諸星きらりの子守唄   作:maron5650

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2.おやすみなさい。

右手の中の大ぶりのナイフが、月明かりを反射する。

その光を、私はぼんやりと眺めていた。

 

1日目の夜は、マンションの一室で寝ることにした。

家具もベッドも何も無いのだから、どこで寝ようと寝袋を使うことに変わりはないのだが。

野外は勿論、かつて店だった場所で横になるのは、何だか落ち着かなかったし。

何より、認めてしまう気がした。

世界が何もかも変わってしまったことを。

最早私達の知るそれではないということを。

その実感を、得てしまうような気がした。

 

当然、頭の中では分かっている。

こんな行動に何の意味もない。どこで寝ようが違いはない。

しかし。

それを認めてしまえるほど、私達は強くはなかった。

記憶の中の常識を、もう必要ないと言われて。

はいそうですかと捨てられるほど、強くはいられなかった。

 

「……杏ちゃん、起きてる?」

 

こちらに背中を向けたまま、きらりが小さく呟いた。

反射的に、ナイフを鞘に入れ、服のポケットに隠す。

物資の選別中に、きらりに内緒で入手しておいたものだ。

布を裁断するとか、缶詰を開けるだとか。

そういった、サバイバルにおいてナイフが必要となりそうな場面については、十徳ナイフ等の道具で十分間に合っていた。

だから、2人で生き延びる上で、こんな物騒なものは要らない。

きらりはそう言ってこれを除けたし、私も口では賛同した。

その上で、こっそりとポケットに突っ込んだ。

 

「……うん。」

 

きらりに、考えてほしくなかった。

地上に出た生き残りが、物資を求めて殺し合う可能性なんて。

 

「寝られない?」

 

きらりが寝返りを打ち、私と目が合った。

私がこくりと頷くと、彼女は困ったように笑った。

今日は、寝付けそうになかった。

私も、きらりも。

 

「……ねえ、きらり。」

 

「うん。」

 

不安だった。

 

「大学に行けば、誰かと会えるかな。」

 

「……。」

 

怖かった。

 

「食べ物、足りるかな。」

 

「……。」

 

何もかもが不明瞭だった。

 

「……発症、しないかな。」

 

「……。」

 

等しく全てに確証が無かった。

 

「いつまで、生きられるのかな。」

 

「……。」

 

悪い方にばかり思考が及んだ。

 

「ねえ、きらり。」

 

「……うん。」

 

夜の暗さと静寂が、私を追い立て続けていた。

 

「もし。もしだよ? もし私が、発症したら。きらりは私を、」

 

「杏ちゃん。」

 

きらりの声が、とても近くから聞こえて。

私の名を呼ぶそれに、ゆっくりと顔を上げる。

そうして、やっと気付く。

いつの間にか俯いてしまっていたこと。

きらりが私の前に座っていたこと。

きらりの瞳に映る私が、今にも泣きそうな顔をしていたこと。

 

「だいじょーぶ、だいじょーぶだよ。」

 

きらりは両腕をそっと私に回す。

身体が彼女に包まれる。

きらりはそのまま、私の頭をゆっくりと撫でた。

 

「……ごめん。」

 

彼女も、同じはずなのに。

怖いはずなのに。

不安なはずなのに。

泣きたくてしょうがないはずなのに。

きらりは、ただ、私を受け止めてくれた。

 

「ううん。」

 

それだけのことで、私の身体は簡単に安心する。

同時に、思考が疲れを認識した。

今日はどれくらい歩いたんだろう。

ただでさえニートで通ってる人間が。

3年間、狭い密室空間の中で、最低限の準備運動くらいしかしなかった身体で。

1日中動き回っていたんだ。

私の腕も足も、いつの間にか悲鳴を上げていた。

 

それを自覚した途端、もう私は動けない。

自然と目蓋が下がっていく。

体温が染み込んでいく。

彼女に身体が埋もれていく。

 

「今日は、このまま。」

 

そう言ってきらりは、私の背中を優しく叩く。

ぽん、ぽん、と。一定のリズムで。

私はとうとう、目を開けていることができなくなって。

ただ、彼女の音を聴いていた。

 

「おやすみなさい、杏ちゃん。」

 

きらりの心臓の音に、彼女の声が混じる。

それは音符になり、小節を成し、音色を生み出した。

 

子守唄だった。

 

ゆったりとした、しかし前向きな子守唄。

先のことなんて分からないけれど。

いいことばかりでは無いんだろうけれど。

それでも、ゆっくり生きていこう。

ゆっくり歩いて、生きていこう。

柔らかいメロディと優しい彼女の声色が、そんな唄を囁いて。

それらは何の抵抗もなく、私の頭に浸透していく。

 

不思議だった。

生きろと声が聴こえても、反発も使命感も覚えなかった。

その声は、決して私を追い立てはしなかった。

ただ、ふんわりと同意した。

それが当然であるかのように。

言われたからやるのではなく、自分からやりたいと思わせた。

生きよう。

生きるために、頑張ろう。

そんな静かな決意をして尚、重苦しい気分にはならなかった。

沈んでいく意識の中。

身体と声に包まれて、私はふわふわ浮いていた。

 

 

 

目が覚めると、きらりに包まれたままだった。

顔を上に向けると、きらりが静かな寝息を立てていた。

頭の中がさっぱりしていた。

あれだけ私を蝕んだ不安や恐怖が、綺麗に消え去っていた。

 

「……ありがとう。」

 

眠るままの彼女に呟く。

きっと、私より寝られていないから。

そっと彼女から抜け出して、朝食の準備に取り掛かる。

穏やかな朝日に包まれて、きらりはすやすやと眠っていた。

 

 

 

 

 

彼女に包まれる幸せを、もっと感じていればよかったのに。

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