絶させるための非殺傷武装。装備科(アムド)の連中が開発したらしい。 

 とはいえ、バイクから人一人吹き飛ばすくらいは簡単で、

 

「お、うあああああああああああっ!?」

 

 爆風に煽られ、PCXを操っていた運転手は、後方に吹っ飛んでいった。

 う、うわー……痛そうだな、あれ。防弾ジャケット着てるみたいだけど、絶対体中に衝撃が走ってるはずだ。

 

「よくやったぞ、有明! さすがはSランクだな、おい!」

「お、おう」

 

 運転席から飛んできた武藤の賞賛に、俺はあいまいな返事で答える。

 い、いやー……おそらく、さっきのは自爆だろうから、俺がほめられるのは筋違いってもんだろう。

 バカなやつだ。たぶん、ピンを抜いてから爆発するまでに投げることができなかったんだろう。だから、手に持っているときに起爆してしまった……ってところか。

 助かった……運がよかったな。

 それよりも……、

 

「おい、武藤! 妨害は防いだけど、このままじゃ負けちまうぞ!」

「心配すんな! もうすぐ、不知火が待機してるポイントまでつく!」

 

 焦る俺に、武藤は大声でそう返した。

 それに俺は、ハッとなる。そうだ、まだ不知火の攻撃が残ってた。

 久賀を追い抜くチャンスは、もうそこしかない。

 頼むぞ、不知火……!

 

 * * *

 

 ――勝った、とその少年は思った。

 久賀班の1人であるその少年は今、間違いなく勝利を確信していた。

 学園島内をひた走る、2台のシルビアヴァリエッタ。それに対して妨害工作を仕掛けようと思った場合、取れる手段は主に3つに分けられる。

 1つ目は、『狼競争』セオリー中のセオリー。実際に車に乗り込み、カーチェイスの最中に攻撃するという方法である。これは、遠山班において、キンジと錬が取った方法だ。

 2つ目は、待ち伏せをするという方法。スタート直後、コース上必ず通る地点に先回りし、なんらかの妨害を行うやり方だ。丁度、久賀班の1人が軽機関銃で錬たちを待ち構えていたように。

 そして、3つ目。それこそがこの少年が取った、『外部ユニット』を用意する手法であった。

 彼は、あらかじめスタート地点の近くに隠しておいたPCX150を運転し、裏道を通りながら敵方のシルビアヴァリエッタへと近づいていった。

 エンジン音で接近自体はバレてしまったものの、迎撃自体は拳銃程度だ。スラローム走行や防弾装備を駆使すれば、接敵は容易だった。

 そしてそのまま彼はPCXをシルビアヴァリエッタの左側面へと近づけていった。懐から取り出した非殺傷手榴弾を直接投げつけ、遠山班を行動不能にさせるためである。

 ここで彼が拳銃を攻撃方法として選ばなかったのは、ひとえに射撃適正がなかったからだ。迎撃の危険を考えれば、アタックチャンスは1度しかない。その1回を頼りない自身の射撃に任せるのは、躊躇われた。

 だからこそ彼は、車体の左側に張り付いた瞬間、一瞬だけ両手を放してピンを抜き、手榴弾を持った左腕を振り上げた。当然その行動を阻害するために、後部座席にいた錬が動くが、もう遅い。たとえ今更撃たれたとしても、そのくらいではもう投擲は止められない。

 ――勝った、とその少年は思った。

 ゆえにこそ彼は、刹那なんの迷いもなく手榴弾を投げ込んだ――と、同時。

 

 その手榴弾を、有明錬に『蹴り返された』。

 

(な、に……ッ!?)

 

 跳ね返ってくる手榴弾を視界に収めながら、少年は驚愕した。

 何度も練習したタイミング。放り込まれると同時に爆発するように投げた。それはつまり、拾って投げ返すなどの起死回生を許さない、まさに必勝のタイミング。

 それをわかっているのか否かは定かではないが、錬はその必勝を直接蹴り返すというタイムラグ無しの方法で見事に瓦解せしめたのだ。

 練習という努力を、機転という才能が叩き潰した。

 あまりにもとさえ言える理不尽に文句を言う暇すらなく、直後彼は自分がピンを抜いた手榴弾の爆撃を受けることになる。

 

「お、うあああああああああああっ!?」

 

 非殺傷性の、しかし強烈な爆風が、彼をPCXの上から弾き飛ばす。

 流れ行く景色と全身を叩く道路の硬さに呻きながら、彼はやがて意識を失った。

 

 * * *

 

(マズイ……!)

 

 不知火亮は今、強烈な焦燥感に襲われていた。

 彼が遠山班において任命されたのは、先の説明で言えば2つ目。待ち伏せをして久賀班を妨害するという役目であった。

 その攻撃方法は、彼が背負っている狙撃銃――レミントン・M700――が物語っていた。コース上、必ず通過するとある3階建てのビル。その屋上に陣取り、久賀班の車の進行を阻害する手はずになっていた。

 しかし、ここで予想外の事態が起きた。なんと、久賀班の1人も偶然同じビルを待ち伏せポイントに選んでおり、鉢合わせになるという事態になってしまったのだ。

 その敵自体は、武藤たちと合流したあとで使うはずだったサイドアーム――レーザーサイト付きSOCOM(ソーコム)――を使用して勝利したのだが、問題はそのせいで生まれたタイムロスだ。

 このビルに来るまでにかかった時間も考慮すれば、もういつ武藤たちが来てもおかしくはなかった。

 だから不知火は大慌てでビル内に進入、階段を使って屋上まで一気に駆け上がった。

 逸る気持ちを冷静になれと押さえ込みつつ、屋上に通じるドアを開ける。幸いカギはかかっていなかったので、そこで時間を取られることはなかった。

 スリングで背負ったM700を下ろしつつ、不知火は屋上の端へと駆け寄った。

 そこでぐるりと視線を巡らせれば――いた。小さく、こちらに向かって爆走している白のシルビアヴァリエッタが見える。

 

「もう、あんな近くに……!」

 

 焦りながらも、不知火は流れるような動作で安全装置(セーフティー)を外し、ボルトハンドルを操作することで弾丸を装填する。彼は本来強襲科の生徒だが、同時に万能型の武偵でもある。狙撃銃にも、ある程度精通していた。

 スコープを覗き込み、不知火は久賀が操るシルビアヴァリエッタを視野に入れた。彼以外の同乗者がいないことに少し驚きつつも、不知火は『数秒後にシルビアヴァリエッタが通るであろう道路上を狙って』引き金を引いた。

 着弾したのは、狙い通りシルビアヴァリエッタの進路上の道路だ。一見外したようにも見えるが、これは立派に目標に撃ち込まれていた。

 よく見れば、そこにいつの間にか粘性の水溜りが広がっていることがわかるだろう。その正体は、先ほど不知火が撃った潤滑弾(アンカケ)と呼ばれる特殊弾丸だ。着弾後、内部に仕込まれた特殊ローションを撒き散らし、対象の摩擦力を無くすという普通ならなんの役に立つのかいまいちよく分からない弾だ。

 だが、今回はその限りではない。不知火はその潤滑弾を使い、久賀班の車をスリップさせようと目論んだのだ。

 猛スピードで走行する車がそんなことになれば当然危険極まりないのだが、そこらへんはさすが武偵高の生徒といったところか。

 とまれ、これで不知火は任務をギリギリで達成できたと安堵し、スコープから目を離した。

 ――次の瞬間。

 

 白のシルビアヴァリエッタの『片輪が浮いた』。

 

「な……ッ!?」

 

 信じられない、とばかりに声を漏らす不知火に構わず、数秒片輪走行になったシルビアヴァリエッタは、きれいに特殊ローションの池を交わし、再び両輪走行へと戻った。

 何がなんだかわからないと困惑する不知火だが、即座に気づく。

 

(道路脇の縁石に乗り上げて、一瞬だけ片輪走行に持っていったのか……!)

 

 そんなことが可能なのか。いや、現状それ以外に思いつかない。

 呆然とする不知火の眼前を、白のシルビアヴァリエッタが悠々と駆け抜けていった。

 

 * * *

 

 か、片輪走行だと……!?

 初めて見たよ、そんなの。どこの曲芸師だあいつは。

 いや、そんなこと言ってる場合じゃねぇ。

 

「どうする、武藤! 不知火の攻撃まで避けられちまったぞ!」

「わかってら……ッ!」

「とにかく撃て、有明! それしかない!」

 

 わかってるよ、遠山。それしかねぇってことくらい。

 だけど――当たらない。さっきと一緒だ。ここからじゃ、どれだけ撃ったってあたりゃしねぇんだ。

 遠山と2人、何度か撃つも、やはり久賀の進行を止めることはできない。

 どうする? どうすりゃいい……?

 それを考えている間にも、レースは進む。勝負はついに、直線を残すだけとなった。

 だが、同じ車を使用している以上、彼我の距離はそのまま勝敗に直結する。ただ後ろから追いかけるだけじゃ、絶対に追い抜かすことは出来ない。

 つまり――

 

 俺たちの、負けだ。

 

 悔しさが滲み出る。何か他にできることがあったんじゃないかと、後悔があふれ出す。

 ここまでか。

 ここまでなのか。

 

「…………いや」

 

 ――まだだ。

 まだ、終わってない。

 武偵憲章10条『諦めるな、武偵は決して諦めるな』。

 そうだ。まだ、勝敗が決したわけじゃない。勝負が終わったわけじゃない。

 俺は、再び拳銃を構える。せめて最後の一瞬まで、抗ってやる!

 そして、俺は。

 その引き金を、引く――

 

 その直前。

 1匹のハエが、俺の顔の前を通過した。

 

「ふぁ……っ」

 

 むずむずと。鼻を掠めていったハエのせいで、俺の鼻腔が震えだした。

 こ、これは……まずい!

 しかし、『それ』は生理現象だ。我慢してどうなるもんでもない。

 よって、ごくごく当たり前の帰結として、

 直後。

 

「ぶえっくしょんッッッ!」

 

 くしゃみと同時に、俺は反動で2回ほど引き金を引いていた。

 おおおおおおお!? 恥ずかしいなんてもんじゃねぇぞこれ! シリアス! 今シリアスな場面だったから!

 幸い、くしゃみの音は発砲音とオープンカー特有の風の音でかき消されたかもしれないが、これは個人的に恥ずかしすぎます、はい。

 やばいわこれもう武藤たちに顔合わせらんねぇ、と一人嘆いていると、

 

「あ、有明……! お前今、何やったんだ!?」

 

 なにやら遠山が、こちらに振り向いてそんなことを訊いてきた。

 え、ええ? もしかして、気づかれたのか? 俺のくしゃみ。

 ど、どうしよう。これ正直に言った方がいいのかなーと迷いながら、誤魔化すように顔を横に向けると。

 

 ギュオンッ! と。

 俺たちの車が白のシルビアヴァリエッタを追い抜いていった。

 

「…………」

 

 ……あれ? 今の、久賀の車じゃね?

 なんで追い抜けてんの? と首を傾げる俺に構わず、俺たちの車はそのまま十数秒ほど進み続けて――『狼競争』のゴールに辿りついた。

 キキィィィッ! と、壮絶な音を立ててブレーキングする、俺たちのシルビアヴァリエッタ。

 そして、いつの間に近づいていたのか、気づけば近くに立っていた担当教諭が宣言した。

 

「『狼競争』勝者は……遠山班ですね、はい」

 

 そんな、気の抜けるような口調で。

 

「「っしゃあ!」」

 

 遠山と武藤がハイタッチする。パチィン! と、いい音が響いた。

 …………で。

 これ、どういうことっすか?

 

 * * *

 

 同速度で走る2つの物体が、直線コースにおいて前後が入れ替わることはありえない。

 そういう意味で、久賀は未だゴールしていないにもかかわらず、遠山班に勝利していると言ってよかった。

 また。

 久賀自身も、ここからの逆転はないと踏んでいた。

 

(最後のこちらの妨害がなぜかなかったのは気になるが、やつらの狙撃も回避した。後方からの銃撃は恐るるに足りない。ふはははっ! これは俺の勝ちで決定だな、武藤!)

 

 久賀は、胸中で哄笑を上げる。

 ――やっとだ。

 やっと、ここまで来た。団体戦による勝負とはいえ、ライバルに……武藤剛気にあと一歩で勝利できるところまで。

 ――久賀大輝が武藤剛気をライバルだと定めたのは、入学してすぐのことだった。

 父が一流企業の社長をしている関係で、久賀は生まれながらにして上級の暮らしを送っていた。その生活は何不自由なかったし、一般的な見地から見れば羨望を浴びる人生だったのだろう。

 しかし、久賀はそれだけでは満足しなかった。安定した毎日に退屈を感じた彼は、やがて刺激を求めるようになっていった。

 始めは小さなことから。そこから次第にステップアップし、その過程なのか最終形なのかはともかくとして、久賀は武偵という道を歩き始めた。

 そして、今年の春。横浜武偵高附属中学を卒業した彼は、東京武偵高へと進学した。

 入学試験での格付けは、『実質的な最高ランク』と呼ばれるAランク。1年生でこのランクを取得できるものはかなり稀で、久賀はこの結果に大層満足した。

 が、入学してみれば、彼以外にも車輌科Aランクの新入生が存在していた。それが、武藤剛気だったのである。

 以来、何かと久賀は武藤に張り合うようになった。遺伝か、それとも生来の性格か。顕示欲の強い彼がそんな行動に出たのは、むべなるかなといったところであった。

 ――そして、今日。

『4対4戦』という直接対決の機会を得た久賀は、武藤に王手(チェックメイト)をかけていた。

 

「俺の勝ちだ、武藤……ッ!」

 

 あらん限りの力でアクセルを踏み込み、久賀は勝利を宣言する。

 ゴールまではもう、あと数十メートル。それはすなわち、久賀大輝が二つの意味で勝つまでの距離だった。

 武藤たちに逆転の目はもうない。久賀は、沸きあがる歓喜に、唇で弧を描いた。

 ――その時。

 久賀の耳が、2発の銃声を捉えた。

 しかし、久賀はそれを気にしない。発砲ならこれまでも何度もあったし、そのどれもが久賀の進撃を止める手立てにはならなかったからだ。

 だから久賀はその銃声を意識の外にやって、

 

 直後、額に1発の非殺傷弾が激突した。

 

「かふ……ッ!?」

 

 ガクンッ! と、衝撃で首が後方に仰け反る。視界が暗転し始め、反射的にブレーキを踏んでしまう。緊急時に事故を起こさないようにするために、車輌科で叩き込まれた反射行動だった。

 それを後悔するも、もう遅い。即座にアクセルに足を戻そうとするが、意識が朦朧として体が言うことをきかない。非殺傷弾とはいえ、喰らったのは頭だ。すぐに気絶しないだけでも僥倖だった。

 だが、そもそもどうやって自分は撃たれたのか? 背後からの射撃では、座席の背もたれに阻まれるはずだ。ましてや額など、当たろうはずもない。

 しかし、疑問は一瞬。

 ふとした拍子にフロントガラスと『あるもの』が視界に映り――瞬間、久賀は理解した。

 

(『跳弾か』……!)

 

 それは、まさしく正答であった。

 フロントガラスを用いた『跳弾』。それが、謎の射撃の正体だった。

 しかし、それは通常あり得ない。本来なら、たとえ弾丸がフロントガラスに当たったとしても、跳ね返るより先にめり込んでしまうのだ。丁度、久賀がバックミラー越しに放った弾丸が、武藤たちの車のフロントガラスにめり込んだように。

 だが。

 もし当たった先に、『フロントガラスではなく別の物』があったとしたらどうだろうか。

 たとえば。

 

 あらかじめフロントガラスに1発めり込ませて、まったく同じ場所に2発目を撃ち込んだらどうなるだろうか?

 

 答えは、久賀が身を持って知っている。2発目の弾丸は、めり込んでいる1発目の弾丸の『底』を、跳弾を可能とするための『踏み台』へと変えたのだ。

 全く同じ場所へと連続で撃ちこむ、弓道で言うところの『継ぎ矢』のような技術――『同点撃ち(ワンホール)』。

 任意の場所を中継点として、多角的な射撃を可能とする技術――『跳弾射撃(エル)』。

 どちらか1つでも、狙って扱うことの難しいこれら2つの複合技術。

 名づけるならば――『同点跳弾撃ち(ワンホール・エル)』。

 

(武藤のチームメイトの仕業か……)

 

 薄れ行く意識の中、久賀は一つ忘れていたことを思い出した。

 これは、『4対4戦』。久賀大輝と武藤剛気の勝負ではなく、『久賀班』と『遠山班』の勝負なのだ。

 そして。

 久賀大輝に敗因があるのだとすれば……きっと、そこだったのだろう。

 

(あいつらに……悪いことをしたな)

 

 脳裏に、チームメイトたちの姿を思い浮かべて、 

 久賀は静かに目を閉じた――

 

 * * *

 

 ――と、いうわけで。

 えー……なんだかよくわからんが、『狼競争』の勝者は俺たち遠山班になった。

 まあ、それ自体はいい。結局なんで勝てたのかはよくわかんなかったんだが、勝てたことは素直に嬉しい。

 ……だけどな。

 

「ふははっ! そこにいるのは我が新たなライバル、有明ではないか! 奇遇だな!」

 

 ……なにがどうしてこうなった?

『4対4戦』の翌日、俺は廊下で偶然出会った久賀に、思いっきり顔をしかめた。

 昨日。勝負が終わった後、途中で停止した久賀の車に向かってみれば、こいつはなぜか気絶していた。

 で、意識が戻るなり、武藤や遠山に何かを聞きまわり、そしてなぜか最後に俺のほうに来てこう言ったのだ。

 

『なるほど……あれはお前の仕業だったのか。さすがはSランク武偵と言ったところだな。――よし! お前を今日から俺の新たなライバルに認定するぞ! ふははははっ!』

 

 意味がわかりません。

 そんなこんなで、俺はどうやらこいつのライバルにされてしまったらしい。なぜだ。

 

「ふはっ! どうした有明? 顔色が優れんぞ!」

 

 ふはふは笑ってる久賀から顔を逸らし、俺は窓の外に目を向ける。

 ああ……なんというか――

 

「ふはははははははっ!」

「はぁ……」

 

 こんな感じで俺の周りにはどんどん変な奴が増えていくのか、と。

 俺は小さくため息をつくのだった。


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