「藤丸くん、どうか卑怯な私を許さないで」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
「アナタが生きていたことに、安堵してしまってごめんなさい」
「卑劣で姑息な私を許さないで」
「わたし、わ、私だって、アナタを生贄になんてしたくなかった。ごめんなさい、ゆるして、ゆるしてっ……ちがう、ちがうちがう! 許さないで! 出来損ないの私を許さないで!」
「私がもっと強ければ、私がもっと博識であれば、私がもっと運がよければ。私が、私がわたしがわたしがっ、違う私のせいじゃ、いいえ私のせいで……ッ! あっ……ああ……! 嗚呼――! なんて僥倖! ええ、ええ! “契約”するわ」
「アナタがいれば、きっと――」
「ふわーぁ……」
第二特異点セプテムから帰っても、未だ戦いは終わらない。それよりも事態は困窮し、『魔人』などという途方もない存在さえ敵として判明した。レフ・ライノールが目の前で真っ二つに左右に別れても、口振りからしてもっと沢山の仲間が居ることは想像に容易い。豪華絢爛でいて愛らしい皇帝が仲間で多少癒されたことぐらいが旅の救いだろう。優しい愛情を持つ人、執着の愛を見せる人、狂化して尚愛情深い人、セプテムで見た愛情の多くは様々なものだった。
あとこう、面白枠が増えたというかなんというか。誰の事かは推して知るべし。
「リツカくん、眠かったら今日はもうお終いにしたらどうだい?」
「んー……や、もうちょっと」
ロマンに声を掛けられて先ほどこぼれた欠伸をした口を手で覆う。
ドクターは一人でこなすような作業があるらしく、明日午前にレイシフトがない今日の夜間に始末してしまおうという算段らしい。そんなロマンの後ろで、俺はキャスターのクー・フーリンやメディア、スーさんから出た宿題やら以前の授業の復習やらを片付けつつ、分からないところがあったら時々質問させてくれ、仕事の邪魔になるほど声はかけないから、と夜なべに乗っかっているのだ。
「今日やった分は今日やっときたいから。折角スーさんが問題形式に纏めてくれてるし」
「そっか、じゃあもうちょっと頑張らないとね」
「うん」
ちなみにサーヴァントのことを、マスターという肩書もあるし本人たちの希望もあって普段は呼び捨てで呼んでいるのだが、スーさんは子音一文字に長音符で名前が構成されているためちょっと呼びにくいのもあってスーさん呼びなのだ。
それと、先述したようにずぶの素人である俺に魔術について教えてくれるメンツは、クー・フーリンが実地、メディアが口伝なのに対し、スーさんは問題形式にしてくれたり要項をノートに纏めてくれたりしている。21世紀初頭の学校教育を受けてきた俺にとってそれはかなりとっつきやすく、なんだか彼女は先輩のような存在なのだ。
現代の日本の料理事情に詳しいエミヤだったり、スーさんだったり、閉鎖空間で過ごす上で現代の英霊はありがたい。
「へえ、よく出来てるなあ。短期記憶はマジックナンバーがミラーじゃなくてコーワンに基づいてるし、長期記憶への移行は海馬の使い方を押さえてる」
仕事を一度中断してひょい、と俺のテキストを覗きこんだロマンは感心したように呟いた。
「――マジックナンバー?」
目の前のテキストの文字と、昼間教えられた座学と、ロマンの言葉がまじって頭の中で記憶の混戦が起こる。呆けたように言うと彼は苦笑して謝った。
「ああ、ごめん、心理学用語だよ。ボクみたいなお医者さんが覚えることだから忘れていいよ」
「今はそうする……」
集中力が切れかけてきたとはいえ、それだけでなく、唯一レイシフト出来る存在になってから覚える用語が多すぎて正直パンク寸前なのだ。魔術そのものが大衆に知られると目的を為せなくなるかららしいが、協会とやらに文句の一言でも言いたい状態だ。いや、ここカルデアでも協会から来た人は中央管制室の爆破の際、みな被害にあって今は眠っているのだけれど。
さて勉強に戻るか、とペンを握り直した時、コンコンコン、と近くの扉をノックする音がした。
ここはテーブルの揃った多目的ルームで、勉強する俺に合わせてパソコンを一台もってロマンが付き合ってくれているのだ。
「はーい、開いてるからどうぞー」
ロマンが返事をするとひょこ、と扉の隙間からスーさんが現れた。
「マスター、遅くまでお疲れ様です」
「あれ、どうしたの」
「もしまだ勉強を続けるようでしたら夜食をお作りしましょうか?」
時計を見ると日にちを越えてもう少したった頃。今すぐ勉強をやめて寝ても、午前中は何もないとなれば、決められた時間の食堂での朝食は結構早い時間だし間に合うか危うい。若いと眠いんだ、休みのときくらいは許して……。
「わあ、いいの? 食べる! 丁度集中力が切れてたところだったんだ」
「ドクターも如何ですか?」
「いやあ、ボクは大丈夫だよ」
「いつも通りに補充したはいいものの、消費の遅いものもありまして。よければ食べていただけると助かります。簡単なものにはなりますが」
あまりレイシフトの際に物を持ち込むのはよくないのだが、女性局員には死活問題の日常用品なんかもあるらしくて、備蓄の他に現代の用品を冬木から持ち込んだりしている。誰もいなくなってしまった世界のスーパーや商店から物を拝借するのは、火事場泥棒とも思えるし、フィクションの世紀末染みてもいる。その際基本的にマシュとスーさん、俺とエミヤだったり何故か俗世に詳しいクー・フーリンだったりが男女二手に別れることが多い。故に彼女は備蓄も把握しているのだろう。
「じゃ、じゃあ、お願いしようかな」
「ありがとうございます。助かります」
「こちらこそ、お気遣いありがとう」
微笑んでパタンと扉を閉めた彼女の気配は廊下の先にない。恐らく霊体化したのだろう。
「スーさんごはん作れたんだねえ」
「うん、そうみたいだ」
サーヴァントに飯炊きをさせてしまった……と小さく呟いたロマンにへらりと笑う。エミヤ然り、最近来たブーティカ然り、サーヴァントって家事を結構好きでやってると思うんだよなあ。以前の習慣というか。
それにしても意外だったのはスーさんが進んで発言する程度に料理が出来るらしいということだ。以前エミヤの料理に誘った時は美味しいと喜んでくれたが、基本的に節電・節約の一言で食事もとらなければカルデア内での実体化も殆どしない。元々食事なんかに興味が薄いのかと思っていた。
「彼女は普段から夜警もしているから、あんまり夜遅くまで起きていられないんだ」
困った顔で笑うロマンに、驚きと同時に感謝と尊敬が入り混じる。ロマンが身を粉にして遅くまで仕事をしてくれていること、スーさんが夜警をしていること、生活していて、気付かないことばかりだ。
きっと口にしたらそれが僕らの仕事だから、と言われてしまうのだろうけれど。
「お待たせいたしました」
すぐに帰ってきた彼女はお茶碗と箸、急須、湯呑を持って現れた。慌てて目の前に広げていたテキストを片付ける。ドクターもデータを保存して(時々開いていたマギ☆マリのサイトページを閉じてから)俺の前に腰かけた。
ことん、と前に置かれた茶碗にはご飯の上にネギと鰹節と塩昆布と海苔と……なんだろ。なんだか色々乗った丼だった。ごま油とめんつゆのにおいもちょっとする。彼女は特に何も言わず急須に適温に下げたお湯を注いで煎茶を淹れている。
別に不審なものではないのだが、最近凝った料理を食べ過ぎてちょっと珍しい。おにぎりほど質素でもない。ドクターと目があって、二人してへらり、となぜか緩んだ笑みを見せてしまった。
「いただきまーす」
「いただきます」
ちょっと汁気があったそれをやや慎重に、ぱく、と口に運ぶ。
「――ひえ、」
「うわあ」
こ、これは。
「罪の味だぁ……」
「鯖の水煮缶かあ。ラーメンほど重い罪過じゃないけど、深夜に食べると堕落しそうな食べ物だね」
「混ぜて食べても美味しいですよ」
どうぞ、と淹れた煎茶を差し出した彼女は俺のテキストを採点し始めた。
「ふぇえん、おいしいよぅ…しあわせ……」
鯖の水煮缶はやさしい味だけど塩昆布と少量のめんつゆで味はしっかりしていて、鼻からごま油の匂いが抜けていく。鯖は身がしっとりしているし腹にたまることを考えるとちょっと重めかなと思わせて、ネギや鰹節が薬味としての効果をてきめんに引き出して全然くどくない。
「しかも煎茶合う~……!」
ロマンはどこの生まれか知らないけど、和菓子が好きだしもうすっかり日本文化に染まっている。俺の感想をロマニが口にしてくれたので頷きつつ、恐らく鯖缶を半分こしているのだろうちょっと少なめの量をぺろっとかきこんだ。
「あー美味しかった。ごちそうさまでした。スーさんいいお嫁さんだったでしょ」
「お粗末様でした。こういうものばかり作っていてはお嫁にいけないのですよ、マスター」
笑いながらお盆に食べ終わった茶碗やら箸やらを回収され、もう一杯お茶をつがれる。ロマンも食べ終わったらしく茶碗を回収されてお茶を淹れてもらっている。
「ご馳走様。いやあ、こういうちょっとしたのが美味しいのはポイント高いと思うよ」
「褒めても何も出ませんよ。それと、マスター」
「あっ、はい」
テキストをスッと出され、途端に背をピンと伸ばす。
「きちんと基本が押さえられるようになっています。よく勉強している証拠です」
「よかったぁ」
ホッと胸を撫で下ろしつつ丸の多いテキストを眺める。途中ひとつ空欄の箇所があり、後でドクターに聞こうと思ってたところだ、と顔を上げると彼女と目があった。
「フィンの一撃についてですね。北欧に起源をもつものですが、記憶にありませんか?」
「えー……っと、」
実はそんなの本当に習ったっけか、という気分である。それともド忘れしているのだろうか。記憶に掠りもしないそれに頭を抱えるとヒントを示してくれた。
「恐らく覚える段階で誤想したかと思われます。病、呪いとも言われるシングルアクションのことです」
「呪い……あっ、ガンド!?」
「正解です」
にっこり、と笑った彼女は設問集とは別の、教科書代わりのお手製のノートを捲って付箋をつけた。見ると、ああ、ほんとだ。書いてある。ノートの内容量は膨大で、どうやら見落としていたようだ。
「ガンドという呪詛は本来物理的な効果はありません。しかし強力な魔力を持つ魔術師が使用すると、魔弾と化し、破壊力を得ます。或いは呪いが極まると心停止を起こすほどの病いを与えます。これらを『フィンの一撃』と呼びます」
「成程なあ」
神霊級に呪いをかける魔術礼装をつくった技術部署の方は果たして本当に人間なんですかね。宝石の翁とか関わっていませんかね。ああ嫌だ視たくない。とぼそぼそ呟いたスーさんは澱んだ目をスッと戻し(ロマンはたそがれるように明後日の方向を見ていた)、お盆を持って立ち上がった。
「もし人間で『フィンの一撃』を放てる人物に興味があるようでしたら、諸葛孔明の依代となっている方に聞くといいでしょう」
「先生打てるの!?」
セプテムの人理修復後に召喚した孔明は現代の魔術師が依代になっているらしく、非常に博識だ。特異点での幼きイスカンダル――アレキサンダーとの遣り取りもあり渾名で先生と呼んでみたのだけれど、特に強い否定もなかった。
そういえば彼は普段から呪いとかビームとか放っている。バンバン打てるのは先生も孔明の依代になってから、加えてカルデアの電力で魔力を補っているからって言っていたはずだ。
「いいえ、打てるのは彼の教え子です。時計塔の鉱石科――宝石魔術を得手とする人物です」
「宝石魔術かあ、お金かかりそうだね」
「そうですね、基本的に使い捨てですからそれなりに。魔力を通しやすいので属性が合えばかなり便利なものではありますが」
「つ、使い捨て……」
宝石を使い捨て、使い捨てか……。能力のある魔術師は名門の家系が多いと聞いたことがあるから、恐らくそういうお金持ちの家がじゃんじゃん買って経済を回しつつ研究とかしてるんだろう。いや、魔術師って根源とかいうものを求めて日夜研究する人のことを言うらしいから、もしかして宝石を魔術に使うたびに貧困にあえぎながら生活をしてる人も居るのだろうか。
「アニムスフィアの机上の空論に過ぎなかった理論を実現させた人理継続保障機関フィニス・カルデアも、正直なところかなり資金をかけてはいます。それについて知りたければ――」
先ほどのフィンの一撃を打てる人物を紹介するのと同じくらいの気軽さで言ったスーさんの言葉に、どこか空気が張り詰めた気がした。数瞬のうちに、彼女はふ、と懐かしさをこぼすように笑った。
「いえ、これはいずれ知ることになるでしょう」
有耶無耶にしたのち、彼女は続ける。
「それと、以前までと同じく初期にきたキャスターの二人に魔術を教えて貰うのも非常に勉強になるでしょうが、諸葛孔明の依代になった方にも定期的に教えて頂いてはどうでしょう。現代魔術であれば当代一の教え上手、教え方の上手さもさることながら、箔が付きますよ」
「ん、確かに先生にも授業お願いしてみようかな」
頷いたのち「おやすみなさい、勉強頑張ってくださいね」と告げて盆を持って去った彼女を見送って、ノートの片隅に忘れないように 孔明 授業お願いする、と書いておく。それからふと、ひっかかりを覚えて顔を上げる。
「あ、」
「どうしたんだい?」
席を離れてパソコンに向き直っていたロマンが俺の方を振り向いて首を傾げる。俺も首を傾げる。
「なんで先生に教えて貰うと箔がつくんだろ」
「んー……授業をお願いする時に聞いてみたらどうだい?」
「そうしてみるかー」
「うんうん。さて、ご飯も食べたし頑張らなきゃね」
「おー!」
ロマニはパソコンを、俺はテキストの続きとにらめっこして、吹雪のなか、しんしんと夜はふけていった。
魔人柱をスタンさせる呪いの威力とは。
あと鯖の水煮缶は300円帯くらいから幸福の質を爆上げしてくれる。うまい。