フィルターを口に咥え、ジッポライターのフリント・ホイールを親指で擦る。
私が少女の遺書を読んでいる間、きらりは周囲の捜索をしていた。
その成果として、ある程度の娯楽品や災害用の保存食。
そして、ここに居た人達が手を付けなかったのだろう嗜好品を発見した。
金属の摩擦音と共に、オイルの染み込んだ芯が着火する。
咥えた筒の反対側に火を近づけ、息を吸い込む。
中庭に3人眠っているから、起こさないであげて欲しい。
それだけを伝えた。
私は、隠した。
少女の遺書を。彼女達が見出した、奇病の発症条件を。
何か考えがあった訳ではない。
ただ、どんな顔をして伝えればいいか、分からなかった。
フィルターに付けられた甘さと、ニコチンの独特な味が舌の上で混ざる。
口内に息を留め、煙を転がす。
今まで無事で居られたのは、シェルターによるものではなかった。
単に私達が、まだ子供だったから。
身体の成長が終わっていなかったから、発症しなかった。
仮に私達が大人だったなら、密室の中で死んでいた。
数秒かけて煙を愉しんだ後、肺の空気と共にそれを吐き出す。
ゆらゆらと紫煙が空へと昇り、やがて混ざって消えていく。
私達は等しく発症する可能性がある。
今日、五感のどれかが消えるかもしれない。
今日は無事でも、明日。
明日は無事でも、いつか。
決して遠くない未来に、私達は死ぬ。
そんな事実を、どう伝えればいい。
煙草を口に咥えたまま、左手で握ったパッケージに目を落とす。
英語で平和と書かれたそれが、やけに安っぽく見えた。
大学に到着してから、数日かけてこれからの準備をした。
きらりは残っている物資の整理と選別。
私は食堂に残された研究データを片っ端から読み込んだ。
「……ああ、不味い。」
少女が生存者に遺したものは、全てを語ってはいなかった。
私達が生きる上で不必要な真実を、隠そうとしていた。
だというのに、研究データを消してしまわなかったのは。
こんな小難しいものをわざわざ読む人間なんて居ないと思ったのか。
それとも、自分達が生きていた痕跡を、少しでも多く残しておきたかったのか。
今となっては分からないし、分かる必要もない。
重要なのは、残されたデータが語る、残酷な現実だった。
口の中に、ベタベタしたものが貼り付いている。
その不快感が、今は有り難かった。
シェルターの構造は、生存者の無事を第一に考えられたものだった。
開閉レバーは生存者が、特に子供が間違って触れてしまわないようにその位置を高く。
感染者が暴徒化した可能性を考慮し、外から開けられないように。
そして、幼い子供が入るシェルターには最低1人の大人を入れるようにした。
短くなったそれを口から外し、ぐりぐりとアスファルトに押しつける。
パッケージから2本目を取り出し、火を点けた。
しかし、それらは見事に食い違った。
発症条件は、大人になること。
つまり、開閉レバーを開けられる人物は。
子供達の保護者役としてシェルターに入った人物は、その殆どが発症する。
残された子供は、単体で開閉レバーを開けることはできない。
更には、扉を開けようとするということは、即ち物資が尽きたということで。
踏み台にできるような物も、何も無くなってからということだ。
イライラしてる時に、煙草を吸うと気分が落ち着く。
いつかどこかで聞いた、そんな話に縋り付いた。
法的に咎められる年齢ではなかったし、罪悪感も無かった。
ただ、きらりが知ったら悲しむだろうな、と。
その予想だけが、唯一私を逡巡させた。
小さな子供が大人と一緒のシェルターに入った場合。
大人はそう時間を待たずして死に、子供はシェルターを開けられずに餓死。
いや、それ以前に死体と共に過ごすというだけで、少なからず狂うだろう。
そして、外から扉を開ける方法は無い。
子供のみが取り残された状況で、それを打破する手段は。
何一つとして存在しない。
最初は衝動的に。
その時は、匂いでバレるかとヒヤヒヤした。
長いこと身体を濡れたタオルで拭いただけだから、臭くはないか。
思い切ってそう聞くと、彼女は気にしていないようだった。
それからは、歯止めが効かずにダラダラと吸い続けている。
無事にシェルターから出ることが叶うのは。
私達のような、保護者が必要なほど子供でもなく、子供の世話ができるほど大人でもない。
中途半端な年齢の人間だけが入れられた場合のみだ。
このくらいの年ならば、男性ならば背伸びする程度で届く。
女性であっても、肩車でもすれば十分レバーに触れるだろう。
そして、死体と同居する事もないから、狂う事もない。
物資が尽きたから外に出る。レバーを引くために肩車をする。
その程度の正常な判断力は失わずに済む。
きらりに、悟られるわけにはいかなかった。
彼女は、優しいから。
シェルターを見る度に、彼女は泣いてしまうだろうから。
今こうして、ぼうっと空を見上げている事すら、奇跡に等しいのだ。
地上に残った感染者は時を経たずして死に。
地下に潜った非感染者は日を拝まずして死ぬ。
他に生きている人間と出会う可能性は、絶望的だった。
残り少ない時間を、せめて笑って過ごしてほしいから。
きらりに隠し事をするのは、心を抉られるようだった。
だって、彼女は知らないのだ。
自分達に間もなく訪れる変化を。
だって、彼女は盲信しているのだ。
自分達に未来があることを。
だって、彼女は語るのだ。
希望に溢れた未来の話を、私に語って聞かせるのだ。
それに笑って、同意しなければならないのだ。
そんなもの、もう何処にも在りはしないのに。
私は、嘘を吐き続けた。
それは彼女なりの、私に向けた励ましなのだろう。
それが分かってしまうから、私は笑って頷くのだ。
吐き出した息に涙を乗せて。揺れる紫煙に嗚咽を重ねて。
そうやって、全てを煙に巻く。
「杏ちゃ〜ん、おゆはん出来たよぉ〜☆」
きらりの明るい声が遠くから響く。
立ち上がり、まだ半分ほど残った煙草を踏みつける。
笑顔で待っているだろう彼女の元へ、ゆっくりと歩いた。
気付けよ、馬鹿。