「おはようございまーす」
扉を開けてあてがわれた隊の部屋へと向かうと、デスクで働く多くの同僚の姿を見る。真面目に書類に向き合っている同僚の姿がいれば、眠そうに半分だけ目を開けている者もいる。故に返事もまばらなものだが、ちゃんと聞こえた者は返事を返してくれる。
……いい職場だなぁ。
純粋にそう思う。何せ返答してくれるのだ。初見の相手にそうやって言葉を返す職場ってのはあるか? と問われればあるかもしれないが、それでも入りたての新人であれば、普通なら面倒から適当に流す所だ。何せ俺達には信頼関係というものが一切ないからだ。信頼・信用のない相手とは話せないし、相手にもできない。それが社会という場所の現実だからここは期待されていると思うべきなのだろうか、もしくは認められていると思うべきなのだろうか。ともあれ、昨日今日で自分の居場所があるとは思わない。欠食児童四人を養うためにもキャッシュは非常に重要なものだ―――自分がここにいる理由を果たす為に仕事をしよう。
とりあえず手近な誰かに話しかけようとすると、部屋の奥の方から駆け足で一人やってくる。
「おっと、おはようバサラ」
「うっす、おはようございます二等空尉」
「あ、とりあえず二等空尉とか階級とかで呼ぶのはやめないかな? 他の所は解らないけどここでは割とアットホームな環境でやってるから」
「うん、昨日のノリが冗談じゃなかったのか調べただけなんで」
昨日のノリ―――つまり戦技教導官に砲撃の嵐を浴びせられてた時のリアクションはマジモノだったのか、その場のノリだったかの確認だ。どうやら悪戯でもドッキリでもなく、叫んだり助けを求めて逃げ回っていた”俺達”の姿は嘘ではなかったらしい。改めて片手を上げて、
「おはようティーダ、っとちょっと気安いか?」
「いや、歳もほぼ一緒だしその方が俺にも楽だよ。よろしくイスト。同年代とはいえ俺の方が一応先任だから色々と教えるよ?」
「おう、割と頼む。正直何も教えられてないし、空隊とは今まで全く縁がなかったんだよ」
「確かにそうだろうなぁ……最低でも空戦Aはないと一緒に仕事をするだけ無駄、足手まとい扱いだからね。まあ、本当は飛行できることが重要じゃなくて飛行した状態でAランク相当の実力を発揮できるという事の方が重要なんだけど、それは歩きながらでいっか。じゃあ行こうか」
話はとんとん拍子で進んでいくが、一応聞いておく。
「どこへ?」
ティーダは扉の向こう側を指さす。
「街へさ」
◆
クラナガンという街は何時来てもその様子は変わらないものだと思う。とにかく雑多。人が多く、そして建築物も多い。数歩前に踏み出して歩けばもう後ろの道は人で埋め尽くされていて見えない。ミッドチルダという一つの世界でも、クラナガンは人口密集地帯、少々人であふれかえり”すぎている”部分もあるが、それは天下の管理局。魔導技術、そして科学技術、この二つのハイブリッドにより日夜生活を守り続けているのが今。だがさて、その全てを守れているのか、それは答えることなんてできない質問だ。管理局員であれば誰だって万能であり、全能だとは思っていない。どうしても救われない少数、そして報われる事の無い少数というものは出来上がってしまうのだ。
管理局という組織がその支配を効率よく行う上で、組織は大きく分けて三つに分けられている。
一つ目は”海”であり、海とは次元世界の事を示す。提督、次元航行船、そういった者はこの海に分類され、所属する。おそらく二番目に人気の部署がここだろう。何せ戦艦に乗るという事は、魔導師であれば憧れるものは多い。ちなみに超エリートコースでもあり、かなり危険でもある。時空間での仕事、という点で察せるはずだ。
次に地域的な治安を維持する”陸”の存在。支部や支局が存在し、基本的に治安を維持する―――警察的組織として陸は存在している。空を飛ぶ必要がないとされる為、そして”魔導師の花の空中戦”ができない為、一番人気の無い部署でもある。……が、陸の努力なくしては管理世界の平和や秩序は保たれない。基本的に住民とも交流し、地域的人気が高いのが陸という部署である。……が、よく本局や”空”に引き抜かれるので戦力は万年不足気味、というのが現状。
そして最後の”空”という部署は少々特殊だ。空と言えば航空魔導隊、首都航空隊、そして戦技教導隊、とまたエリート部隊の名が上げられるのだが……陸をメインに仕事をさせてもらっている人間からすれば少々解らない事がなくもない。つまり、何をメインの業務としているのか? という話になる。陸の治安維持行動には割と軽いものからヘヴィなものまで揃っていた。首都の防衛部隊なのだから、空の首都航空隊もそこそこ危険な仕事をしているのだと判断するのだが―――私服姿でティーダとクラナガンの街を歩き回りながら話を聞く。
「さて、基本的にだけど俺ら”空”は管理局でも結構エリート、というかかなりエリートだ。クラナガンに置いての有事の際、一番最初に出動を言い渡され、そして戦闘するのが仕事だ。それはほとんど軍隊を常備している事と変わりはしないんだけど―――」
「軍隊は維持するだけでも金を食う」
「そう、だから維持するだけじゃダメ。何か仕事をさせなきゃ駄目だ。そんなわけで陸が手を出さないような案件を俺ら空の魔導師は請け負うわけだ。人身売買とか密輸とか、密売とか。違法改造とかの軽犯罪は基本的に陸の管轄で、経済的なダメージ、政治的ダメージ、もしくは首都機能を損なうような案件に対しては空の魔導師が当たる事になっているんだ。まあ、平時における首都航空隊みたいに防衛部隊を腐らせないための措置だね。あえて危険な任務に当たらせることで、平時にて力を発揮する機会を与えているんだ」
「ほぉ」
ティーダと一緒にクラナガンの通りを歩いていると、後ろから悲鳴が聞こえてくる。人波をかき分けながら男が此方へと向かって走ってくるのが見える。その手に握られているのは女物のバッグだ。
「あ、下がろう」
「そだな」
ティーダと共に横に避けると、ひったくり(推定)の男は全力で通りを抜けて走り去って行く。後ろでは捕まえてー、と叫ぶ女性の姿があるが、ティーダが無視しているので自分もとりあえず無視して、歩きだしたティーダの横について歩く。
「ちなみに今のは陸の管轄だから手を出しちゃ駄目な事だね……ほら」
視線を先へと向けると、茶色の制服姿、白髪の男……おそらく陸士が横からひったくり犯に襲い掛かる。一瞬で近づくと首元を掴み、これを見事に肩に背負うようにしてから、相手を背から道路へと叩きつける。そのまま相手を組み伏せる様子からして、男は結構慣れているように見える。
「ほら、心配する必要はないでしょう? 基本的に腐ってるのは上の人間だって相場が決まってるからこういうレベルでは空に所属している間は無視していい感じで」
「あいよ。いい感じに楽ができそうだなぁ」
「それじゃあアッチに行く?」
そうやってティーダは空を指さすと、上空を空隊の魔導師が飛び去ってゆく光景が目撃できる。
「ちなみに彼らはパトロールしたり、今日も空隊は頑張って治安維持してますよー、と一日中空を飛びまわっているのが仕事。酷い時になるとお昼と夕飯も空で飛んだまま食べたりするから、家に帰ってベッドの中に入っても気づいたらベッドの横で浮かんでいたなんてことも……」
「とりあえず全力で遠慮させてもらうわ」
「空戦そんな得意そうじゃないし、というか俺もどちらかという陸戦の方が得意だからなるべく地上の方で働かせてもらっているんだよね」
「お前、空隊の魔導師じゃないのかよ……」
「いやいや、夢は執務官。陸戦の方が得意だけど、空戦できた方が点数高いし」
「練ってやがんなぁ……」
「夢だからねぇー……」
見た目は爽やかなオレンジ色の髪の好青年。だがその中身は意外とサバサバしているらしい。まあ、個人的にはこういうタイプの方が何かととっつきやすいと思うから、個人的な好感としては悪くはない。だが、そろそろ本題に入りたい。で? と言葉を置き、ティーダに話を続ける様に促す。ティーダは苦笑し答える。
「ちょっと本題から逸れちゃったから話を戻すけど―――そんなわけでお空で立派に職務をこなしている皆の為にも俺らの仕事は調査と追い込み。あっちで調べたり、こっちで調べたり、意外と泥臭いけど情報屋に当たったりして色々と組織を追いつめるのが俺らの仕事だよ」
そこでティーダは歩みを一旦緩めると、此方に少し寄り、声を潜める。周りの喧騒からティーダの声が自分以外の誰かに聞こえるという事はまずありえないだろう。
「念話はデバイスに記録が残っちゃうから口で言うけど、密輸や密売に関しては”入国される”までは全く掴めないんだよ。これは噂話なんだけど、管理局は一部じゃ反体制派を煽っていて、そして俺達の仕事を無くさないためにも、クラナガンへと来て商売を始める所までは見逃しているって」
「あんましゾっとする事を言わないでくれよ」
「そういう割にはあんまり表情に変化はないね?」
「正直管理局の暗部がどうのこうのって噂が始まったのは今に限った話じゃないぜ? 何十年も前からずっと言われている事だ。今更一つや二つ聞かされたところでリアクションも取り辛いさ」
「ま、それもそうだね」
苦笑しながらティーダはまた元の距離を取り戻し、人込みの中を歩きはじめる。その横でティーダが聞かせてくれた話の真意に関して一瞬考えようとして―――やめる。あまり縁起のいい話じゃない。こういうのに深く踏み込むとロクな事にならないのは既に己の身で実証済みだ。あの時良心の呵責に負けてしまった結果、連鎖的に厄介ごとに巻き込まれている気がする。まあ、過去の所業について嘆いている事は出来ない。とりあえず大事なのは今だ、今日の事だ。これから何をするか。それが現時点において一番重要な事だ。
「で、殴り込みするわけじゃないんだろ?」
「そりゃそうだ。既に一件密売に関しては掴んでるから、今日はその裏の確認と色々と顔見せ。年単位での契約なんだったっけ? たぶん顔を合わせる回数は増えてくるだろうから懇意にしている人たちに顔を見せたりしてこっちの人間だって覚えて貰わないと。時間が余ったら此方でマークしている要注意区域とかの確認にも行くよ」
意外と、というかやはり管理局のエリート部署だったというのか、仕事は大量に用意されているらしい。まあ、払いが良くて楽な仕事、なんて都合のいい事はそうそうないという話だ。ま、それを認めて諦めてしまえば話は簡単だ。少しずつ、テンションを上げてゆく。
「うへぇ、激しくめんどくせぇ。俺学校中退なんだけど」
「やったね、頭に詰め込むスペースがあるよ」
「容赦ねぇなぁ……ま、それぐらい遠慮がない方がこっちも気が楽ってもんさ。さあ、俺を好きなだけ連れ回せよティーダ。調査系なら結構やったことあるしこの俺の野生の勘に任せろ。少なくとも無人世界のジャングルで迷った時、転移魔法を使用せずになんとか合流出来たぞ」
「それってただ単にサバイバル能力が高かっただけなんじゃないのかなぁ……」
ティーダがその話に苦笑するのを見、右拳をティーダへと向ける。それを見てティーダはあぁ、と声を漏らして左拳を突きだし、それを軽くぶつけ合う。
「ま、年齢的にも多分」
「そうだね、一緒に仕事する回数は増えるだろうね」
「おう、だからよろしくなティーダ・ランスター」
「此方こそよろしくイスト・バサラ。やる事は多いし上司は間違いなくキチガイだし偶に連れてくる戦技教導官は常識を野生に置いてきてるし同僚も奇人変人ばかりだけど、ここも慣れればそれなりに楽しい場所だよ。改めてようこそ、空隊へ」
サンキュ、と軽く答えて体を伸ばす。早い時間から動き出しているのに、ティーダは”時間が余ったら”と言ったのだ―――それはつまり、相当時間を要すると計算しての発言なのだろう。ま、いいさ。諦めているさ。何より書類とにらめっこしないというのがいい。いや、仕事が終わればたっぷり書く必要があるのだろうが、ティーダの話を聞く辺りは大分暴れられそうで、期待できる。
「じゃ、週末の”パーティー”に向けて挨拶周りと招待状の準備はしないとね」
「だなぁ」
とりあえずはお手並み拝見、ティーダについていきながら空士としての活動を開始する。退屈する事はなさそうだ、と思いながら。