アタランテを呼んだ男の聖杯大戦   作:KK

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※後日談でもifでもありません。書いたはいいものの、結局投稿しなかったExtra(おまけ)です。つまり本編と何の関わりもないものです。せっかく書いたんだし…という貧乏性。まあ一年経って読む人もいないでしょう。サブタイトルについては、そもそも全編通してAimerさんの『ポラリス』をイメージして書いたので、いい機会ということで…。


Extra ポラリス

「まあ、元気でやってるよ…‥今のところは」

 

 つむじ風が砂塵を巻き上げる。

 軽く咳き込んで、口元を覆う布を確かめた。この国ではそれなりに大きな都市なのだが、道路の舗装は不充分だった。今も続いている内戦の影響か、地面が大きく抉れている箇所もある。

 

「それにしても、お前が俺を心配するってのはどうもな……。あ、いや、そういう意味じゃないさ。それより、そっちはどんな調子なんだ?」

 

 道行く人々が時折こちらに視線を向けては、興味なさそうに去っていく。一見すれば、独り言を垂れ流している危ない男だろう。

 

「師匠――人形工学(ドール・エンジニアリング)の? いま追いかけまわしてる最中? それはまた、何というか……。うん、やっぱり変わったな。まあそれほど付き合いがあったわけじゃないけどさ、あの頃とは全然違うよ」

 

 カウレス・フォルヴェッジは、日陰に入ったところで足を止めた。日中はまだまだ暑い。今後にそなえて体力を温存したかった。

 とはいえ、この暑さにも慣れねばなるまい。なにしろ今回作成された聖杯はかなりの完成度だと聞いている。召喚されるサーヴァントも四騎は固い。長丁場の闘いになるだろう。

 

 つまり――それだけ()()()()()を期待できる。

 

「ああ――うん。そうだな……また連絡するよ。生きてればだが」

 

 カウレスはふっと息を吐いた。知らず力んでいた肩をほぐす。

 

「じゃあな、ロシェ」

 

 自分も彼――ロシェ・フレインも、あれから随分変わったものだ、と思う。

 特にロシェの変わりようはすさまじい。他者に一切興味を持たず、ゴーレムのことしか頭になかったあの魔術師が、まさか人間(カウレス)を心配するようになるとは! 今となっては、ロシェとカウレスの繋がりなどないというのに、時折こうして連絡を寄越してくる。

 

 それも、何だかいやに元気よく。

 

 ユグドミレニアは取り潰され、いくら才能豊かなロシェといえど、魔術社会では嘲笑の的になっているだろうに、とくに落ち込んだ様子もなかった。一方のカウレスといえば、亜種聖杯戦争を求めて世界中を巡るうち、自分が魔術師である自覚さえ薄くなりつつあった。聖杯に託す願いが根源でなくなった時点で、魔術使いに堕したも同じなのだから。

 

 それが良い変化なのか悪い変化なのか、カウレスに判断することはできない。

 とにかく、あの大戦が、二人の人生を決定的に変えたことだけは確かだった。その道がどこに続いているのか、判る者はいない。

 

 だが――少なくとも。

 

 自らの願望はこの目に見えている。

 

 叶えたい願いがあって、そのための道筋が用意されている。ならば疑うことはない。

 

 今になって、ようやくダーニックの執念が判る気がするカウレスだった。

 

 突然のことだった。壁に寄りかかっていた彼の視界に、不意にある顔が飛び込んできた。

 どこかで見た顔だな、とカウレスはぼんやりその人物を見つめ、間もなく息を呑んだ。

 

(見られた――!)

 

 布を引き上げたがもう遅い。こちらの顔は捉えられただろう。

 

 近づいてくる足音に、カウレスは身を固くした。

 

 しかし予想に反し、足音はカウレスの横を通りすぎて行く。

 

「え――?」

 

 呆然と呟いて、去って行く背中を見つめる。

 見間違いだったか、と一瞬思ったが、すぐに否定する。まさか間違えるはずもない。

 

 カウレスとしては顔を合わせたい相手ではない。以前の敵ということもあったし、彼の個人的な事情もあった。だから、気づかれなかったのならそれで良いのだが――。

 

 僅かな逡巡の後、カウレスはその背を追いかけた。

 

「おい!」

 

 肩に手を乗せると、その男はゆっくりこちらを振り返った。

 

「はい?」

 

 その、怪訝な表情を見て。

 

 カウレスは沈黙した。

 

「…………」

 

「あの、何か――」

 

「……憶えて、いないのか」

 

「えっと……。すいません。このところ物忘れが酷くて……以前、どこかで会ったことが?」

 

 男は不思議そうに瞬きしている。

 

 男は――聖杯大戦の勝者になったはずの魔術師は――本当にカウレスを憶えていないようだった。

 

 不意に下からの視線を感じる。

 

 見ると、男は背後に数人の子供を連れていた。皆、痩せ細っている。重篤な怪我を負った者や、明らかに病人と判る者もまじっている。少年兵としてさえ無用と断じられた、社会の最下層にいる子供たち。

 

 それを――なぜ、この男が。

 意味が判らなかった。

 

 しかし、もはやカウレスにそんなことを問う気力はなく、肩に置いた手を力なく下ろした。

 

「いや――、すまない。人違いだったようだ」

 

「はあ……そうですか?」

 

 では失礼、と頭を下げて、男はまた子供を連れて歩いて行く。

 

 その後ろ姿を見送りながらも、カウレスは何故、と思わずにいられなかった。

 

 大聖杯を手にし、あらゆる物を、あらゆる願いを叶える権利を得たはずの彼が、何故――。

 

 何故――自分と同じ目をしているのか。

 

 届かぬ何かを求め続け、代償に心を磨り減らした人間だけが持つ、光なき目を。

 

 

          #

 

 

 気付いた時、小舟に乗っていた。

 

 夜の海。

 黒々とした水面が、唸るような波音を立てている。

 見渡す限り陸地はなく、ただ両手に櫂を握って、ひたすらに動かしている。

 

 自分の名前は何か、何故こうしているのか、考えたけれど、何も思い出せない。

 こんなわけの判らない状況だというのに、不思議と心は落ち着いていた。

 

 ――ふと。

 

 舟の舳先に、誰か立っている。

 

 月光を浴びて、宝石のように輝く(ひと)が、こちらに背を向けていた。

 ともすれば消えてしまいそうなほど儚く、けれど自分の存在が霞みそうなほど華やかな立ち姿。

 

「――あの、すみません」

 

「何だ?」

 

 応えてくれたことにほっとしつつ、言葉を紡ぐ。

 

「貴女は誰ですか?」

 

 彼女はこちらに顔を向けないまま。

 ただ、大きく息を吐いて、

 

「――ああ、そうか」

 

 と、呟いた。

 

 しばらく沈黙が降りた。

 

 ただ、舟の軋む音と、波音が聞こえていた。

 その間も、櫂を操る手を止めることはない。

 

「汝は、どこへ行く?」

 

 不意に彼女が言った。

 

「先へ」

 

 すぐに答えた。答えたあとで、ああそうだったな、と思い出した。

 

(自分は先へ行かなければいけない)

 

 しかし不満だったのか、彼女は小さく首を振った。

 

「汝が行く必要はない」

 

「いえ、俺が行かなければいけません」

 

「きっと徒労に終わるだろう」

 

「それは、諦める理由にはなりません」

 

「だからといって――死ぬまで漕ぐつもりか。この頼りない小舟を」

 

「まあ、そうなりますね」

 

 記憶さえ定かでないなかで、なぜこうも自分は確信を持っているのだろう、と苦笑する。

 

「――それは!」

 

 叫んで、彼女がこちらを向いた。

 

 その、揺れる髪。

 月光が照らす顔。

 

 何故だろう、とても懐かしい気持ちが胸を充たした。

 

「――それは、呪いでは……ないのか?」

 

「呪い?」

 

 突然何を言い出すのだろう。

 それではまるで、嫌々この航路を辿っているみたいじゃないか。

 

 彼女は必死な口調で続ける。

 

「茫漠たる海のなか、独り彷徨うこの旅程は、本来なら……」

 

 ああ――そんなことを心配しているのか。

 

 その心配は嬉しいけれど、杞憂に過ぎない。

 

 片手を開いて彼女の言葉を制した。

 そして、静かに天上の星々を指す。

 

「ありがとう――でも、大丈夫ですよ。なにも迷うことはないから」

 

「…………」

 

 やがて彼女は、また「そうか」と呟いた。

 

 静寂が舟を包んだ。

 

 長い時間が経った気がするけれど、実際は少しのことだったろう。

 

「私は、そろそろ行かねばならない」

 

「行く? どこへ?」

 

 首を傾げる。四方を海に囲われた舟から、どこへ行くというのか。

 

 彼女は軽い口調で「さあな」と答えた。

 

「どこへ行くかは、私も知らない」

 

「そうなんですか?」

 

「ああ。この舟が向かう先か、あるいは元の港か。ひょっとすると、またこの舟に乗るかもしれん。どこぞの男のせいでな。いい迷惑だよ」

 

 それは難儀なことだ、と彼女に同情する。

 

「全然関係ないところに行くかもしれませんしね」

 

「いや、それはないな」

 

 やけにきっぱりと、彼女は否定した。

 

「でも、どこに行くか判らないんでしょう?」

 

「どこへ行ったとしても、私の目指すところは変わらない。だから、いずれこの航路に至る。それだけは断言できる」

 

 彼女は軽やかな身のこなしで舳先に立った。

 

「また、会えますかね?」

 

「ああ、会えるだろう」

 

 ――その答えが、あまりにも白々しくて。

 

 思わず吹き出した。

 

 彼女も笑っている。

 

「なんでそんな、バレバレの嘘を?」

 

 それには答えず。

 

 彼女は、ふっと口元をほころばせて。

 

 重力を忘れ空に解き放たれた矢のように。

 

 舳先を蹴った。

 

「汝には一度、ひどい嘘を吐かれたからな。これは、そう……ただの仕返しだ」

 

 そんな声が聞こえた気がした。

 

 

 

 暗い海。

 

 陸地も灯りもない海原を、しかし迷うことはない。

 

 目指すべき方向は、星が教えてくれるから。

 

 澪標(ポラリス)に導かれ――

 

 舟はただ進む。

 

 

 


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