アックス・プレデター   作:竜鬚虎

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最終話 悪夢

「あれが……?」

「なんとまあ……」

 

 怪人は怒りで震え、仁王立ちして二人を睨みつけていた。

 クシュウに仮面の線を切られた後、怪人は自らの手で、今まで己の顔を隠していた仮面を剥がしとったのだ。

 

 人間側の観点からすれば、とてつもなく醜い顔だった。

 その顔には人間と同じ二つの目があった。だが皮膚は爬虫類と両生類を合わせたような、異彩な肌色であった。

 額と前頭部は一体化しており、顔全体の六割がそれで占められている。そこに後頭部にあるような頭髪に相当するものは何も無かった。

 またボツボツした小さな突起が、額全体を囲うようにして無数についている。その大きな額の真ん中には、まるで額と後頭部を二つに分断するかのような浅い凹みが、上下に線をなぞるように入っていた。

 口元には四本の爪の様な器官が、上部左右・下部左右に二本ずつ生えている。しかもそれらは独自の生物のように動いていた。その形容は、蟹や昆虫の足を真下から眺めたときの様子にどことなく似ていた。

 その虫の足のような物に囲まれた口の奥には、人間と同じ形状の、上下に開く口が、四本足の口とで二重に存在していた。ただし唇などは無く、上下に並ばれた歯が剥き出しになっている。

 

 この怪人が人間だとは最初から思っていなかったが、予想以上に人間離れしたその異形の素顔に、二人は恐怖を通り越して、ただただ呆然としていた。

 

「グオオオオオオオオッ!」

 

 四本足の口を大きく開き、怪人は凶悪な唸り声を二人に浴びせる。アンナは咄嗟に怪人に剣を向けた。

 

「燃えなさい! 化け物!」

 

 剣から業火が放たれ、怪人に直線状に向かってきた。

 だが怪人は前向きに飛び跳ねて、これをかわし、宙返りしながら二人の間近に降り立った。

 怪人がアンナに鉤爪の一閃を与えようとしたとき、クシュウが割り込んで攻撃を受け止める。

 

「アンナ! 俺につかまってろ!」

 

 言い終わる前に、既にアンナはクシュウの腰にしがみ付いていた。

 怪人は右手の爪が、クシュウの斧と鍔迫り合いを始めたと同時に、左手でクシュウの胸を殴りつけた。

 だがこの手の攻撃を予測していたクシュウは、怪人の拳が命中する直前に、アンナ共々後ろに飛び跳ね、痛手を軽減させて吹き飛ぶ。

 

 二人は数メートル先まで飛び、転がっていたバジリスクの死骸に激突した。

 もう吹き飛ばされるのも大分慣れてきたクシュウは、激突する瞬間しっかり受身を取り、迅速に立ち上がる。

 ただしアンナは、バジリスクの鱗にまともにぶつかって昏倒していた。

 

「喰らえ!」

 

 こちらに近づこうと一歩前に踏み込んだ怪人に、クシュウはある物を投げ込んだ。

 ガニソンでクレメンズ医師から貰った。あの魔法爆弾だ。球体についていたゼンマイのようなピンは外されている。

 

 これに気付いた怪人は、弾き返そうと右掌を爆弾に向けて振る。だが間に合わなかった。

 掌が爆弾に接触する瞬間、爆弾は白い息吹を放射して破裂した。

 

「グゴォオオオオオオオオオーーーー!」

 

 冷気の爆発を、目と鼻の先で受けてしまった怪人の凍える悲鳴が、刑務所一帯に甲高く鳴り響く。

 

 一方クシュウ達もまた冷気の余波を受けた。爆発の瞬間、クシュウは腰の下のアンナを抱きかかえしゃがみ込み、強烈な冷風から身を挺して守る。

 

 冷風が止み、低音の霧が徐々に薄れていくと、クシュウは胸の中にいるアンナを離し、立ち上がった。極寒の風を浴びていたのだが常人以上に鍛えた身体を持つクシュウには。さほど大した痛手ではなかった。

 

 怪人はまだ生きていた。小麦粉を被ったかのように全身を白く染めて、クシュウを睨みつけている。そして鉤爪を、変わらずにこなれた動きで構えなおす。

 クシュウもそれに応じて、両手で握り締めた斧を構えて、怪人を睨む。

 

 二人はしばらく無言で、睨み合いを続けていた。双方共に敵の隙を窺ってなかなか動こうとしない。二つの殺気が充満した、精神的に息苦しい空間が出来上がった。

 

 その膠着状態はしばらく続いたが、不意にクシュウが片足を微かにずらし、わざと相手に隙を作った。それに反応した怪人が、間髪入れずにクシュウに襲い掛かった。

 

(来た!)

 

 幾重もの戦闘で刃先がだいぶ鈍くなった鉤爪が、クシュウに首を目掛けて急接近する。

 だが先程の爆弾の威力が大分利いたのか、その一撃の速度は、今までの受けてきた攻撃よりも、少しばかり遅くなっていた。

 

 クシュウは背を曲げて、全身を大きく仰け反り、すれすれの距離で怪人の攻撃から逃げる。

 そしてバネのように一瞬で背を伸ばして起き上がり、力強く握り締めた斧の刃を、怪人の右の横腹に叩き付けた。

 

「グガァアアアアアアアアアアアアッ!」

 

 刑務所一帯に怪人の二度目の絶叫が轟いた。先程よりも強く、そして長く鳴り響く咆哮だった。

 

 全身全霊を込めて打ち付けたクシュウの斧は、怪人の腹の肉に深くめり込んでいた。クシュウはそこで手を止めず、斧に更に力を加え、斧を怪人の肉体に押し込んでいく。

 怪人の腹からは、緑色に光る不思議な色の血液が、果汁のようにドロドロと流れてきた。

 

 怪人は咆哮を続け、やがてクシュウは限界まで押し込んだ斧を、思いっきり引き抜いた。その反動でクシュウは身体のバランスを崩し、その場で腰をつけた。

 異色の血が雨のようにその辺に飛び散り、怪人は数歩下がった。やがて絶叫は収まり、怪人は壊れた人形のように後ろに崩れ落ちる。

 

「……勝った……のか?」

 

 息を荒げながらクシュウは、半ば放心しながら目の前で倒れ付した怪人を見据えた。

 気が抜けたせいか、全身に溜まった疲労と痛みが一斉に巻き返し、今にも怪人と同じようにその場で崩れそうになる。だが何とか気力を保って立ち上がり、怪人に近寄った。

 

 まだ息はあった。だがあれほど凄まじい力と、おぞましい咆哮を、これまで見せてきた怪人は、今は驚くほど静かだった。

 どこかボンヤリした視線で、己を見下ろすクシュウを見詰めている。クシュウは気を緩めずに、怪人を睨みつける。やがて落ち着いた口調で怪人に声をかけた。

 

「お前……、何でこの腑抜けた国に来たんだ? 狩場ならもっといい所があっただろう? それとも……、ウェイランドが戦争を仕掛けてくることを、あらかじめ知ってたってのか……?」

 

 それがクシュウの最大の疑問だった。この国より戦乱の空気が漂った国はいくらでもあるし、魔獣が巣食う危険地帯も探そうと思えば簡単に見つかる。

 それなのに怪人はこの国に来た。それは何故か?

 

 考えられるのは、もうじきこの国で戦争が起こるという情報を事前に入手していたということだ。

 だとしたらこの怪人は、この世界の情勢を詳しく読み取ることができるということだ。

 この怪人の故郷は、この世界の人間達以上の文明力を持った世界なのかもしれない。

 

 もう一つ考えられるのはウェイランド軍が、あの遺跡を利用して侵攻を行ったこととの関係である。

 あの遺跡に、この怪人をおびき寄せる引き金になるような物があって、それをウェイランド軍が動かしてしまったとしたら……。

 

 クシュウの問いに、怪人は何も答えなかった。前者の推理が正解であるのならば、もちろんこの世界の言葉も理解できる筈なのだが……。

 

 不意に怪人は、ゆっくりと右手を持ち上げた。クシュウは即座に斧を構えたが、どうやら反撃のつもりではなかったらしい。

 怪人は右手の人差し指を、左手の篭手の端に近づけた。そこにある篭手の窪んだ一部分を、怪人は指で押し付ける。すると「ピッ!」と奇妙な音が聞こえた。

 同時に上腕を長方形のような形で覆っていた篭手の表面が、突然びっくり箱のようにパックリと開いた。

 

「なっ、何だ!?」

 

 怪人の思いがけない行動に、クシュウはどうすればいいのか判らず、その篭手の部位に視線を固める。

 開いた篭手の内側の部分には、五枚の長方形の黒い部位が並んでおり、篭手の内側の大部分を覆っていた。

 その形は、長く並べられたガラス窓に何処となく似ていた。それぞれの黒い四角の下には、銀色の細長い窪みのようなものが、内側の真下をなぞる様に入っている。

 

 怪人は、今度はその窪みに人差し指を押し付けた。横から横へと単純なものではなく、何らかの意味のある順番があるかのように、それぞれの窪みを押していく。そのたびに「ピッ!ピッ!」と不思議な音響が聞こえてくる。

 五つ全てを押し終わると、その黒い表面から、突如奇妙な模様が現れた。

 その赤い光の模様は、楔形文字のような形状をしていて「ピピッ!ピピッ!」と、これもまた奇妙な音を鳴らして、各部位が一定の順序を経て点滅していた。

 

 クシュウは直感で、それがとてつもない危機的なものではないかと考えた。

 

「ガッハッハッハッハッハッハ! ハァッハッハッハッハッハッハッハッハ!」

 

 それを肯定するかのように、怪人が笑い声と思われる声を愉快に上げ始める。

 

「相棒! 来い!」

 

 これでもかというくらい必死な声で、クシュウは味方のダックを呼び寄せた。近くにいたダックはその呼び声に答えて、即座にクシュウに傍にやって来る。

 

 クシュウはダックに乗り込み、すぐに走らせた。そしてアンナに駆け寄ると、馬上からいきなり掴み上げて、かなり強引に相乗りさせた。

 

「ちょっと!? どこに行くんですか!?」

 

 事態がさっぱり飲み込めず、僅かに非難めいた声で、アンナがクシュウに問いかける。

 

「どこだっていい! とにかくここから離れるんだ! とにかく遠くにだ!」

「でも外にはウェイランド軍が!?」

「知るか! そんなもん!」

 

 怪人の笑い声が木霊する中、二人を乗せたダックは空へと舞い上がった。

 

 

 

 

 

 

「なっ……何だというのだ、いったい……?」

 

 ブレインは呆然と刑務所の城壁の門を見据えていた。冷静を保とうとしているが、額から流れる汗が、その内なる恐怖を全く隠せずにいる。

 

「私にもさっぱり……。あれは……にっ、人間の声ではないですよね!?」

 

 マックもまた、珍しくうろたえた様子で答えを返す。

 内部に送り込んだアイスゴーレムが倒されたことは、すぐに判った。理解できないのは、その後に二度に渡って聞こえてきた、地獄の底から聞こえてくるような恐ろしい咆哮だった。

 

 聞き慣れたバジリスクや、アイスワイバーンの鳴き声とは明らかに違うそれに、刑務所を取り囲んでいた兵士全員が、内部で何が起こっているか全く見当がつかず、激しく狼狽していた。

 するとしばらく固まっていたブレインが、身体を震わせながら口を動かした。

 

「まあいい……。中にどんな化け物がいようが、このままここで立ちすんでいても全く意味は無い。突入するぞ! お前も文句は無いな!」

 

 マックは無言で首を縦に振った。それを認めるとブレインは右手を空にかざした。

 

「先鋒突撃! 我に続け!」

 

 号令と同時に、ブレイン率いる数百人のウェイランド兵が、次々と門を通っていく。

 大きな影が塀を飛び越えて、刑務所の外側に姿を現したのは。ほぼ同時だった。

 

「なっ! あれは!?」

 

 それに気がついたマックが慌ててその影に目をやった。その影の正体は、背に人を乗せたジャイアントダックだった。

 

「逃げるぞ! 銃兵隊並べ!」

 

 

 

 

 

 

「何だ!? この化け物は!?」

 

 突入したブレイン達が見たもの、それは先ず大量に転がっているウェイランド兵とバジリスクの死体だった。それはほぼ予想していたことだったので、誰も驚かない。

 

 彼らを驚かせたのは、それらの中に混ざっている、見たこともない醜い顔をした獣人(?)だった。

 奇妙な笑い声を上げ、左腕の篭手から発せられた音は、変わらずに鳴っている。だが点滅していた赤い光はほとんど消えており、現在は一枚の黒板に二、三本表示されているだけであった。そしてそれも今まさに消えようとしている。

 

「何者だ! 貴様!」

 

 魔道剣を向け、ブレインがそう叫んだ瞬間、怪人を中心に視界全てが緑色の光に包まれた。

 

(……へ?)

 

 何が起こったのか判らぬまま、ブレインの意識はそこで途絶えた。

 

 

 

 

 

 

「撃てえ!」

 

 数十人の小銃を持った兵が一斉に、クシュウ達に狙いを定めていた。

 マックの命令と同時に、その引き金が引かれようとした瞬間、その場にいる全てが緑の輝きと共に無音で消し飛んだ。

 

 

 

 

 

 

「「うわああああああああああ!?」」

 

 後方から来る熱風と、耳が狂いそうになる爆音に、クシュウとアンナは二人仲良く絶叫していた。

 

 遥か後方に存在していた巨大な刑務所が、突然緑色の光に包み込まれ、瞬時にそれは赤い火球に変じて巨大化した。

 薄暗い夜の世界が、一瞬昼に様変わりしたかのように明るくなる。

 その光の正体は実に単純な物、爆発の光である。

 

 工事や戦争などで使われる火薬によって生み出されるものとは、天と地ほどの差がある大爆発が、刑務所を一瞬で爆破・消滅させた光なのだ。

 

 刑務所からはそれなりに距離をつけていたにも関わらず、その爆風は空を飛ぶクシュウ達を飲み込み、遥か彼方へ送り飛ばす。

 彼らは玩具の飛行機のようにクルクル回転しながら、遥か先の森の中に墜落した。

 

 

 

 

 

 

 木の太い枝に二度激突して横転して墜落し、クシュウ達は三者揃って地面の土を顔面から被った。

 彼らの動きはそこで一旦止まり、気絶したかのように思えたが――

 

「「ぬはあ!?」」

 

 水の中から這い出たかのように、二人はほぼ同時に、土だらけの顔を持ち上げた。

 ダックの方は未だにのびたまま、一応生きてはいるようである。

 

 疲れきった面持ちで二人はゆっくりと刑務所の方向を振り向いた。森の木々で刑務所自体は見えなかった。だがその方角に大型の爆発によって生じる、きのこ雲が立ち昇っているのが見えた。

 

 刑務所フューラーは、取り囲んでいた三千のウェイランド軍もろとも、影も形もなく消えたのだ。たった一人の怪人の自爆によって……。

 

「「………………」」

 

 二人は無言だった。ただ無表情で、遠方のきのこ雲を見上げている。

 しばらくそれを見据え続け、次第に雲が晴れてくると、二人はまるで長い悪夢からようやく目覚めたかのような、清々しい感情が全身から湧き上がって来た。

 二人はほぼ同時に倒れこみ、大の字を描くようにして仰向けに寝転がる。変わった所で息の合った動きをする二人であった。

 

 爆発によって、一時は昼に変異した空は、とっくに元の薄暗い夜空に戻っていた。美しい月と無数の星の輝きが、太陽の無い闇の世界をいつものように照らしている。

 夜空を眺めながら、クシュウは独り言のような小さな声でポツリと呟いた。

 

「また空から来たりしてな……、流れ星みたいな光と一緒に……」

「それは嫌ですね。もう終わりでいて欲しいですよ……」

「何だ? もう囚われのお姫様はいいのか?」

「一回体験したらもう充分です」

 

 二人は笑った。何が可笑しいのか当人達も判らなかったが、とにかく心の底から楽しい気分になった。

 しばらくして、遠くから大勢の人の足音と声が聞こえてきた。声を聞く限りではウェイランドの者ではないようだ。おそらくあの爆発に気付いたケルティックの住人達だろう。

 

「そんで……、アンナがいつかベティの宿屋で言ってたことだが……、俺達これからどうする?」

「家に帰りましょう。悪夢は全部終わりましたから」

 

 アンナは横に寝そべっているクシュウに、屈託の無い笑顔を向けて答えた。

 やがて声を出すのも疲れたのか、二人はゆっくりと目を閉じた。

 目覚めたとき、久しぶりに気持ちの良い朝を迎えられると信じて……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エルダー王国から遥か北方、ウェイランド王国領内のある場所に、その研究所は存在していた。

 そこは標高が高く、寒冷地であるウェイランドでも、とりわけて気温が低い。

 

 研究所周辺には強力な結界が張り巡らされており、近辺には集落などは一切無い。関係者以外は絶対に立ち入れない陸の孤島であった。

 何故このようなことになっているかというと、万が一にもこの場所から“研究物”が逃げ出さないようにするための措置である。

 

 ウェイランドの最高研究機関「オーリガ魔道研究所」、そこは名前の通りの魔法関連のものの他、危険をはらんだ珍獣・魔獣、各地の遺跡から発見されたオーパーツの保管・解析も行っている。

 

 ここでは数週間前に運び込まれた二つの“巨大な棺”の研究で毎日慌しくしていた。

 

 それはウェイランドとエルダーの国境を繋ぐ遺跡洞穴から発見された物品だった。長い洞穴の中間位置の、二体の魔物の石像に守られた台座の上に、それはあった。

 これまでこの研究所に運び込まれたオーパーツの中では、とりわけて大きなものであった。

 

 “棺”とは形状からそう呼んでいるだけで、実際の用途は全く不明だった。それは大きな長方形の金属の箱で、上面には解読不能の象形文字が刻まれている。

 あらゆる魔法を使い、その物体を調べたところ、その内部は零度以下のかなりの低温になっているのが判明した。それと同時に、この棺は魔法による製法が一切施されていないことも……。

 

 魔法の力なしで、長期の年月内部を冷却できる不思議な箱。研究者達はこの棺の解析にやっきになった。

 ユタニ女王陛下が亡くなったとか、エルダーに侵攻した自国の軍隊が降伏したとかで、国中が大騒ぎになっても、彼らは全く気を削ぐことなく、棺の研究に熱中した。

 

 

 

 研究所で最も大きな部屋、天井・床・壁、全てが分厚い金属に覆われた密室。そこがこの施設の中央研究室であった。内部で何があっても大丈夫なよう、部屋の壁は頑丈で、中には屈強の戦士達が絶えず研究を見張っている。

 その部屋の真ん中に、その棺があった。そして今まさに、研究員達がその棺を開けようとしているところであった。

 

 一人の魔道士が強力な火の魔力を宿した剣状の半田ごてで、棺の蓋についている錠前と思われる部分を焼ききろうとしている。

 この棺はとてつもなく頑丈で、これまで幾度もその錠前を破壊しようとしてきた。そして実に多くの最高級の工具が、その棺の強度に耐え切れず壊れていった。

 されど手応えはあった。少しずつだがその錠前は削れていき、今まさに、もうじきそれが完全に壊れようとしている。

 

 突如ガキン!と鈍い音が聞こえてきた途端、棺の蓋のひずみから、大量の白い冷気が噴出してきた。

 成功した!その場にいる全員が、歓喜に震えた。早速蓋を開けて、中身を確認する。

 

 

「これは……蜘蛛?」

 

 真っ先に中身を見た研究者の一人が、ぽつりとそう呟いた。

 

 棺の内部は、衝立のような薄い金属の壁で仕切りが付けられており、中は十の区画に分けられていた。そしてそれぞれの区画の中に、奇妙な生き物が一匹ずつ、氷漬けになって納められている。

 

 その生物の姿は、確かに一見すると蜘蛛のようにも見える。だが実際には、蜘蛛とは全く違う生物であった。

 

 大きさは大体人間の顔面と同じくらい。全身は白く、短い胴体に節足動物によく似た長い足が、左右に四本ずつ、計八本生えている。

 蜘蛛に見えるのはそこまでで、この生物は目や口に相当する部位が全く見当たらなかった。その小さい胴体からは、蛇のような長い尾が伸びている。

 また胴体と尻尾の付け根には、人間の耳たぶのような、部位が左右二つ生えていた。

 

 予想以上に奇怪な発掘物に、皆どう反応すればいいのか判らず、その場は一時凍りついた。だが主任が一言「解凍しろ」と命じると、皆慌しく動き回った。

 

 生物を部屋の机に運び出され、二列に並べられる。火属性魔法に長けた一人の研究員が、魔法でその生物達に、熱風を送りつけた。

 その作業に、誰も大した期待は寄せていなかった。

 

 あの棺の中の低温度は相当なものだ。あんなふうに凍らされて生きていられる生物などまず存在しない。

 しかも凍らされていた時間は、最低でも百年以上は経っているはずである。

 

 だがその考えは簡単に覆された。今まで置物のように固まっていた生物が、何の前触れも無く突然飛び跳ねた。

 そして熱風を送っていた研究員の顔に張り付いたのだ。

 

「!!??」

 

 だるそうな顔で傍観していた研究員達は、驚きのあまり声も上げられなかった。

 

 長い足を後頭部まで回して張り付くと同時に、生物は長い尾を研究員の首に巻きつけて、凄まじい力で締め上げた。苦痛により研究員の声にならない悲鳴が、捕まえられた顔の口から漏れ出てくる。

 他の九匹も間もなく動き出し、物凄い速さで動き回り、部屋にいる他の人間達に向かって次々と飛び跳ねた。

 

 あまりに突然の出来事に、動揺した研究員達は何も出来ぬうちに、次々と生物に捕まっていった。

 

「早く引き離すぞ! 手伝え!」

 

 我に返った他の研究員や護衛兵達は、必死にその生物を研究員達から引き剥がそうとする。

 だがその生物は、まるで張り付いた人間の身体の一部になったかのように、全く外すことができなかった。

 

 所内はてんやわんやの大騒ぎになった。捕まった研究員達は医務室に運び込まれ、外科手術で何とか生物を引き離すことに成功した。

 研究員達は昏睡状態になってはいたが、全員生きていた。一方の生物は既に死んでいるようでピクリとも動かなかった。

 生物の死骸は解剖に回され、研究員達は病室に収容された。

 

 

 

 数時間後、医務室で一人の医師が、患者の容態を記した診療簿を見て、怪訝な表情を浮かべていた。不意に病室の中から、慌しい音が聞こえてきた。

 患者のものと思われる多数の悲鳴と、いくつもの獣の鳴き声のような甲高い声である。その奇怪な大合奏は突然発せられたかと思うと、嵐のようにあっさりと止んだ。

 医師は急いで病室に駆け込んだ。

 

 

 

「な……、何だというのだ……いったい!?」

 

 医師は今、自分が何を見ているのか理解できなかった。

 病室にいた患者は全員死んでいた。ただ死んでいただけではない。

 彼らの腹部に、円形の大きな穴が開いているのだ。辺りに血と肉片が飛び散り、穴の中からはへし折れた肋骨が飛び出ている。

 まるで内部から何かが飛び出たかのように、外側にへし折れているのだ。

 

 医師は部屋の向こう側にある、もう一つの扉が壊されていることに気がついた。

 扉は下部から豪快に砕かれており、地面には蛇の足跡のような細長い血痕が、ベッドから扉の向こうへと、いくつも辿るようについていた。

 

 

 異界からの悪夢は、まだ終わっていないようだ。

 


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