アタランテを呼んだ男の聖杯大戦   作:KK

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二つの悪

 崩れかかった玉座の間に、”黒”のランサーは座していた。

 その下に、マスターのダーニックが控えている。

 

「さて、罰を受ける覚悟はできているな?」

 

 ランサーが堂々たる態度で言った。ほぼ崩壊した空間であっても、彼がいるだけで厳粛な王の間に見える。

 

 アーチャーは無視して、部屋に入った。

 

 その背中を見送って、アルは部屋の入口で立ち止まった。

 

「フン……やはり蛮族か」

 

 冷酷な瞳で、ランサーは二人を睥睨した。

 

 アーチャーの歩みは止まらない。まるで何も見えていないように、敵地へ踏み込んでいく。

 

 ――弓と”皮”を手にして。

 

 ダーニックが腕を拡げ、口の端を歪めた。

 

「”赤”のアーチャーとそのマスター。どうだ? お前たちが降参するな――」

 

「……『神罰の野猪(アグリオス・メタモローゼ)』」

 

「ら……?」

 

 ダーニックに見えたのは、掻き消えたアーチャーの姿。そして、ぽっかりと抉られた、自分の脇腹。肉と内臓が円く欠け、思い出したように血が噴き出した。

 

「あ……何、を……?」

 

 考える前に治癒の魔術を行使する。失った組織を戻すことはできないが、幸いすぐ命に関わる損傷ではない。痛みは抑えられないが、止血する。

 既に背後ではランサーとアーチャーの戟音が響いていた。

 

 ”赤”のアーチャーに噛み切られたのだ、という現実を呑み込むにつれ、怒りが躰を支配していった。

 

「この……サーヴァントの分際で……!」

 

 赤く染まる視界の中で、そのマスターが身を翻し、駆けていく様子を捉えた。

 ほとんど無意識に、彼の足は敵を追う。

 

「許さんぞ、五流魔術師……。貴様は、絶対に殺してやる……」

 

 

 ステータスが塗りつぶされていく。

 

 ――『■■■/■久■/敏■■/■■■/■運■/■■■』

 

 アーチャーを包んでゆく黒い靄を見て、アルは終わりを確信した。

 

「……さようなら、アタランテ」

 

 呟いて、未練を断ち切る。拳を固く握って、その場から離れた。

 

 

          #

 

 

 ”赤”のアーチャーは異質な何かに変貌を遂げていた。

 

「貴様――!」

 

 ”黒”のランサー(ヴラド三世)は手にした槍を振るう。が、アーチャーの動きを捉えきれない。

 

 黒い靄が蠢き、彼女の躰をぐねぐね折り曲げているようだった。

 その手に弓はない。だが――先ほどダーニックを襲った一撃……。

 

 予備動作が皆無だった。

 

 武器など必要ない。視認不可能の速度で、予備動作すらないのなら、彼女の攻撃を予測し、回避できる者などない。

 だが、それは生物の――この世のものがしていい動きではなかった。

 

 出し惜しみする余裕はない。

 

「チィ……。『極刑王(カズィクル・ベイ)』!」

 

 天草四郎が消え、ランサーがこの場を再び”領地”とした今、宝具の本領は遺憾なく発揮される。

 

 敵の躰を粉微塵にするべく、数百の杭を同時に召喚した。

 

「――――ッ!!」

 

 人ならざる絶叫を上げ、アーチャーは背後へ跳ぶ。地に突き立った杭は、掠りもしなかった。

 

 ”優れた敏捷性”では説明がつかない挙動。明らかに超越している。

 

「……狂化だとしてもこのようなことは有り得ぬ。もはや化物とも呼べまい……貴様、いったい何をした」

 

「ころ、してやるころしてやる――お前をころしてやる」

 

 憎悪に染まった唸り声が、低く反響する。

 

「――そうか」

 

 ランサーが同時に出せる杭の数は二万。この狭い部屋を埋めるには充分すぎる数。

 

 躊躇いも戸惑いも消えた。全力で杭を召喚する。

 瞬間的に跳ねるアーチャー。彼女の着地点へ――杭を召喚する。

 突き立つ杭を蹴り飛ばし、強引に軌道を変えたその躰へ、杭を射出。数十の杭が黒い靄ごと串刺しにせんと襲いかかり――。

 

「――――……!」

 

 ばきりばきりと、何かが砕け折れる音。

 

「人外が……っ」

 

 ランサーは吐き捨てた。

 

 アーチャーの腕は奇妙に捻れ、歪んだ翼を形作っていた。

 彼女は飛翔し、部屋の壁に張りついた。そのままぎこちない仕草で、鈍い軋轢音を発しながら、放棄したはずの弓を構えた。

 

「『闇天の弓(タウロポロス)』よ」

 

「……ッ!」

 

 肉体と融合した弓。捻れ切った腕から放たれる魔矢の前へ、どうにか杭の壁を築く。理性は失われても、戦いの術理は残っているらしい。

 

 忌々しい。

 虫唾が走る。

 

 ランサーは奥歯を噛みしめた。

 

「貴様のような、見るだけで穢れる輩が、最後の相手とはな……!」

 

 

 『神罰の野猪(アグリオス・メタモローゼ)』――アーチャー本人もその使い道を理解していなかった宝具。神が遣わした魔獣の皮。使えば呪われ、理性を失い、憎悪の機械となる代わり、力を得る。自爆に等しい能力。

 

 その宝具を使用する条件は一つだけ。

 ――命を棄てるほどの憎悪を抱くこと。

 

 条件はいつの間にか充たされていた。

 

 気付いた時には、ランサーへの憎悪は深く、静かに、彼女の身を浸していた。

 皮を被る瞬間、地下深くに滞留していたマグマが噴き出すように、思考が憎悪に書き換えられていくのをアーチャーは感じたが、決してそれは呪いが生んだ憎悪ではない。彼女自身が抱く憎悪が表に出たに過ぎなかった。

 

 そしてその憎悪を覚った時点で、彼女に残された選択肢は二つしかなかった。

 ランサーに挑み、死ぬか。

 宝具を使って、ランサーと刺し違えるか。

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 彼女に敗北以外の道はない。どちらを選ぼうと、必ず命を落とす。

 

 ……であれば、どちらの悪を選ぶか(The lesser of two evils)

 

 

 もうアーチャーに思考はない。ただ一個の”憎悪”が動いているだけ。

 

 壁にも杭が召喚される。それを感知すると同時、彼女は宙を舞っていた。即座に杭が己を目掛け飛んでくる。

 

 床にも壁にも、宙にすら逃げ場はない。

 

 それでも、アーチャーの肉体は適応する。躰の構造が変わる。

 骨が砕け、神経が断裂し、生物としてあってはならない形を造る。痛みを感じない訳ではない。その無理は、全て彼女へ還っている。狂った理性を、狂いそうな激痛が襲っている。

 

 だが、そこに引き返す道はない。間違えた者に逃避は許されない。

 

 

 数千を超える杭の猛撃を受け、依然アーチャーは立っていた。

 逃げるばかりでなく、隙あらば矢を放ち、ランサーへ接近を試み、戦いは一進一退の攻防を見せていた。この場において最強といえるサーヴァントと渡り合っているのだから、尋常ではない。

 

 戦闘は膠着状態に陥りつつあった。双方とも決定打に欠ける――。

 

 ランサーが口元を歪めた。

 

「――とでも思っているかね? アーチャー……!」

 

 途端、アーチャーに杭が生える。

 

 そう――既に攻撃は完了している。

 ホムンクルスの地下室で、その腹を杭で裂いた時に、ランサーの勝利は決定された。

 

 血が流れていく。

 杭はアーチャーの躰に突き刺さった状態で顕現し、神速の動きを封じる。機を逃さず、杭が彼女の許へ殺到し――。

 

 ずるり、と。

 

 裏返った。

 

「……なるほど」ランサーは軽蔑の瞳を浮かべた。「貴様は”モノ”へ堕したのだな」

 

 躰の内と外を()()()、”ソレ”は杭を排出した。

 串刺しの束縛より逃れ、襲いきた杭を躱しきる。

 

「蛮族ですらない。名誉なく、理性なく、生きてもいない。そんなモノ――もはや我が敵とは認めぬ。人間として、慈悲に代えて引導を渡してやろう」

 

 ソレは唸りとも、躰の破砕音とも知れない声で応える。

 濁った瞳で、ころす相手を見上げる。

 

 ころしてやるころしてやるころしてやる。

 

 彼女は既に何もかも喪失していた。

 

 願望も、記憶も、葛藤も、その憎悪さえ――。

 

 

          #

 

 

 アルはひたすら走っていた。

 自分の仕事は、アーチャーが決着をつけるまで逃げること。

 今もユグドミレニアの当主が追ってきている。アーチャーの攻撃を受けたとはいえ、魔術師の技量は己と比べるまでもない。

 

 振り返る暇はなく、背後に死の予感を抱えて走るだけ。

 

 それ以外ににやれることはなかった。アルにできるのは児戯に等しい初歩的な魔術のみ。弱体化した刻印でできるのはほんの一瞬の忘却。これでは虚仮威しにも使えない。

 

(結局、逃げることしかできなかったな)

 

 聖杯大戦の間、マスターとしての役目は何一つ果たせなかった。ただ隠れて逃げて、アーチャーを援護することも、助けることもできないで、よくおめおめと生きながらえたものだ。

 

「この虫がァァァァ――ッ!」

 

 雄叫びが聞こえる。敵が何をする気なのか確かめる余裕はない。破れかぶれで横っ飛びに階段へ突っ込む。

 背中を何かが焼く感触が、通り抜けていった。

 

 頭を抱えて、階段を転がり落ちる。鎖骨の一本も折れただろう。踊り場の壁にぶつかって、躰は止まった。

 すぐさま立ち上がって、逃走を再開する。絶対に死ぬわけにはいかなかった。

 

 

 しかしながら、両者の差は如何ともしがたい。

 

 重傷を負ったところで、アルごときに後れをとるダーニックではない。力任せの魔術を連発しながら、少しずつ行き止まりへ追い込んでいく。

 

「私の邪魔をしおって……!」

 

 腹の傷が酷く痛む。血を失い、頭は朦朧としている。それもこれもあの虫共のせいで――!

 

 視界に曲がり角へ逃げ込もうとする(マスター)が映り、即座に魔術を放つ。

 距離が近づいていたためか、ようやく命中した。

 

「あああああぁぁぁぁぁっ!!」

 

 虫は半分千切れた左脚を抱え、悲鳴と血痕を残し、這いずるように角の陰に逃げ込んだ。

 

「……クク」

 

 その無様な姿に、顔を引き攣らせてダーニックは哄笑する。

 

「はははははははははは! ああそうだ、虫は虫らしく、地を這って死なねばなあ……!」

 

 小賢しく逃げ回られ、うっかり人間を追っている気になっていた。敵は虫けら。人間である自分が本気を出す必要はない。少し小突いただけで腕も脚も失うような奴に、何をムキになっていたのか。

 

 悠々とした足取りで、ダーニックは歩いていく。

 

 曲がり角の先には、べったりと血の痕が続いていた。そのすぐ先に、腕だけで必死に這う虫がいる。

 

「ああ――なるほど、お前はナメクジだったのか」

 

 自分の冗談に肩を震わせて笑い、ダーニックは大股で三歩進んだ。

 

 それだけで逃げ道はなくなった。呆然と顔を上げ、虫は間抜けな表情でこちらを見ている。

 

「さて……」

 

 頭を鷲摑んで持ち上げる。取れかけた脚がぷらぷら揺れる様子が面白く、またダーニックは笑った。

 

「何か言いたいことはあるかね? 虫ふぜいが人語を解すとも思えないが……」

 

 

 これでアルにできることはなくなった。

 逃げることしかできないくせに、逃げることもできなかった。

 

 絶対死ぬわけにはいかないのに――。

 

 無意味な抵抗であるとは判っていた。

 渺でも死を遅らせられるなら何でもいいと、半ば無意識に口は開いていた。

 

Perde te ipsum(喪え)……」

 

「何を――……」

 

 ダーニックの笑みが消えていく。

 瞳から光が失われ、表情の色が薄れていく。

 

「――でっ」

 

 不意に頭を摑む力が緩み、アルは床に落ちた。すぐさまがむしゃらに這う。一秒でも時間を稼がなければ、一ミリでも逃げなければ――と。

 

 虚空を見つめたまま、呆然とした顔で立つダーニックを見た。

 

「え……? なんで……」

 

 自分の魔術が効いたとしても、”赤”のアサシンのようにすぐに回復するはず。その他の要因があると思われるが……。

 結局、理由は何一つ判らなかった。

 

 

 無論、アルには知る由もない。

 彼が魔術刻印を通して発動したのは、一族の研究成果。

 効率も能力も大幅に落ち込んでいるが、本質は同じもの。

 

 即ち、記憶と人格の消去。

 精神と肉体を空にする魔術。

 

 とはいえ、その効果が永続するならともかく、アルのようにほんの僅かな間しか続けられないなら意味がない。効果が切れると同時、魂に刻まれた記録に従って、記憶も人格も復元されるからである。人間の恒常性が、意識の連続を保とうとする。

 だから彼の魔術に意味はないのだ――通常は。

 

 ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア。彼の主な研究対象は、魂。

 百年近く、その若さを保ってきた理由も同じ。

 

 彼は不老のため、己の魂に、他人の魂を融合させている。

 

 記録は破断し、雑ざり合い、互いを侵し、既に人格は連続していなかった。辛うじて”ユグドミレニアの当主”という器に収まっているだけだった。

 

 よって彼だけには、その忘却が致命傷であった。

 

 ほんの僅かでも記憶と人格が消えてしまえば、復元を担うは畸形の魂。

 

 ――「自分は誰か?」

 

 ダーニックは二度と、問いの牢獄から逃れられない。

 

 

 しかし。

 

 それもまた、人間の強さ。全てを失い、最後に一欠片だけ残るもの。

 執着心が、ダーニックを稼働させる。

 

 意識はない。自我もない。無意識の義務をもって、彼は己のサーヴァントと視覚を接続し――。

 

 互角の戦いを繰り広げるサーヴァントを見た。

 

 かたなければならない。

 

 かつために、なにをするべきか。

 

 機械的な思考が、最も単純な解を実行し、停止した。

 

「令呪をもって命じる。英霊ヴラド三世、宝具『鮮血の伝承(レジェンド・オブ・ドラキュリア)』を発動せよ」

 

 

          #

 

 

「ダーニックゥゥゥゥゥ――ッ!」

 

 ランサーは本能に近い反応で、その命令を拒む。それだけは――それだけはできない。使ったが最後、”ヴラド三世”は破綻する。

 

 だが令呪の強制力は絶大だ。彼の対魔力をもってしても、発動を遅らせるだけで、止めることはできない。

 

「やめろ……、余は吸血鬼では、ない……!」

 

 ――その、隙を。

 

 見逃すはずはなかった。

 

 あるいは、それがなければ、この戦闘はランサーの勝利に終わっていた確率が高い。戦力が互角である以上、状況は持久戦に移行する。そうなった場合、ダーニックという強力なマスターを持ち、冷静に戦闘を進めているランサーが有利。アーチャーの滅茶苦茶な戦い方では、どれほど優れたマスターでも、そう長く保たない。

 勝てる勝負だった。余程の失策を打たない限り、ランサーは勝てるはずだった。

 

 不意に視界が落下し、ランサーは瞠目する。

 すぐに事態は理解した。

 

「……そうか」

 

 首を噛みきられ、生首が落下したのだ。視界の端、頭を失った躰が、遅れて崩れ落ちる。

 

 ヴラド三世は敗北した。

 

 既に退去が始まっている。打つ手はない。

 

「余は、敗けたか……」

 

 早々に現実を受け入れた。

 未練も悔いもあるが、醜く生き足掻こうとは思わない。それが彼の人間としての矜持だった。

 

 ぼやけた視界に、アーチャーの末路が映った。

 

「フッ――皮肉なものだな」

 

 何とも皮肉な結末ではないか……。

 

 化物になることを拒否して、化物に夢を断たれるとは……。

 

 

          #

 

 

 床にばたりと倒れたダーニックを見下ろす。

 口からは意味不明の呟きと、涎が漏れ続けている。焦点の定まらぬ瞳は、何も見ることはない。

 

 廃人と化した敵に背を向けて、重たい躰と千切れかけの脚を引き摺り、アルは這うように歩き出した。


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