噎せるような鋼の臭い――深く沈む空気。
戦場はその内に殺意を収縮させ、開戦の声を待っていた。
一方は巨大なゴーレムとホムンクルスの軍。永きに亙る執念が生み出した、高品質な戦闘用具。
対するはカタカタと骨を鳴らす竜牙兵。即席ながら、その膨大な数は地を覆わんばかりである。
”赤”のライダーは『
余りにも壮大。互いの総力を尽くした決戦場。如何な神話にも語られぬ、新たな戦いの場。
不意に懐かしさが胸中を充たした。
戦場だ――ああ、ここは戦場だ!
「さあ、開戦だ! ”赤”のライダー、いざ先陣を切らせて戴こう!」
己を奮い立たせる叫びと共に、空中庭園から落下。
口笛を吹くと、軍馬三頭立ての
「行くぞ! 黒のサーヴァントよ!」
戦車は勢いをそのままに、地へ降り立ち、疾駆を開始する。
即座に向かってくるホムンクルス、ゴーレムの大軍。
しかし――、
轢殺した敵は千々に砕け、戦車は縦横無尽に戦列を掻き乱す。
「さあ、このライダーの戦車を止められるものなら、止めてみせるがいい!」
吼えたその時、彼の戦闘勘が不吉を囁いた。
「――ッ!?」
咄嗟に手綱を引く――が、躱しきれない。
神馬の急所を狙い放たれた一撃は、僅かに逸れ、しかしその背を抉って去って行った。
「チィッ……アーチャーか――だが”黒”ではないな」
矢が飛来したと思しき森林へ目を向ける。妖しく騒めく森林からは、全くといっていいほど気配を感じなかった。
馬の傷を一瞥。戦車は放棄するしかない。だが……、森林に引き籠って一方的に射かけられるというのは性に合わない。
「もう少し気張ってくれるか?」
主の猛る気合に、神馬は荒々しい鼻息で応えた。
「ライダー、か」
”赤”のアーチャーは動きの鈍った戦車を見、呟いた。
ランサーは襲えない。セイバーは未だ姿を見せず、その他のサーヴァントも投入される気配はない。残った選択肢として、ライダーに攻撃を仕掛けたのだが……。
彼女の視界で、戦車が鼻先をこちらに向けるのが見えた。だがこちらの居場所は判っていないはず。
瞬間、嫌な予感が靄のように脳内で拡がった。
「まさか……」
直感すると同時、既に彼女は脱兎の如く駆け出していた。
森林から――草原へ。
次の瞬間、身を潜めていた森林は消滅した。
「よし、行けェッ!」
叫びに合わせ、戦車はあらゆる物を粉砕する勢いで、森林に吶喊した。
轟音。
焦げた香りと共に、草も樹も地上から消し飛んだ。
堅牢なゴーレムを容易く引き裂いた突撃である。物言わぬ樹々など、紙細工程の耐久すらない。
御者台から静かに下り、戦車を霊体化させる。神馬が負った傷は致命傷ではないが、ここで酷使するのは得策とはいえない。
「”赤”のアーチャー……何故裏切った」
彼の眼は、直前に森林から飛び出てきた影を逃していなかった。
目の前に佇むは、翠緑の衣に身を包みしサーヴァント。獣の剽悍さを湛えた立ち姿、手には美しい設えの弓。
彼女は冷徹な瞳を向け、口を開いた。
「そもそも汝と私が味方であったことはない。よって裏切るも何もない」
「そうかい」ライダーは返答を聞き、犬歯を剥き出しにした。「俺の目当ては”黒”のアーチャーだったんだが……軽い肩慣らしにはお前で充分だろう」
「さて、戦車を喪った
挑発に動じることなく、ライダーは槍を構え、身を低くした。
「見縊ったな、弓兵。この俺に喧嘩を売ったこと――瞬きの後に後悔しろ」
刹那――。
アーチャーの眼前、槍の間合いにライダーが立っていた。
「なっ――」
瞬きするほどの間もなく。
時を数える間もなく。
既に、そこに居る。
文字通り神速。
ライダーにとって間合いなど意味はない。最速の脚を持つ以上、己が視界――それ全てが射程内に等しい。
「死ね」
容赦なく振り下ろされる穂先もまた神速――だが。
「……お前、何者だ」
振り下ろした先に敵影はなく。
彼が一瞬で詰めた間合いを、アーチャーもまた瞬時に空けていた。
「さて、何者かな」
飛来するは一息の内に放たれた二本の矢。空間に穴を穿つ勢いのそれを易々と弾き、ライダーは対面する英霊を睨み据えた。
伝承に「最強」を謳われた英雄が
ではその際、両者の差を決定する要素とは何か?
己の力を十全に発揮するための知名度か、マスターの魔力供給か。
或いは、敵の属性。伝承に於いて己が天敵となる属性を持っているや否や。
この戦闘に於いて相対するは、最速の伝説。
知名度。これはライダーに軍配が上がる。
魔力供給。充分な供給を受けるライダー、極めて高効率な魔力消費を行うアーチャー。どちらも不足ない。
属性。例外的な一件を除き、アーチャーには逸話がある――「男に脚力で劣ったことはない」という逸話が。
結果、両者の速度は……。
#
「さて、どうしますか……」
”黒”のアーチャーは遠く行われる戦闘を見、考えを巡らせる。
敵ライダーははっきり言って難敵である。赤が内紛を起こしている隙に射抜く、という案もないではないが……。
仮にこの戦闘が演技で、自分が参戦した途端二対一に追い込まれる、という可能性は決して低くない、と彼は見ていた。唯一あのライダーを傷つけられる戦力として、過剰な警戒を敷かれた虞れもある。
「……事前の指示通り、穴を塞ぎますか」
結局この戦いは静観するに務め、戦場で穴になりそうな場所を塞ぐことにする。
穴――例えば、あの森林地帯などどうだろうと、アーチャーは眼を細めた。
#
「”黒”のランサー、ヴラド三世とお見受けする」
「……ほぅ。貴様は”赤”のランサーか」
「そうだ」
戦場の只中。向かい合った
堂々たる立ち姿――カルナへ向ける敵愾心。
この大戦の端緒を苛烈に飾った一騎、ジークフリートである。
無言で佇むその後姿に、ヴラド三世は微笑した。
「ほう……。因縁の相手という訳か、セイバー?」
返答は小さな頷き。それを見て、益々笑みは濃くなった。
「良いぞ、良い、セイバー――我が寛恕を以て許可する。存分にこのランサーと殺し合うが良い」
言って、ヴラドはその場を離脱する。
そう、獲物は他にもいる。”赤”のランサーが抑えられている間に、他を支配するだけのこと。悠然と歩む彼の周囲に杭が立ち上り、竜牙兵は骨粉と帰した。
「再び
ランサーが言の端に喜びを滲ませ、語り掛けた。セイバーは黙して答えないが、しかしその身に宿した英雄としての喜悦は隠しようもない。
それが判った以上、最早両者の間に会話は必要なく。
渦巻く魔力が、互いの気迫が、目に見えぬ波動となって大地を鳴動させた。
魔力放出の炎が必殺の意志を持ってランサーの躰を
「……ッ!」
構えた剣で巨槍を受け止め、セイバーは素早く反転攻勢に出る。が、軽くいなされ、鍔迫り合いに持ち込まれた。渾身の力をもってしても、押し切ることは叶わない。無理やり下へ弾き、激烈な打ち合いが始まった。
僅か数秒の内、卓越した技量が何十合もの打ち合いを可能にする。
両者の力量はほぼ均衡――否、僅かにランサーが勝るか。
しかし互いに己を有利と考えることも、不利と認めることもない。ただ自らの全力を尽くすのみ――。
だが、そんな事情を推し量れない者もいる。
『何をやっているセイバー! 押し切れないなら宝具を打たんか! 宝具を!』
念話で喧しく騒ぐマスターを無視し、セイバーは剣を振るう。喋る余裕などない戦闘の最中であり、また喋ることを禁じられているが故の沈黙。宝具を使わないのは、偏にその時ではないと判断しているため。
ただこの場は己の剣に頼り、隙を窺うしかないのだと――。
「何をやっているのだアイツは……!」
ゴルドは今苛々の頂点にあった。髪を掻き毟り、せかせかと室内を歩き回る。
ランサー同士の対決にしゃしゃり出たのは百歩譲って良しとしよう。最初の闘いで敵を仕留めきれなかったという汚名を返上する絶好の機会でもある。
だというのに、それなのに、あのセイバーは……!
劣勢に立たされてなお有効打を打てず、未だ宝具を使う素振りすら見せないとは、何を考えているのか? まさか――まさか。
これが、ゴルドの致命的な錯誤であった。
彼はこう考えたのである。セイバーが宝具の使用を拒むのは、それが最善だと判断したからではなく、ただ、
だって彼にはセイバーが判らない。何も語っていない。何も理解していない。その思考に触れる程度の努力すら、彼は放棄したのだから……。
普通、マスターがサーヴァントの戦闘に口を挟むことはない。何しろ相手は幾多の死線を潜り抜けてきた英霊だ。研究に血道を上げているだけの魔術師風情など、何の役にも立ちはしない。無論ゴルドとてそれを理解している。
だが……、だが!
サーヴァントが余りに愚かな振舞をするならば、それを正すのがマスターの役割ではないか?
ここでまた自分が何の手も打たず、セイバーが撤退するようなことになれば、今度こそ他のマスターからの侮蔑は避けられまい。そんなことは――。
「セイバァァッ! 令呪を以て命じる! 宝具を使って敵ランサーを倒せェェッ!」
「……!?」
己の意志と関係なく爆発する魔力に、セイバーは即座にそれを覚った。それはランサーも同様。
青い宝玉に充ちて行く剣気は、最大限の警戒に値する。
「宝具を用いるか――良いだろう」
淡々と備えるランサー。
それで、セイバーも覚悟を決めた。
令呪に逆らおうなどとは考えぬ。ただこの好敵手に、己の全力をぶつけるのみ――!
「――『
黄昏の極光が戦場を俄かに輝かせる。
迸る魔力の奔流。何もかもを塗りつぶすが如き一撃。その向こうに――。
「くっ……」
しかし、大地を踏みしめ立つ男がいる。
槍の連撃、そして身に纏った『
必殺であるべき宝具を以てして、倒すこと能わず。
そして宝具を開帳したということは、即ち――。
「聖剣バルムンク……、お前はニーベルンゲンの歌に謳われし竜殺しの勇者か」
平坦な声でランサーが告げた。
それ即ち、自らの真名が白日の下に晒されるということ。その致命的といえる弱点と共に……!
#
「ほらほら、右翼もっと引っ張ってー! がんばれがんばれ!」
右へ左へ飛び回り、ホムンクルスやゴーレムの指揮をとっていた
「これもう、ボクの指示とか意味ないかもなぁ」
数で勝る竜牙兵と、質で勝るゴーレム、ホムンクルス。真正面から激突した両軍は、ただ指示を正確に実行する装置だ。恐怖も躊躇もなく、己の命を勘定に入れず行動する。それ故に、争いは単純な力比べに帰結した。
それだけであれば、両勢力は拮抗したかもしれない。
しかしながら、現状優勢を確保しているのは黒の陣営。というのも――。
「ナァァ―――――――ゥッッッ!」
竜牙兵が団子状になり、目の前を吹き飛んでいく。
「うひゃあ、凄いなあ」
首を竦め、ライダーはぱちぱち、と素直な賞賛を送った。当然、本人――”黒”のバーサ―カーには届いていないのだが。
雑兵狩り、戦列の蹂躙こそが、正にバーサ―カーの独擅場。さらに現在は魔力供給という枷が解かれているのだ。
思うさま暴れ、思うさま
文字通り一騎当千。彼女一人の働きにより、大勢は黒に傾きつつあった。
「さてさて、そうなると~っと」
見上げる先は敵の本拠地。空飛ぶ要塞。手すきのサーヴァントで、最もあそこを攻めるに適しているのは、自分以外にいないのではないか。
無い知恵を絞った思案の後、ライダーは決めた。
「よし、行くか!」
召喚したヒポグリフに跨り、その首筋を叩く。頼れる相棒は一声啼いて、夜空に舞い上がった。
要塞より差し向けられた竜翼兵を、宝具『
「やったっ、このまま行くぞーっ!」
「来るのは結構だが、その前にひとつ試させてもらおう」
”赤”のアサシンが呟き、指を鳴らす。瞬間、ライダーの眼前に魔方陣が現出する。その深紫の輝きは、装填済みの大砲を思わせた。
「えーっと……」
「ああ、上にも下にもあるぞ。気をつけろよ」
言われるがまま視線を走らせ、ライダーは唖然とした。
上に四。下に四。
膨大な魔力を湛えた魔方陣は計八つ。後はただ、アサシンの発射命令を待つだけ。
「――
爆音を響かせ、光柱が身を貫こうとする。躱す術など――。
(でもアレ魔力消費がなぁ……あ、でもそういえば魔力供給は気にしないでいいって……)
「行けっ『
瞬間、ライダーの姿が消えた。
「……何?」
アサシンはすぐさま周囲の空に視線を送る。
「ふー、あぶなかった……」
ライダーは僅かに離れた場所で、暢気に汗など拭っていた。
(高速移動? 転移? いや、あれは……)
目まぐるしく思考する前で、ニッと笑みを浮かべたライダーが、再び突撃の姿勢をとった。
応じるほかなく、魔方陣を再展開する。今度の数は十。
「――失墜ろ」
耳を劈く射出音――しかし。
「ちょっとー! アサシンなのにそれってズルくない?」
ライダーは無傷だった。
これこそヒポグリフの真髄――次元跳躍。一次的な異次元への退避である。発動している間はあらゆる観測、攻撃から逃れ、その後再度こちらの世界へ帰還することができる能力だ。
「……ならば」
その仕組みまでは理解できなかったものの、アサシンは単純な結論に至った。
「よ~し、今度こそとつげ……」
手綱を執った眼前。次々と展開されていく魔方陣に、ライダーは閉口した。
その数は最早十や二十では利かない。隙間なく、何重にも重なった魔方陣は、もはやそれだけで一個の要塞といった趣があった。
出鱈目にもほどがある、とライダーは溜息を吐いた。
次元跳躍する相手を――数の力で圧倒する、なんて。
「こんなのゴリ押しだぁ~!」
「すまぬな。まあ、また挑むが良い」
号令と共に、目も眩むような密度の光がライダーを直撃する。
「あ、あああああああああああああああああっ!!」
絶叫を残し、ライダーは失墜した。
#
激音が戦場に谺する。
アーチャーが神速で移動し連射する矢を、これもまた神速で駈けるライダーが槍で弾き飛ばす。
この戦場で最速を誇る二者が覇を競い――もはや余人にその動きは捉えられない。
ライダーが最後の一矢を弾いた瞬間、眼前からアーチャーの姿が消える。
即座に槍を背後に回し、突撃――。
放った矢を躰で受け止め向かってくる相手に、僅かな驚愕を浮かべた後、彼女は後退を選択。
喉笛を狙った刺突は、またも間一髪で躱された。
両者の合間には竜牙兵もゴーレムもいない。近寄った瞬間磨り潰される領域に、誰が自ら近づくだろう?
故に何者の介入もなく、両者はただ睨み合う。
「クソッ」
ライダーは苛立ちを抑えきれず悪態を吐いた。
互いの速度は拮抗している。つまり、己が距離を詰めた分だけ、相手は距離を離せるということ。必然的に、間合いの違いが戦力の差に直結する。
自分は槍、敵は弓。
常に一定の間合いが保たれる以上、間合いが狭く、一方的に攻撃をされるこちらが圧倒的に不利。
彼は決断を迫られていた。
しかし焦っているのはアーチャーも同様だった。
(この男……私の矢が通じないのか?)
耐久値がずば抜けて高いのか――否。限界まで引き絞り、Aランクを優に超える一撃ですら、この敵は無傷に受けてみせたのだ。何か特殊な条件の防御を備えていると見るべきか。
膠着は彼女の望むところではない。だが、攻撃が通じず、攻め切れないのならばこちらが不利。ライダーがまだ戦車以外の宝具を隠し持っていないとも限らないのだ。
「……しゃーねぇな」
ぽつりとライダーが漏らした呟きに、アーチャーは怪訝な表情を浮かべる。
「俺とここまで張り合える相手がいるとはな――。姐さん、アンタの脚、大したもんだぜ」
返事はせず、無言で彼の動きを観察する。
何だ――何が狙いだ?
ライダーは視線を涼しく受け流し、軽く肩を竦めた。
「その能力に敬意を表して見せてやろう――俺の全速を」
そして――。
この場の最速が決した。