ふと、目が覚めた。
どこだっけ?ここ。あれ?私、何してたっけ?
体にまとわりついている汗。そうか、走ってたんだ。でも…?
よく覚えてない。
目だけを動かして周りを見る。
目の前が霞んでいる。ブルブルと振動が体に伝わってくるのがわかる。何だろう。天井、と・・・?
車…?
「篠原さん、篠原さん、かよちん、目が覚めた!大丈夫?かよちん!」
ふと、凛ちゃんの顔が目の前に現れた。
とても心配そうな顔。
「あれ、私・・・。どうしたんだっけ?」
「危ないとこでしたねぇ。ほんと、僕が運転してなかったら小泉さん、確実に死んでましたから。」
篠原さんの声だった。
いつもの丁寧な、まるで電話相談窓口の人のような声だった。
「かよちん、スピード出し過ぎ!
車の前に飛び出すなんて、いつもそれやっちゃダメだよって子供に教えてたのに。ほんと、ヒヤヒヤしたんだよ?」
「そうだっけ・・・全然覚えてなくて・・・っ痛っ。」
「まだ起きないように。あと、ギリギリで避けたんで無事でしたけど、転んだ拍子に頭を軽く打ってます。脳震盪なんで、とにかく寝ててくださいね。」
そっか…。
私は、車に轢かれかけたらしい。
しかも、多分篠原さんが運転してた車に。
確かに、今日はいけると思ってスピードを出したのは覚えてる。
走るのに夢中で、何も考えていなかった。うーん、やっぱりよく思いだせない。
「すいませんでした・・・」
「イーエー。いいですよ。まあ、寝ててください。」
・・・やっちゃったな。
子供には、ちゃんと教えてたのに。ほんと、情けないなぁ・・・。
ボーッとする頭の中、不意に凛ちゃんのいつもの声が響いた。
さっきの心配そうな声が嘘みたいな声だった。
「あ、かよちん、音の木坂だよ!高校!」
高校…。
ふと窓の外を横になったまま見ると、懐かしい景色が広がっていた。
「うわぁ・・・」
真っ白な壁とレンガ作りの壁。並ぶ窓。
通ってた当時と何も変わらない。ぼんやりしている頭にも、はっきりと認識できた。
「私たち、この学校を助けたんだよね・・・」
ああ、綺麗な学校だな。
ここで、私たちは過ごしてたんだ。一生懸命生活して、練習して、友達と思い出を作った場所。
今は廃校なんて嘘みたいに栄えていると聞く。私たちは、母校を助けることができた。その代わりに、色んなものをもらった。色んな仲間。みんなの支え。大切な練習の場所。みんなで過ごした部室。
それに、恩返ししきれたのかな。
その時、私の痛む頭に衝撃が走った。
ーーーああ、そっか。すぐ近くにあったんだ。
私たちの、答え。
最初から決まってたんだ。
私には、一つアイデアが浮かんだ。
しばらく運転した篠原さんは、車を停めた。
「はい、お届けものですよー」
ドアを開けてそう言った。
突然、ドアが開いた。
ドアが開くと、真っ先に真姫ちゃんが飛び込んできた。
「花陽!あなた、何してるの?」
すごい剣幕で叱られた。
心配をかけてしまったことは、私のせいだ。
きちんと、謝らなきゃ。
「ご、ごめん・・・」
「ごめんじゃすまない!あなた、死ぬところだったのよ?せっかくこれから頑張らなきゃって時に、一人いなくなったらダメじゃない!」
「真姫ちゃん。流石に落ち着こうやん?」
「希の言う通りです。私も、確かに安全管理が不十分でした。もっと、安全なルートを考えなければなりませんね。篠原さん、本当にありがとうございます。それと、すみませんでした。」
海未ちゃんが、篠原さんに頭を下げる。
「まあ、いいんですが、自分としてもこれ以上のトラブルは望みません。どうか、気をつけてください。」
それは違う。
完全に、悪いのは私だった。
「違う。今回は私が悪いの。最近、調子いいからって、スピードあげて。車のこと、全然考えてなかったから。
凛ちゃんだけじゃなくて、本当にみんなに迷惑かけちゃって、ごめんね?今のまま、続けよう。それとね?穂乃果ちゃん?」
「何?」
さっきのアイデアを、思うまま言うこと。、
彼女に、引っ張ってもらいたい。
私たちの、はじめてのライブにふさわしい場所は、きっと。
「私、考えてた。ライブ、どこでやろうかなって。私たちの第一歩。そこにふさわしい場所ってどこかなって。
私、わかったよ。μ'sがきちんとみんなにお礼を言って、再起を誓う場所。そんなの、高校しかないんじゃないかな。」
そう。音の木坂高校しかなかった。
「高校・・・音の木坂のことかにゃー?」
「そうね・・・うん、でも、確かに。私たちのスタートにはふさわしいわ。ことり、あなたのお母さん、まだ理事長やってるの?」
「えーと、やってないと思うな、にこちゃん。何年か前にやめて、今は違う人がやっていると思う。」
「できるかしら、そんなこと。」
「行くわよ、穂乃果。」
「え、絵里ちゃん?」
「何よ。あなた、もう迷わないんでしょ?高校でライブ、やりたいんでしょ?」
穂乃果ちゃんの顔が、みるみる高校の時の顔になっていくのを感じた。
やりたいから、やる。
それが、穂乃果ちゃんを動かす力だって、私は知ってる。
だから、今回もきっと、ね。
「そうだね、行こう!高校へ!皆でお願いすれば、うまくいくよ!」
「そうですね、聞いてみるだけきいてみましょう。」
「それじゃ、早速!」
みんなについていこうと立ち上がろうとした途端、眩暈がした。
体がふらつく。
しまっ…。
だけど、倒れそうになる直前、篠原さんに支えられた。
大きな手が、私の背中を押す。そのまま車のシートに、寝転がされた。
体に力が入らないのに、私の体は倒れない。
間違いなく、男の人の手だった。
「小泉さん?あなたは休んでてください。大事なことです。」
「花陽。休んでて。無理して倒れられても困るわ。病院、行った方がいいわよ。」
「そうよ、穂乃果を忘れたの?」
「真姫ちゃん、厳しい・・・」
頭がまた少しぼうっとする。
「ごめんね、絵里ちゃん。私、休んでるよ。」
仕方ない。
でも、穂乃果ちゃんさえいれば。みんながそれを信じていれば、きっと大丈夫。
きっと、願いは叶う。
私の思い出が、そう言ってくれた。
みんなを見送ったあと、私は篠原さんに促されて、車の後部座席でしっかりと横になった。頭がボーッとする。
全然大丈夫じゃなかったみたいだ。
「病院に行きます。保険証、持ってます?」
「あ、ありますけど、いいですよ、そんなことしなくて。」
「嫌、あなたいつまでここにいるんです?そっちの方がわたしには都合が悪いんで。」
まあ、そうかも。
よく考えたら、車のシートを占領するのも悪いかな。
「はい、わかりました。なら、お願いします。」
篠原さんは、頷く。そして、車は動き出した。寝ている体に、さっきの振動が伝わって来る。
さっき支えられた手を思い出す。
男の人が、μ'sに関わってる。
私たちは女子校だったし、本来ありえないことだ。
思えば、この人と知り合ってまだ2ヶ月たらずだ。出会った当時。私たちは言いようのない不安や困難と戦っていて、その中で現れた救世主。
そんな認識の中、藁にもすがるような思いで彼に託した。
見ず知らずの人に、思いを全部話した。
彼は黙って聞いてくれた。
笑うことも、泣くことも、怒ることもない。
ずっと表情は変わらない。
でも、なんでか、私たちは安心した。
ああ、この人はわかってくれてるって。
信用して大丈夫だって。
私たちの心が保証してくれた。
そこからはあっという間だった。細かく指示を出し、私たちの思いも汲んで、完全に問題を解決してくれた。おかげで、私たちはまたこうやって、復活を遂げるところまであと一歩まで来ている。
ライブの場所なんて、とっておきのヒントまでくれて。
あの高校の前を通ったのも、この人なら偶然じゃないかもしれない。
これまで付き合ってきても、特に何かされたりはしていない。だから、犯罪とか、そういうのでもないと思う。
そんな、今だからこそ、気になった。
「篠原さん?」
「はい?」
「どうして、そこまでして頂けるんですか?」
篠原さんは少し間を開けた。
「何がです?」
「そんなんで、とぼけないでくださいよ。」
「そんなの、今更聞いてどうするんです?」
「私たち、ほんとに感謝しているんです。にこちゃんや真姫ちゃんも同じです。でも、どうしてそこまで苦労して、私たちを助けてくれるんですか?」
単純な疑問だった。
なんで、こんな見ず知らずのおばさんたちを、出会ったばかりのただのアイドル志望の人たちを助けてくれるのか。それが気になった。
仕事も忙しいだろう。
Sohhiと言えば、篠原さんがプロデュースしているらしいけど、最近の新人アイドルの代表格。そんなプロデューサーが暇な訳がない。
「そんなに苦労はしていませんがね。」
なのに、彼はこう言う。
篠原さんは、うーん、とうなって、
「まあ、多分気まぐれなんですよね。自分でもどういう理由で今やってるかわかりません。
…最初、僕は負けたと思ったんです。事務所の資料室の倉庫で見つけたあなたたちのライブを見て、単純にすごいと思った。なんでそんなにすごいと思ったのか理由が欲しかった。わかんないことが悔しいから知りたい。最初はそういう理由で始めたんです。でも、それに関しては答えがでました。
あとは・・・いえ、これは私ごとですから、やめときます。とにかく、たんなる好奇心から始めたことが、続いてるだけで、そしてまだ出てない答えを求めて、手伝ってる。そんだけですよ。」
難しくて、わからない。
負けた…?
よくわからなかった。
Sohhiというアイドルの成功は見ている。アイドル好きなら知らないはずがない。なのに、それに私たちが勝ってるって?そして、答えって?
私たちが、なんの答えを持ってるのかな?
何か、彼に役立ってるのかな?
考えてもまとまらない。
彼はすごい人だから、多分知識のない私が考えても仕方ない、のかな。
「その答えって?」
「あなたたちが知ってどうするんです?」
そう言われては黙っているしか無い。この人はいつも隠し事ばかりする。
よくわからない言葉を使って、はぐらかされてしまう。
この前、飲みの席に連れていかれた時も、あいつをおだてて、仕事の話にしてくださいって言われただけだ。
後は、わたしのポケットにスイッチの押されたボイスレコーダーがいつの間にか入っていた。それがどういう意味なのか、私は目の前で事件が解決されるまでわからなかったのだ。
恐ろしい人だ、とも思う。
たまに感じる狂気。
発せられる負の感情。
彼は、何か隠しているのかも、と思うこともある。
でも、この人は恩人だ。私たちに不利益になったことは一つもない。
これだけのことをして、周りからなんの風当たりもないのも、きっとこの人のおかげなのだろう。多分。警察沙汰とか、なってないよね?
だから、単純にお礼がしたい。
「あの、本当にありがとうございます、私たち、何か篠原さんのためにお礼できませんか?」
「どーですかね。大概のことは自分でできるし、あなたたちにできることなんて・・・」
「でも、このままお世話になりっぱなしでも嫌なんです!あ、私、美味しい定食屋ならたくさん知ってますけど・・・」
「興味ないですね、お気持ちだけで充分ですよ。」
「でも・・・」
「ほんとに小泉さんはお節介な人だ。」
ふう、と一息ついた篠原さんは、
「それなら、一つだけお願いをしてもいいですか?」
「は、はい!」
どんなお願いかな?この人のお願い…
どどど、どうしよう?
そんなすごいこと、できないけど…
「……………………、お願いします。」
「…え?」
だけど、
そのお願いは、私にとってはすごく意外で、理由はわからなかったけど、「私たち」にでもできることだった。
その理由を篠原さんは、最後まで聞かせてくれなかった。
いや、あの時までは、聞かせてくれなかった。
一番の答えは、意外と近くにあったりするのだ。
篠原さんのお礼とは…