ノット・イェット
「うーん」
立ち上がり、体を軽く動かしてみる。右へ左へと体を捻ってから屈伸し、そして今度は天井目指して体を伸ばす。それから手首の様子を確かめ、足首、肘、膝、首と、身体の各所がちゃんと機能するかどうかを少しずつ、一つ一つ段階的に調べてゆく。
「なのはちゃん、せめて上は着た方がいいんじゃないかしら?」
「うーん……あ、傷痕増えてる」
一応スカートは履いているし、ブラジャーもつけてはいるのだが、上半身は服を着ていない方がチェックしやすい。まあ、軽く動かす程度なのですぐに上の方もベッドの上から取って着る事にする。何せシャマルは普段は静かだが、怒ると結構怖いのだ。故にあまり逆らいたくなく、さっさと上を着て、上着を―――機動六課の茶色い制服の上着を着る。これで着替えは完了する。待機状態のレイジングハートを首から下げ、そしてやはり、体を軽く動かす。
『Not good』(良くありませんね)
「そうだね、ちょっとだけ引きずるかも」
とりあえず動けるし、戦えるようにはなった。だが完全な本調子とは行かない。
―――ホテル・アグスタでの敗北から三日、色々ともみ消してから三日。
ようやく医療室から退院、というか出られるような状態となった。今更になってメイン盾が前に立って攻撃を全て受けきってくれている安心感というものを思い出す。あの時代は肉壁がいてくれたおかげでだいぶ戦いやすかったなぁ、と今更に思う。まあ、敵にまわってしまったのは誤算というか苦いというか、元パートナーであり元後輩としては色々と複雑な気分だ。……ティアナにだけは絶対に言えないし。
「ほんと面倒な先輩を持ったものよねぇ」
「あらあら」
そう言う此方をシャマルはあらあらと言って笑ってくれる。その笑みの意味は解っている。ユーノにも確認して解った事なのだ―――あの馬鹿が本人である事は。だったら黙らせて連れ戻して、そしてそれから話を聞いてやらなくてはならない。なんでこんな馬鹿な事をやっているのかを。ただ、まさかあそこまで強くなっているとは思いもしなかった。……三日も経過しているのに、魔法を使った治療法を使用しているのに、まだ完全に治らないとか一体どんな攻撃方法を使ってきたのだイストは。それに―――いや、考える事は多いけど、まず一つずつだ。
「んー、とりあえず世話になったね、シャマル先生」
「世話にならないのが一番なんだけどね」
その言葉には苦笑いするしかない。シャマルに世話になった事に対して感謝の言葉を伝えると、医務室からしばらくぶりに制服で出て、想いっきり体を伸ばす。まだ完治していないので通常通りの業務に戻れないのはキツイが、それでもやる事は山積みだ。相手の戦力が大体見えて来た今―――機動六課は今以上に忙しくなってくるんだろうなぁ、と外回りで一日中外を走り回っているはやての姿を思い浮かべながら苦笑する。誰もが敗北を一度経験し、そしてそれではいけない事を痛感している。誰もが負けたままでは許せない負けず嫌いの集団だ。
だから皆、強くなろうと足掻くはずだ。
「新人の皆が己の道を見つけられるように私達も頑張らなきゃねレイジングハート」
『Lets do our best Master』(我らの全力でやりましょう)
もちろん自分もこのままでいるわけにはいかない。シャーリーの方に色々と注文したし、リミッター抜きで考えられる事はこの三日の間に考えた。ただ―――自分の考えがもしも、当たっているようなら、相手は非常に面倒くさい事になっているかもしれない。だがそれに勝てる様にするのが自分の仕事だ。
……またどうせ家族や身内の為に命を張っているんだろうけど、此方に戻ってきてもらうよ。
◆
―――持ち上げる体から汗が地へと落ちる。それでも体を持ち上げる事を止めず、完全に手がまっすぐ伸びた所でカウンターを1個だけ増やす。百九十八、と。そして再びゆっくりと腕を曲げて、体を地面すれすれの所まで落としてからゆっくりと、震える腕に何とか力を込めてゆっくりと伸ばして行き……百九十九。最後に一回、これがラストだと思うと結構力が湧いてくる。さっさと終わらせたいという気持ちが生まれてきて、体を沈めてから一気に押し上げて―――二百回。
「終わり!」
そう叫んで大地に倒れ、転がして寝転がる。荒く息を吐き出しながら汗が顔から、身体から大地へと滴る。魔力を、魔法を使わないでする腕立て伏せがこんなに辛いなんて久しぶりに実感した。流石なのは、医務室にこもりっぱなしでも鬼の様なトレーニングメニューを組んでくれる。そしてそれを自分の半分以下の時間で終わらせるスバルは根本的基礎能力が違うな、と今更ながら羨ましくもう。ちなみに当の本人はお腹が空いた、等と言って既に食堂へとダッシュしている。あいつには親友の汗を流す姿を応援するという概念がないのだろうか。
いや、食欲が友情を上回るだけか。
それはそれで恐ろしい。何時か高級ステーキの為に裏切ったりは……しないか、流石に。
まあ、これでやっと自分もノルマ分を終了させた。横を振り返れば基礎能力で足りていない新人フォワード年少組が少しだけ量が少ない同じようなトレーニングをしているはずなのだが―――目の前では全く違う光景が発生していた。まず、何時の間にか召喚魔法で強化され、巨大化したフリードが存在し、その上にキャロが乗っていた。そしてフリードは何かスクワットの様な動きをしていた。それをエリオはぽかーん、として様子で眺めていた。
「なにをやってんのアレ」
「”動くのは私じゃなくてフリードで盾になるのもフリードだからフリードが運動すべき”だって」
視線をフリードの上にキャロへと向ける。いい笑顔とブイサインを送ってくるので迷う事無くタスラムを構えて楽をしている桃チビを撃墜する。フリードが驚くことなく納得した表情をしているんで間違った事はしていないんだな、と確信する。何気にエリオもエリオでうんうんと頷いているしこれで悪は滅びた。目を回して大地に倒れるキャロをどう始末しようかなぁ、と思ったところで、
「お、頑張って……るのかこの状況は……?」
「あ、ヴァイス陸曹」
よ、と言いながら片手を上げてやってくるのがヘリのパイロット、ヴァイス・グランセニックだ。アグスタと列車の出撃で二度ほど彼には世話になっているので、既にフォワード陣で彼と面識のない人間はいない。冗談は言うし、知っている事も広く浅く、射撃に関しては元武装隊らしいので色々と参考やアドバイスがもらえたりと自分の中ではなかなか高評価な人物だ。その片手に握られているのは三つのドリンクボトルだ。……此方の事を見て差し入れに来てくれたのであれば感謝すべきなんだろう。
「まあ、頑張っているようだしほら、飲んどけ。終わった所か?」
ヴァイスから目を回しているキャロ以外がスポーツドリンクを受けとり、感謝の言葉を伝える。
「あ、一応私とスバルは」
「僕達がまだで……」
ヴァイスがキャロの方を見て、フリードを見て、あぁ、そうだな、と呟いた納得の表情を見せる。何というか、納得せざるを得ない様子というか。これを見たら大体何が起きていたのか察しが付くから嫌だ。
「なんだかなのはさんに近づいて来ているなぁ……」
「やめてください。やめてください」
エリオが真顔でヴァイスにそういう。若干ドンビキしながらもお、おう、と答え、確かにキャロって結構なのは系のキャラをしているよなぁ、と思う。何というか……自分に正直な所とか、欲望フルオープンな所とか、自重を全くしない所とか。正直このままではセカンドなのはが生まれそうで怖いのだが。いや、一番怖がっているのはコンビ組んでいるエリオなのだろうが。敵にまで短パンショタとか言われたりハァハァされたりとこの少年は不幸の道をどれだけの爆走し続ければ気が済むのだろうか。不憫でちゃんと見られない時がある。
「ティアナさん、ちょっと憐れむような視線をこっちへ向けないでくださいよ―――意味は解りますけど」
「お前ら仲がいいな」
「チームですからね。仲良くやる理由はあっても仲を悪くする理由はありませんよ」
「それが解ってるんならいいのさ。世の中変なこだわりを持ってチームメンバーに嫉妬したり難癖つけて足を引っ張ろうとする連中多いからな? お互いを尊重し、理解してくれる仲間は貴重だから大事にしろ……ってお前らなら言われるまでもないか。ふぅ……」
そう言うとヴァイスは肩や首を回す。どうやら少し疲れている様子だ。貰ったドリンクを遠慮なく飲みながら、少し気になったのでヴァイスに聞く事とする。
「お仕事が終わった所ですか?」
「うん? あぁ、ちょっと隊長達を西へ東へ、な。車とか使った方がいいのかもしれないけどヘリで行けば早いし、それだけの力があるってアピールになるからな。色んな所の視線を”表側”へ釘付けにできるって意味もあるしちょっくら仕事してきたんだよ。あぁ、あまり政治とか交渉関係は気にするなよ? そっちは隊長達の仕事だから」
「安心してください。何が何だかまったくわからないので」
エリオの言葉にヴァイスと共に苦笑する。まぁ、機動六課の規模や設備を見れば嫉妬する連中が多い事や、敵が多い事もまたうなずける。身内で固めている部隊にバックには大物、明らかに何かを隠している様にしか見えない。だとすればパフォーマンスやら色々とやる必要はあるんだろうな、と思う。まぁ詳しい事はまだ未熟な自分には良く解らないのだろう、自分もはやてに踊らされた一人だし。
「ま、頑張っているって事はリベンジする気はあるって事か」
「もちろん!」
「次は負けませんよ」
ホテル・アグスタで自分たちに与えられた任務はホテル正面入り口にてガジェットの殲滅、および侵入阻止だった。相手にはベテラン級の魔導師多数という状況であったため、それ以上の働きは認められないし、期待されてもいなかった。……だけど自分よりも歳が下の魔導師相手にああも遊ばれるとは思いもしなかった。
究極召喚の部分召喚だったか。話によればキャロも”私も究極で、できますし”とかドヤ顔しつつ声を震わせながら言っていたからあの変態スキルを習得するんだろうなぁ、と思うと胃が痛くなる思いだ。この桃色チビが日に日に危険物へと進化しているのは朝、青ざめた表情で悲鳴を上げるエリオの様子を見ていれば解る。八年後が地味に楽しみだ。
「ま、俺は戦っちゃいねぇが全員が腐らず向上心を持っているのはいい環境だな。皆ステップアップを狙っているしさ。こういう敗北には必ず一人ぐらい腐っている奴がいるもんだけどこの隊だと一人もそう言うのがいないどころかネタに走り出すやつまでいるから驚きだな」
あぁ、この機動六課の空気の良さは良く解る。たぶん身内で固めているから、というだけじゃないだろう。キャロみたいに此方側に来てから”染まった”という感じの隊員は少なからず目撃しているし。濃いキャラが増えるのはどこか懐かしさがあって……嫌いじゃない。うん、嫌いじゃないと思う。いや、だからこそスバルという強烈な個性の塊とコンビを組んでいられるのだが。
「と、皆という事は隊長達も?」
おう、とヴァイスが頷きながら答える。
「隊長達もそれぞれ色々とやるらしいな。なのはさんやフェイトさんはシャーリーに追加パーツ発注したり、”禁じ手”をいくつ解禁したりで、八神部隊長もようやく他の隊とも連携が取れそうだとか。旦那やシグナム姐さん方ヴォルケンリッターは何だっけなぁ―――”忘れていたものを思い出す”つってたっけなぁ……まぁ、意味はよく解らないけどリミッターに触れない部分で自重を外し始めている感じだな」
「正直”あの”隊長陣が戦術的敗北を得た相手ってのが恐ろしいけど自重して今までの状態だったらこれからが恐ろしいわ……」
「その姿勢がキャロに移らない事だけが僕の願いです」
エリオの声が切実過ぎてヴァイスと共に何も言えなかった。―――キャロがあの紫髪の召喚魔導師と同じ様なスキルを習得し始めたら本格的にエリオも詰みだなぁ、というのが自分の正直な感想だ。それまでにエリオもそれレベルの何かを習得できなかったら……うん、結婚式ぐらいには参加してあげてもいいんじゃないかと思う。その時の仲人は是非とも任せてほしい。地味に面白いので悲鳴の映像はクロスミラージュに記録している。
「んじゃ、俺はヘリ動かしたから色々と書かなきゃいけないんで」
「あ、お疲れ様です」
「色々とありがとうございました」
「気にすんな、しっかり追いつけよ!」
追いつけ、とはまた無茶な事を言ってくれる先輩だが―――いい人である事には変わりはない。多分短い休憩時間をこっちを見かけたから割いてくれたのだろう。たぶん、お人好しの部類に入る人物だが……そうやって応援されてしまったのではしょうがない。
「さ、キャロ起こしたら私が見ててあげるからラストまで頑張んなさい」
「こ、このまま寝かしてちゃ駄目ですか」
「きゅくるー……」
エリオの割と切実な声にフリードの悲しそうに声を響かせた。
現実は残酷である。
敗北した結果リミッター以外で自重外せる場所は完全に外す事決定した六課。
だけどそれ以上にキャロのトランスフォームがやばい。どうなるエリオ。