「これを……こうして……っと。」
コポコポと音を立てる、丸底フラスコの中で揺れる紫色。
それを粉末が入ったビーカーに注ぎ、ガラス棒でくるくると撹拌する。
「で、次は……なんだこれ。英語じゃん。」
工程の続きを確認しようと用紙に視線を向ける。
今まで日本語で書かれていたそれは、何故か突然英語で表記され始めていた。
これを書いた人物は余程の気分屋だったのだろう。
読みづらくはあるが、字そのものは綺麗だし、まあ読めないわけではない。作業を続ける。
「溶かしたのを、この紙に……。」
ビーカーの液体を、どうやら筆記用ではないらしい付箋サイズの紙にスポイトで落とす。
紙はかなりの数余っているようだし、適当に10枚ほど作ってしまおう。
紫色に染まった紙を金網の上に置き、自然乾燥させる。
さて、これで完成だろうか。
用紙の最後の1行に目を通す。
『That's my secret eau de toilette♡』
「どういうこったよ。」
完成……ということでいいんだよね。いいんだよね?
私は左上をホチキスで留められたプリントの束を手に取り、最初からパラパラと流し読みする。
……うん、これでどうやら出来上がりらしい。
テーブルの上にあった、膨大な量の研究データ。
奇病の正体判明と治療・予防のために行われたそれは、最終目的には到達しなかったものの。
研究の過程として、大小様々な副産物を生み出していた。
その1つがこれだ。
『血を垂らして変化した色でカラダの成長具合が分かっちゃうペーパー』。
……なんかこう、無かったのか。もうちょっとこう、無かったのか。
小難しい漢字の羅列で語られるよりは、理解の容易さという点で余程有難いのだが。
重要なのは呼称よりも中身である、という思考の持ち主だったのだろうか。
発症条件である、肉体的な成長の終了。
自分がどの程度その終了に近づいているか、これを使えば分かるのだという。
白に変化すれば生まれたての赤子。
それから、淡い色が深くなるほど、終わりが近づいていることを表し。
黒に変化すれば、成長終了。
つまるところ、死刑宣告を示す。
この研究成果を目にした時。
きらりに見つからないタイミングで、これを作ろうと決めていた。
きらりがいつ発症するか、その大まかな目安に過ぎないとしても。
それを知っておきたかった。
いつか私は、きらりに全てを語らなければならない。
それまでの、猶予期間を知りたかった。
私が使う気にはならなかった。
大体の寿命が分かったところで、することは変わらない。
ある日突然発症したって、私の意志は変わらない。
できるだけ発症したことを隠して、日常を続ける。
そうして、それが不可能なほど蝕まれた時は。
事故に見せかけて自殺するつもりだった。
死ぬのなら、きらりの手によって。
その願望が無いわけではない。
むしろ、可能なら是非そうしたい。
だが。
そんなことをしたら、きらりはきっと壊れるだろう。
そんなことをしたら、きらりはまともでいられなくなるだろう。
そんなことをしたら、きらりは後を追うだろう。
もう動かない私を抱えて、同じところへ逝くだろう。
きらりも私と同じく、もう成人している。
私が発症したのなら、彼女もすぐに発症する可能性がある。
しかし、すぐには発症しない可能性も。
発症したとして、全ての感覚を失うまでに2年以上かかる可能性も、等しく存在する。
少女の遺書には、そう書かれていた。
きらりが後2年以上、生きられる可能性が。
その確かな実証が、存在したと書かれていた。
きらりには、生きてほしいから。
それはきっと、残酷な願いなのだろうけれど。
それでも、生きてほしいから。
私の想いを伝えた上で、自分自身で自分を殺す。
シェルター内の3年間で、私はそう思考を固めていた。
だから、知りたいのはきらりの寿命。
きらりに残された時間。
それがもし、もう殆ど無いのだとしたら。
私はそれを彼女に話し、彼女の望みを聞き。
その全てを叶えた上で。
彼女と共に、死ぬ。
きらりが居なければ、私の生には何の意味もない。
隣に彼女が居ないのなら、生きていたって仕方がない。
ならば、最期まで。
彼女の生命の終わりまで。
私の生命の終わりまで。
私はきらりと共に居る。
「杏ちゃ〜ん!」
きらりの声に、私は顔を上げる。
見ると、笑顔の彼女が埃が舞い上がる勢いでこちらにダッ
「ぐゔぉえっ!?」
シュし、私に思い切り抱きついた。
そのまま私の頭頂部に頬を押し当ててくる。
えっ、何、何このテンションの高さ。
3年前ですら見たことない。
「……そんなにいいことあった?」
今日きらりには、ここから少し離れた場所の探索を任せていた。
いくら人間が絶滅寸前だったとはいえ、日本に居る人間全員をここに押し込めるのは無理がある。
だから、地域ごとに。
この大学のような、収容性と研究設備の両方を備えた施設をいくつか指定し。
その施設の近隣住民をそれぞれ収容したのではないか。
……という、私の個人的希望が大量に入り混じった推測、というよりは最早願望の正誤を確認するために。
きらりのこの反応からして、あったということだろうか。
「はい、これっ!」
私が尋ねると、きらりはやっと私を解放する。
差し出された紙は、私が願った通りのものだった。
私達がショッピングモールで見付けた張り紙。
それと殆ど同じ文面で、しかし集合場所だけが異なったもの。
私の願望が、現実に存在した証拠だった。
「おお……!」
これなら。
ここには居なくても、他の地域の集合場所に生きた人間が居る可能性が生まれる。
それだけではない。
ここに居た研究者達だけでは成し遂げることが叶わなかった、奇病の治療と予防。
その最終目的に、より近づいたデータを得られるかもしれない。
そして、ここで得られたデータと合わせれば。
治療が可能になるかもしれないのだ。
「じゃあ早速、明日にでも出発しよう!」
ここで得られるものは粗方入手し尽くした。
それに、ここで騒ぎ続けるのは、中庭で眠る3人に迷惑だろう。
私の提案に、きらりは笑って頷いた。
もう、間に合わない。