ダイアゴン横丁で主人公がハリーと出会う作品は数あれど、主人公が最初からハリーとハグリッドに同行する作品はあまり見ないはず。
鉛色の曇天に覆われた七月三十日の午後。アリスが部屋の椅子に座って児童小説を読んでいると、そこに父ヘンリーが何やら血相を変えてやって来た。
「アリス、ここにいたのか」
乱れた呼吸を整えながら口を開くと、ヘンリーはまたしてもホグワーツからと思われる手紙を手に持っていた。
「パパ、その手紙は──」
「急な話になった。アリス、明日はロンドンに行くぞ」
ワクワクした様子で言い掛けるアリスの言葉と重ねる様にヘンリーが口を挟む。
「私達がふくろう便とやらを使えない事に“向こう”が気付いたんだろう。ホグワーツの入学期限は明日が締め切りだ。本当なら職員の魔法使いか学校に返事の手紙を出さなきゃいけなかったらしい」
「えっ!? うそ……じゃあ、あたし……ホグワーツに行けないの?」
じわぁ……と、アリスの綺麗なブルーの瞳に涙が滲み出す。しっかり者に見えてもまだ十一歳の女の子。アリスは泣き虫なのだ。
「心配しなくて大丈夫だよ。実は今日、学校側から手紙が届いたんだ。何でも明日の朝、ハグリッドという男がロンドンで入学準備の生徒に付き添うそうだ。そこにアリスも加えてもらいなさい」
どうやら大人達だけで秘密のやり取りがあったらしい。何はともあれ、家族に後押しされてホグワーツへの入学を決意したアリスが、いきなり入学手続きできませんでしたって事にはならない様なのでホッと一安心する。
「パパがアリスをロンドンまで連れて行くから、その後でハグリッドという人と駅で待ち合わせしなさい。いいね?」
「うん。パパ、ありがと」
それにしてもハグリッド……一体どんな人物なのだろう。アリスは明日の朝が待ち遠し過ぎて今夜はきっと眠れないなと思った。
その翌日。昨夜の大荒れした天気は嘘の様に晴れ渡り、絶好のお出掛け日和となっていた。
朝早くに目覚めたアリスは興奮と緊張でなかなか眠れず、昨夜は遅くまで相部屋のイーディスとベッドの上でホグワーツの事を語り合った。
嫉妬深くて苦手意識のある妹と共通の話題で一緒に談笑するとは思ってもみなかったので、アリスはそれだけ今の自分が魔法との出会いを楽しみにしているんだなと実感。自然と頬が弛んでしまうのを我慢できないでいた。
「パパと二人でお出掛けなんて初めてじゃない?」
「そうだなぁ。でもアリス、ドジスン教授とは二人でこっそり街まで出掛けてるんだろう?」
……数時間後、お気に入りのエプロンドレスを着たアリスはヘンリーの車に乗せられ、父親と二人でオックスフォードからロンドンに向かっている最中だ。
本当なら来年ホグワーツへの入学が濃厚と見られるイーディスも一緒にロンドンまで来る筈だったのだが、朝に弱い彼女は一向に起きる気配がないので仕方なくロリーナに任せて留守番してもらっている。
「えへへ……うん、ちょっとだけね。あっ、そうだ! パパ聞いて! あたしね──」
アリスは生まれて初めてロンドンに行けて嬉しいのか、車の後部座席で元気に身体を揺らしながらヘンリーに沢山話し掛けた。そうしている内に車はロンドンに到着し、アリスは一旦ヘンリーと別れる事となった。
「アリス、本当に一人で大丈夫かい?」
停車中の車から運転席の窓を開けて声を掛けるヘンリー。やはり父親として愛する娘が心配な様子。
「もぅ……あたしは大丈夫! それに何か困った事があったら、いつもみたいに“もう一人のあたし”があたしを励ましてくれるよ!」
「……はは、そうだった。アリスは“あの不思議の国”を一人で冒険したんだもんな。分かったよ。じゃあアリス、帰る時はさっき渡したお金で電話しなさい。パパが駅まで迎えに来るから」
「うん! 今日はいっぱいロンドンを冒険してくるね!」
さすが、まだまだ十一歳の女の子だ。冒険や魔法、そして不思議な事に憧れるところはあれど、同世代の子供よりかは多少しっかり者と言えるアリス。
普段の彼女を知る限り、アリスなら今日初めて会う魔法使いの人や同い年の子供とも上手くやれるだろうと考え直し、笑顔で頷いてからヘンリーはアリスに別れを言って車で走り去って行った。
「うわぁ……これがロンドンなんだ……!」
ロンドンの駅前通りは沢山の店が建ち並び、平日だというのに大勢の人混みで賑わう活気溢れる場所だった。
ロンドンと比べて貴族の学生が圧倒的に多いオックスフォードの街とは異なる雰囲気に、アリスはドキドキワクワクしながら通りを一人で見回していた。
「……えっと、ハグリッドさん、だっけ? どんな人だろ……もう駅まで来てるのかな?」
ハグリッドというホグワーツの関係者と待ち合わせするべく一人で待っている途中、アリスは何人かの人達から好奇の目で見られてしまったが、よくよく考えてみればアリス・リデルはちょっとは名の知れたイギリスの有名人である。
その彼女をモデルにした『不思議の国のアリス』が瞬く間に売れて世界的ベストセラーになってからは、アリス自身もオックスフォードやゴッドストウの街中で知らない人から声を掛けられたり、握手を求められたり、写真撮影してもいいかと言われたり、お菓子を貰ったりする事が増えた。
ちょっとした美少女アイドルという感じだが、アリス自身『不思議の国のアリス』が大勢の人々に読まれる事は嬉しく思いつつも、現実の自分が有名人扱いされる事はあまり好きではないので、普段から無意味な外出は控える様にしている。
それでも現在一人で目立っているアリスが他人から声を掛けられそうでなかなか掛けられない理由……それは『不思議の国のアリス』に登場する主人公アリスのイメージそのままな彼女以上に周囲の目を惹く、毛むくじゃらの大男が通りの方から歩いて来たからだろう。
しかし無理もない。何しろこの大男ときたら、並の人の二倍も大きいのだから。間違いなくアリス以上に目立っている……それも悪い意味で。
(わぁ……ずいぶん大きな人……アリスみたいに身体が大きくなる薬でも飲んだのかな……?)
駅前通りで一人待っていたアリスも大男の存在はすぐに目についた。この時もう少しアリスに余所見する余裕があったら、その大男の後ろに隠れたクシャクシャの黒髪に丸い眼鏡を掛けた男の子が興味深く自分を見つめている事に気付いたかもしれない。
「お前さんがアリスって子か?」
驚いた事に目の前で立ち止まった大男がアリスに向かってはっきりとした大きな声で訊ねてきた。ボウボウと伸びた長い黒髪とモジャモジャの荒々しい髭に隠れた顔はほとんど見えない。
「あなたは誰?」
強面な大男を見上げる形でアリスが聞くと、何が面白いのか大男はクスクスと笑う。毛むくじゃらの顔は思ったよりも優しい顔立ちで、アリスはこの人物がハグリッドなんだと直感した。
「ハリーとおんなじこと言うんだな。俺はルビウス・ハグリッド。ホグワーツの鍵と領地を守る番人だ。みんなとおんなじようにハグリッドって呼んでくれや」
言いつつ、ミトンの様に巨大な手を差し出して握手してきたハグリッド。続いてはアリスが自己紹介する番だ。
「あたしはアリス。アリス・リデルっていうの。よろしくね」
軽い挨拶も済ませ、アリスがにこやかに微笑むと、それまでハグリッドの後ろに隠れていた男の子が口をあんぐりと開けて驚いた顔でアリスを見つめてきた。
「えっ、アリスって……じゃあ君、やっぱり本当にあの……アリスなの?」
初めて出会った男の子がこれだけ驚くのも無理はない。アリス・リデルと言えばイギリスで“その名前と容姿を知らない人間はいない”とさえ言われる程の有名人であり、小さな子供達にとっては永遠の憧れだ。
そして『不思議の国のアリス』に纏わる数多くの関係書籍が出された他、映画化やアニメ化、ゲームにグッズなど、その人気は出版から数年経った現在でも止まるところを知らず、今やヨーロッパの海を越えて世界中で一世風靡を巻き起こしている。
……ただし本のモデルとなったアリス本人はその事を特別気にしてはいない様だが。
「えっと……あなたが“どのアリス”の事を言ってるのかはわからないけど……」
周囲からの好奇な視線を気にしてしまうのか、若干困った表情を見せたアリスは初めて存在に気付いた男の子に歩み寄り、自分の唇にそっと指先を押し当てた。恐らく黙っていて欲しいという事なのだろう。
「お願い、ここであまり騒ぎ立てないで。あたし、アリスの本はとっても好きだけど、自分が有名人扱いされて人気になるのって好きじゃないの……」
アリスは男の子にだけ聞こえる程の小さな声量で囁いた。すると男の子は恥ずかしそうに顔を赤らめ、同じく小さな声でごめんねと謝罪する。
「あっ、そんな……謝らないで。あなたじゃなくてあたしが悪いの。ロンドンに着くまで浮かれてたから、自分が目立っちゃうって事忘れてて……お洋服も今着てるこれと似たようなドレスしかお家にないし……」
何も大勢の人前でうっかりアリスの名前を出した男の子に非がある訳ではない。アリスもこの様に“目立つ格好”で大都会のロンドンに出てきてしまったのだから。
「何だお前達、知り合いなのか?」
とここでハグリッドが口を挟んできた。しかしアリスからすれば上手くこの話を流せるナイスなタイミングと言える。
「違うんだ、ハグリッド。僕がちょっと気になったってだけだから……」
そう言って、ハグリッドの影に隠れていた男の子はアリスの前に進んで握手する。
「僕はハリー。ハリー・ポッターっていうんだ。よろしく」
「あっ、うん……こちらこそよろしくね、ハリー」
こうして互いに“目立ち過ぎた”自己紹介も済ませ、アリスは入学準備の為にハグリッドとハリーの二人に同行する事に。
ハグリッドの案内でロンドンの街並みを進んでいく頃には、賑やかな通りを行き交う人々のアリスへの注目は次第に無くなっていった。まったく、ハグリッド様々である。
そして二人の事情など知らずに大きな身体で人混みを掻き分けながら進んでいくハグリッド。そんなハグリッドの後ろを黙って歩くアリスとハリーは互いに思考を巡らせていた。
(はぁ、ハグリッドがいたから助かったぁ……それにハリーとも仲良くできそうだし。でもそっか、ホグワーツにはハリーみたいにあたしのこと知ってる人もいるんだ……学校でしつこく言い寄られないようにしなきゃ)
(さっきはどうなるかと思ったけど……よかった。この子となら僕もホグワーツでやっていけそうだ。それに……アリスとっても可愛いし)
思えば二人にとって初めて友達になれるかもしれない相手である。アリスとハリーは時折目と目を合わせながら互いを意識し、二人揃ってまだ見ぬ魔法の世界へと想いを馳せるのだった。
本編的にはどうでもいいけど、知っておくとちょっとだけ得するかもしれない話。
この作品のハリーは『不思議の国のアリス』を知っている(ただしアリスの本を読んだ事はありません)
恐らく、ダーズリー家でちょくちょく盗み聞きしていたラジオやテレビから流れるニュースでアリスの話を知ったのでしょう。多分。