偽物の名武偵F   作:コジローⅡ

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今アドシアード編(1年生)を執筆中なのですが、アドシアードの開催期間よりこの話の方が時系列的に早かったので、投稿しておきます。にじファン時代に番外編として載せた物をちょこっとだけ改訂したものです。

あと、原作を軽く一から見直しているのですが、なかなか終わらない……。そして思ったことが、銃弾避けるやつ(効かないやつ)多すぎということでした。
そして最新刊のレキちゃんどういうことなの……エロすぎでしょう。


EP.3 男が女を名前で呼ぶ意味と女が男を名前で呼ぶ意味

A Part 男が女を名前で呼ぶ意味

 

 それは5月の初め、よく晴れたある日の昼休みのことだった。

 たいていの学生がそうであるように、ここ東京武偵高の生徒たちは午前授業の4時間を乗り切り、それぞれ思い思いに羽を伸ばしていた。

 一般校区(ノルマーレ)B棟に存在する1年A組もその多分に漏れず、弁当を広げたり、お喋りに興じたりしながら、教室内を高校生らしい活気で大いににぎやかせていた。

 その話題はもっぱら、いよいよ来週に迫ったアドシアード――国際武偵競技会についてだ。1年の中でも規模という意味なら最大級のイベント、しかも今年は例外的に1年生から出場者が出るという噂がある。盛り上がらないはずがなかった。出場する1年とは誰か、そして各国の武偵高生の話題など、会話の種には事欠かない。普段よりも、教室内を包む活気は賑やかなものだった。

 そんな中、教室後方にとあるグループの姿があった。4つの机をそれぞれくっつけて大きなテーブルにしている、4人の男子生徒たちである。

 有明錬、遠山キンジ、武藤剛気、不知火亮。

 つい先日武偵高で行われた決闘――ランバージャックと呼ばれる形式だ――をきっかけに共にいることが多くなった4人組だ。先日はさらに、『4対4戦(カルテット)』と呼ばれる戦いを共に勝ち抜いた、戦友とも呼べる。

 そんな彼らは今、各々机の上に弁当を乗せ、昼食を取っていた。といっても、キンジと武藤は購買で買ったパンだったりするのだが。

 それはそれとして、彼らはこうやって一緒に昼を過ごす程度には仲がいい。『本来なら』、マナーは多少悪いが食事と同時に会話を楽しむぐらいはしている。

 ……のだが。

 

『…………』

 

 今は、誰一人として口を開いてはいなかった。ただ黙々と、箸を進めるのみである。

 気まずい。ただ、ひたすらに。明らかにその一角だけ、他と隔するどんよりとした空気が漂っていた。

 異様な雰囲気に、箸が重たいと感じながら、錬は内心で嘆息した。

 

(おいおい……なんだよ、この空気は。武藤も不知火も、いつもみてぇに喋ればいいじゃねぇか……まあ、わかんなくもねぇんだが。つか、俺も喋りづれぇし)

 

 内心でため息を一つ、錬はちらりと視線をとある人物――そう、遠山キンジへと向けた。

 キンジは、パンを食べていた。

 と、状態だけ見ればそう簡潔に表現できるのだが、問題はその態度にあった。

 まず一つ、キンジは目をつぶり、眉をしかめている。

 もう一つ、キンジは一切喋らない。

 おまけに、どこかイライラしているようなオーラも放っていて。

 端的に言えば……思いっきり不機嫌そうだった。

 

(あー、空気重てぇ……。なんだってんだよ、こいつ?)

 

 錬を筆頭に、不知火も武藤も、どうしてキンジがここまで鬱々とした空気を作っているのかわからなかった。

 4限目が始まる前に教室に戻ってきた時はすでにこの状態で、そのまま1時間を過ごしたのである。そこから昼休みに入ったものだから、結局いまだに原因はわかっていない。とりあえずいつものように机をくっつけることに文句をつけなかったから、自分たちにはなさそうだが。

 そんなわけで、絶賛気まずい雰囲気発生中の1年A組(一部)であった。

 

(誰か、この流れを断ち切れよ……!)

 

 我らが主人公が他力本願に走る中、錬の願いが通じたのかは定かではないが、武藤がこの膠着状態に一石を投じた。

 

「よ、よおキンジ! どうしたよ、暗いじゃねえか!」

 

 バッシーン! と、割と強めにキンジの背中を叩きながら、武藤は持ち前のひょうきんさでキンジに話しかけた。

 錬と不知火の顔に、笑顔が戻る。よくやった武藤、そうだよ最初が肝心なんだよ!

 武藤のいい意味での気安さに感謝しつつ、錬は願う。

 さあ、来い。

 流れよ変われ。

 グッバイ、シリアス!

 ハロー、コメディ!

 

「別に」

『…………』

 

 撃沈であった。

 これ以上無いほどあっさりと武藤渾身のフォローは、キンジに叩き潰された。

 それどころか、いかにも何か嫌な事がありましたよとアピールするかのようにため息なんぞしてくれやがったものだから、武藤は心の中で誰かに問いかける。

 

(こいつ、殴ってもいいかな?)

 

 ぶっちゃけ殴るぐらいのことは、ここではほとんど問題にならないのだが、スッと右腕を振り上げた武藤を見て慌てて不知火がキンジに話しかけた。

 

「ま、まあまあ遠山君。そんなつれないこと言わないで、僕たちにも話してみてよ。何かあったから、そんなに不機嫌なんだよね? 話したら、少しはすっきりするかもしれないよ」  

「だな。不知火の言うとおりだ。言っちまえよ、遠山」

 

 錬がさらっと便乗したのはともかく、柔らかな不知火の口調にキンジは未だ憮然とした顔のまま、それでもようやく語り始めた。

 視線は遠く。口調は険しく。

 仰々しい雰囲気を醸しつつ……言った。

 

「……うちの女子は、恥じらいがなさすぎる」

『……はぁ?』

 

 第一声から、すでに意味不明だったが。

 

 * * *

 

 それは、3限目が終わって、4限目までの休憩時間のことだった。

 遠山キンジはトイレで用を足し、自分の教室へ戻っていた。廊下を進み、あと数メートルでたどり着く――といったところで、事件は起きた。

 丁度、階段と廊下が交わる地点。そこまで歩を進めたキンジは、女子特有のキャッキャとした高い話し声を聞いた。

 

(うるせえな……)

 

 耳朶を打つ声の不快さに、キンジは眉をしかめる。

 キンジにとって、女子とは鬼門だ。憎悪、とまではさすがにいかないが、嫌悪している節がある。

 そこには当然というか、理由はあった。中学時代のとあるトラウマが、そしてキンジが持つとある体質が、キンジが女子を忌避する原因になっている。

 だから、こういった声はあまり好きではなかった。女子の声が聞こえる、ということはそこには当たり前に女子がいるはずなのだから。

 しかし、だ。いくら女子が嫌いとは言っても、さすがに視界に入れたくらいでどうということはない。そんなレベルの女嫌いならば、ただ普通に生活するのにも難儀するだろう。

 繰り返すが、見るだけなら問題はないのだ。

 だからキンジは、どこのどいつが騒いでいるのかと横目でちらりと確認してみた。

 正確に言うならば。

 確認して『しまった』。

 ――次の瞬間、

 

 パンツが、キンジの視界に飛び込んできた。

 

(――ッ!?!?!?) 

 

 階段の踊り場。自身よりも高い位置に、2人の女子生徒がいた。

 その内の1人――確か強襲科の椎名(しいな)だ――のスカートが、非常に大変な事態になっていた。具体的に言えば、もう1人――同じく強襲科の水瀬(みなせ)――にめくられていた。これはキンジにはあずかり知らぬことだったが、水瀬がふざけて椎名に、いわゆるスカートめくりを敢行していたのだ。

 ストライプのシンプルな下着が、遠山キンジの視線を席巻する。脳髄を直撃し、人間の本能、性的興奮を引きずり出す。

 

(た、えろ……ッ!)

 

 瞬間、キンジは首がねじきれるのではないかと心配になるほどの速度で顔を逸らし、頭の中で心頭滅却と繰り返し唱える。

 大丈夫だ、落ち着けキンジ。あれはただの布だ。あんなもの、デパートにでも行けば腐るほどある。だから、落ち着け。Be coolだ遠山キンジ……!

 と、凄まじいほどの自己暗示で、キンジはなんとかヒステリアモードを発動させずに済んだ。代償として、フルマラソンを乗り越えたような精神的疲労を味わったが。

 そんなキンジに、声がかかる。

 

「おろ? おー、とーやまー。やっほほーい! なんだよなんだよ、ひょっとして静(しず)のパンツ見ちゃったかー?」

「ええ?! そ、それは困るよ遠山君! 光(ひかり)の言ってること本当?!」

(どうして俺に声をかける……!)

 

 このまま教室に帰って机につっぷそうと計画していたというのに。

 キンジは、頭上の2人を見上げつつ、

 

「そもそも、お前らなにやってんだ!」

 

 小ずるく椎名の質問をスルーしながら怒鳴ると、即座に水瀬が見破った。

 おどけたように小柄な体と金がかった茶髪のショートカットを揺らし、水瀬が笑う。

 

「おっとー、その発言がすでに見ましたと自首しているね。あっはは、ごめんごめん静。やっちゃった!」

「やっちゃった、じゃないよぉ、もう……」

 

 もはや涙目となっている(キンジも泣きたかった)椎名もまた、小さめの丸メガネの奥で瞳を潤ませる。

 水瀬はぱしぱしと軽めに椎名の背中を叩きながら、

 

「あははっ。まーでも、あれだね。とーやまはラッキーって感じだね。やーい、スケベー!」

 

 水瀬の言った台詞に、キンジは激しく反応する。

 ラッキー? アンラッキーの間違いだ、と。

 

「そんなわけねえだろ! ふざけんな!」

 

 キンジとしてはラッキーという部分を否定したかったのだが、どうも水瀬はスケベの方を否定したと思ったらしく、

 

「やだなぁ、冗談だよ冗談。とーやまって、あんまり強襲科でも女子と絡まないし、スケベってのは間違いか。どっちかって言ったら……うん。あんたとつるんでる方がえっちかもねー」

(そっちじゃねえ……というか、つるんでる方? 不知火……は絶対違うだろうし、ということは有明か。……おい有明、お前知らないうちにすけべ扱いされてるぞ) 

 

 心中で友人を不憫に思うキンジだったが、実際のところ水瀬は軽蔑の意味で言ったわけではない。キンジの知る由はなかったが、水瀬と錬は気心の知れた関係である。ただの軽口だった。

 と、閉口するキンジに何を思ったか、水瀬がいたずら気に唇を歪めた。

 そして、爆弾を投下したのだ。

 

「んー、じゃあ、あれだ。お詫びに、アタシのパンツ見せたげよっかー?」

「は?!」

 

 自分の耳を疑うほどぶっ飛んだ提案に目を向けると、水瀬は「ほれほれー」とか言いながらかなりきわどい位置までスカートを持ち上げ始めていた。

 そろそろ、と。武偵高指定の防弾スカートが、上昇していく。

 健康的な白さを放つ太ももが露わになっていく。そして、後数秒後にはおそらく『それ以上のもの』も晒されるだろう。

 キンジの中で、危機感が膨れ上がる。 

 

(ちょっ、やめろ……!)

 

 駄目なのだ、『そういうの』は。せっかく抑えた血流が、また暴走を始めてしまう。

 それは、危険だ。キンジだけでなく、ある意味では水瀬達も、だ。

 数秒後に起こりうる未来を想像して顔を青くしたキンジが慌てて制止に入る――より早く、

 

「――なーんて。これも、冗談っ」

 

 パサリ、と水瀬はあっさりスカートを下ろした。

 キンジの意識が、一瞬確かに空白に染まる。

 からかわれたとキンジが気づく前に、水瀬は椎名の手を取り、「じゃーねー!」と告げてさっさと上階へと消えていった。

 後には、ただ、やり場の無い思いを抱えたキンジだけが残されたのだった。

 

 * * *

 

 以上の出来事を語り終えたキンジは、最後にこう締めくくった。

 心底嫌々そうにしながら。

 

「ホント、うちの女子は羞恥心がないから困る。いい迷惑だ」

「なるほど、つまり殺してくれってことでいいんだなキンジ。――おい放せ不知火、拳銃が抜けないだろ」

「抜いちゃだめだから!? ちょっと落ち着いてよ武藤君!?」

「よく覚えとけ、遠山。ラッキースケベが許されんのは、漫画の中だけだ。よかったな、これで来世に活かせるぜ。じゃあ死ね」

「有明君?! 君まで普通にグロック抜こうとしないで!」

 

 焦る不知火、というなかなかにレアな光景が生まれ、なんとか説得された武藤と錬が着席する。

 が、それはイコール納得したわけではない。

 馬鹿2人の怒りは、そう簡単に静まりはしなかった。

 

「キンジ、お前バカか? 男なら、そういう状況は至高だろうがよ」

「遠山。テメェ、ちょっと舐めてねぇかおい?」

 

 武藤に続き、錬もキンジを糾弾する。

 とはいえ、錬に限っては、

 

(まあ、みなっちゃんとシイなら実際俺でもそんな対応されるかもしんねぇが、それとこれとは話が別だよな。うん)

 

 などと、自分を正当化していたりもした。というか、よくよく思い出してみたら、中学生の時、あの小柄な同級生は似たようなことをやってきた気がする。おまけに、確かその時はスカートの中身まで……いや、これ以上はやめよう。怒りの炎が鎮火してしまう。

 パンチラを目撃して、それがバレたのにお咎めなしの上、尚も好意的だとォ……! という馬鹿2人の憤りに頭を痛めながら、キンジは反論する。

 

「あのな。お前らがどうだか知らないが、俺にとっては迷惑なんだよ、そういうのは。この際だから言っとくけどな、俺は女が大の苦手なんだよ」

 

 そんなこと言われても、キンジの体質を知らない錬たちから見たら、キンジの態度は信じられないのだ。それでいいのか男子高校生、といった感じである。

 ――と。そんな時、錬があることに気づいた。

 

(あれ……? でも、ちょっと待てよ……?)

 

 ふと覚えたひっかかり。キンジの言葉の中に潜む矛盾。

 そこに疑問を持った錬は、キンジに問いかける。

 

「おい、遠山。一個いいか?」

「? なんだよ」

「ああ、いや、大したことじゃねぇのかもしれねぇけどよ。お前――」

 

 ――それは、気づくべきことではなかったのかもしれない。見て見ぬふりをして、そっと心の底に仕舞いこんでおくべきものだったのかもしれない。

 なぜなら、次の一言がきっかけで、錬には災難が降りかかることになるのだから。

 だが、過去が変えられないように未来を知ることなどできない人間には、気づいてしまった以上、それを言うか言わないかという選択肢が生まれる。

 そして、錬は前者を取った、というだけのことだ。

 だから彼は、躊躇いもなく言ってのけた。

 

「女子が嫌いってわりには、女子しか名前で呼ばねぇよな」

 

(――ッッッッッッッッ!?!?!?)

 

 遠山キンジに衝撃走る!

 漫画的に言えば、背景に雷が落ちたような感じである。

 わなわなと唇を震わせるキンジの脳が、さび付いたような音を上げながら回転し始める。

 ――そうだ。言われてみればそうなのだ。

 白雪は言わずもがな(ついでに白雪の妹たちも)、理子も名前呼びだし、レキ……はまあしかたないとして、言われてみればキンジはさり気に女子ばかりを名前で呼んでいた。男子は全員名字呼びだと言うのに。しかも、なぜかこの先その傾向が顕著になっていくような気がするが、それはどうしてだろうか?

 ファミリーネームとファーストネーム。どちらが親しげかと言えば、まあ一般論的には後者だろう。

 つまり、だ。

 まさか自分は……、

 

(お、俺は実は男子よりも女子のほうが好きだった……? い、いやいや落ち着けキンジ! 中学を思い出せ。俺は、女子が、苦手だ。絶対そのはずだ……!)

 

 必死に否定するように、キンジは脳内で千切れんばかりに首を振る。

 だがもし本当にそうなら、これはあまりにもイタい。

 俺女子とかマジ興味ないっすよーむしろ苦手っすよー、とか言いつつその実女が好きでした? 

 駄目だ、シャレにもならない。

 

「おい、遠山? おーい……んだよ、こいつ。フリーズしやがった」

 

 何か錬が言っているようだが、今のキンジには気にならない。というか、端的に言ってそれどころではない。

 

(違う違う違う! 俺は女が苦手なんだ! 弁明しないと……! だから、そう。女が嫌いなんだから、つまり――)

 

 バチバチバチ――ッ! と、脳裏でトンデモ理論が構築されていく。反論のために組み上げられたその理論は相当にぶっ飛んでいたが、思考回路がショートしたキンジにとっては、天啓に等しかった。

 

「なぁ、不知火、武藤。俺、そんなに変なこと「有明ぇえええええええ!」はいっ?!」

 

 ガシッ! とキンジは錬の両肩に掴みかかる。

 突如錬の台詞を遮って迸ったキンジの大声に、教室中が静まり変える。視線が、キンジ達へと集まる。

 が、テンパっているキンジはそんなことには気づかず、次いでとんでもないカミングアウトをぶち上げた。

 

「俺は、男が好きだ!」

 

 教室中の時が止まった。

 錬の表情が固まる。

 武藤が手からパンを取りこぼす。

 不知火が端整な顔立ちを引きつらせる。

 本人からすれば、きっと女が苦手だというただ一点を伝えたかったのだろう。しかし、いい具合に茹だったキンジの脳はあり得ないほど誤解を生む変換機能を発揮した。

 率直に言って盛大に自爆したわけである。

 

「有明! いや、錬!」

「(ビクッ)!?」

(なんで急に名前?!) 

 

 錬の両肩を掴む手に力が入り、錬は体を震わせた。

 そんな錬にキンジは、

 

「いいか、誤解するなよ! 俺は本当に女が嫌いなんだ! 男の方が好きなんだ!」

「ううううん、わかった。わかったから離してください」

 

 ぶっちゃけ、かなり怖かった。やたらと血走った目でアイデンティティー的な何かを破壊されたような、そんな切羽詰った雰囲気をキンジは醸し出していた。

 もしかしなくても俺余計なこと言っちまったー!? と戦慄する錬の耳に、第三者たちの意見が届く。

 

「BLキタ――!」「当たりだよ! このクラス、とびっきりの当たりだよ!」「野郎共、ケツを守れぇええええええ! 遠山キンジに掘られるぞ!?」

 

 いろんな意味でかなりぶっ飛んだ感じのコメントが、多数寄せられているわけだが、もちろんキンジには届いていない。

 錬はなんだか泣きたくなってきた。割と本気で。

 

(なにこれ?! ホントなにこれ?! 冗談抜きで意味わかんねぇんだけど!?)

 

 ガックガックと揺さぶられつつ、不知火と武藤に目を向ける。……が、逸らされた。

 味方がいない。この教室には。

 このまま遠山キンジに蹂躙される道しか残されていないのか、と諦めが入り始めたその時。

 ガラッ! と、教室の前側の扉が勢いよく開いた。

 すわ救世主の登場か?! と錬は振り向いて、

 

「キンちゃん、早まっちゃダメぇえええええええええ!」

「お前かよぉおおおおおおおお!」

 

 星伽白雪がものすごい勢いで突貫してくる姿を捉えた。

 星伽の巫女占か、はたまた女のカンか、どうやって情報をキャッチしたのかは定かではなかったが、とりあえず輪をかけて厄介な状況になった。

 白雪は錬の肩を掴むキンジを見て取り、あわわわと両手を頬に当てながら、

 

「あああ有明君! キンちゃんを取らないで! 男の子同士なんて、絶対間違ってるよぉ!」

「気が合うな星伽、俺もそう思うからこいつどうにかしてくださいッ!」

「白雪! 俺は、女じゃなくて男の方が好きなんだよッ!」

「テメェ遠山もう黙れぇえええええええええええええ!」

 

 錯乱する白雪、壊れたキンジ、涙目の錬、一歩退いたところから眺める不知火と武藤、騒がしいクラスメイトたち。

 この狂宴は、騒ぎを聞きつけた高天原ゆとりがなんとかかんとか収めるまで続いたという。

 これが後に、『錬×キン(アルケミー)事件』と呼ばれる珍事であった。

 ……ちなみにこの事件以降、キンジはそのままの流れで錬を名前で呼ぶようになったのだが、彼はそれに微妙な顔で返すことになったのだった。

 

 

B Part 女が男を名前で呼ぶ意味

 

 世間一般から見たところによる鈴木時雨の評価は、だいたいが『立派』という一言に収まる。

 例えばそれは、学年で指折りの成績を誇っていることであったり、中学時代から続く優れた統率力であったり、高校生らしからぬ冷静沈着な振る舞いであったりと、彼女を知る人々は、つまりはそういうところを見て時雨を『立派』と評すのだ。

 実際それは間違っていない。鈴木時雨はそんじょそこらの大人とは比べ物にならないほど聡明で、あるいは母が子に向けるものほどの包容力を兼ね備えている。

 そういう意味で時雨は人の上に立つべくして立つような人間であり(そして彼女は真実人の上に立つべく生まれてきた)、なるほどその姿は周りの人達から見れば確かに立派だろう。

 だが。

 この世に完璧な人間などいない。ましてや時雨はまだ16歳の少女だ。完璧であろうはずがなかった。

 つまるところ何が言いたいかというと、時雨にも欠点と呼べるものはあって。

 それが、悪戯好きという子供っぽい一面であるというだけの話なのだけれども。

 

 * * *

 

「白雪。今日は確か、部費の振り分けについての会議だったかな?」

「あ、うん。といっても、ほとんど例年と変わらないと思うけど」

 

 波乱の1学期が終わり、騒乱の夏休みを経て、動乱の2学期――11月のある日。

 東京武偵高校1年・鈴木時雨は、同じクラスの星伽白雪と共に一般校区B棟の廊下を歩いていた。

 美少女、というよりは美人と形容するほうがふさわしい彼女たちが並び歩く姿は、見るものの目を奪う。

 この2人の関係を説明するには、友人関係というだけでは足りない。もう一つ、この学校のほぼ全校生徒が知るつながりがあった。

 すなわち、『生徒会長』と『副生徒会長』というつながりである。

 1年生なのに、という疑問もあるだろうが、さもありなん。星伽白雪という生徒の優秀さは、生徒会長という肩書きにいささかの陰りも生まなかった。

 なにせ彼女は、平均偏差値が45を下回るこの学校において75オーバーを記録し、所属する部活動は生徒会以外にもさらに3つ(しかも全て部長職に収まっている)、まさに本校を代表する才媛であると言ってよかった。

 当然そんな彼女に次ぐ席に腰を据える時雨も、白雪に負けず劣らず飛びぬけた才覚をいかんなく発揮していた。さらにこの場合、東京武偵高校中等部の元生徒会長という経歴もプラスに働いていたのだろう。

 そんな風に生徒たちから絶大な支持を受ける2人は、実は10月にあった生徒会選挙で激しくぶつかりあったりもしたのだが、それはまた別の話で、今ではこの2人しかあり得ないとまで言われるほどの名コンビぶりを見せていた。

 ちなみに。

 その選挙で全く関係ないはずなのに巻きこまれた、某・強襲科Sランクの男子2人は、後に述懐していた。「結局、俺たちが苦労しただけじゃね?」、と。

 まあ、それはそれとして、である。

 

「それはよかった。私としても、長引くのは御免だからね」

「あははっ。時雨ちゃんはそう言っても、いつも結局最後まで頑張るんだよね?」

「さて、どうだろうね?」

 

 談笑しつつ、彼女らは歩を進める。

 ――と、次の瞬間、白雪が頭のネコ耳をピーンと伸ばした……ような光景を時雨は幻視した。

 

「キンちゃん!」

「――白雪か」

 

 パッと花が咲いたように笑顔になった白雪は、校則を律儀に守って早歩き程度の速度で思い人に近づいていった。

 向かう先で待つのは、遠山キンジ。若干ネクラそうにも見える、強襲科の生徒だ。

 時雨も彼のことはよく知っていた。有名、ということもあったのだが、それとは別に元相棒つながりの面識があったからだ。

 時雨は、キンジの隣に並ぶ元相棒に微笑を向けた。

 

「やあ、錬。相変わらず遠山との仲は良さそうで安心したよ。さすがにコンビを組んでいるだけはある。なあ、『アルケミー』?」

「時雨……その呼び方はやめろっつってんだろ」

 

 有明錬。中学3年の頃、よくタッグを組んでいた男子生徒だ。

 彼との関係も、すでに1年を超えている。もとはと言えば、中学時代の決闘で打ち負かされたというのが始まりなのだが、人間不思議なもので、そんな始まり方でも良好な人間関係は築けるものだ。いまや時雨にとっての錬は、誰より気の置けない友人になっていた。

 そんな錬に対し、時雨はカラーコンタクトを入れた翠玉色の双眸を細めつつ、

 

「照れるな照れるな。君たちの実力に対する、これは正当な評価だよ? 『二つ名持ち(セカンドホルダー)』になれたと思えば、むしろ誇るべきことだろう?」

「……ま、どっちにしろもう諦めたけどな」

 

 吐息を一つ、憂いを込めて錬は漏らした。

 そんな彼の様子におかしみを感じながら、時雨は視線を転じた。

 時雨の目に移るのは、嬉しそうにキンジに語りかける白雪の姿だった。

 キラキラと目を光らせ、身振り手振りも交えながら一生懸命に話す白雪は、なんというか、そう――

 

(萌えるなぁ)

 

 思わずにやにやとしてしまった時雨を、錬が不気味そうに見る。

 鈴木時雨16歳。

 意外と可愛いもの好きであった。

 

 * * *

 

 時雨は教室の窓際に座り、風になびく栗色のサイドポニーを押さえつつ青空を眺めていた。

 その姿はまさしく深窓の令嬢とでもいったところで、艶やかさと儚さが同居する、なんとも魅力的な装いであった。

 当然、そんな一幅の絵画がごとき少女に目を奪われない者など、ほとんどいないだろう。現に、大多数の生徒が彼女に見とれていた。

 さて、では総身に注目を受けている当の本人が何を考えているのかと言えば、

 

(ああ、さっきの白雪はよかった。だが、なんだろう。可愛いからこそいぢめたいというか……そこはかとなくからかってみたくなる)

 

 と、非常に残念極まりない思考を展開していた。

 ここらへん、自分はS気質なのだろうと自覚している。実際、以前錬をいじりつつ、言ってみたことがある。

 

『ふふ。いやぁ、悪いね錬。どうも私はSらしい』

『お前が、S……? この程度で? じゃあ、あいつは一体なんだっつんだよ……』

 

 と、微妙によくわからない返しをされたものだったが、それはともかく。

 現在時雨は、どうやって白雪をいぢめようかという方向へと思索をシフトさせていた。

 

(うん、そうだな。やはり使うとしたら、遠山だろう。さてさて、どうしたものか……そうだ)

 

 ポンと、思いついた。

 うん、これならなかなかにからかえそうだ。ついでに言えば、キンジの方もいじれるだろう。

 もしこの場に錬がいれば、相棒時代の経験からなにかに感づいたかもしれない。

 しかし現実として錬は居らず、時雨の悪巧みを止める者もまた居なかった。

 羨望の視線に晒されつつ、あくまでも外見上はおしとやかに、しかし悪戯を画策する子供のようにほくそ笑みながら、時雨は脳内で計画を進めていった。

 

 * * *

 

「めずらしいな、鈴木。お前がこういう機会を設けるなんて」

「本当。この4人でここに来るのって、選挙以来のことだよね?」

「……なぜだ? なんか、そこはかとなく嫌な予感がする。この悪魔がこんな平和なイベントを提供するなんざ、ありえねぇ……」

「いやなに、たまにはこういうのもいいかと思ってね。私と白雪、とくれば相手は錬と遠山しかないだろう。あと錬、あとでお仕置きだ」

 

 なぜにッ?! と叫ぶ錬は放っておきつつ、時雨はソーサーの上に乗せたコーヒーカップを持ち上げた。モカ特有の果実のような香りが鼻腔をくすぐる。

 ここは、武偵高が誇る学生食堂(リストランテ)だ。用意されたメニューは実に多種多様、話によればやたらとバカ高いステーキなんかもあるらしい。文化祭においては『変装食堂(リストランテ・マスケ)』として名を馳せることになる、学生たちの憩いの場である。

 そんな学食のテーブル席の一つに、キンジ、錬、白雪、時雨の姿があった。

 なぜかと問われれば答えは簡単で、時雨が集めたからだ。「あの選挙から早1ヶ月、ここらで親交を深めるのも悪くないだろう?」、ということらしい。

 ――が、当然そんな理由であろうはずがない。そこには、『星伽白雪をいぢめて愛でる』という、本人にとっては崇高な、余人にとってはなにそれ状態の目的があるのだ。

 キンジと白雪は案外あっさりと納得し、錬だけが疑っていたのだがそれも黙らせた。

 ――舞台は、ここに整った。

 

(さあて、それでは始めようか?)

 

 時雨は、10分ほど会話に華を咲かせる時間を取り、自身にとっての『本題』に入る。

 

「唐突で申し訳ないが――遠山。これからはキンジと呼んでも構わないかな?」

「……は?」

 

 まさしくいきなりの申し出に、キンジは面食らった。その隣では、白雪が口をパクパクと開閉している。

 錬は口出しをしない。見たからだ、時雨の瞳がスゥと細まったのを。これは、『サイン』だ。この癖を見せるとき、時雨はなにかろくでもないことを考えている。だとすれば、関わらないのが正しい選択だ。

 

(ま、幸い今回の標的はキンジ……と星伽も、だろうしな)

 

 ズズッとアッサムティーを飲みながら、錬は我関せずを貫く。

 キンジが口を開く。

 

「いや、別にそれは構わんが……なんで、いきなり?」

「さっきも言っただろう? ここらで親交を深めるのも悪くない、と。これはその一環だと思ってくれていい。それに愛すべき元相棒の現パートナーならば、私にとっても特別だよ、君は。無論、君も私のことは名前で呼んでくれて構わない」

 

 こともなげに言う時雨。まあ、実際言っていることに嘘はない。

 キンジは困惑しながらも、ただ「そうか」とだけ返す。

 ――が、ここで黙っていないのが星伽白雪という少女であり、まさしくその反応こそを時雨は欲していた。

 

「しししし時雨ちゃん?! 特別ってどういうことかな?! 有明君の相棒だからってだけだよね?!」

(ヒット―――――――ッ!)

 

 狼狽するあまりわたわたと両手を上下させる白雪に、時雨は嗜虐的(サディスティック)な笑みを浮かべる。ダメだ、可愛すぎる。

 だが、ここで手は緩めない。鈴木時雨はそこまで甘い人間ではない。

 時雨は白魚のようなシミ一つない長く細い指をキンジの頬に這わせ、

 

「特別、とは……『こういうこと』かな?」

「お、おい鈴木……!?」

「ノン、時雨と呼んでくれ、キンジ」

 

 わざとらしく、時雨は軽くキンジにしなだれかかる。

 女子特有の柔らかな感触と匂いが、キンジを襲う(ここで襲うという表現が相応しくなるところがとっても遠山キンジだった)。

 

「―――――――――ッ!?」

 

 途端、キンジが焦り始め、白雪は人の可聴域を超えた悲鳴を上げた。

 そんな中、錬は一人、紅茶を嚥下していた。

 

(茶ぁ、うめぇな)

 

 のほほんとしているように見えて、その実穴熊を決め込んでいるだけなのだが。

 ちらりと錬が見守る中で、混迷の度は深まっていく。

 

「しししししぎゅれちゃちゃ(時雨ちゃん)?! どどどどーいうことぉおおおおおおおお!?」

 

 滑舌がとんでもないことになりながら、白雪は時雨に抗議する。

 が、そんなこと知ったことではないと言いたげに、時雨はさらにキンジに迫る。

 

「ふふっ。私も女だ。色恋の一つや二つ、おかしなことではないだろう?」

「だっ、だからってどうしてキンちゃんなの?! そもそも、時雨ちゃんは有明君が――」

「おっとそこまでだ、白雪。それ以上喋ったら私もちょっと容赦できない」

 

 とんでもないことを滑らせかけた白雪を時雨は制止する。口調はあくまで冷静に。内心は太鼓が乱打されたように鼓動していたが。

 危なかった。こんな番外編で恋心が暴露されるなど、あってはならないのである。

 冷や汗が背中を伝うのを自覚しながら、時雨はプランを変更する。

 

(まずいな、このままだと余計なことを言われかねない。本当はもう少し遠山ともどもからかいたかったのだが、しかたない。次に行こう)

 

 なにやら怪しげなことを考えながら、時雨は白雪に耳打ちする。

 

「(まあ、落ち着け白雪。なにも本当に私が遠山に惚れているわけじゃない)」

「(そ、そうなの? よかった……。うん、そうだよね。だって時雨ちゃんが好きなのは有――)」

「(もう一度言おうか白雪。容赦できないぞ)」

「(ご、ごめん。え、じゃあさっきのはどういうこと……?)」

「(なに、簡単だ。いいか、白雪。『押して駄目なら引いてみろ』ということわざがあるだろう? つまり、好きな男を落としたいなら嫉妬させてみるのも手ということだ。見なよ、錬の様子を。こちらをチラチラと見ているだろう? 関心が寄っている証左だよ、これは)」

「(ホントだすごい! いつもはそっけない有明君が、あんなに!)」

 

 これは半分嘘だが半分本当である。

 今日の目的は白雪をいじることであるから、これは単なる作り話だ。が、とはいえそういう狙いが全くないとは当然言い切れなかったりする。

 そこらへんが微妙な乙女心だったりもするのだ。

 ちなみに、錬が窺っているのは時雨の行動をいぶかしんでのことであり、当然やきもち的なものではない。もっとも、長い付き合いで時雨は(悲しいことに)きっちりと理解していたが。

 それはともかく、だ。

 

「(さて白雪。では今度はこちらが質問しよう。一体どうして私が君もここに呼んだと思う?)」

「(それって……ハッ!? もしかして、私も時雨ちゃんと同じようにやれば――ッ!)」

「(いい勘だ。さあ、行きたまえ白雪! 遠山キンジを嫉妬に狂わせてしまえ!)」

「(うんっ!)」

 

 ヤバイ、笑いそう。

 と、白雪が聞いたら憤慨しそうなことを考えつつ、時雨は白雪を解放する。

 自由を得た白雪は一度キンジに目を向け、それからやおら錬に向かって、

 

「錬君! えっと、その、かっこいいよっ!」

 

「ブゥ――――――――ッ!?」

 

 いきなりの台詞に錬は紅茶を噴き出した。

 そしてすぐさま悟る。自分も巻き込まれたのだと。

 白雪は白雪で若干テンパっている感がある。いくらキンジの気を引くためとはいえ、男の子にこんな台詞を言うなど今までなかった(キンジを除く)からだ。キンジを動揺させるなら、「好きです」くらい言ったほうが効果的かもしれないが、それは恋する乙女的にNGだった。しかも、恋愛事に関してはあり得ないほど疎いキンジのことだ、本当に信じてしまう危険性がある。かっこいい、あたりが妥当なところなのだ。

 さて、ではその効果のほどはどれほどなのかといえば、

 

(鈴木のやつ何考えてるんだ……ッ! こいつ、こんなキャラだったか?! しかし、間近で見るとかなり――って、俺は何を考えてるんだ!?)

 

 実はそれどころではなく、キンジは全く聞いていなかったりする。

 しかしそんな事情を全く知らない白雪は、さらに意味の無いアピールを続ける。

 

「すごいよ錬君! なんていうか、うん、すごいよ! えーと、えーと、かっこいい! (キンちゃん見て! 白雪が離れていっちゃうよ! 妬いて! やきもち焼いてくださいキンちゃん様ッ!)」

「おいやめろよその無理して褒めてますみたいな感じ! 逆にいたたまれねぇんだけど!?」

 

 ギャーギャー騒ぐ錬と白雪。なにやら唸りながら頭を抱えるキンジ。

 そんな光景を眺めつつ、時雨は優雅にカップに口をつける。軽く傾けて一飲み、口を離す。

 ほう、と吐息を小さく零し、時雨は言った。

 

「やれやれ、全く我ながら困った趣味を持ったものだ」

「自覚してんなら直しやがれぇえええええええええええええええ!」

 

 口元に確かに笑みを浮かべる時雨に、錬が怒鳴りつけて。

 鈴木時雨の『お楽しみ』は終了を迎えたのだった。




読了、ありがとうございました。

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