売れないロックシンガー in 戦姫絶唱シンフォギア 作:ルシエド
フィーネお婆ちゃんは言った。
「焼却した記憶は戻らないわ、絶対に。それだけが絶対に確かなことなのよ」
俺の記憶はどうやら戻らないらしい。
フィーネお婆ちゃんという呼称等々、各種呼称は奏の姉御の指示に従っている。
奏の姉御曰く。
「え? フィーネ? あたしより頭が良くて戦闘力高くて人生経験豊富な寄生虫だな」
とのこと。フィーネお婆ちゃんと奏の姉御はよく頭の中で喧嘩をしていて仲が良いっぽい。
「こいつ年甲斐もなく初恋引きずってるんだぜ?
しかも詳細知らんが惚れた相手に告白特攻して玉砕とか超笑うわ。
んでとぼとぼ地球に帰って来てあたしに寄生してやがんだよ。
事あるごとにあたしを乗っ取ろうとしてくるから、逆に押し込んでやってるんだ」
パワフルヤングガール。
初恋の失恋からまだ立ち直っていないお婆ちゃん。
彼女らは二人で一人なのだ。
奏の姉御の方がパワフルで、フィーネお婆ちゃんの方が余裕がある。ベジタブル食わない肉食系姉御とババロットでベジットが完成してるわけだ。
お婆ちゃんの方が表に出てると、なんか喋りがまったりしている。
「天羽奏は気合いで私の完全覚醒をギリギリ押し留めてるのよ……
隙を見つけて精神全部食い潰してやろうとしてるのに、寝てる時ですら隙が無いわ」
こいついっつも隙あらば乗っ取ろうとしてんな。
「……あの口軽メスガキが、私の恋話をペラペラと誰にでも話しおって……
奏にだって恥はあるのよ?
適当にスマホでサイトを巡っていたら、変なエロサイトの広告踏んじゃったのよ。
『フィーネ頼む!』とか言ってきて、もう私は内心爆笑。
裸のイケメンの天羽々斬とガングニールがホールインワンしてるスマホ片手に涙目の奏。
ああ、結局助けてあげたけれど、あの光景は腹が捩れるかと思うくらい笑ったわ……」
あの。
俺が言うのもなんだけど。
互いの傷口が広がってくだけだからいい加減止めた方がいいんじゃないだろうか。
「俺の記憶は、戻らないんやな?」
「論理的に考えればそれは確実よ。
あなたが記憶を"失くした"ならまた見つければいい。
でもあなたは"焼却"をしたのだから、そりゃ戻らないわ。不可能極まりない」
記憶戻さねえと、みたいな焦りがある。
記憶は戻らねえだろうな、みたいな諦めもある。
俺にとって俺の記憶は、もうなんだか灰を見てる気分なんだ。
灰を見て燃える前の物の形を思い出せるか?
そりゃ、無理だろ。
「俺、ちょいとキャロルちゃんに本借りて来ますわ」
「好きね、本。うちの奏は面倒臭くなるとすぐ活字投げるから見習って欲しいわ」
「あはは。他にすることありまへんし」
「体でも動かせばいいのよ、若いんでしょ?」
「ピンと来ないんですわ。体動かしてるのは気持ちええんですが」
なんかピンと来ないんだ、マジで。
体を動かす度に違和感がある。
だからトレーニング機材とか、楽器とか、球技用具とか、そういうもんに触れても違和感のせいでなんか拒否しちまう。
俺、何忘れてるんだ?
「ちょっとはおめかしして行ったらどう? 女の子に好かれるには必要なことよ」
何忘れてるのかも、何がズレてるのかも、何がおかしいのかも分からねえ。
「んー、別に俺、あの子が好きっちゅうわけでもないしなぁ……」
俺は何を見つければいいんだろうか?
キャロルに会いに行こうとした俺に、フィーネお婆ちゃんを押しのけて表に出て来た奏の姉御が付いて来た。
「なんでついてくるんや」
「お前ら存在がジャンプのギャグ漫画みたいな奴らだし」
言うに事欠いてなんてこと言うんだこいつ!
「まあそうつっけんどんにすんなって。
あたしはお前らのこと結構好きだぞ?
いじっぱりで寂しがり屋な方のキャロル。
弱気だが優しい方のキャロル。
面倒見が良くてなんだかんだ見捨てないお前。いいチームじゃねえか」
「おんなじとこで記憶失ってたわけやからなあ。
同族意識っちゅうか、共感はあるな。
そういう意味じゃ仲間なんやろうけど、記憶失う前はどんな関係だったのやら」
俺はどういう人間だったのか。
何が好きで、何が嫌いだったのか。
どういう過去を持ち、どんな未来を目指していたのか。
絶えた望みはあったのか、
俺は俺のことを何も知らない。
だから、俺は俺らしく在ることができない。
「あ、いらっしゃい。今ボクがお茶淹れますね。
アポもなしに二人組で来るとはいい度胸だな? オレがぶぶ漬け出してやろうか」
俺が入った部屋に居た少女は、キャロル。
俺と一緒に記憶喪失ということで保護された二重人格?の少女だ。
ちなみに俺の名前もこの子の名前も、フィーネお婆ちゃんが知っていた。流石お婆ちゃんの知恵袋。初恋に破れて一気に老け込んだとか言われてるが、十分頼りになる知恵袋だ。
「お客さんだよ! ボクが失礼がないように応対するから……
いや、オレの体を動かすまでもない。結弦、茶を淹れろ。
お客さんとして来た結弦さんをパシリに使うとか前代未聞だよ!?
くだらん。なら次回からは前代未聞ではなくなるだけだ。オレの耳近くで騒ぐな、煩い」
そりゃ本人の口と耳は近くにあるよな。
二重人格だから体の主導権取り合って一つの口で交互に話してるってわけだ。
「シームレスに話されるとどっちが話してんだか分からない」とは姉御の言である。
いや分かるだろ。
こいつら結構分かりやすいぞ。
「ん? てかお前……じゃないか、お前ら紙に何書いてんだこれ? あたしも混ぜろよ」
「名前だ。オレのじゃないぞ。ボクのです」
「名前? へぇ」
そういや名前は二つの人格で『キャロル』共有だったか。
確かにそれなら個別の名前が欲しいところだ。
別に急ぎの用もない。
名前は一生物だ、こいつは何週間かけたっていい事案だろう。じっくり考えるといい。
「その……ボクもボクだけの名前が欲しいな、と思いまして」
「いいな。あたしに協力できることがあったらなんでもするぞ」
名前。
そうだ、名前だ。
名前を付けることは大切だ。固有の名前がないならなおさらに。
名前を付けてやるって約束でもしてたなら、もっと、もっと……
――――
「ボクが新しい名前を得る時は、全てが終わったその時に」
「そりゃええなあ、そん時は俺も一緒に名前考えたろ」
「本当ですか? ありがとうございます!」
――――
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■」
――――
……ダメだ、思い出せない。
記憶の灰がそこにあるのは分かる。だが、それだけだ。
何も思い出せない。
そもそも俺はこの子と記憶を失う前に繋がりがあったのか? そこから疑問だ。
日々、記憶が上書きされている気がする。
記録媒体に新しいデータを上書きするように、記憶の灰に懐かしさを感じなくなっていく。
つまりこいつが、人間の機能ってことなんだろう。
何かを忘れ、過去を振り切り、想い出にがんじがらめに縛られないようにする、人間を未来に向けて歩かせていく機能。
そういうものが、俺達にはあるのかもしれん。
「おい結弦、オレの肩を揉め」
へいへい。
「いやいやいや待て待て待て」
何故止める奏の姉御。
「いやお前、何ナチュラルに下僕根性出してんだ」
「下僕? んなわけあらへんよ」
「そうです! 結弦さんはキャロルを甘やかし過ぎなんですよ!
はっ、こいつが許容しているんだ。オレがこいつをどう使おうと勝手だろう?」
肩揉むくらい別にいいんじゃないか。
こいつ偉そうに言ってるだけで構って欲しいだけじゃん。
別に大した労力でもねえし、こいつはこいつで気難しいところあるんだから適度に手綱握るべきだと思うんだが。
「オレは記憶を失う前の関係が大体見えてきたな」
「ほほー。な、な、俺に教えてくれんか?」
「仕方のない奴だ。なら教えてやろう。
オレは人見知りをしない、もう一人のオレは人見知りをする。
人見知りのコイツはお前とはあまり仲が良くなかったんだろう。
だがオレはお前とそこそこ親しかったと思われる。
何の前情報も無しに話した時、オレとお前の会話が一番弾んだだろう?
オレ達の心に何か残っているとしたら、それが会話のノリに出ていたとしてもおかしくはない」
「おお、名推理やんけ!」
確かにそうだ。
俺の行動を自己分析した結果、俺はキャロルの両方の人格と仲良くする傾向があると最近分かった。オレキャロルと俺が友人で、俺がボクキャロルと仲良くしたがっていたとすれば筋は通る。
もしやこれが正解か?
……記憶が無いと正解かすら分かんねーな。
「そうか?
健全な関係を持ってたが、人見知りの性格が記憶リセットの影響をモロに受けた方。
結弦を利用してこき使うことに慣れて、記憶だけリセットした方。
あたしにはそういう関係の可能性だってあると思うけどな。あたしの勘だけど」
そこで姉御がインターセプトを入れて来る。
何も考えてない俺や基本的に理屈っぽいダブルキャロルとは違い、姉御は基本的に感覚の人だ。
感覚で思考して動いている。
そのせいで、押されれば引くボクキャロルは姉御と仲良くできていても、押されたら押し返すオレキャロルは姉御と微妙に仲良くできていない。
だから、この二人が口喧嘩のような口論を始めると、何か不思議な気分になる。
何か思い出しそうな、思い出せなそうな、そんな不思議な感覚を覚える。
二人の口論の内容が、妙に俺の心をざわつかせやがる。
「はっ、笑わせるな。
あたしの勘だ、だと?
そんなもの、明確な論理と証拠を持ち合わせていない人間の縋る藁だ」
「まあそうなんだけどな。
あたしの勘だとボクキャロルがオレキャロルより会話が弾んでないのは、照れてるからだ」
「照れている? 何にだ?」
「知らないね、あたしはその時その場所に居なかったんだ。
だけどあんたの"心に何か残ってるとしたら"って言葉を聞いて、なんかそう思えてな」
照れてる? ボクの方のキャロルが?
だとしたら……記憶が無くなる前に、何か言ったのは俺か。
彼女の中の燃え尽きて灰になった記憶の中に、何か残ってるんだろうか?
「お前らが日々新しい想い出作ってるのは、あたしとしちゃ嬉しいことだ」
「姉御のおかげでもあるんやで?」
「よせやい、照れる。
ま、お前らが未来に向かって進んでるのもいいとは思うけどさ……
新しい記憶、新しい関係、大変結構。
だけどあたしは人間の過去ってのはそう簡単に捨てられるもんじゃないと思うぜ?
恩も、復讐心も、こだわりも、後悔も、自信の源も、全部自分の想い出の中にあるもんなんだ」
ああ、分かる。
だから俺はこんなにも不安で、焦っていて、その不安と焦りすらもぼやっとしてふわふわしてるんだ。
明確に不安になることさえできない。
過去は今の自分が立つ地面。
それがないから、俺は中途半端なところをふわふわ浮いて流されている。
まるで雲だな。
流されてはいるのに目的地がない。
行きたい場所がない。
だからこうして、記憶をなくしてすぐに出会った奴らに惰性で同行している。
「旅に出てみよかなあ」
「えっ?
えっ?」
「えっ」
「うん、なんか無性に旅に出たくなった。
知識と金は……行った先で稼げばええか。
今世の中どこも大変などたばた状態や、働き口には困らんやろ」
「せめて一ヶ月くらいは待たないか?
フィーネの婆さんがずっと調停してんだ、少しは平和になるぞ」
「平和になる前の世界も見ておきたいんや。
で、少し平和になった世界も見たい。
いつかの未来に、完全に平和になった世界も見ておきたいなぁと思うとる」
俺に記憶はない。
だから知りてえんだ。見てえんだ。聞きてえんだ。
そうやって、空っぽの自分の中に何かを詰めていきたい。
綺麗なものだけ見たいとか言わねえよ。
面白いもんだけ聴きたいとか言わねえよ。
だから、相互理解と統一言語が失われたっていう今のやっべえ世界を、見て回りたい。
「ボクも一緒に行きます!」
意外だった。
真っ先にそんなこと言うのが、そっちのキャロルだったことが。
「お前が行くなら必然的にオレも同行することになるだろうが……ったく」
文句言いつつ、そっちのキャロルも俺を止めることはない。ボクキャロルの申し出を止めようともしていない。知ってるぞ、これツンデレってやつだな?
「あー、まあいいか。
フィーネには後からあたしが言っとくよ。
あたしも付いて行く。お前らだけじゃ不安だからな」
結局、三人旅で五人旅になった。仲間の内2/3が二重人格。というか俺以外全員二重人格。明らかに比率がおかしいと思うんだが?
とにもかくにも、旅に出る。
新しいものを見るために。
知らないものを聴くために。
俺の中に無い想い出を作るために、世界を回る旅に出た。
その際、奏の姉御が背負った物が気になる。
どうしても気になる。
あれはなんだ?
「あ、そうだ、せーのっ。
って何がせーのよやめなさい奏!
記憶なんて叩けば戻るんじゃね? と思ったんだけど、どうよフィーネ。
やめなさいこのバカ娘! 離れなさいあなた達! 脳細胞が減るわよ!」
……同行者の選択、誤ったかもしれん。
奏の姉御の姿とフィーネお婆ちゃんの姿が交互に入れ替わり、ギャーギャーと騒ぎ出す。
テレビを叩いて直そうとする姉御はお婆ちゃん以上にお婆ちゃんじゃねえか、とも思ったが、それ以上に「シームレスに話されるとどっちが話してんだか分からない」とかよく言えたな、と心底思った。
世界を歩く。
日本を発って、イタリアを通り、イギリスにも寄って、アメリカへ。
綺麗なものを見た。
汚いものを見た。
耳を塞ぎたくなるようなものを聞いた。
思わず耳を澄ましてしまうほどのものを聴いた。
多くのものが俺の中に入ってきて、想い出となっていった。
……だが、俺がなくした想い出は何一つとして見つからなかった。
そして気付く。
俺は新しい想い出を作ろうと言いながら、自分でも自覚できないくらいに心の深いところで、かつての想い出を探していた。
俺は世界を巡って、自分の想い出を探していたんだ。
アメリカを発とうというタイミングで、俺はようやくそれに気が付けた。
イタリアで出会った人との別れ、イギリスで出会った人との別れ、アメリカで出会った人との別れを思い出す。
その中に、俺の記憶の中に居た人は居ただろうか。
……分からない。
俺の知ってる人がそこに居たか居なかったかすら分からない。
もしかしたら、俺を知っている誰かがそこに居たかもしれない。
だとしたら、その人は俺のことを覚えているのだろうか?
その人の中に、俺の想い出はあるのだろうか。
そうだったなら嬉しい。
俺が探していた俺の想い出は、その人の中にあるってことだからな。
俺は皆と一緒に日本に帰ることにした。
世界のどこにも俺の想い出は見つけられない。
どこを探しても想い出を見つけられるわけがない。
それだけ確認できれば十分だ。
後は、俺の心の持ち様の問題でしかない。
そんな俺はキャロルと一緒に、奏の姉御にどこぞのライブ会場へと連れて来られていた。
「ここどこや?」
「この辺で一番いい風が吹くライブ会場さ。海が見えるし、いい場所だろ」
海が見える夕日のライブ会場。
そこかしこに人の気配がするが、ライブ会場が開かれている様子はねえ。
身内だけ中に入れてんのか?
姉御はどういう目的で俺達をここに連れてきたんだ。
んなこと考えてたら、今にも死にそうなくらい弱々しく、憔悴して摩耗しきった様子の黒髪のおっさんが現れた。
おっさんは頬の痩けた顔で、それでもしっかりとした対人の笑顔を浮かべる。
「どうも、はじめまして」
俺の記憶にこのおっさんの姿は無い。おっさんもはじめましてっつってる。よし、なら初対面の相手だな。
「はじめまして。どなたさんですか?」
「―――」
……? おい、今なんで息を呑んだ?
「これを受け取って欲しい」
「へ? これなんです?」
「我が家の当主が代々秘密裏に受け継いで来た笛だ。
これは当主以外の誰もその存在を知りはしない。
歴代の当主が自分の長男に渡してきた……親がその子を一人前と認めた、証明となるものだ」
「いや、突然そんなもん渡されても」
困る、と言おうとした俺の肩を、奏の姉御が掴む。
「タダで貰えるなら、いいから貰っとけよ」
「でも……俺、こんなん貰っても使う場所ないんやけど」
「ああ、いいんだ。
君がそれをどう使おうと私は一切関知しない。
それを秘密裏に継承するのも、ここで終わりにさせる。
ただ、私は……私と赤の他人の関係でしかないとしても、君にそれを受け取って欲しかった」
「……そこまで言うんなら」
おっさんから笛を受け取る。おっさんは幽霊のような笑みを浮かべて消えていった。
もしも、今の俺に記憶があったなら。
あのおっさんが俺にとって赤の他人だったのか。
それとも俺があのおっさんにとって赤の他人だったのか。
はたまた本当に全く繋がりのない赤の他人だったのか。
そのあたり、理解できたんだろうか?
「今の人、結弦さんに似てましたね。ボクの側からじゃ顔はちょっとしか見えませんでしたけど」
「そうやったかな?」
「案外お前の家族だったりしてな。
お前、今の男に会いに行きたいのなら会いに行く前にオレに一声かけていけよ」
「せやな。そん時は、キャロルに一緒に来てもらうかもしれんな」
笛か。
俺には一生縁の無さそうな楽器だ。
演奏面での使い道も特に思い付けそうにない。
奏の姉御がずっと背負ってるアレの中にでも入れておいてもらおうか?
―――親がその子を一人前と認めた、証明となるものだ。
使い道も、なんつーか、現状一つくらいしか思いつかねえしな。
「……俺に息子でも出来たら、渡すかなぁ」
キャロルが転んだ。
「おいキャロル、大丈夫か?」
「い、いきなり変なことを結弦さんが言うのでボクびっくりして……」
「え? ああ、俺のせいなんか。ごめんなぁ」
キャロルに手を差し伸べて、彼女の手を掴み助け起こす。
一瞬、なんだかほわっとした空気が流れて。
一瞬の後に、突如現れた誰かが繋いだ手にチョップしてきて、俺とキャロルを引き離した。
「はいはいラブコメはそこまでにしてくださいね」
「!」
「僕はウェル。本名は覚えなくて結構。覚えるよりも思い出して欲しいものです」
! この言い草、俺が記憶を失う前の知り合いか!?
奏の姉御と何やら頷き合ってる。俺の昔の知り合いってことでよさそうだ。
じゃあ、姉御が俺達をこのライブ会場に連れて来た目的は……
「あのっ、聞きたいことがあるんやけど!」
「その前に注射一発どうぞ」
「!?」
なんだこいつ!? 挨拶代わりに注射してきやがった!? キチガイかよ!
「僕はねえ、つまらないことに時間を取られるのが嫌いなんですよ。
初めて会った時も言ったでしょう? 君はそれで僕に対し敵意を向けてきた」
「何を、注射したんや……!?」
「僕の自信作。ロック適合係数上昇薬、RoCKERさ」
何故か知らんが、そのネーミングに対して俺は非常にもにょる。
「効果は……まあ、ロックに心を動かされやすくなるとか、そういう気休めかな」
「ロック? それと俺に、何の関係が……」
「何を言ってるんだ? 君はロックンローラーだろう。
薬漬けになってからステージに立ち最高の演奏をするのも、ロックンローラーだ」
……ロックンローラー?
ロックンローラー……その、響きは。
なんだったっけか、ロックンローラー。
「さ、行って来るといい。君は君らしく……ステージの上で、死に損なった恥を晒してこい」
ウェルとかいう男に背中を押され、俺は廊下を進む。
そんな俺の目の前で、奏の姉御は旅の前からずっと背負っていた『ギターケース』を開け、そこからギターを取り出した。
「姉御?」
「こいつはお前が、神剣を手に入れる前に愛用してたギターだ」
「俺が、愛用……?」
「フィーネが根回しして用意したステージだ。
あいつは絶対を超える奇跡を期待してる。ドーンとやってこい!」
姉御が差し出したそれを、何故受け取ったのか?
受け取るのが自然だと思ったからだ。
何故自然だと思ったのか?
俺の手の中にギターがあるのが自然だと、そう思ったからだ。
俺は一人で、ステージに上がる。
ステージに上がった俺が見たのは、世界中を旅する間に何度か視界に入れた覚えのある、どこかで見たことがあるような者達だった。
黒い髪のツインテールの女の子が居た。
デスデス言ってる金髪の女の子が居た。
マイクを手の中で回している青髪の女の子が居た。
照明の周りにはでっけえ体のオッサンが居た。
音響を弄っているスーツ姿の、分身してる若い男の人が居た。
他にも、そこかしこでステージ準備をしている人達が何人も居る。
舞台袖にはマイクを持ってる歌手……いや、ボーカル風の女の子達が居た。
その中の一人、ピンクの髪の大人な女性が、俺にグラサンを投げ渡してくる。
ついつい、思わずキャッチしてしまった。
俺は、俺の手の中のギターを見る。
そしてステージ中央でありバンドの真ん中、不自然な空白になっているその空間を見る。
全部燃えた。
記憶は残らず燃え尽きた。
俺の想い出は全て灰となり、俺の過去は焼失した。
なのに。
だと、いうのに。
頭の中の想い出の灰、その中で燃え立つ何かがあった。
――――
「メンデルスゾーンは知っとるか?」
「偉大な音楽家バッハは、現代じゃ知らない者なんておらんやろ?
けど実は一時期、流行のせいでほっとんど忘れ去られた存在だったんや。
知る人ぞ知る、って感じでな。
それを復活させ、知名度を一気に上げたのがフェリックス・メンデルスゾーンなんや。
こいつのおかげで、死んでたバッハの音楽は復活を果たした。
驚くことに、音楽の世界にはこういう『不死』や『復活』が時々あったりするんやで」
「最高のロックンローラーが産んだ曲なんて、まさしく不死そのものやな。
皆がそれ使って、参考にして、歌って、弾いて、ずーっと人の間に残るんやから」
「若い内に死ぬこた怖ないんやけど、自分の音楽がすぐ忘れられるのは怖いんや。
できれば永遠に『いい音楽』として語り継いで欲しいんや、ホンマに。
未来永劫俺の名前とセットですげーすげーと言ってもらえるような曲作りたいんや」
「俺達は皆、永遠に残る
永遠に生きるものやなくて、永遠に残るもの。
俺達ロックンローラーが本当に死ぬ時は、俺達の音楽が忘れられた時なんやろな」
――――
誰だ?
誰がこんなことを言った?
この言葉を言ったのは誰だ?
……俺、か?
――――
「俺、キャロルの中に、俺の音を残したいなって……
君の中で俺が永遠になったらいいなって思ってたら、この曲が出来たんや」
「もうなってるよ。
ボクは死ぬまで、結弦くんのことを忘れたりしない。
ずっとずっと、ボクの中では大切な人のまま。この気持ちはきっと永遠なんだ!」
――――
この会話は誰の会話だ?
俺の会話だ。
俺と、キャロルの会話だ。
キャロルはどこだ?
そう思って目を走らせれば、客席最前列のど真ん中にキャロルが座っている。
他の客席には誰一人として座っていない。
つまり、俺がここで演奏すれば、俺の音楽を聴かせるのは彼女一人になるわけだ。
――――
「あれ? 結弦くん、前の方に行かないの?
ライブでは前の方が盛り上がるって本には書いてあったのに……」
「前は訓練されたファンの場所や。
一番前に居るファンは、自分より後ろのファン全員の視界に自分の姿が入っちまうんやで」
「あ」
「俺らみたいなにわかファンは、人口密度の低い後ろの方でじっくり見ようや」
――――
ああ、そういや、最前列には行くなって言ったような気がする。
何かが俺の中で燃えている。
灰の中で蠢いている。
燃え尽きた灰が、燃え上がっている。
ステージの上に空けられた、バンドの一人分の空白。
たった一人のために用意された、空の客席。
そうか。
このライブ会場は。
最初から、俺が演奏するために、キャロルがそれを聴くために、用意されたものだったのか。
「結弦。音楽は、想い出を入れるケースでもある。ロックもそうだ」
体がデカくてデタラメに強そうなオッサンが話しかけてくる。
「イギリスの時を思い出せ。お前の想い出は、お前の音楽の中にある」
俺の音楽の中に、俺の想い出がある?
「ベース、月読調」
黒髪が名乗った。
「ドラム、暁切歌」
金髪が名乗った。
「ボーカル、風鳴翼」
青髪が名乗った。
「俺は……俺は、ギターボーカル、緒川結弦」
―――何もかもを、忘れたはずだったのに。自然とそう名乗る自分が居た。
何も覚えていないのに、体が音楽を記憶している。体の中に音の想い出がある。
生身の左手。
この腕が、『演奏』を覚えている。
機械の右手。
この腕が、『想い』を憶えている。
高鳴る胸。
この心が、『歌』を奏でている。
今すぐにでも、この音を自分の外に出したい。そう思った。
「キャロル」
万感の想いを込めた俺の呼びかけに、キャロルは優しく微笑んで、俺に言う。
「あなたの歌が好き」
どっちのキャロルが、その台詞を言ったのか。
俺にも分からなかったから、きっと他の誰にも分からない。
どっちだっていい。
なあ、それよりさ。
キャロル、俺告白したんだから、このライブ終わったら返事くらい返してくれよ?
「さあ、やろか。Rock 'n' Rollッ!」
俺の後ろに、皆が居る。
俺の前に、キャロルだけが居る。
この星の上に、皆が今でも生きている。
旅が終わる。
けれど、世界は終わらない。
人々の日々も終わりはしない。
誰かの心に残った音楽であれば、きっと永遠に終わることはないだろう。
「曲名は―――『荒野の果てへ』」
俺の記憶は焼けに焼け、全てが灰の無残な荒野となった。
荒野の記憶は、空っぽの俺を苦しめる。
そんな荒野を彷徨う内に、荒野の外から声をかけてくれる皆が居た。
声に導かれ、俺は荒野の果てに辿り着く。
皆に導かれただけだってのに、俺はいつの間にか荒野の果ての向こう側に辿り着いたんだ。
音楽で繋がった皆が、音楽を通して俺を引っ張り上げてくれた。
ここが、俺の荒野の果て。
ここが、俺の旅路の果て。
ありがとう、皆。俺、ロックと出会えて、皆と出会えて―――本当に、よかった。
呪いで始まる物語は王道だ。
祝福で終わる物語も王道だ。
さあ、物語を締めくくろう。
これからも続く彼らの物語に、祝福あれ。
おわり